たとえばこんな、御伽噺。

弥湖 夕來

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想い出のイラクサ姫

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「セフィラが倒れたって! 」
 顔色を変えて息を弾ませたアーサーは部屋へ倒れこむようにして駆け込んだ。
 ドアを開くと居合わせた人々の視線が一斉にこちらを向く。
「なんだってこんな…… 」
「それが…… 」
 ベッドの一番側に立っていたセオドアが渋い顔をした。
「それで、様態は…… 」
 立ち尽くす人を掻き分けてアーサーはベッドの枕元に歩み寄る。
 枕に乗ったセフィラの顔は蒼白を通り越し赤黒くむくんでいる。
 傍目でもはっきりわかるほどに呼吸は不安定に乱れていた。
「セフィラ? 」
 覗きこんで名を呼んでみるが全く反応がない。
「医師は何をしている? 」
「……手は尽くしました」
 部屋の隅で控えていた医師が押し殺した声で言った。
「ですがこれ以上は手の尽くしようがなく…… 」
 立ち尽くしたままセフィラの顔を見つめていると、誰かが軽く上着の裾を引っ張った。
 それに反射的に対応して顔を上げるとセオドアと目が合う。
 セオドアは言葉なく顎を軽く上げるとドアの方へ向け、そのまま黙って部屋を出てゆく。
 ドアが閉まってから数分ほど待って、アーサーは目を伏せたまま室内を出た。
 
 
 
 廊下に出て周囲を見渡すとドアの脇で壁に背を預け、セオドアは待っていた。
 二人は揃って無言のまま歩き出す。
 渡り廊下を抜け書庫の扉を開ける。
「兄さん、レディ・セフィラの様態はどうですか? 」
 窓際で顔を上げシルフィードが訊いてきた。
 周囲にはいつもの三倍以上の書物が積み上げられていた。
「借りるぞ」
 首を横に振ると、アーサーは部屋の隅にある本棚に手を掛ける。
 軽い軋み音とともに開いた空間へ足を踏み入れた。
 
