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シンデレラの赤いリボン
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しおりを挟む「レディ・ヴィクトリア…… 」
ため息混じりの声に顔をあげると、これ以上ないほどの形相で睨まれた。
「はい、レティシア夫人」
思わず身を縮めながらヴィクトリアは答える。
「……あなたは、何度注意したらわかるのですか。
姿勢が全くなっていません」
「はぁ…… 」
呆れ混じりに言う夫人の声に、ヴィクトリアはもはや謝る気にもなれずに居た。
「あの、姿勢か順番かどっちか一方にしてくれません? 」
通らないとわかっていながら訊いてみる。
テーブルマナーは正直よくわからない。
シルバーを順番に使うだけでも精一杯なのに、姿勢にまで駄目だしされると必ずどちらかに気を使うのを忘れる。
「将軍家のお嬢様ともあろうものが…… 」
レティシア夫人は俯くとこめかみの辺りを大げさに抑えた。
その原因は誰でない当のヴィクトリアが一番よくわかっている。
父は遠征が多く家を空けている時間が長い。
それをいいことに母は実家に入り浸り、留守を任された使用人は残された子供たちを可哀想に思ったのか、ただ世話を焼くのが面倒だったのか定かではないが、ヴィクトリア兄弟に甘かった。
ガヴァネスの授業をサボっても誰も何も言わない。
結果……
……今になって後悔しても遅いのだが、テーブルマナー一つとっても完璧にこなせない。
さすがに父親の将軍も頭を抱え込んだのだろう。
ここならヴィクトリアを甘やかす誰かもいないし、ひと目もあるからそうそう醜態は晒せないと。
「まぁいいでしょう。
そうおっしゃるなら、そうですね。
次回までにシルバーの順番だけで結構ですから完璧に頭に入れてきてください」
気を取り直したように夫人は言う。
「では、今日はここまでにしましょうね」
言って部屋を出てゆく夫人に室内にいた数人の少女達は膝を折って、頭を下げた。
「午後からはどうなさるの? 」
部屋を出ると同時に、待っていたようにどこからか姿を表したシャーロットが訊いてくる。
「ん、みなさんとパーラーでお茶しましょうって約束してるの」
正直ここでは、読書か針仕事、もしくは集まっておしゃべりする以外に暇のつぶしようがない。
夜には音楽会に舞踏会、オペラ鑑賞と様々な趣向が催され退屈はしないが、昼間は別だ。
王子達は催しものの時には顔を出すが、日中見かけることはほとんどない。
庭の片隅にあるハーランの姿以外は。
それも、植え込みの植物の手入れに精を出す姿をみていると、なんだか話し掛けるのも申し訳ない。
「わたくしもご一緒していい? 」
考え込んでいると、シャーロットが顔を覗き込んで訊いてくる。
「もちろん」
笑みを浮かべて答えると、パーラーへ足を向けた。
パーラーのドア前の廊下には複数の少女達が立ち、中を窺うようにしてざわめいていた。
「どうかした? 」
かわるがわる部屋の中をのぞきこんで何かを囁きあっているその様子に首を傾げながらヴィクトリアは声をかける。
「見て、レディ・ヴィクトリア。
すごいのよ」
一人の少女が答えると、視線を室内へ誘導した。
「お嬢様方、お待たせして申し訳ありません。
準備が整いましたので、どうぞお入りください」
従者のお仕着せを着た男がパーラーのドアを開けると頭を下げる。
促されて室内へ足を踏み入れると、甘い香りが鼻をくすぐった。
「殿下方からです。
いつも茶会や遠乗り等声を掛けていただいているのに参加できないで申し訳ないと…… 」
従者が言う。
テーブルの上には大きな花のアレンジメントを中心に添えて、様々なお菓子が並んでいた。
ケーキをはじめとした焼き菓子、キャンディー、スコーン。
果物やジェリー。
どれも綺麗にデコレーションされ、物によってはラッピングされていて、まるで花が咲き零れているようだ。
澄んだ水色のお茶が振舞われる。
それも香りの高い一級品だ。
こういう心遣いがやっぱり違うな、なんて思いながらヴィクトリアはその席の一つでカップを傾けていた。
いつもと変わり映えのない会話の合間に、ふとヴィクトリアの目がテーブルの片隅に置かれた小さなキャンディーの箱に止まった。
ピンクやブルーの綺麗な色の地の箱にレースやリボン・クロモで装飾された掌程の小さな箱は見ているだけでもかわいらしくて心が浮き立つ。
「どうかしまして?
