たとえばこんな、御伽噺。

弥湖 夕來

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シンデレラの赤いリボン

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 ……結局。
 ダンスをしてもらうどころか、声を掛けることもできなかった。
 
 部屋に戻りベッドに突っ伏すとヴィクトリアは一人ため息をつく。
 
 本当は自分から声をかければ、もしかして一曲くらいはダンスのパートナーになってもらえたかも知れない。
 だけど…… 
 あの群がる女の子達を押しのける勇気はなかった。
 図々しいとか、無作法な女の子だって思われたらどうしようって、考えれば考えるほどそれが胸の中で膨らんで。
 膨らみすぎて身動きができなくなってしまった。
 
「何してるんだろう、わたし…… 」
 小さく呟くと軽く体勢を変える。
 
 首に下げたミニアチュールケースの鎖がかすかな金属音を立て、ヘッドがベッドカバーの上に落ちヴィクトリアの目に入った。
 
「あの花のおまじないって、やっぱり嘘なのかなぁ」
 ケースを目の前に持ち上げて、その天色の石を眺めながら呟く。
 
 本当はわかってる。
 ラッキーアイテムの花の効果がないんじゃなくて、自分が勇気をもてないからだって。
 
 勇気を出して話しかけたら、きっといつものように答えてくれる。
 そういう人だと思う。
 ……ううん、思いたい。
 思いたいけど…… 
 
 今夜の光景が頭の中に蘇る。
 取り巻いていた少女達は皆綺麗で上品でおしとやかで、品格がにじみ出ていた。
 
 対する自分は…… 
 
 がさつで、品がなくて、おまけに容姿だってイマイチだって事は充分に承知している。
 テーブルマナー一つ完璧にこなせなくていつもレティシア夫人に眉を顰められている。
 
 ……そもそも似合わない。
 身分が身分だから、きっと向こうもそういう身分の高い上品な女の子を望んでいる筈。
 だったら、自分が声を掛けたって迷惑なだけだ。
 
 はっきり「迷惑だ」って言われたらと思うとものすごく怖い。
 
「ヴィクトリア? 」
 ふいにドアが開くと同時にシャーロットが叫んだ。
「ん? なに? 」
 その悲鳴にも似た声にヴィクトリアは顔をあげ振り向く。
「なに? じゃなくてよ。
 大丈夫なの? 」
「何が? 」
 血相を変えたシャーロットの声にヴィクトリアは睫をしばたかせた。
「一人で早く夜会を引けてしまうし、戻れば着替えもしないでベッドに突っ伏しているんですもの。
 どこか悪いと思いますわよ」
 シャーロットが息を吐く。
「ごめん…… 
 またやっちゃった…… 」
 起き上がるとスカートの皺を伸ばしながら呟くように謝る。
 
 早く引けてきたのは、女の子達に取り囲まれているあの人の姿を見たくなかったから…… 
 
「なんともないのなら良かったですけど…… 」
「シャーロットは随分遅くまで居たのね」
「そりゃ、後半の方が殿下方にダンスを踊っていただける可能性が高いもの」
 目的を果たしたと見えシャーロットは満足そうな笑みを浮かべる。
 
 舞踏会や夜会も後半になると、前半に踊ってもらった、もしくは諦めの早い少女は引き上げてしまう。
 その結果、競争率が低くなるという訳だ。
 もちろんその前に肝心の殿下が退室してしまうこともあり、賭けに近い。
 
「殿下方のエスコート、素敵でしたのよ」
「特にハーラン様」
 その言葉にヴィクトリアの顔がかすかに引きつった。
「シャーロット、今なんて? 」
「ダンスのパートナー。
 ハーラン様が一番素敵でしたの。
 こう、なんていうのかしら、パートナーを立て下さるって言うか…… 」
「そう。ハーラン様と踊ったの」
 
 なんだろう、胸が絞られるようで少し息苦しい。
 
「ええ、あとアーサー様と、サシャ様。
 ヴィクトリアも残っていれば今夜ならどなたかと踊っていただけたかも知れませんでしたのに…… 」
 ローブを肩から滑り落としながらシャーロットは目を細める。
「ね、わたくしハーラン様にしようと思うの? 
 どう思う」
 ナイトドレスに袖を通すとシャーロットはヴィクトリアの顔を覗き込んだ。
「どうって…… 
 なにが? 」
 反射的に訊き返しながらヴィクトリアものろのろと着替えをはじめた。
「ですから、お相手にするならハーラン様かしらって」
 