「……毒物のようだよ」
 そう広くはない室内に置かれた椅子に二人して腰をおろす。
 誰もいないことを確認するかのように周囲を見渡して、ようやくセオドアが口を開く。
「レディ・アレクサンドリーヌとお茶を飲んでいた時に突然倒れたそうだ。
 彼女の話だとお茶の中に何かが入っていたのではないかと…… 
 メイドの淹れるお茶は常時酷いものだったそうで、セフィラはその味や匂いをあまり気にしていなかったようだけどね。
 一緒にお茶を飲んでいたレディ・アレクサンドリーヌには全く被害がなかったところからみると、ねらいはセフィラだと思う」
 セオドアは息をつく。
「それもこの国のものではない独特の調合らしくて、症状から毒の特定が医師にできないでいる。
 だから解毒剤もいまだに準備ができないんだ…… 」
 セオドアは辛そうに視線を反らせた。
「この城で、よりによってこのタイミングで一体誰が…… 」
 アーサーは搾り出すように言って唇を噛む。
 状況下ではメイドが一番怪しいとわかっている。
 しかし、明確な証拠がない。
 それにメイドならもっと以前にセフィラに手を出すチャンスはいくらでもあったはずだ。
「幸い、このとき側にいたのがレディ・アレクサンドリーヌとメイドだけだったので大事にはなっていないよ。
 とりあえず他のお嬢さん方にショックを与えないように事は伏せて、セフィラのベッドは向こうの棟に用意した」
「悪かったな、いろいろ気を遣わせて」
 アーサーは息を吐く。
「なんにしろ、タイミングが悪い。
 今この城には他国の人間が複数入り込んでいる。
 カリキュラムの最中に、異国のしかも仮にも王族の血を引く娘が毒で命を落としたとなってはまずいなんてもんじゃないし…… 」
 セオドアもまた眉間に皺を寄せた。
「ああ、至急その犯人を捕まえなければならないが、同時にセフィラの命もなんとしても繋ぎ止めないと」
「だな。
 とりあえず、毒物の割り出しを急がせているけど…… 
 毒の出所がわかれば、そこから犯人を割り出すことも可能だからね」
「兄さん、ちょっといいですか? 」
 遠慮がちにドアがノックされその向こうからシルフィードの声がした。
「ん? ああ…… 」
 手ずからドアを開けると分厚い一冊の書物を抱えてシルフィードが入ってくる。
「これですが…… 」
 中央にしつらえられたテーブルの上にその書物を広げると、シルフィードはその頁をめくり、とある個所を指差した。
「ここ、なんですけど。
 症状が今のセフィラに酷似している気がしませんか? 」
「確かに…… 」
 文面を目で追ってアーサーは呟いた。
「医師を呼んで来るんだ、至急検討を…… 」
「その前に、僕の推測を聞いてもらっても? 」
 書物から顔を上げてシルフィードは言う。
「何か? 」
「この毒、わかっている限り過去に一度使われているきりなんです。
 ラシード公国で悪名高く評判の薬師エラ・ローリーの手で。
 扱いが難しくて、使いこなせる人間のごく少ない、あまり知名度の高い毒ではありません。
 もしレディ・セフィラに盛られた毒がこれだとした場合、毒を盛った人間は隣国と関係のある人物に絞っていいと思います。
 そうなると、レディの近くであまり騒ぐのはよくないと思うのですが」
「犯人を捕えるまで、治療は後回しにしろと? 
 そんなことをしていたら手遅れになってしまう」
 アーサーは声を荒げた。
「そうは言っていませんけど。
 少なくとも姫君の病床から、今まで側にいた人間は排除するほうがいいと僕は思います。
 それも相手にそれと気がつかせないようにごく自然に…… 」
 それに対して冷静にシルフィードは答える。
 部屋の中に静寂が広がった。
「あのメイドか」
 アーサーは深い息を吐く。
 この状況下では誰にでもわかっているのだろう。
「何かいい手はないか? 」
 暫く考えた後、アーサーは顔を上げると口を開く。
「新しい人間を手配するのは簡単ですが、疑いを持たせずに遠ざけるとなると…… 」
 目を覗き込まれたセオドアも難しい顔をした。
「いささか乱暴だけど、メイドに怪我でもしてもらうのはどうでしょう? 」
 ゆっくりと声のトーンを落としてシルフィードは言う。
「怪我をさせてどうするんだ? 」
 アーサーは苦い顔をする。
「そうじゃ、ありませんよ。
 アイリス嬢は確か乳母のほかにメイドを連れてきていましたよね? 」
 ふいにシルフィードはセオドアに向き直る。
「え? ああ…… 」
 シルフィードに突然振られ、セオドアが何のことだかわからないように答える。
「その彼女に捻挫でもしてもらって、暫く実家に帰ってもらいましょう。
 その上でセフィラ嬢には看護専門のメイドをこちらで二人ほど用意して、昼夜付き添わせます。
 手の空いたメイドには手の足りなくなったアイリス嬢のお世話をお願いすると言うのはどうでしょうか? 
 ノブフィオーレの頼みなら、そのメイドも断るわけにいかないでしょうし、ある程度なら乳母が行動を監視するのも可能だと思います」
「なるほどね…… 」
「正直言うと、アイリス嬢に多少の危険が降りかかる可能性があります。
 だから他に方法があればこんな手は使いたくはないのですが。
 あのメイドが自国のメイドでない上に指示を与えられる姫君があんな状態では無理難題を押し付けて遠ざけると言う方法は使えませんし…… 」
「では、早速手配する」
 セオドアは立ち上がる。
「良いのか? 
 今シルフが言ったようにアイリスに危害が及ぶ可能性が…… 」
「大丈夫だよ。
 目的がセフィラである以上アイリスには手を出さないだろうし、あの乳母がアイリスに手を出させる訳がないからね」
「悪いな」
 呟くアーサーの声を耳にセオドアは部屋を出てゆく。
「では、こちらは毒物の検討をはじめさせよう」
 次いでアーサーも立ち上がる。
「兄さん、くれぐれも気をつけて…… 」
 シルフィードの声が追ってきた。
「わかっている」
 
