Schwarzwald(外)-巫女は虚飾で作られる-

弥湖 夕來

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「……なにも、そんなに怯えなくても大丈夫だよ」
 青ざめたエミリアの顔を目に、男がゆっくりと口を開く。
「あの…… 
 ここで、何を? 」
 自分に向けられたその穏やかな声に、少しだけ平常心を取り戻し、エミリアは握り締めた毛布の下にある自分の身なりを確認しながら訊く。
「何って、夜伽。
 ……いや、添い寝かな? 」
 男はエミリアの動作を目に、やんわりとした笑みを向けた。
「添い寝って…… 」
 その言葉になんと答えていいのかわからずにエミリアは声を失う。
 男の言葉に嘘はないようで、エミリアの纏った衣服に乱れはない。
 
 ただ…… 
 
 どうして、自分がこんなところにいるのか、どうしてこんなことになっているのか、全く記憶がない。
 
 動じる様子の全くない初対面の男から少しでも距離をとろうと、エミリアは壁に阻まれていない方角へそろりとベッドの上を移動する。
 左右二つに分けてお下げに編んで垂らした赤銅色の波打つ髪がうっかり押さえつけてしまった自分の手の重みで、身動きするのを阻む。
 
 
「そんなに警戒しなくても大丈夫だから…… 」
 ゆったりとくつろぐようにシーツの上に躯を預けた男が、わずかに上半身だけ起こしてなだめるように言う。
 癖のない銀灰色の髪がさらりと額から落ち、同じ色の瞳に掛かる。
 歳の頃はエミリアより五から六歳くらい上か? 
 二十歳はとうに過ぎていそうだ。
 切れ長の目に通った鼻筋の整った顔つきの男は穏やかな笑顔を向けていた。
 
「巫女様、お目覚めでしょうか? 」
 動転しすぎて何がなんだかわからない上に、何がなんだかわからない呼びかけが部屋の外から掛かった。
「……ああ、起きているよ」
 その声に答えて男が側に脱ぎ捨ててあったガウンを手にベッドを降りながら声を張り上げた。
「失礼いたします」
 男の声に答えてドアが開くと、衣類らしきものを捧げもって数人の女が入ってくる。
「巫女様は充分お休みになられましたでしょうか? 」
 その中の年嵩の女が男に向かって訊いた。
「それはもう、この上なく充分に」
「それはようございました」
 女はちらりとエミリアに視線を向けた後言う。
 
「巫女」
 その言葉に、エミリアは頭をかしげた。
 普通「巫女」と言えば神殿に仕える女のことを言うはずだ。
 だけど、目の前の人物は整った顔をしてはいるがどう見ても男だ。
 半裸の上半身から誰に訊かなくてもみて取れる。
 
「では、巫女様にはお召し変えの前に湯浴みを…… 」
 女の言葉に、別の若い女が動くとエミリアの手を取り、ベッドから降りるのを促すかのように引く。
 その行為にエミリアは睫を瞬かせた。
 女の言っている「巫女」とは目の前に居る男のことではなく、自分のことのようだ。
 
 だけど、それはありえない。
 エミリアはごく普通の酪農家の娘だ。
 つい昨日まで牧場で牛の乳を搾っていた。
 
「あの……  
 何が、どうなって…… 
 わたしっ…… 」
 何をどこから訊いていいのかわからない。
 
 戸惑っているうちに運び込まれるように半ば強引に浴室へ連れ込まれた。
「ねぇ、お風呂の前に説明してくれる? 」
 部屋を移動する間に少しだけ気を取り戻し、エミリアは女に言った。
「それは、私どもの仕事ではございませんので。
 詳しいことはこれからお会いになる方にお聞きくださいませ」
 睫を伏せると女は表情ひとつ変えずに言う。
「じゃ、そうするから、その人のところに連れて行って」
 エミリアは声をあげた。
 早いところ帰って牛の乳を搾らなくては。
 その後は小さな弟と一緒に鶏の卵を集め、お洗濯。
 エミリアの日常はいつもやることが山積みだ。
 こんなところで暢気に入浴している暇など無い。
「そんなにお急ぎにならなくても大丈夫ですよ。
 きちんとお待ちになってくださっていますから。
 それよりもまずは身を清めてお召し替えをなさってくださいませ」
 伏せた睫の下にある女の視線がちらりとエミリアの衣服に移動すると、少し迷惑そうな表情をされた。
 