レディ・ヴィクトリア」
その視線を感じ取り、目の前の少女が訊いてきた。
「ん、これ。
孤児院のね、小さな女の子達が好きそうだなって…… 」
こういった華やかなものと縁遠い生活をしていても、女の子はやっぱり女の子なので、キャンディーの小箱やクッキーを包んでいた袋のリボンなど、ヴィクトリアたちにとっては些細なものでも、宝物のように大事にする。
そして時折訪れるヴィクトリアに嬉しそうな笑顔で披露してくれる。
そのかわいらしい笑顔を見るのがヴィクトリアは何より好きだった。
「孤児院って慰問ですの? 」
話し掛けてきた少女が首を傾げる。
「いえ、父の代わりに時々行って子供たちの様子を確認してるの。
あそこは父の援助で建てた孤児院だから…… 」
ヴィクトリアは笑みを浮かべる。
「では、これを…… 」
年かさの少女はテーブルの上に置かれた小箱を手に取ると、それをすっと差し出す。
「あなたのお世話している子供たちに届けてくださいな。
他にも似たような物があるかもしれませんから、探しておきますわね」
穏かな笑みを浮かべると言ってくれた。
小さなキャンディーの空き箱をいくつか腕に抱えてヴィクトリアは部屋に戻った。
クローゼットの中から一つの箱を取り出して蓋を開けると、色とりどりのリボンやクロモ、小さな造花と言った細々としたかわいらしい色使いのものが顔を出す。
ヴィクトリアはその中に持ってきた小箱をそっと収める。
箱の傍らに納められていたあの赤いリボンがヴィクトリアの目にとまる。
「えっと、確か…… 」
ふいに思い出して、次いでその隣にある宝石箱の中を探り、一つのペンダントを引っ張り出した。
ヴィクトリアの瞳と同じ天色の石が嵌っているミニアチュールケースは、ここに来る時に贈られた祖母愛用のアンティーク。
古びたデザインのそれを手にベッドの端に移動して、隣にある机の上から本を取り上げる。
先日のあれ……
本の頁をめくると花はその間で綺麗にプレスされ完全に乾いていた。
ペンダントの石のつなぎ目に爪を掛けて引き上げると台座と石の間が開く。
間には祖父のミニアチュールが収められていた。
ヴィクトリアはその僅かな空間にそっと押し花をしのばせると蓋を閉じる。
ここならばなくすこともないし、常に身につけておける。
ヴィクトリアはその鎖を首に回した。
胸元で揺れるペンダントヘッドが目に入るとなんだかとても気持ちが浮き立つ。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「なぁに? 」
部屋に戻ってきたシャーロットがヴィクトリアの手元を覗き込んで訊いてきた。
「うん、子供たちのね。プレゼント…… 」
「そう…… 」
シャーロットは取り立てて興味はないと言わんばかりに目を細めて気のない返事をする。
「それより、ヴィクトリア。着替えなくていいの? 」
クローゼットの中からイヴニングドレスを取り出しながら、シャーロットはこちらに向けた首を傾げる。
「今夜のオペラ『月の女』なんですって」
先ほどとは打って変わった弾んだ声だ。
「そう? 」
街中のオペラ座でもよく上演される割とポピュラーな演目で、オペラなど縁遠いヴィクトリアでも一度は観たことがある。
「『月の女』ははじめてなの。
ほら、上演頻度が高すぎてお父様たち飽きておしまいになっているから、わたくし一度も連れて行ってもらったことがありませんの。
未婚の娘はお父様か兄弟のエスコートがないと観劇にもいけないなんてつまらないこと誰が決めたのかしら。
演目の決定権はいつでもお父様たちにあるんですもの。
いつでも新作のオペラばかりで。それはそれで楽しみですけど……
だから、とても楽しみだわ」
こちらが口を挟む余裕もないほど喋り続けながら、シャーロットはヴィクトリアの手を借りて着替えを済ませた。
「ね、髪飾り、どれがいいかしら? 」
次いでドレッサーの前に座ると、やはりクローゼットの中から取り出した箱をひらいてヴィクトリアに見せる。
花びらにビジューを乗せた薔薇の造花に、蒼い蝶が羽根を広げて休んだアイボリーのレースのリボン。作り物の小鳥の乗った羽根飾り。
サテンやシフォン、様々な素材の色とりどりのリボン。
箱の中には細かな細工のきらきらしたものが華やかに収まっている。
「ん…… と、これかな? 」
ヴィクトリアは箱の中から若草色のリボンフラワーを取り上げた。
「それ、このドレスと一緒に誂えたものなの。
ありきたりじゃなくて? 」
「ドレスの色に合っていると思うんだけど…… 」
確かにドレスと揃いの色の花飾りは無難と言えば無難だが、面白くないといってしまえばそれまでだ。
「じゃ、これかな。
胸のリボンの色を変えれば合うと思うんだけど」
小鳥の羽飾りは、デザインは奇抜だけどドレスの色とバランスが取れる。
「ん、ありがとう。
じゃ、そうしますわ」
結い上げた髪にそれを止めつけると顔をあげ、あちこちの角度から鏡に映してチェックする。
「トリアは? 」
「わたし? 」
そういえば人の着替えを手伝って自分のことはすっかり忘れていた。
トリアえず、いつものブルーのドレスを引っ張り出す。
「それ、先日の夜会でも着てらっしゃったわよね? 」
シャーロットが眉を顰める。
「うん。
いけない? 」
「よくはないと思いましてよ。
他にドレスがないわけじゃないでしょ。
口さがない方々に『奇をてらって』って言われますわよ」
言いながらシャーロットはクローゼットの中を覗き込む。
「別に構わないんだけどな…… 」
ぶつなりながらもトリアはシャーロットの出してくれたドレスを受け取る。
菫色の小花が織り出されたシルクのドレスは少し重いせいで、自分で選ぶとついは避けてしまうものだ。
「ぶつぶつ言わないの」
締め直されたコルセットの紐にヴィクトリアは言葉を詰まらせた。
「髪は?
