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舞台裏の夜啼鳥(ナイチンゲール)
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しおりを挟むそよ風が前髪を揺らす。
「風が出て参りましたわね」
隣にいた少女がいかにも迷惑だといいたそうに眉根を寄せる。
「そうですわね」
その言葉にヴァイオレットは顔を上げた。
王城から少し離れた草原と森との境目の片隅。
まだ傾いたとは言いがたい日差しは穏やかな影を地面に落としている。
目の前には緑色の草原がどこまでも広がっていた。
柵の向こう側ではのんびりと草を食んでいる家畜の姿。
集団行動を外れてどこかに行こうとする家畜を追う犬の吼え声。
背後の森からは小鳥の囀りが響く。
この国にあっては珍しくもないありきたりな光景。
それでも、華美な装飾の施された薄暗い室内から束の間開放され、手足が伸ばせるのは心地いい。
髪が乱れさえしなければ、頬を撫でる風も心地いいと思えるだろう。
「そろそろ、戻りましょうか? 」
手にしていたティーカップを座っていた膝の前に置いて、ヴァイオレットは立ち上がった。
それに伴って居合わせた数人の少女達も一斉に立ち上がる。
「そうした方がよさそうですわね」
頷いて傍らの少女も腰を上げた。
僅かに吹いている風は強いものではなかったが、それでもこの場に集まる少女達にしてみれば、髪型やドレスの裾を乱す迷惑なもの以外の何者でもない。
下ろしたてのドレスを汚してはメイドに眉をひそめられるとばかりに、丁寧に埃を掃うとその裾を整える。
「今日のピクニックは、本当に楽しかったですわ」
「でも残念でしたわね、せっかくのピクニックですもの。
殿下方もお誘いしましたのに、どなたもいらしていただけなくて…… 」
広げられたティーセットやバスケットの中身を手早く片付ける従者やメイドの姿を背に、ゆっくりと歩き出しながら一人の少女が呟いた。
「たまにはいいと思いません?
殿方抜きなら、羽根が伸ばせましてよ」
誰かが言う。
「それはそうですけど、『たまには』とはいえないとわたくしは思いますの」
「……確かにそうですわね」
その言葉にいままでの軽やかだった空気が急に沈み込んだように重くなった気がした。
「わたくしは懲りていませんことよ。
また、お誘いくださいましね」
それを否定しようとヴァイオレットはできるだけ明るい声で言う。
「ええ、また。ぜひ…… 」
目の前にそびえる塔を有した王城へ足を運びながら、ヴァイオレットは少女達の言葉に頷いた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
王城の割り当てられた部屋に戻ると、早々に迎えに出たメイドが手にしていた帽子を受け取ってくれる。
息の詰まるその狭さに、ヴァイオレットは何度目かのため息をつく。
天蓋のない最新式の華奢なベッドと応接セットにドレッサー、おまけに壁の傍らには衣裳部屋がないことを補うあまり大きくないクローゼット。
どれもデザインをそろえた繊細な彫りの施されたオーク製で、真紅に金糸の織り込まれた布の張られた丁寧な作りのものだ。
ただそれだけの家具が置かれただけで、通り抜けも不自由なほどのいっぱいいっぱいのスペース。
ヴァイオレットが養父の邸で居住まいしている二間続きの部屋のうち、寝室として使っている方の半分以下の面積しかない。
もともとは王都に滞在用の館を持たない国境付近の貴族が、所用で王城に滞在する時のために造られた部屋だ。
それを今回の催し物の為にあけ、しつらえを変えたのだと聞いた。
面積を要求するほうに無理がある。
もっとも、これでも侯爵令嬢のヴァイオレットの部屋はまだいいほうで、伯爵以下の令嬢は二人で一部屋だというのだから文句は言えない。
「ピクニックはいかがでした? 」
受け取った帽子の埃を軽く掃いシルクのリボンを整えたのち傍らに置くと、次いで着替えに手を貸しながらメイドは訊いてくる。
「ええ、楽しかったわ」
言葉ではそう言いながら、ヴァイオレットは表情を変えることはない。
「それならよろしゅうございました」
メイドは慣れたものと、それに対してなんの反応も示さずに淡々と自分の仕事をこなす。