 予期せぬ言葉に一瞬ヴィクトリアの呼吸が止まった。
 
 ……そんな。
 
 思わず口をついてでそうになった言葉を抑える。
 
「だって、アーサー様とサシャ様は年齢が離れていてつりあわないし、ライオネル様はタイプじゃないのよね。
 だから残ったお二人でどっちがいいかって言ったらハーラン様かしらって」
 次いでシャーロットはドレッサーの前に座り髪を梳く。
「昼間ほとんどお姿を見ないのがネックですけど、その分競争率低いと思いません? 
 もちろん協力して下さいますわよね」
 シャーロットはブラシを置くと傾げた首をヴィクトリアに向け、ベッドに潜り込む。
「どうかして? トリア。
 もしかしてあなたもハーラン様狙いなのかしら? 」
 
 言葉をなくしてしまったヴィクトリアに確認するかのように訊いてくる。
 
「え? まさかそんなこと…… 」
 
 ヴィクトリアは慌てて首を横に振った。
 
 一足遅れてベッドに入ると枕元のフェアリーランプの炎を消し、ヴィクトリアは毛布を頭から引き被る。
 
 ……そんなこと、ある。
 
 だけど、どうしてかシャーロットに向かって「わたしも」とは言えなかった。
 
 シャーロットだけじゃない、他にも何人かハーランに思いを寄せている誰かが居るはずだ。
 冷静に考えてみれば、あたりまえの話だ。
 ここに集まっている少女達は皆同じ目的なのだから。
 
 もしこのまま何もしないうちに相手が決まってしまったら…… 
 
 そんな思いが胸に込み上げて、目を閉じても全く寝付くことができなかった。
 
 
 
 ダイニングを出ると、ヴィクトリアは一つ欠伸を漏らす。
「もしかして眠れなかったとか? 」
 一足遅くなったシャーロットが追いつくと訊いてくる。
「ん、まぁね」
「いっつも何にも考えていないトリアにも眠れないなんて事がありますのね」
「いつもって…… 
 それ酷くない? 」
 
 僅かに反抗してヴィクトリアは少しきつい視線を送る。
 
「それで、今日の予定は? 
 今日は何も講義が入っていないのよね」
 シャーロットはそれに気付かないように言う。
「どうしよう。
 散歩にでも行こうかな? 」
 パーラーで本でも広げていればなしくずし的に皆でお茶の時間になる。
 だけど、それにももう完全に飽きた。
 部屋に座っているだけなら戸外へでるほうがマシかも知れない。
「お散歩? 」
 ヴィクトリアのその言葉にシャーロットが思い切り顔をしかめた。
「別に一緒にきてなんて言ってないわよ。
 帽子を取りに行ってくるね」
 言いながら足を急がせる。
 
「ヴィクトリアお嬢様」
 部屋に入ろうとしたところを城付きのメイドに呼び止められた。
「ご実家からこちらが届いていましたよ。
 今お届けにあがろうと思っていたところです」
 言って大ぶりの籠を手渡してくれた。
 中を覗くとリボンの掛かった小さな袋が無数に入っている。
 小袋の中身は確認しなくてもわかる。
 多分クッキーだ。
 
 そういえば今日は約束の日だ。
 
「忙しいところ申し訳ないんだけど、馬車の用意なんてできるかな? 」
 メイドを見上げて言ってみる。
「ええ、構いませんけど…… 」
 きっとそれは妙な申し出だったのだろう。
 メイドは明らかに戸惑ったような顔をする。
「王都まで行きたいの。
 レティシア夫人にはわたしから許可を貰うから」
「かしこまりました。
 すぐにご用意してよろしいですか? 」
「うん、お願いね」
 言い置いてヴィクトリアは奥に急ぐと、一つのドアをノックした。
 
