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2・魔女のことを良く知ろうと思ったけれど、 -2-

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「では、明日のお茶の時間を少し余計に取るということでよろしいですか? 」
 濡れた身体を運ばせた湯で清め、着替えを終えた俺にパライバが言う。
「何がだ? 」
「ですから魔女殿との対話のお時間です。
 先ほどそう仰っていましたよね? 」
 確認するように言ってパライバが首を傾げた。
「そうだ、な…… 
 それで俺は何を話せばいいんだよ」
 自分から言い出しておいてなんだが、いきなり時間をやるから話をしろと言われて俺はとんでもなく戸惑った。
 正直、女との特に茶会での会話は苦手だ。
 何を話していいのかさっぱりわからない。
 いや、お天気とドレスと髪型と宝石、お菓子にお茶。それからペット。
 そういう話題を持ってきて適当に誉め言葉でも並べればその場で凌げることはわかっている。
 ただそれでは数分で会話が終わってしまう。
 不特定多数のご婦人と夜会での会話にはこれで困ることはないが、面と向かって時間を取るといわれてもどうしたらいいのかわからない。
「お時間を、といったのは王子ですよ」
 パライバが笑みをこぼす。
「おまえ、俺をからかって面白いのかよ? 」
「いえ、しかし王子には社交辞令以外の女性の扱い方ももう少し達者になっていただきませんと」
「いいんだよ、そんなの」
 社交辞令だけで充分に公務はこなせる。
 それにルチルと一緒ならどんな場所でも会話に困ることなんかなかった。
 茶会どころか村のマーケットでも会話を禁止された礼拝堂の中だって、茶会の女を相手にしている時に言葉に詰まった気まずさは感じない。
 ふと、懐かしい光景が俺の脳裏に浮かび上がり胸を苛む。
 年に数回やってくる隊商が開く村の市、ルチルはいつもより口数が多かった。
 隊商の運んでくる珍しい商品に目を輝かせ、はちきれそうな笑顔ではしゃいでいた。
 あの雰囲気の中なら、改まって向かい合う茶会の席よりは自然に話ができそうだ。
 そう思った俺の脳裏に、数日前目を通した一枚の書類の文面がよぎる。
 確かマーケットを開く許可申請が混じっていた。
「あいつ、馬に乗れると思うか? 」
 昨日此処まで連れてきた時の様子を思い出して俺はパライバに聞いてみた。
 俺の背中にしがみつくあの動作からしても馬に乗りなれている人間とは思えない。
 単独での乗馬など、恐らく無理だと思えた。
「遠乗りですか? 
 馬が駄目なら歩くって手もありますよ。
 丁度明日は村に市が立つ日ですし」
 移動といえば馬か馬車が当たり前の俺にパライバがそっと囁いた。
 
 
 午後も早々、手にしたペンを置くと俺は一つ大げさにため息をつく。
「これで終わりだな? 」
 背後に控えていたパライバに確認を取って、俺は机を後にする。
 改装済みとはいえ、元々砦として建てられた古い石積みの建物は採光が悪く場所によっては全く日が入らない。
 そんな暗い廊下を抜け螺旋階段を降りて戸外へと向かった。
 光に慣れない目に視界が白く染まったのが戻るのを待って、俺はエントランスの前に設けられた中庭を見渡した。
 蛍はこの時間、この場所で水汲みや洗い物をする侍女や下働きを手伝いながら話をしている事が多い。
「フロー! 」
 広場の中央辺りにある井戸の付近から俺の姿に気付いたらしい蛍の声が呼びかけてくる。
 視線を向けると鮮やかな向日葵色のドレスを纏った蛍の姿かあった。
 町の女達の日常着であるやや短い踝丈のスカートの上に羽織ったローブの裾を、襞を寄せてたくし上げた着こなしは最近の流行だ。
 ルチルもお気に入りで日常着によくしていた。
 ただ髪と瞳の色が違うせいだろうか? 
