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34・妙な生き物を目にしたので、

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「あれから、王都のほうからは何も言ってきませんけど、どうなるんでしょうかね」
 久しぶりにキッチンで並んでパン生地を捏ねていると思い出したようにアゲートが言う。
「本決まりになるんじゃないかな? 」
 その言葉にわたしはつぶやいた。
「何を、そんな、他人事みたいに仰っているんですか? 」
 アゲートがわたしの顔を覗き込んだ。
「だって他人事みたいなものだもの」
 わたしはつぶやく。
 
 どんなにわたしが拗ねたって、
 どんなにわたしが泣いたって、
 どんなにわたしが反対しても、
 聞きいてれもらえる話じゃない。
 
 わたしの存在などまるでなかったかのように話は進められてゆく。
 
 他人事とでも考えなければやってられない。

 本当は、
 少しの間でも、触れて欲しかった。
 抱きしめて欲しかった。
 声をかけて欲しかった。
 その笑顔を見たかった。
  
 だけど、ただその姿を遠くから見ていることだけでもわたしには許されない…… 
 
「珊瑚ちゃん、言いたくはないんだけどさ、手が止まってるよ」
 突然頭上から降ってくる声にわたしは顔を上げた。
「はい、ごめんなさい」
 慌てて謝ると料理人のおばさんが、仕方がないねとでも言うように一つ息を吐いてみせる。
「考え事もいいけどさ、しっかりしてもらわないと、パンが膨らまないだろう。
 あんたはまた先王陛下に硬いパンを食べさせる気かい? 
 あんただろう、先王陛下にやわらかいパンを食べて欲しいって言い出したのは」
「え? あの、その…… 」
 
 あちゃー、やっちゃった。
 手元に視線を移して、わたしは困惑する。
 
 しっかり捏ねて丸くなっていなくちゃならないはずのパン生地が未だに粉のままだった。
 
「……ごめんなさい」
 肩を落として言う。

 駄目だな…… わたし。
 
 何もしないでいるといろんな事を考えてしまうから、それを回避しようとキッチンに押しかけたのに。
 手でも動かしている間だけは何にも考えないで集中していられるから。
 うだぐだ悩んでいるくらいなら手を動かしているほうがよっぽどマシと決め込んだのに…… 

 とりあえずわたしは気を取り直してパン生地に意識を集中することにした。
 
「え? きゃ…… 」
 そんなわたしの耳元で、キッチンメイドの小さな悲鳴が上がる。
「珊瑚ちゃん、今日は遠慮してもらったほうがいいみたいだね」
 少し怒ったようなおばさんの声。
 テーブルの上では無数のヒヨコが隊列を組んでいた。
 
「ご、ごめんなさい! 」
 わたしは顔を引きつらせる。
「全くだよ…… こうも卵を無駄にされたら…… 」
 言っておばさんは卵を手に取るとボールの角に軽く叩きつける。
「なんだい、こりゃ? 」
 割ってでてきたヒヨコに眉間にしわを寄せ、心底嫌そうな視線を向けてつぶやいた。
 キッチンにいたみんなの動作が固まる。
 
「なに…… 」
 思わずわたしの口からもついてでる言葉。
 
「ギキャウ! 」
 耳を塞ぎたくなるような嫌な声で鳴く真っ黒なヒヨコには蛇かトカゲのもののような長くて鱗の光る両生類の尻尾が生えていた。
 こういった不思議生物に慣れていないわたしでなくても目を背けたくなるような不気味な生き物…… 

「……なんてこったい。
 何でこんな卵がまぎれているんだよ! 」
 おばさんが大声をあげる。
「そこの塩を持っておいで! 
 それから竈の火を全快におし! 」
 青い顔をしながらも怒鳴るように指示する。

 渡された塩壷を抱えると、おばさんはその妙な生き物を睨みつけ手にした塩壷を一気にぶちまけた。
 そんな、ナメクジじゃないんだから…… 
 塩で溶けるとは思えないんだけど…… 
 なんて思いでみていると何故かそのヒヨコはぐったりと動かなくなる。
 おばさんはそこをすかさずつかむと竈の火の中に放り込んだ。
 
「やれやれ…… 
 逃げ出される前に何とかなったよ」
 ふぅっと大きな息を一つはきながら言う。
 同時にキッチンに張り詰めていた緊張が緩む。
「それにしても何だって、こんな…… 」
「ごめんなさい! もしかしてわたしのせい?
 じゃなくて、もしかしなくてもわたしがやったんだよね? 」
 
 記憶はないんだけど、今のわたしじゃ無意識に何をしているのか、本人にすらわからない。
 
「そっちのヒヨコはあんたの仕業だろうけどね。
 あれは珊瑚ちゃんのせいじゃないよ」
 まだ気味悪そうにおばさんは言う。
「ここは聖域に近いからね。
 ああいった異形のものの卵が混じっていて孵化するってことが稀にあるんだ。
 それにしてもバジリコックだなんて何か悪いことでもなけりゃいいんだけど…… 」
 おばさんは更に眉根をひそめた。
 

 訊けばバジリコックというのは凶兆の象徴みたいなもので、姿を見ると見た人間が死ぬとか、石になるとか言われているらしい。
 もっともここの人たちは慣れっこで対処法も心得ているって話なんだけど。
「何か悪いことでも…… 」
 おばさんのその言葉と、あの気味の悪い姿と泣き声が頭に張り付いて眠れない。
 ……何か、妙な不安のベールのようなものがわたしの躯を包み込んでゆく。
 それは重くて苦しくて、このままいったら息ができなくなるような。
 まるで誰かからわたしに向けられた悪意のような…… 