 
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
 
「……そういうことなら今回はいいでしょう」
 一通りヴィクトリアの話を聞いた後レティシア夫人は頷いた。
「でも、こんな時にまで孤児院を訪問したいだなんて、熱心ですね」
「子供たちとずっと前から約束していましたから。
 楽しみに待っている子供たちをがっかりさせたくなくて…… 」
 ヴィクトリアは曖昧に笑みを浮かべる。
「そうですか? 
 でもここに居る間は少し控えてくださいね。
 親御様から大切なお嬢様をお預かりしているのですから、万が一のことがあった場合に責任の所在問題になってしまいますし」
「わかりました。
 では行ってきます」
 一つ頭を下げるとヴィクトリアは部屋をでようとした。
「お待ちなさい」
 ドアノブに手を掛けると夫人の声が追ってきた。
「どうも、あなたは…… 
 お辞儀をする時には頭を下げるのではなく、ドレスの裾を上げて膝を折りなさいと何回か教えた筈ですが…… 」
「ごめんなさい」
 ヴィクトリアは慌てて謝るとまた頭を下げる。
 その姿を目に夫人はあからさまなため息をついて見せた。
「これを…… 
 少しですがわたくしも協力させていただきますね」
 言って小さな包みを取り出すとヴィクトリアの手に握らせた。
 包みの中で数枚の硬貨の感触がする。
「何分急な話で、何の用意もなかったので現金で申し訳ないのですが」
 そう言って夫人は笑みを浮かべた。
「お心使い感謝します」
 ヴィクトリアはもう一度頭を下げる。
「それと、あなた一人で行くのですか? 」
「ええ、そのつもりです。
 ああいった場所、嫌がる方多いですから、お誘いしてもご迷惑になってしまいますから」
「では、従者かメイドは? 」
 夫人が首を傾げた。
「いいえ、家からは誰も連れてきてませんし。
 大丈夫です。
 はじめてのところじゃないし、園長先生とも懇意にしてますから」
 ヴィクトリアは笑みを浮かべる。
「……それでは認めるわけには行きませんね」
 夫人の顔が急にこわばった。
「え? だって今いいって…… 」
 そう言われたばかりだったのに。
「それは誰か供がついていることが前提です。
 一人で向かうなど、それもあんな場所に…… 
 こちらは親御様から、大切なお嬢様を預かっているのですよ。
 もし何かあったら…… 
 本当はわたくしが付き添ってあげられればよいのですが、あいにくとこの後所用が入っていて…… 」
 夫人は眉を寄せる。
「明日になさいな。
 そうすればお家からどなたか供を呼べるでしょう。
 場合によってはわたくしが付き添っても構いませんから」
 そう言ってくれる。
「でも! 」
 ヴィクトリアはあげ始めた声を閉ざす。
 
 きっと何を言っても無駄だろう。
 そもそも、夫人の言っていることのほうが正しい。
 いくらこの国の治安がいいとは言っても、孤児院のある場所辺りは貧困にあえぐ人が集まる地区で、完全に安全とは言い切れない。
 
「じゃ、そうします」
 もう一度笑みを浮かべるとヴィクトリアは部屋を出る。
 
 肩を落として、ヴィクトリアはギャラリーを歩いていた。
 子供たちと、約束した日は今日だ。
 行かなかったら、きっとどんなにがっかりさせることになるんだろう。
 
 いつもいつも自分が行くのを心待ちにしているあの子供たちの顔が思い浮かぶと、どうしても諦めきれない。
 
「お嬢様、こんなところにいらしたのですか? 
 馬車の用意ができていますが」
 
 駆け寄ってきたメイドに言われた。
 
「ありがとう」
 礼を言って顔をあげる。
 
 このメイドにも今更「駄目になったから」とせっかく用意してもらった馬車を引き上げるように言うのは気が引ける。
 
 だったら…… 
 
 要はばれなきゃいい。
 もしくはばれたら謝ればいいだけの話だ。
 
 大急ぎで寝室に戻り、ヴィクトリアはクローゼットの中をまさぐった。
 
 いつもより色を抑えた質素な素材のデイドレスに木綿のエプロンに着替える。
 次いで、先日クローゼットの中にとりあえずしまった小物を取り出し、先ほどの籠の中に入れる。
 その籠を手に部屋を出ると長い廊下を急ぎヴィクトリアは弾むような足取りでエントランスのステアケースを下りる。
 
 少し気が引けるけど、息の詰まるこの建物を数時間だけでも離れられ、おまけに子供たちの輝くような笑顔が見られると思うと心が浮き立つ。
 
「トリア? 」
 サルーンで他の少女と立ち話をしていたシャーロットがヴィクトリアの姿に気付いて駆け寄ってくる。
「どうしたの? そんな地味なドレスを着たりなんかして」
「ちょっと出かけてくるね」
 言いながらエントランスの向こうの馬車をヴィクトリアは探す。
「なぁに? それ」
 その間に、ヴィクトリアの手にしていた籠をシャーロットが興味深そうに覗き込んでくる。
「クッキー? こんなに沢山? 」
 その中身を目に目を丸くした。
「そう。これを届けに孤児院に行ってくるの。
 夫人には言ったから心配しないで」
「孤児院? 」
「ん、そう。
 月に二・三度の頻度で行ってるの。
 絵本を読んだりお菓子を届けたり。
 わたし父の仕事の都合でオフシーズンでもタウンハウスで過ごすことが多かったから」
「まぁ…… 
 わたくし達も季節に一度のチャリティーの時には協力していましたけど…… 
 なかなかできる事ではなくてよ」
 言ってほんのりと微笑んでくれる。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
 シャーロットの言葉に送られてエントランスを出る。
 用意してもらっていた馬車に乗り込もうとした時に、一頭の馬が駆けて来るのが目に入った。
 