「旦那様から、またお花が届いていますよ」
言って部屋の中央に置かれたテーブルの上を振り返った。
今日の花は薔薇。珍しいサーモンピンクの色からして新品種か何かだ。しかもまた特別に芳香が凄い。
その花束を目にヴァイオレットはあからさまに息を吐く。
「本当に、侯爵様はお嬢様が可愛くて仕方がないのですね」
ヴァイオレットのため息に気付かないことにして、羨ましそうにメイドは言ってくる。
「どうして? 」
「こうも、一日と開けずにお花が届くのがその証拠じゃありませんか。
普通の親御様でもここまではして下さいませんよ」
ヴァイオレットの問いに呆れたようにメイドは答えた。
正直、花は嫌いだ。特に部屋いっぱいにこれでもかと飾られる薔薇のアレンジは……
昔の、思い出したくない記憶が蘇る。
なのに、養父でもある伯父はそれを忘れさせまいとするかのように、毎日毎日こうして品種を変え、色を変え届けてくる。
本当は「なさぬなかの娘」をこれほどに思っていると、世間にアピールするための単なるポーズだ。
ヴァイオレットはそう理解していたが、付き合いの短いメイドにはそこまではわからないらしい。
すでに飾る場所さえもないほどに増えた花で、ヴァイオレットの寝室はむせ返るほどに香りが充満している。
「窓を開けてちょうだい」
少し苛立ってヴァイオレットはメイドに呟いた。
「今日は風が出てまいりましたが」
確認するようにメイドが言う。
答えないで居るヴァイオレットの耳に遠慮がちにドアをノックする音が届いた。
メイドは言いつけられた仕事を後回しにしてドアに向かう。
「イリーナお嬢様が、明日の午後お茶をご一緒にと申しておりますが…… 」
みたことのないメイドがドアの前で一つ頭を下げると手にしていたカードを差し出した。
「『喜んで』とお伝えして…… 」
ヴァイオレットは儀礼的にそのメイドに笑みを浮かべた。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
ドレスの裾を捌いて、ヴァイオレットはゆっくりと階下のパーラーへ向かう。
下ろしたての真紅の絹に贅沢に縫い付けられたフリルはまだこなれていないせいで硬く、足に纏いつく。
別に急ぐ必要もない。
お茶はどっちでも良かったし、集まっているのは多分昨日のピクニックに赴いた少女達と同じ顔だ。
同じ年頃で同じ程度の身分の少女達と終日会話を交わしながら過ごす毎日は、最初の頃こそ新鮮で楽しかった。
しかし、こうも顔を突き合わせていると、さすがに会話もなくなってくる。
とはいえ、ここではそうでもしないと暇を持て余してしまう。
……ここへ来る前は。
ふと、ヴァイオレットの足が止まった。
ここへ来る前はそんなこと、なかった。
セオドアとなら、毎日一緒に居ても会話が尽きることなんてなかったはずなのに。
一体どんな事を話していたのか全く思い出せない。
「レディ・ヴァイオレット?
どうかして? 」
パーラーの入り口で立ち止まってしまったヴァイオレットの姿を目に、室内から呼びかけられた。
「なんでもなくてよ」
顔を上げて答える。
「レディ・ヴァイオレット、こちらへどうぞ」
案内されて、パーラーに足を踏み入れる。
窓以外の壁一面に背の高い書棚のしつらえられた天井の高い広い室内には、何組かの華麗なデザインのテーブルと椅子が置かれている。
傍らで一人熱心に本を読む少女の脇を通り抜け奥へ向かうと、すでに何人かの少女がテーブルを囲んでいた。
おおよそは昨日ピクニックで顔を合わせていた面々だが、二・三違う顔が混じっている。
「皆さん、ダンスのレッスンは? 」
席につきながらヴァイオレットは訊いた。
確か今日の午後からはセオドアがダンスのレッスンをつけてくれると聞いていた。
「セオドア様には悪いと思いますのよ、けど…… 」
一人の少女がおもむろに扇を広げるとその影で顔をしかめている。
なる……
その表情だけでヴァイオレットは納得する。
セオドアはダンスに関して完璧すぎるのだ。
優雅な動作と華やかな容姿が重なり、そのせいでパートナーの女性に全く目が行かない状態になってしまう。
少しでも自分の容姿や身のこなしに自信のある女性なら、「絶対一緒に踊りたくない」と思っても無理はない。