 同じ顔のルチルがどうしても着こなせなかった色がよく似合っている。
「プルームが見立ててくれたんだけど、やっぱり、変? 」
 大きく開いた襟元にふんわりと羽織ったシフォンのスカーフを手繰り寄せながら蛍は戸惑った声をあげた。
「そのっ…… 
 勝手して申し訳ありません。
 蛍様、丈の長いドレスでは歩きにくそうでしたので」
 プルームが慌てて頭を下げる。
「いや、よく似合っているぜ」
 この社交辞令まではごく普通に言葉が出てくる。
「丁度いい、来いよ。
 村を案内してやる」
「いいの? 嬉しい! 」
 よほど退屈していたのか、蛍の顔が嬉しそうに綻んだ。 
 その花のような笑顔に何故か俺まで嬉しくなる。
 ずっとこの笑顔が続いたらいいなんて、妙なことを考えてしまう。
「フロー? どうかした? 」
 気が付くと蛍が不思議そうな表情で俺の顔を覗き込んでいた。
「いや、なんでもない。
 じゃ、行くか」
 女性をエスコートするときの常識で俺は蛍に手を差し出す。
「っ…… 」
 当たり前のようにそれに重ねてくれると思った蛍の手は胸の前で軽く重ねあわされたままだった。
「どうした? 行かないのかよ? 」
「行くっ、行くけど…… 」
 差し出された手を無視してわざと顔を背けて蛍は歩き出す。
 頬がなんだか少し照れくさそうに染まっている。
 その仕草がなんだかとても愛らしく思えた。
 
 
 少し強い日差しの降り注ぐ、村へと降りる道の途中で蛍は足を止めると空を仰ぎ見る。
「いい天気だねー 」
 言葉どおり空には雲ひとつない。
 この地方ではこの季節の天気のまさに見本のようなものだ。
「もうすぐ夏だからな、このシーズンの天気はいつもそうだろう? 」
 空を見渡す蛍の横顔を目に俺は言う。
「じゃ、季節は一緒なのかな? 
 あたしの居たところも梅雨明け間近だったんだよね」
 呟いて蛍は首を傾げる。
「あ、梅雨って言うのは雨季のことね。
 雨季が明けると夏になるの」
 問われる前に簡単に説明して、蛍は足を早めた。
 慌てて俺もその速度に合わせる。
 キープのある丘を降りればすぐの場所に村はあるから馬でなくても十分行ける。
 だが馬に乗ることを覚えて以来、あまり歩いた記憶がない。
 こうしてのんびりと散策しながら歩くのは久しぶりで新鮮だ。
「でも、あたしに付き合ってくれてよかった? 」
 軽やかな足取りで歩きながら蛍はゆっくりと後を追う俺に向き直る。
「プルームが言ってたよ、王子様って見た目より結構忙しいって」
「なんだよ? その見た目よりってのは。
 俺ってそんなに暇そうに見えるのか? 」
「だってあたし、フローが何しているのか知らないし。
 毎日出かけているわけじゃないから、暇なのかなぁって最初は思った」
「あのな、俺ってそんなに見えていたわけ? 」
「部屋に篭ったきり、外交とか慰問とかに出かけた様子もないし。
 何か儀式をしているわけでもなさそうだし」
「他にも色々あるんだよ。
 おまえの統治者のイメージってどうなっているんだ? 」
「う~ん、新年にバルコニーから手を振って、神事のお田植とか豊穣祈願とかして、あと災害時の慰問とか、国外の要人との交流? 
 あ、統治者じゃないけどね。あくまでも象徴?
