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第三章 過去に蠢くもの
第一話 小話:メイドさんはかく語りき
しおりを挟む私の名前は、ライラ・ドッドソン。花が恥じらう126歳ぐらいの乙女。
家事全般について自信がありますし、イノシシぐらいなら殴り倒せるだけの腕があると自負しております。
生前はろくな主人に恵まれず、か弱い使用人に過ぎなかった私は非業の死を遂げるしかありませんでした。
まったく……ちょっとしたお茶目、たかだか小娘の可愛い一撃ごときに、腕利きの用心棒達を呼び出してくるなど、前の雇用主は狭量にもほどというものがあります。魔族との最前線を担う指揮官の一人でありながら、とんだチキン野郎です!
おっと失礼。
はぁ……用心棒の半分も倒せないまま果てたとは情けない限りですが、逆にそれが未練となってゴースト化し、長い年月を経てエルダーゴーストまで進化するに至ったのですから、それはそれで良かったのでしょうか。
そうして適当な空き屋敷を見つけ、私と同じような未練を持ったゴースト達が集まり、ちょくちょくやってくる狼藉者どもを蹴散らしていたある日、あの方はやって来られました。
正直言えば、舐めていたと言わざるを得ません。相手はまだ若い女性でしたし、人族二人と魔族二人の計四名と人数も少なかったので。今までその倍以上の数を易々と退けてきた身として自信もありました。
確かにゴーストにとって魔族は天敵とも呼べる相手です。本来なら魔力なり祝福なりでエンチャントされた武器でしか倒せない私達を、その身にまとう魔力でもって変哲もない武器──なんでしたら木の枝や素手でも──で傷つけることができるのですから。
下級のゴーストなら一撃で消滅しても不思議はございません。そう、下級なら。
生憎私のようなエルダーゴーストともなれば、その常識など容易にひっくり返ります。確かに魔族の方からの攻撃を受ければダメージとなります。ですが、それはお世辞にも致命傷とは呼べない程度。それぐらいではペナルティとも呼べません。
実際、威勢よく挑んできた一人目の魔族──アカリさんは、軽くあしらえる程度でしたから。
そのため慢心し、油断を招き、彼我の力量差を見誤ってしまったのです。
あの方、アイカ・マシキ・クージョー様は、文字通り桁違いの存在でした。
百年以上を経て力をつけ、ここいらでは敵なしとうぬぼれていた私を、あの方は文字通り瞬殺してくださいました。
何が起きたのか理解する間もなく切り落とされた両腕。その瞬間、私は文字通り絶頂──ええっと、格の違いというものを思い知らされたのです。
その圧倒的な力の前に、人族も魔族も、そんな些細なことは一瞬でどうでもよくなりました。
だって、そうでしょう?
私達使用人は、お強い方に仕えてこそです。
もちろん、今の時代であれば別の考え方もあるのかもしれません。
ですが、私達が生きた時代──魔族との戦争が続き、手薄になった場所を狙い魔物や魔獣が日常的に襲いかかってくる世界――では、主人に求められる素質は優しさでも気高さでもなく、強さです。
どれほど賢君であっても、どれほどの仁君であっても、配下の者達を守れないのならば、それですべて終わるのですから。ペンが剣より強い世界など、幻想の中にしか存在しません。
もちろん、強いだけで度を過ぎた暴君であるのもまた困りますから、そのへんのさじ加減は難しいのですが。
おっと、話がそれました。
ともかく私は負け、仲間のゴースト達と共に生殺与奪の権利を奪われてしまったのです。
事情があったとはいえ他者の屋敷を占拠し、身を守るためとはいえ乗り込んできた数々の相手を傷つけたのです。重罪は免れないでしょう。
はて? 既に死んでいる者を死罪にはできませんし、成仏させてくれるというのであれば、むしろ褒美に思えるゴーストの方が多いような気もしますが。
えっと、また話が逸れました。
ともかく私達はアイカ様達に破れ、あとは魔族で言うところの首を洗って沙汰を待つばかりとなったのです。
まぁ、百年もゴーストを続けていれば昔の恨みも薄れますし、ここいらですっぱり消滅するのも、それはそれで悪くはないのではないかとも思っておりましたが……。
なんと無様な敗者である私に、アイカ様は寛大にも手を差し伸べてくださったのです。
新しく御自分の物となるこの屋敷で、使用人として働かないかと。
ことわる理由など、どこにありましょうか?