ヴィクトリア毎日同じ髪型じゃなくて? 」
「いいの。
わたしどのくらい不器用か知っているでしょ。
リボンとか髪飾り変えれば、何とかみられるもの」
ヴィクトリアはローブと同じ生地で作られた髪飾りを手にとった。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
今夜のオペラは、
月から降り立った女神の使いである乙女が地上の男と恋に落ち、駆け落ちをしたものの、月世界への未練が捨てきれず、男との愛情の間でゆれ動く。
やがて女の命は尽き、男は女を地上に引き止めたことを後悔し嘆き哀しむ。
そんな内容だった。
オペラの後の夜会は何時にも増して賑やかだ。
先ほどの劇の感想、プリマドンナへの評価。
夜会が始まると早々から話題に事欠かない。
加えて外部からの招待客の姿もあり人数も多い。
「すてきなお話だったわね」
サルーンの片隅でシャーロットは広げた扇の陰でため息を漏らす。
「そう? 」
ヴィクトリアは首を傾げた。
最初に観た時にも思ったけど、駆け落ちとか死に別れとかヴィクトリアにしてみれば「辛気臭い」以外の何者でもない。
「わたしは、やっぱり恋物語なら、絶対にハッピーエンドがいいな」
いつもそう思っているからか、このオペラはあまり面白いとは思えない。
ヴィクトリアはシャーロットと同じように扇を広げその陰から落ち着かなく視線を動かし、人の姿を探していた。
その視線が、妙に少女達がざわめき立っているのを捉えた。
「どうしたの? 」
「ハーラン様ですって」
何気なく訊くと上気したシャーロットの答えが返ってくる。
その言葉に少女の視線の先を辿ると、今夜は珍しく、五人の王子の姿が揃っていた。
揃いのミッドナイトブルーのジュストコールが目を引く。
その中の一人にヴィクトリアの瞳は釘付けになった。
こういった場所にめったに顔を出さないハーランの姿がある。
それも普段の庭師の姿とはまるで違う。
いつも麦藁帽子の下に隠されたプラチナブロンドの髪がきらめき、その顔が露になっている。
今日はいつもの庭師の姿でないことで少女達の目に留まったようだ。
「わたくし、はじめてお顔を拝見しましたわ」
ため息混じりにシャーロットが言う。
だけどその顔はいつも庭に居る庭師と何ら変わらない筈なのだが。
中庭はパーラーに面しているから、いつも庭で薔薇の生垣を手入れしているハーランの姿は誰もが見ているはずだ。
なのに、はじめてというのがわからない。
ヴィクトリアは首を傾げた。
ぼんやりとその姿を見つめているうちに何時の間にかハーランの周囲は少女達に取り囲まれてしまった。
男は少し迷惑そうな、それでいて戸惑ったような笑顔を浮かべながら少女達と会話をはじめる。
「ね、トリアは誰がいい? 」
居並ぶ王子達の姿を見つめながらシャーロットは言うと扇の陰で目を細めた。
「わた、し? 」
その質問にヴィクトリアは目を見開く。
「わたしは別に……
そもそもここにはお父様に強引に参加させられただけだし」
戸惑いながら口にする。
本当は……
本音を言ってしまえば、目的がなかったわけじゃない。
あの人の顔を見たかった。
ずっと前から好きだった。
大人になってデビュタントが済んだら顔を見られる機会もあるんじゃないかって期待していた。
だけど、身分が違いすぎて……
ヴィクトリアの招待される夜会にあの人が来ることは全くなかった。
人の話に、もともと夜会のような派手な場所が苦手らしくて、断れないほどよほど身分の高い人主催の夜会でもないと顔が見られないらしい。
そうなると今度はヴィクトリアの将軍家にはめったなことでは招待状が届かないし、ましてやそれに両親は参加できてもデビュタントしたばかりのヴィクトリアが連れて行ってもらえる訳もなかった。
だから、ここに参加できるってわかったとき、本当は行儀見習なんてしたくはなかったけれど、とりあえず素直に承諾した。
もちろん、父の将軍が驚いたのは言うまでもない。
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