その溺愛は青ざめた月の見せる幻影のようで、

弥湖 夕來

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「変なの。
 わたしはね、ずっと小さな頃から、お嫁にいく国の言葉勉強させられてたのよ? 
 どっちかって言うと国語の方が適当って言うくらいみっちりと。
 嫁ぎ先で恥ずかしい思いや不自由をしないようにって。
 そう言うものじゃないの? 」
 マルティナは首を傾げた。
「ほら、わたしの場合は子供の時からお嫁に行く先が決まっていたわけじゃないから。
 ここに来ることになったのだって、急だったのよ。
 突然お城から迎えが来たと思ったら三日後には隣国へ行ってくれって。
 持ってくる物一つ吟味する時間なかったんだもの」
 リュシエンヌは慌てながら首を降る。
「それにしてはお嫁入りにも匹敵する豪勢なお支度だって、リュシエンヌ付きの侍女が言ってたわ」
「そう? そういうことわたしにはよくわからなくて…… 」
 ドレスに限らず、身の回りにあるもの全て今まで自分が使っていたものでも吟味して手に入れたものでもないため、そのあたりはよくわからない。
 何処までがこの国で用意されたものなのか、何処からが自分の国から与えられたものなのかさえ線引きが曖昧だ。
 唯一わかっているのは以前から手にしたことのある装丁の本が何処から来たかということだけだ。
「ご歓談中に失礼します、姫君。
 申し訳ございませんが、お国の方が今お見えになっておりましてご挨拶をと…… 」
 不意にドアがノックされると、衛兵らしい男が顔を出す。
「どうぞ、行って来て。
 片付けはさせておくから」
 返事に戸惑っているとマルティナに背中を押される。
 
「あの…… 
 国の人間とは接触禁止なんじゃ? 」
 少し足早に歩く男の背を追いながらリュシエンヌは訊く。
 確かここに来た初日に言われた。
「ああ、それは誰も見ていないところで妙な打ち合わせをされては困るということですよ。
 お国の方とよからぬ工作をされて内側から攻撃されたり、城の内情を暴露されたりしては敵いませんから。
 今回のように我々の監視下でご挨拶程度なら、問題ありません。
 むしろ姫君の健在振りをあちらの国王に報告していただかないと。
 大事な姫君をお預かりしている訳ですから…… 」
 言い終わらないうちに男の足が止る。
「失礼します、姫君をお連れしました」
 男はドアをノックすると声を張り上げた。
 
 ゆっくりとドアの開かれた室内にひとつの影がある。
「姫君、お元気そうで何よりです」
 待ちかねたように掛けられた声にリュシエンヌは耳を疑った。
「テニエ伯爵様っ! 」
 反射的に駆けよってリュシエンヌは子供の頃のように抱きついた。
「姫君、ここはあなたの祖母君の館ではないのですから」
 男は戸惑った声をあげる。
「ごめんなさい」
「嬉しくてはしゃぐところは、相変わらずですね」
 子供っぽいことをしてしまったと少し肩を落すと優しく微笑まれた。
「それに以前も言いましたが、様は余計です。
 公爵家の姫君様にそんな風に呼ばれては示しがつきませんからご自重いただかないと」
 耳もとで囁かれる。
「伯爵様、今日はどうしていらっしゃったの? 」
 ここに預けられてから数ヶ月。
 国の誰からも手紙一つこない中で、突然のこの男の訪問は嬉しくもあったけれど不思議だった。
「こちらの姫君の婚儀に陛下の名代で出席することになったんですよ。
 それと陛下から姫君の身の回りの品を届けるようにとも申し付かりまして。
 姫君がどうしているのか気になりましたし、姫君もおばあ様とお母様のことを心配しているんじゃないかと思いまして、一度ご報告をと。
 無理をお願いして名代の役をいただきました」
「お母様は? ご様子はどう? 」
 ここへ来てから片時も頭を離れなかったことが口をついて出る。
「お元気ですよ。
 最近では様態も大分安定されて、発作も少なくなったと言う話です」
「よかった…… 」
 その言葉に胸を撫で下ろす。
「おばあ様もお元気ですよ。
 ここへ来る前にご挨拶に伺ったのですが、
『公爵家の娘としての務めをしっかり果たしなさい』との伝言を預かりました」
「おばあ様、らしいわよね」
 リュシエンヌはそっと睫を落す。
 さすが、あの祖母というだけのことはある。
「それと、例の物は確かにお返しいただきましたから」
「あ…… 
 ごめんなさい、本当に。
 わたし、なんてお詫びしていいのか」
「お気になさらないで下さい。
 そもそも王室公爵家のご令嬢にあのような申し出をした私の方が非常識なのですから。
 忘れてください」
 男は普段と何も変わらない穏かな笑みを向けてくれた。
 それが却って心苦しくてリュシエンヌの胸を締め付ける。
「でも、お変わりがなくてよかった。
 心配していたんですよ。あんな経験をした貴方がまた同じような扱いを受けて平気でいられるのかと…… 」
 そんなリュシエンヌの表情を見取ってか、男は明るく声を張り上げた。
「心配なさらないで、ここではお客様扱いで大切にしてもらっているから。
 そう祖母にも伝えて下さい。
 それと、本をありがとう。伯爵様。
 おかげで退屈しないで済みました」
 これ以上男に心配を掛けさせたくなくてリュシエンヌは無理に笑顔を作ると笑いかけた。
「そんなにここでの生活は退屈ですか? 」
「ええ…… 
 普通の公爵家の娘だったら当たり前の生活なのかも知れないけど。
 わたしは、ね。
 おばあ様の邸にいた時みたいに働いているほうがいいから。
 それ以外に動くことを知らないし」
 心配させたくないと思いながらも、ついは本音が口にでる。
「やれやれ…… 
 新しい本をお持ちしましたからまた暫く退屈なさらなくて済むと思いますよ」
「本当! 」
 その言葉にリュシエンヌは顔を輝かせる。
「お届けした荷物はこちらで改めないと姫君にはお渡しできないそうですから、後ほどお部屋の方に届けてもらえると思います」
 