 王族と政治をする人ってあたしの国じゃ別れているんだよね」
 首をかしげてやや考えた後蛍は口にする。
 駄目だ、こりゃ…… 
 そういえば、最初にあった時身分的に王侯貴族との接点はないとか言っていたからそんなものなのかも知れない。
 そもそも、政治のシステムが根本的に違うらしいことはわかった。
「それに、今日。
 お客さん来るんでしょ? 」
 蛍は確認するように俺の顔を覗き込む。
「それならいつも通りパライバが相手をしてくれているぜ」
 挨拶に訪れる人間や陳情を持ってくる者などは日常茶飯事だ。
 自分で全部いちいち相手をしていたら外出どころか眠る暇もなくなってしまう。
「ううん、そうじゃなくて。
 いつもの用事がある人たちじゃなくて、どっちかと言うと個人的なお客さん。
 フローにごく近い間柄の人だと思うんだけど? 」
「いや、そう言う用事はなかったはずだぜ。
 何処で聞いた? 」
 その手の来客が来る場合は大概事前に連絡が入る。
 突然来ることはめったにない。
 今朝方パライバに確認した今日の予定を思い返す。
「何処でって、ただなんとなくそう思っただけだから、間違っていたら気にしないで」
 笑みを浮かべて蛍は足を急がせた。
 久しぶりに徒歩で歩く村への道は随分荒れていた。
 馬車の轍が深くえぐれ、昨日の雨の水溜りがまだ消えていない。
 一度、村人の手を借りて補修しておくべきなのかも知れない。
 足元に視線を落としぬかるんだ道の状態を確かめていると、突然視界の端で蛍の躯がよろめく。
 大きくバランスを崩したと思ったらつんのめりそうになる。
「おい、大丈夫か? 」
 慌てて、蛍の二の腕を掴み地面に落ちそうになる躯を引き上げる。
「平気、ありがと」
 少し引きつった笑顔を蛍は俺に向けた。
「ごめん。
 この靴慣れてなくて…… 
 こんなことならスニーカー履いて来るんだったかも。
 あ、でもこんなことになるなんて思ってなかったからスニーカー履いて用意しているわけないかぁ」
 悲しそうに見えなくもない顔をして蛍は慌てて俺の視線から背ける。
「だから、ほら! 手貸せよ」
 いつも女をエスコートする時のように俺は手を差し出す。
「そ、そう言うのは、ね…… 」
 その仕草に蛍が頬を染め、慌てふためく。
 その表情や仕草がとにかく可愛い。
「何か、問題でもあるのかよ? 」
「あるでしょ、普通。
 そう言うのは付き合っている人同士とかでするものじゃない。
 あたしとフローそんな仲じゃないし、大体フロー、婚約者がいるんでしょ? 
 もし彼女さんにこんなところ見られたら大騒ぎにならない? 」
「いや、普通ならないだろう。
 大体おまえ、俺に婚約者が居るなんて話誰から聞いたんだ? 」
「誰からって、砦の人皆言ってるよ。
 あたし、その婚約者さんによく似ているって言われた」
「それは否定しないけどな。
 ったく、おまえの世界ってどうなってんだよ? 
 男が婦人のエスコートも迂闊にできないって? 」
 言いながら俺はもう一度、蛍に手を差し出す。
「そう言うものなの? 」
 首をかしげながらも、蛍はやっぱり俺の手を取ろうとはしなかった。
「でもやめとく。
 先輩…… あたしの彼氏ここにはいないけど、でも見たらやっぱり嫌な思いするだろうから」
 そう言って一人で先にたって歩き出した。
 ……なんか。
 拒絶されたって思う一方、そんなのもいいかと思える。
 確かに俺だってルチルが他の奴にエスコートされたりダンスを踊ったりするのを見るのはあんまりいい気分じゃなかった。
 とはいえ、相手の申し出を断るのはマナー違反だし、パートナーにそれを禁じるのも嫉妬丸出しでみっともない。
「フロー! 何してるの? 
 案内してくれるって言ったじゃない。
 早く! 」
 差し出したものの空っぽのままの手を持て余していると、少し離れた場所から蛍が呼びかけてきた。
 
 
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