子守歌は眠れない

sakaki

文字の大きさ
10 / 14

子守歌は夜明けまで続く5

しおりを挟む
「これでよし、と・・・」
送信ボタンをクリックし、八雲は小さく息をついた。一人暮らしが長いとこういうふとした時に独り言が出てしまう。
顧客に一斉に送ったメールは、暫くの間仕事をセーブするというお知らせだ。ほとんど休業に近い。
最近になってようやく顧客が戻り始めたというのに、このタイミングでの休業は痛い。本来ならできる限り調整して仕事を受けるべきだろう。
だが実際のところ、八雲はさして悩むことなくこの決断をした。美恵子の元へ通い、身の回りの世話をするためだ。病院に行き来する時間を考慮すれば、どうしてもシッターの仕事と両立することは不可能だと思えた。
(暫くの間・・・か)
メールの文面を読み返し、目を伏せる。
勿論、八雲にシッターを辞めるつもりはない。あくまで一時的な休業だ。
ただ、その"暫くの間"が過ぎるということが何を意味するのかを思うと、自分で打ったその文字が酷く冷酷な気がした。

ノートパソコンの蓋を閉じ、遅めの朝食にしようと台所に向かう。一臣のところ違って築年数の経っている六畳一間の八雲の家では"キッチン”と呼ぶより"台所”と呼ぶ方がしっくりくるのだ。
冷蔵庫を開けて幾つかの料理を取り出す。これは全て一臣の弁当に入れた分の残り物だ。昨夜は一臣のところには泊まらなかったので、今朝は早起きをして弁当を作ってから一臣の家に届けて来た。
勿論、そんなことは一臣に頼まれた訳ではなく、単なる八雲の自己満足だ。
(本当に、何がしたいんだろうな・・・僕は)
我ながら不可解な行動だと呆れてしまう。
昨夜、なんだかんだと理由を付けてまるで逃げるように帰宅したくせに。今朝はまるで押し掛け女房のような真似をするなんて。
さぞかし、一臣も不審に思ったことだろう。
(何がしたい、なんて問題じゃないんだよな・・・)
レンジが動き出したのを眺め、ふと気づく。
"何がしたい”、"どうしたい"ではない。八雲が今考えなければならないのは、"どうするべきか”だ。そしてその答えはもう決まっている。
一臣と距離を置いて、義母に尽くす。
そうすべきなのだ。嘗て愛した人に償う為に。
(三倉さん・・・)
あたためが終わったことを示す音楽が流れても、八雲は暗転したレンジを見つめたままぼんやりと立ち尽くす。なんだか、小さな子供がするように大声を上げて泣き叫びたくもなった。
昨夜。3日振りに一臣と顔を合わせて・・・たった3日だというのに、自分が酷く渇望していたことに気付かされた。部屋に入った途端に一臣の匂いに安堵して、一臣が帰って来た時には玄関の解錠音に胸が躍った。一臣の声、表情、仕草、全てが愛しくて、抱きついてしまいたくなるほどだった。
一臣に溺れている。恋い焦がれて浮かれている。そんな自分が許せない。
一度目を伏せてから、八雲はようやくレンジから皿を取り出した。パソコンが置いたままになっているテーブルに皿を並べ、箸を取ろうと食器棚に手を伸ばす。自然と食器棚の上に目が行った。
そこには写真立てと花瓶、そして位牌が並んでいる。
(ごめんね・・・)
写真の中の花のような笑顔にそっと謝罪する。このアパートに越してきたばかりの頃に撮ったものだ。二人で暮らすには狭くて、とてもじゃないが上等とは言えない質素な暮らしで。それでも彼女はいつでも楽しそうに笑っていた。いつか二人で託児所を開きたい・・・そんな夢物語を語りながら。
(僕は・・・三倉さんの優しさに逃げてるだけなのかもしれない)
写真から目を背け、唇を噛みしめる。
彼女が亡くなった時、残りの人生は全て彼女への償いのために生きると決めた。与えられるばかりで、何一つしてあげられなかった彼女のために。叶えられなかったシッターとして開業する夢を叶え、この先もずっと彼女のことだけを想い続ける。そうやって生きていくつもりだったのに・・・。
「っ!」
不意にテーブルの上の携帯電話が震え、バイブ音に思わずビクリとした。
(あ・・・)
液晶画面に表示された名前に、そういえば昨日別れ際に名刺を渡していたのだと思い出す。
「もしもし・・・」
電話の向こうの男は、朝から変わらず陽気な声で話し始めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?

キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。 知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。 今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど—— 「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」 幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。 しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。 これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。 全8話。

あなたの隣で初めての恋を知る

彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

愛と猛毒(仮)

万里
BL
オフィスビルの非常階段。冷え切った踊り場で煙草をくゆらせる水原七瀬(みずはらななせ)は、部下たちのやり取りを静かに見守っていた。 そこでは村上和弥(むらかみかずや)が、長年想い続けてきた和泉に別れを告げられていた。和泉は「ありがとう」と優しく微笑みながらも、決意をもって彼を突き放す。和弥は矜持を守ろうと、営業スマイルを貼り付けて必死に言葉を紡ぐが、その姿は痛々しいほどに惨めだった。 和泉が去った後、七瀬は姿を現し、冷徹な言葉で和弥を追い詰める。 「お前はただの予備だった」「純愛なんて綺麗な言葉で誤魔化してるだけだ」――七瀬の毒舌は、和弥の心を抉り、憎悪を引き出す。和弥は「嫌いだ」と叫び、七瀬を突き放して階段を駆け下りていく。 「……本当、バカだよな。お前も、俺も」 七瀬は独り言を漏らすと、和弥が触れた手首を愛おしそうに、そして自嘲気味に強く握りしめた。 その指先に残る熱は、嫌悪という仮面の下で燃え盛る執着の証だった。 毒を吐き続けることでしか伝えられない――「好きだ」という言葉を、七瀬は永遠に飲み込んだまま、胸の奥で腐らせていた。

何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか

BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。 ……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、 気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。 「僕は、あなたを守ると決めたのです」 いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。 けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――? 身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。 “王子”である俺は、彼に恋をした。 だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。 これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、 彼だけを見つめ続けた騎士の、 世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。

処理中です...