 思わずヴィクトリアの足が止まる。
 
「トリア? 」
 目の前で足を止めた鹿毛の馬から下りながら近衛の隊服姿の一人の男が名を呼んだ。
 顔面に落ちる銀灰色の髪をうるさそうに掻きあげるその顔はハーランのものだった。
「どうした? 
 もしかして、ここでの授業に嫌気が差して逃げ帰るつもりとか? 」
 笑みもない、真面目な顔で言われると、冗談なんだか本気なのかわからない。
「そんなんじゃないけど…… 」
 着ているものが違うせいかいつもと違う雰囲気のハーランに戸惑いながらヴィクトリアは答える。
 
 なんか、いつものように気さくに話をしてはいけない遠い存在のように思えてしまう。
 
「ああ、これか…… 」
 その反応を読み取ったかのようにハーランは自分の身なりを見下ろした。
 
「俺はまだ、兄さん達のように自分で指揮する隊を持っているわけじゃないから、毎日行っているわけじゃないけど本業はこっちなんだよ」
 ぶっきらぼうに言う。
「それで、君は? 」
 ハーランは首を傾げた。
「え、ああ…… 
 ちょっと城下の孤児院まで行ってきます」
 止められたところを勝手に抜け出す後ろめたさで、ヴィクトリアは視線を泳がせながら言う。
「城下? それも孤児院って、もしかして君一人で行く気か? 従者は? 」
 少し驚いたようにハーランは目を見開く。
「ううん、ここのメイドや従者さんに同行をお願いするわけに行かないし。
 大丈夫、いつも行っている孤児院だから。心配ないわ。
 じゃ、行ってきます」
 言って馬車に乗り込もうとした腕を軽くつかまれた。
「従者も同行しないお嬢さんを一人で行かせるわけに行くかよ。
 ちょっと、待て」
 言うと馬の手綱を側にいた使用人に預け、何かを指示している。
 
「ね、ヴィクトリア。
 やっぱり、わたくしもご一緒していいかしら? 」
 何時の間にか側にきていたシャーロットがヴィクトリアの顔を覗き込んで訊いてきた。
「もちろん。
 子供たちも喜ぶと思うわ」
 ヴィクトリアは笑顔を浮かべる。
 
「メイドを呼ぼうと思ったところだったから、丁度良かった」
 シャーロットの姿にハーランも息を吐く。
「メイド? 
 わたくしが? 」
 その言葉にシャーロットが非難の声をあげた。
「悪い、そういう意味じゃなくて。
 まさか、俺とトリアの二人っきりで外出ってのはまずいだろう。
 だから誰かもう一人女性の同行者を欲しかったってこと」
 男は困惑したように説明する。
「じゃ、行こう」
 程なく馬車に戻るとハーランは言う。
「行こうって、あの…… 」
 自分たちに続いて馬車に乗り込んできた男の姿にヴィクトリアは戸惑いを隠せない。
「だ、大丈夫ですから。
 忙しいのに、ついてきてもらえなくても、一人で行けますから…… 
 シャーロットも居るし」
 走り出した馬車の中で、緊張で無意識に肩に力が入り、手にした籠の蔓を握り締めたままヴィクトリアは言う。
「ヴィクトリア。
 君、将軍の娘である前に貴族の令嬢だって事忘れてないか? 」
 男は少女の顔を真直ぐに見据えると、ため息混じりに言う。
「慈善事業に熱心なのは悪いことじゃないけど、身分も考えずに一人歩きするのは感心しないぞ」
「だけど、お城の従者の人に付き添いを頼むわけにも行かないし、メイドも居ないし。
 それに、約束してたから…… 」
「約束? 」
 男はその言葉に眉をひそめる。
「うん、今日はニック…… 孤児院に居る男の子のお誕生日だから。
 お祝いに行くって約束だったの」
「だからって、供も連れずに出かけるつもりだったのか? 」
 ハーランは少し呆れた顔をする。
「だっていつも行っているところだし。
 そんなに全然心配するようなところじゃないのよ」
 その男の顔を否定するようにヴィクトリアは首を横に振った。
 
 
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