現にヴァイオレット自身も何度か夜会で一緒に踊ってげんなりした。
正直セオドアとのダンスは楽しい。
その完璧なリードはこちらに間違えを許さない。
優しい所作で空間を作り、適切な位置へと導いてくれる。素直に身を任せてさえいれば完璧な流れで音楽に乗れる。
しかし、どんなに優雅な所作で狂いなくステップを踏んでも誰の目にもとまらない。
漆黒の髪と菫色の瞳の取り合わせが珍しい、おまけに華やかな色のドレスをなんの違和感もなく着こなす、黙って立っていても誰の目にも止まる華やかな容姿のヴァイオレットでさえも、だ。
むしろ印象に残らなかったことをあの養父に叱責される。
しかも本人がそれに全く気がついていないのだから始末が悪い。
「確かに、そうですわね…… 」
ヴァイオレットは首を傾げながら言った。
以前夜会や舞踏会で一度でも踊ったことのある少女なら皆そういうだろう。
「そうおっしゃるレディ・ヴァイオレットは? 」
「せっかくお茶会にお誘いいただいたのですもの、ダンスのレッスンはまたいつでもできますわ」
目の前に置かれたティーカップを手に、ヴァイオレットは花のようにあでやかに微笑む。
今日の茶会の主催は近隣の国で一番大国の皇女が主催だ。
懇意にしておくに越したことはない。
それとは別に、ただのダンスのレッスンなら参加しても全く問題ないのだが。
相手があのセオドアでは、顔を合わすのも気が引ける。
ヴァイオレットは黙ったままカップを傾けた。
「見て、アーサー様よ」
廊下に面したパーラーの窓から視線を送り、ふいに一人の少女が囁いた。
「まぁ、本当」
その声に呼応してその場にいた少女の視線が窓の外へと向かう。
無骨な石積の塔を有した建国以来使われているという古い王城と、それが手狭になったために増築されたと聞いているこちらの舘の部分をつなぐ渡り廊下。
その中ほどを背の高い華やかな金茶の髪の青年が従者を連れて通り抜けるところだった。
「やっぱり第一王子様。威厳がおありですわ」
少女たちの纏った豪華なドレスの衣擦れの音とともにため息がこぼれる。
「ねぇ、お話したことあって? 」
「いいえ、わたくしはまだ…… あなたは? 」
「わたくしは先日ご挨拶だけ」
「いいわねぇ、わたくしはまだ間近でお顔も拝見していないわ」
「無理もないわ、アーサー様は近衛の隊長もしていらっしゃるのですもの。お忙しいのですわ」
「残念ですこと…… 」
少女達の会話を聞くともなしに耳に入れていると、窓の外を若いメイドが花束を抱えて横切るのがヴァイオレットの目に入る。
今を盛りのオールドローズの花束はヴァイオレットの神経を逆撫でした。
きっとまた今日も養父から届いたものだろう。
「ちょっと! そこのあなた!」
苛立った神経のままでメイドに呼びかける。
「わた、し? 」
花を抱えたメイドは、怯えたような視線をヴァイオレットに向ける。
「わたくしのお部屋にはもうお花は結構よ。
お養父さまにそう言ってくださらない? 」
真直ぐにメイドを見据えて言う。
「それよりも、お茶をお持ちなさい」
「申し訳ありませんが、ご自身のメイドさんに頼んでいただけますか?
わたし、急いでいますから。ごめんなさい」
メイドと思われた少女は一瞬首を傾げたが、すぐにヴァイオレットを真直ぐに見つめ返して言うと、軽く頭を下げて去ってゆく。
思い返してみると見事な蜂蜜色の長すぎる髪が、メイドにしては不釣合いだった。
「誰? あの子? 」
明らかにメイドの言動ではない行動に戸惑い、ヴァイオレットは一緒にいた少女に訊いた。
「ご存知ありませんの? ほら、王妃様の…… 」
「ああ、例の平民ですわね」
「あまりにみっともない格好なのですもの、メイドと間違えてしまったわ」
それに続いて誰かが言うと、くすくすと忍び笑いをこぼす。
王妃の実の妹、アレクサンドリーヌ・トーガスは王宮へあがるためにトーガス伯爵家の養女の形をとっているが、実際には男爵令嬢だと。
誰かが言っていたような気がする。
国境付近の小さな領地を治めるしがない男爵家など、ここに集まった娘達にとっては平民に等しいというところか。
だったら、わたくしは……
ヴァイオレットは人知れず息をこぼした。
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