 
 
 深夜部屋のドアを開けると、セフィラのベッドの脇にいた看護メイドが顔を上げる。
「君は王妃付きなのに済まないね、明日の午後には新しいメイドが来るから」
 言ってアーサーは部屋の中へ踏み込んだ。
「心配ご無用です。
 王妃様のご様態は今のところ安定していますし、あちらにはレディメイドも妹さんもいらっしゃいますから。
 王妃様もこちらのことを気に掛けていらっしゃいました」
 メイドは言いながら頭を下げる。
「それで、セフィラの様子は? 」
「先ほど医師が解毒剤を投与しましたので、数時間の内には症状が改善するのではないかという話でした」
 あれから三日、ベッドに横たえられたセフィラの顔は少しマシになっているような気がする。
「暫く二人にしてくれないか? 」
 その顔をじっと見つめながらアーサーはメイドに言った。
「では、隣の部屋で待機させていただいておりますので、何かありましたらお声をかけてくださいませ」
 メイドはそう言うと部屋を出て行った。
 アーサーは先ほどまでメイドが腰掛けていた椅子を引き寄せるとベッドの枕もとに座る。
 いまだ呼吸の定まらないセフィラの顔を言葉なく見つめた。
 口をついて出るのは大きなため息。
 耳の奥にはセオドアの言葉が残っていた。
 ねらいは十中八九セフィラだと。

 セフィラをこんな目にあわせたのは、おそらく自分だろう。
 あの時、様変わりしてしまったセフィラの様子に気付かずにいれば、気が付いても放っておけば、恐らくはこんなことにはならなかったのではないかと思う。
 セフィラのあまりの様子にみていられなくなり、その身辺を調べさせたりしなければ…… 
 ただそれではっきりしたこともある。
 セフィラの周辺を調べられては困る人物がいるということだ。
 これまで憶測だったことの全てが真実味を帯びてくる。
 
「殿下、トーガスが戻りました。
 書庫の奥で待たせてありますが」
 闇の広がる室内に遠慮がちにノックの音が響くと、次いで押し殺したような従者の声が告げる。
「今行く」
 答えて立ち上がるとアーサーはセフィラの顔をもう一度見た。
 そしてその色味のない唇にキスを落とし、囁いた。
「君が目を開けるまでには全てを片付ける。
 だから、頼むから、もう一度目を開けてくれ…… 」
 その声に応えてセフィラがかすかに身じろぎしたような気がした。
 
 
 渡り廊下に出て書庫へ向おうとしたアーサーは不意に足を止め、従っていた従者を制する。
 中庭の端、目に付かない建物の影になった暗闇を横切る者がいる。
 あれは…… 
 言葉なく呟くと目を凝らす。
 女だ。それもみたことのある背格好…… 
 一瞬影が闇を出る。同時に月の明かりにその顔が浮かび上がった。
 紛れもなく、セフィラのメイド、確か名をエスターと言った女の顔だった。
 女はできるだけ影を伝い、身を隠すようにしてどこかへ向かっている。
 こんな時間に女が出歩くのはただでさえ不自然なのに、顔を隠そうとする行動が余計に疑念を抱かせる。
 更にその姿を追っていると、女の行く手にもう一つの影が現れた。
「誰だかわかるか? 」
 闇の中へ目を細めてアーサーは背後に訊いた。
「多分、コリンズ侯爵の子息ではないかと」
 従者はアーサーの耳元で呟く。
 以前セフィラに公国の人間とつながる手蔓を要求したあの男だ。
 セフィラでは手に負えないと察してメイドに標的を変えたというところだろうか? 
 その二人の姿を暫く眺めていると、かすかに会話らしき声が途切れ途切れに聞こえてくる。
「……から、今度は失敗しないわ。
 相手は意識が……だもの、簡単…… 」
「…… 、では、確かに渡した…… 」
「必ず、息の根を止めるから…… 」
 アーサーはその囁き声を耳に、従者に視線を送る。
 それを受け従者は音もなくアーサーの背後を離れた。
 女の影は男を離れると中庭を戻りはじめた。
 息を殺しそっと後をつけると、セフィラのベッドの置かれた部屋に音もなく滑り込んでゆく。
 アーサーは女の消えたドアを勢いよく開いた。
「おい、そこで何をしている! 」
 突然掛けられた声に、ベッドサイドで横たわるセフィラの上にのしかかるようにした影が縮みあがる。
 女はおびえた目でこちらをみつめると、次いで入り口にあるアーサーの身体を突き飛ばして駆け出した。
 迷うことなく先ほどの中庭に走り出る。
「何か疚しいことでもあるのか? 」
 生垣を飛び越え、女の前に回りこむとアーサーはその腕を力ずくで掴み捻りあげた。
「痛っ…… 」
 女は鋭い目でアーサーを睨みつけ、痛みからかかすかな声を喉もとからもらす。
「そこまでだ。
 ゆっくり話を聞かせてもらおうか」
「殿下、こちらも捕らえました」
 闇の向こうから従者の声がした。
 