 ……確かに。
 エミリアは着の身着のまま。
 粗末な素材の膝丈の赤茶のワンピースに麻のエプロン。
 お下げに結ったままの髪は目に入る部分だけでもかなりもつれている。
 
 ここが今まで居た牧草地なら違和感は無い装いなのだろうが、漆喰の白い壁には浮き彫りの上から箔を貼った装飾、大理石の床壁際に置かれた家具も過剰なほどに装飾のされているこの部屋においては、不釣合いなことこの上ない。
 
「失礼しますね」
 ここまでエミリアを連れてきた女が、一声掛けるとエミリアの羽織った衣服に手を掛ける。
「ちょっ、ちょっと待った! 」
 エミリアは胸の辺りを押さえると顔をひきつらせて慌てて後ずさる。
「あ、あのね。
 一人でできるから…… 」
 気が動転して、女を見るエミリアの瞳が泳ぐ。
「ですが、巫女様の身の回りのお手伝いをするのが私どもの仕事ですから…… 」
 女は困惑した様子で訴えるように口にする。
「いいから、何でもいいから。
 とにかく、お風呂は駄目ぇ! 
 入れって言うんなら、一人で入るから。
 お願い、そこで待ってて! 」
「……本来は、そういうわけにはいかないんですけどね」
 悲鳴にも似たエミリアの訴えに、諦めたように女は呟く。
「では、そちらでお待ちしておりますので…… 
 お時間がございませんので、ごゆっくりと言うわけにはいきませんけど、これから儀式に入りますので、お身体の隅々まで丁寧に禊をなさってくださいませ」
 ひとつ頭を下げると、女は扉の向こうに消えていった。
「儀式って何? 」
「儀式は儀式ですよ」
 ドアの向こうに問いかけるエミリアに女は当たり前とでも言いたそうに答えた。
 
 その後ろ姿にエミリアはそっと息を漏らす。
「なんだかわからないけど、お風呂に入って身奇麗にしろって事だよね」
 どうやらこれから会う人物は、よほど身なりに神経質な人間らしい。
 一人呟くと、エミリアは肩から衣服を滑らせた。
 
 ……自分に異変が起こっているのだけは確かだ。
 
 総大理石のゆったりとした大きなバスタブに張られた少し温めの湯に躯を浸して、エミリアはそっと息を吐いた。
 早朝だというのにバスタブにはなみなみと湯が張られ暖かな蒸気が上がっている。
 早朝から人の沸かしてくれた風呂に入るなど、贅沢なことこの上ない。
 それだけでも十分に異常だ。
 
 何がどうなっているのか…… 
 憶えているのは、昨日…… 
 ……だと思う。
 王都の外れに位置するエミリアの農場に「神殿の使い」と名乗る数人の神官が来て、両親と何か短い会話を交わし、次いでエミリアの前に並んだ。
 そして、神官たちが携えてきていた香炉から発する強い甘い匂い。
 その匂いをしばらく吸い込んだ後の記憶が全くない。
 
 気がついたら見知らぬベッドに寝かされていて、妙な男が隣に寝ていた。
 
 とりあえず、身の安全だけは護られたようだけど、ひとつ間違うとどうなっていたのか。
 そう思うだけで身体が震えた。
 
 わかっていることは、自分が今「巫女」と呼ばれていることと、生まれ育った都外れの牧場ではない、このどう考えても自分とは不釣合いな立派な場所に居ることくらいだ。
 
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