「姫君、そろそろお部屋に戻っていただいてもよろしいですか? 」
 程なく先ほど付き添ってくれた男が申し訳なさそうに声をかけてきた。
「……わかりました」
 リュシエンヌは唇を噛む。
 本当はもっと話をしていたいところだが、これでも破格の待遇だとわかっているからそれ以上の無理は言えない。
「じゃ、伯爵様。
 お元気で。
 陛下にもお礼を申し上げていたと伝えて下さいね」
 リュシエンヌは零れ落ちそうになる涙を堪えて、男に背を向けた。
 
 
 
「やっぱり素敵ね…… 」
 部屋の中に広げられた色とりどりのドレスを前にマルティナはため息をついた。
 そろそろ冬に向かい出したことに気を配ってくれたのだろう。
 厚手の生地の下着やドレス、コートやショールまで一揃い。
 それから厚手の毛布まである。
 
「そう? 」
 その言葉に少しだけ違和感を憶えながらリュシエンヌは首を傾げた。
「ええ、とっても。
 少し大人っぽくって、だけど年寄り臭くなくて。
 ティナもこういうのがほしいってお願いしているんだけど、まだ早いって乳母が聞き入れてくれないの」
 不満そうに頬を膨らませた。
「誰の、お見立て? 」
「誰って…… 」
 問われて、リュシエンヌはほんのりと頬を赤らめる。
 
 先日届けられたドレスも、この国に入る時に持参したドレスも、どれも清楚で可憐でありながら煌びやかな雰囲気もあり、豪華だ。
 あの時王城で通された部屋と同じ趣味。
 それらはすべてジュリアスが用意してくれたものだと察しがつく。
 上品でありながら華やかな趣味はジュリアスの雰囲気そのものだ。
 胸元に下げられた指輪にそっと手を伸ばす。
 もともとジュリアスの持ち物だったと思われる指輪は、深い色のアメジストの周囲を精緻な金細工で取り囲まれ、一見男物に見えないほど優美で豪華だ。
 そして届けられた品物も同じ雰囲気を纏っている。
 
 ただ…… 
 
 その傍ら頭の隅に湧いてくる違和感。
 自分に似合っているのかと言えば、どうなのだろう? 
 それに、何より着ている自分自身がなんとなく落ち着かない。
 どちらかというと、デザインや色使いはもっとかわいらしいのが好きだし、できれば襟ぐりの開きがもう少し狭くて、動きやすければといつも思っている。
 
「少なくともリュシエンヌじゃないのは確かよね」
 返す返すドレスを眺めながらマルティナは首を傾げた。
「わかる? 」
 ため息混じりに訊き返す。
「なんとなくね。
 だってドレスと髪型あっていないんだもの」
 結い上げずに下げたままのリュシエンヌの金色の巻き毛に視線をうつす。
「それは、ほら、髪は一人で結えないから…… 」
「本の方は絶対リュシエンヌの趣味だと思うのよ」
 慌てて誤魔化すリュシエンヌをよそにマルティナは同時に届けられた数冊の本を手に取った。
 確かに、ドレスよりはむしろ一緒に入っていた本の方がしっくり来る。
 まるでこちらの方から指示して送ってもらったもののようにさえ思える。
 
 何故だろう。
 肌を重ねたジュリアスより、あの伯爵の顔ばかりが浮かぶ。
 慈しむような笑顔も、はにかんだ困り顔も思い出されるのは伯爵の顔ばかりだ。
 
「ごめんなさい、リュシエンヌ。
 ティナ、何か気に障るようなこと言ったのよね」
 突然黙り込んでしまったリュシエンヌを目にマルティナが慌てたように謝ってくる。
「だめね、最後の日なのに、不快な思いさせてしまうなんて」
「な、に? 」
 マルティナの言葉にリュシエンヌは瞳を揺らした。
「黙っていて、ごめんなさい。
 ティナね、明日お嫁に行くの」
 涙を堪えたような微妙な笑顔をリュシエンヌに向けた。
 
 確か、昨日。
 この荷物を届けてくれた伯爵も婚儀が何とかと言っていたのは覚えている。
 だけど、それはマルティナの姉とか従姉妹とかもっと年上の人の事だと思っていた。
 それがマルティナのことだとは夢にさえ思わなかった。
「大国の姫君など物心さえつかないうちに他国へ嫁がされるなどよくあること…… 」
 以前祖母に言われた言葉が脳裏に蘇る。
 なんて言葉をかけていいのかわからずにリュシエンヌは押し黙る。
 思い返すのは、理不尽だと思えたあの時の気持ちばかりだ。
 
「せっかく仲良くなれたのに、お別れだなんてどうしても言えなくて」
 マルティナはうなだれて下を向く。
 気持ちは手に取るようにわかる。
 別れが言い出せなかったわけではない、まだ自分自身がそのことを納得していないのだ。
「ティナ姫様、そろそろお時間ですよ。
 明日の準備もありますし」
 そんな様子のマルティナに乳母の容赦ない言葉が掛かった。
「じゃ、行くね。
 元気でね、リュシエンヌ」
 弱弱しく微笑むと、マルティナは次いで毅然と顔をあげ立ち上がる。
 部屋を出てゆく後ろ姿がマルティナを見た最後になった。
 
 
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