 
「だから、あたしはただ雇われただけ。
 あのおひいさんには何の恨みもないけどさ」
 広い部屋の真中で手足を縛られた女は、アーサーの顔を前に噛み付くように言う。
「あたしだって脅されたんだ。
 そこのお姫さんに一緒についていって、あたしのやったことを知られたら消せってね。
 でないとあたしは手が後ろに廻って一生日の下に出られなくなるってさ」
 女はふてくされた表情を作った。
「誰に脅されたんだ? 」
 アーサーは女を睨みつけたままで訊く。
「知らないよ」
 硬く口止めでもされているのだろう、女は戸惑う表情さえ見せずにそっぽを向いた。
「殿下、女の身元がわかりました」
 耳元で従者が囁く。
「エヴァ・ローリー。
 例の毒薬を作ったエヴァ・ローリー本人です」
「こんな若い女がか? 」
 アーサーは眉を顰めた。
 女はどう見ても自分と同じくらい、下手をすればもっと若い年齢にしか見えない。
「はい、国一番の薬師を祖母に持ち、幼い頃から教育されたことでその才能を若くして開花させたとか…… 
 トーガスの掴んできた情報ですと、ラシード公国の三人の公子が亡くなった時必ずこの女が治療と称して枕元にいたとか…… 
 まさか、年端もいかない少女が毒を盛るなどと誰も考えてはいなかったのではないでしょうか」
「女、もう少し、詳しい話を訊く必要がありそうだな」
 アーサーは半ば強引に作った笑みを向けた。
「それとも、冗談抜きに一生日の下に出られないようにしてやろうか? 
 墓穴の中か、地下牢か、どっちがいい? 
 どっちにしろ三人も公国の世継ぎの命を奪っているんだ。
 墓穴の方が似合いだろう」
 その言葉に女の顔が引きつった。
「あたしじゃないよ! 」
 女は叫ぶ。
「あたしはただ側にいて薬を渡しただけだ。
 その薬をどう使ったかなんてあたしは知らない! 」
 女はおびえたように叫ぶ。
「その薬、誰に渡した? 」
 アーサーは女の胸倉を掴みあげるとその顔を睨みつけ唸るように訊く。
「誰って…… 」
 女の視線があからさまに泳いだ。
「まさか、名を知らぬわけでもあるまい。
 まぁ、知らなくても関係ないか。
 どちらにしろ、公国に戻ればお前は墓穴の中だろうし、な。
 口を開かれては困る人間は葬ってしまうが一番だ。
 特によからぬ事をした人間はそう考えるな」
「……さまだよ」
 女がポツリと口にする。
「今、なんと言った? 」
「だから、ゼルフ大公さまだよ。
 あたしのところから薬を持って行ったのは! 」
 女は自棄になったように叫んだ。
 
 
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