「魔女殿! 珊瑚様はどちらですか? 」
 ベッドの中で何度目かの寝返りを打った時、急に砦の中に大きな声が響いた。
 その声に静まり返った深夜の砦の中が急にざわめきだす。
「なに? 」 
 名を呼ばれ起き上がったわたしは闇に目が慣れるのを待ち、ショールを手にドアを開ける。
「魔女様! 」
 聞いたことのない声は、この砦には不慣れな人物なんだろう。
 明らかにわたしの部屋を知らずに探しまわっているようだ。
「ここです」
 ホールに出るとわたしは声を張り上げた。
 途端に慌てた足音が駆け寄ってくる。
「私は王都にて殿下に仕えるマラカイトと申します。
 突然で申し訳ありませんが、すぐに私と王都にいらしてください」
「はい? 」
 事態が飲み込めずわたしは目をしばたかせる。
「だって、わたしは王都に入れないはずじゃ…… 」
「そうは言っていられなくなってのです。
 殿下が…… 
 詳しい話は馬車の中で致しますので、至急お支度を」
 男は頭を下げる。
「珊瑚さま! 」
 騒ぎを聞きつけたのだろう。
 アゲートが駆け寄ってくる。
「何があったの? マラカイト」
 アゲートはこの男と顔見知りらしく姿を見ると一緒に訊く。
「悪いが説明している暇はないんだ。
 急いで魔女殿を王都にお連れしないと殿下が…… 」
「なんだかわかんないけど…… 」
 アゲートがじれたようにつぶやく。
「とにかく珊瑚さまを王都におつれすればいいわけね。
 あんたは馬車の用意をさせて! 
 珊瑚さま、お手伝い致します」
 言ってわたしを部屋の中に連れ込んだ。
 
「何がどうなってるの? 」
 着替えを手伝ってもらいながらわたしはアゲートに訊く。
「さぁ? わたしにもなんとも。
 マラカイトはわたしの幼馴染なんですけど、昔から気が動転してしまうと要領の得る話ができなくなってしまって…… 
 でも、キューヴじゃなくてマラカイトがここに来るって事は何かあったのは確かだと思います。
 わたしもご一緒しますから、安心してくださいね」
 言ってわたしを励ますように笑顔を向けてくれた。
 

「それで? 殿下がどうしたって言うのよ? 」
 揺れる馬車の中で、わたしと並んで座ったアゲートが向かいの男に訊く。
「危篤状態で、す…… 」
「な…… 」
 思いもかけない言葉にわたしの思考が止まる。

 悪い冗談じゃないかって思う。
 冗談だとしか考えられない。
 それ以上の事実を思考は拒否する。
 
「何かの間違いじゃないの? 」
 言葉を失うわたしの代わりにアゲートが言った。
「だと、いいのですが…… 」
 男は辛そうにゆがめた顔をあからさまに背けた。
「お出かけになる時にはあんなにお元気だったのに! 」
「刺されたんですよ」
「どうしてそんなことになるのよ。
 あんた達護衛がついてて、しかも国王付き魔女のお膝元で! 」
 アゲートの声は男をしかりつけるかのように強い。
 それが本当にこの男と幼馴染なんだって感じられてなんだか心強かった。
 
「申し訳ありません。
 我々もまさか内側から襲われるとは思っておりませんでしたので」
「内側からって? 」
「姫君の従者ですよ。
 我々衛兵がお側にいられるのは殿下のお部屋の外までです。
 それ以上内のこととなりますと、従者のキューヴくらいしか」
「じゃ、キューヴはどうしていたわけ? 」
「所用で席を外した直後だったそうです。
 ですからどういう状況でそうなったのかは定かではありませんが。
 我々が大きな物音にお部屋のドアを開けた時にはすでに殿下は傷を負っていまして…… 」
「あんた達間抜け過ぎよ! 
 婚儀の話をつめにきていたって相手は敵国の人間なのよ? 
 それなのに殿下をお部屋に一人にしたって言うの? 」
 くって掛かるアゲートの声。
「それに陛下の魔女様は何をしていたのよ? 
 いくら病用の薬専門だからって、多少は医術の心得があるんじゃないの? 」
「もちろん、医師と一緒に手は尽くしていただきました。
 ですが、全く効果がなく、この上は珊瑚様のお能力におすがりするしかないと、こうしてお迎えに上がった次第です」
 
 最初ただの雑音か何かのように聞こえていたわたしの頭の上を抜けるその会話が、徐々に意味を持った言葉に聞こえてくる。
 
 そして、わたしの頭はのろのろと二人の会話を整理し始めた。
 
 事実を認めると同時に膝の上で握り締めていた両手が震えだす。

「珊瑚さま? 大丈夫ですか?
 お顔の色が真っ青ですよ」
 そっとアゲートの手が伸び、震えるわたしの手を握り締める。
「しっかりなさってください。
 珊瑚さまがそんなご様子では助かる殿下のお命だって危うくなります」
「うん…… 」
 小さく頷いて返事だけはするけれど、それでもわたしの震えは止まらない。
 
 事実とは別の何か妙な不安のようなものがもう一つわたしの身体を包み込む感覚が、どうしても拭い去れない。
 
 アゲートの言うようにしっかりしなくちゃってのはわかっている。
 だけど…… 
  
「急いで…… 」
 不安に後押しされるようにわたしは叫んでいた。
「珊瑚さま? 」
「とにかく急いで、お願い! 」
 胸が締め付けられた、瞬きしたら涙が零れ落ちそうになるほどに。
 
 わたしの能力は消え逝こうとしている命を引き戻すこと。
 完全に消えてしまったら、どうすることもできない。
 
 何かがわたしの頭の中で叫んでいた。
 
 お願い。
 もう少し、もう少しだけ時間を…… 
 もう少しだけ待っていて…… 

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