かくして新しく屋敷の主人となったアイカ様の下で、恐れ多くもハウスキーパーを務めさせて頂いております。
アイカ様のご意向により、当屋敷は執事を置いておりませんので、実質的な最高責任者となっています。
こちらが元『勇者様のお屋敷』であったことには驚きましたし、人族を代表されるお一人のお屋敷が魔族によって購入されたという事実には、あの時代を生きた者として少なからず思うところもございますが、それもまた世の流れなのでしょう。
それにアイカ様は誠に公平な方で、行き場所などない文字通り過去の亡霊である私達をなんの対価も望まず受け入れてくださいました。
また、お互いの領分に対しても実直な方であり、私達の仕事ぶりに感想や質問の声を掛けられることはあれど、強制したり命じたりすることはほぼありません。
思えば人族の中にも横暴な主人は数多おり、魔族だからと偏見の目で見ていた昔の自分を恥じ入るばかりです。
ただし、アイカ様は私達の領分に口を挟まない代わりに、同じことを私達にも許しません。
探索者とはいえ屋敷を持ち、鉄級とはいえそれなりに実績を積んだアイカ様は、この領都においてはそれなりの存在だとみなされても当然。
ゴロツキと変わらぬ連中と飲み明かすことや、屋台で両手いっぱいの食い歩きなど品位に関わる真似はやめてほしいのが正直なところ。やはりアイカ様に見合った品位や体裁をお見せして欲しいのです。
一度控えめにそれを申し出たとき、アイカ様はそれはもう癖になりそう──もとい、氷のごとく冷たい視線を向けて仰られました。
「過去の亡霊ごときが、余の生き方に口を挟むとは……幽霊ならば死すこともないと思うたか?」
と。まるで地獄の底から響くようなその声に、わたしは興奮のあまり──失礼、震え上がりひたすら謝罪の言葉を口にするしかありませんでした。
あのときばかりは「あ。死んだな」と思ったものです。いえ、とっくに死んでいるのですけど。
「ふむ。脅すような物言いをしたのはすまなんだ。お主らの立場上、苦言を申す必要があることは認める。故に今回のことは忘れよう」
ですが不快な発言をした使用人に対しても、アイカ様は冷静で理知的でした。
「諫言なれば聞こう。忠告であれば耳を貸す。真に守るべき意見であれば尊重もしよう」
凛とそう言い放ちつつも、アイカ様の瞳の奥にわずかな不安そうな色が浮かぶのを、私は見逃しません。百年も生きていれば、それぐらいの芸も身につくというものです。
「だが、不要不必な指示は受け入れぬ。余には余の考え方と生き方というものがある故にな……お主らが不満であるなら屋敷からの退去を認める。望むだけの退職金も出そう」
正直、ゴーストである私達が退職金など貰っても仕方ないのですが、それでも私達を尊重しようというアイカ様の態度には、ただただ感謝するしかありません。
恩義を感じることはあれ、不平を漏らすなどとんでもありません。
「……心得ました」
折り目正しく儀礼に富んだ御主人様にお仕えすることは、使用人にとって最上の誉れ。
ですが、私は思うのです。
自分達の考える最高の御主人様を求めるあまり、御主人様の『個』を無視し型に嵌めこもうとするのは如何なものかと。
それが上に立つ者の務めという考え方もあるでしょう。それを義務だと言う方も。
ですが、その抑え込まれた『個』はどこへ向かうのでしょうか?
百年世の中を見た結果、私は考えます。暴君が産まれるのは、まさにその抑え込まれた『個』が行き場を求めたからなのではないかと。
表面では恭しく振る舞いつつ、その実は自分たちの願望の押し付け。
そして、それを品位や礼儀を理由に正当化し反論は許さない。挙げ句には義務とまで言い出す。
最後に残された『権力』の行使すら「みだりに使う物ではない」と押さえつけられる。これに耐えられる人の方が少数派であり、性格破綻者なのではないでしょうか?
あのような振る舞いをされていますが、アイカ様が高家の出身であることは明らかです。
元の家ではさぞかし窮屈な思いをされていたのでしょう。飛び出した先でまで窮屈な生活など望まぬお気持ちは痛いほどわかります。
そもそも我々使用人は、御主人様が心安らかに過ごしていただくために心を砕くべきなのです。
使用人は『家』に仕えると言い、それを錦の旗のごとく正当化の理由に振り回す者のなんと多いこと。
まず御主人様無くして『家』は成り立たないことをどうして認めないのか? 家から人が産まれるのではありません。人の下に家はあるのです。
私はその思い違いをアイカ様によって正して頂けました。なんという身に余る幸運でしょう。
ですので、私はアイカ様に大して二度と愚かな具申などしませんし、他の誰にもそれを許しません。
さて元勇者様のお屋敷は、広さで言えばそれなりにありますが、家屋の敷地面積で言えばそれほどでもありません。
おそらくはこの屋敷を建てられた勇者様が質実剛健を旨とし、常在戦場の心構えを常に持ち続けるためにこのようなお屋敷としたのでしょう。
家屋敷がどちらかといえば貧相気味なのに比べ、各種訓練用の設備は王国軍のそれや噂に聞く騎士団のそれとも劣らないレベルのものでしたから。
これについてはアイカ様も非常にご満足されており、ときおり修練されているお姿を拝見することもございます。
建物も小さく住人も僅かですので、屋敷の維持・運営についてはゴースト・メイド達がいればほとんど困ることはありません。確かに見てくれはあまり好ましいものではないのかもしれませんが、実用上はなにも困りません。数も大勢いますから、ほとんどの作業を同時に行えますし。
ただ今までは幽霊屋敷だなんだと言われても放っておけばよいだけの話でしたが、ご主人様がお住みになるからにはそういうワケにもゆきません。
幸いにしてこの屋敷は領都を囲む壁の外にありますので、ご近所様はほぼおらず気にするべき人目はございません。ですが、細々した日常品の購入や配達は必要ですし、将来的には御用伺いの商人等の対応も必要となるでしょう。
そのため初期の頃から私に付いてきてくれた古株のゴースト達から、
チェインバーメイドとしてアルファ。
ハウスメイドとしてシータ。
ランドリーメイドにイオナ。
レディースメイドにはカディス。
コックのベラナ。
馬丁にはヴェルバンド
門番兼守衛にはオズマ
と七人のゴーストを選び、私の使徒として人型と役割を与えました。これで一般的な人付き合いに問題はないでしょう。
アイカ様やお連れの方も、人型をした相手が居たほうが落ち着きますでしょうし。
よく見れば薄っすらと身体が燐光を発していますし、体重もほぼありません。影こそ落ちますが足音も立てずに歩くなど不自然な部分も少なからずあるのですが、まぁ、なんとかなるでしょう。
少し前までは想像すらできなかった現状。短い時間で私の、私達の生活は文字通り一変しました。
私がゴーストまで身を落し、生き恥(生きてない)を晒しながらも現世に未練がましく留まっていたのは、この方に仕えるためだったのではないか。
今ならそう思えるのです。
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