silvery saga

sakaki

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三話前編

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***
野宿が当たり前の旅人にとって、ふかふかのベッドで朝を迎えられるのは幸せなことだ。隣りに愛しい人がいれば尚のこと。
窓から差し込む日の明かりで目覚めたブラムシヴァーズは、自分の腕の中の人物をぼんやりと眺めていた。
(なんでユアンと一緒に寝てるんだ?)
昨夜は全員同室ではあったが、当然別々のベッドで眠りについた。なのになぜこうして腕枕までして身を寄せ合っているのか。
(うーん、覚えてねぇな)
寝ぼけた頭で考えてみるが、やはりこうなった経緯は一切思い出せない。思い出せないのだから、つまりは色っぽい展開は一切なかったという事なのだろう。
(寝顔、可愛い)
柔らかい髪を撫でると、ユアンはほんの少し擽ったそうに身を捩り、またすぐに心地良い寝息を立てる。腕の中で幸せそうに眠るユアンの姿はまさに極上。
ブラムはユアンを起こさないように気を付けながら、視線を合わせる様に少しだけ体勢を変えた。指先でユアンの唇に触れ、その柔らかさを確かめてからゆっくりと顔を近付ける。が、
「痛ってーーー!!」
唇に辿り着く前に、ブラムは悲痛な叫び声を上げる事となった。あまりの痛みに飛び退き、目を覚ましたユアンにしがみ付く。
「どうしたんです?」
「背中噛まれた・・」
キョトンとしながら尋ねるユアンに、ブラムは涙声になりつつ答える。ユアンは隣に目をやると、クスクスと笑った。
「リギィが寝ぼけて噛んじゃったんですね」
歯型が残っているであろうブラムの背中を優しく撫でる。
ユアンに夢中で気付かなかったが、このベッドに寝ていたのは三人だったようだ。リギィは未だ小虎の姿のまま涎を垂らして眠っている。
(ホントに寝ぼけてたのか?妙にタイミングが良かったぞ)
ブラムが恨みがましく睨むと、リギィはぼんやりと目を開けた。身体から淡い光が溢れ、徐々に人間の姿に戻っていく。
「お、お、お前ら、朝っぱらから何してんだよ!?」
勢いよく飛び起きたかと思うと、真っ赤な顔で二人を指差して上擦った声で叫んだ。
ブラムはユアンに覆い被さり、ユアンはその背に腕を回しているというこの状況を完全に誤解しているようだ。
「何もしてねーっつの」
ため息交じりに呟き、ブラムも体を起こした。

***
三人は町評判のレストランにいた。朝食を食べながら次のルートについて話し合うのがお決まりの流れなのだが、今朝はそれよりも先に確認しておきたいことがあった。
「なんで俺ら仲良く3人で一緒に寝てたわけ?」
冷製スープを飲みながら、ブラムが尋ねる。
「オレ知らないぞ」
リギィはハンバーガーを頬張って首を振った。
ブラムのベッドに入り込んでおいて知らないはずはないだろうと言いたいところだが、リギィのことだ。どうせ寝惚けていたのだろう。
「夜中にドサッて音がして目が覚めたらリギィがベッドから落ちてて、抱っこして戻してあげようと思ったら自分で起きてブラムのベッドに上っちゃったんですよ」
ユアンがサラダのトマトを飲み込んでから顛末を説明する。やはり予想通りだ。だがそれだけでは説明がつかないのは、
「ユアンはなんで一緒に寝てたんだ?」
これだ。今度はリギィが問いかける。ユアンは屈託ない笑みを浮かべて答えた。
「二人が仲良く寝ているのを見たら羨ましくなったので、僕も仲間に入れてもらっちゃいました」
リギィを抱いて彼のベッドに戻してやるという発想はまるでないのがユアンらしい。そして更に、
「ブラムが抱き寄せてお布団に入れてくれたんですよ」
嬉しそうに言うユアンに、ブラムはスープを吹き出しそうになった。
(それで腕枕してたのか)
寝惚けていたのはブラムも同じだったようだ。リギィには怪訝な顔をされたが、ユアンが嬉しそうなので良しとしておこう。
食事を終えると、テーブルに地図を広げ、いよいよ本題に入った。
次の目的地であるラジンの町に行くためには、山沿いを東に歩き、大きく迂回するようなルートで進めば2日程の野宿で辿り着けるはずだった。しかし、予定通りに行かないのが旅の厄介な所だ。
「ここの森んトコ、年々広がってきてるらしくてな。予定してたルートだと町に着くまで1週間は掛かるんだと」
地図を指差しながらブラムが言う。宿屋の娘から聞き知った情報だ。
「ってことは、1週間野宿か」
リギィが顎に手を当ててふむと頷く。
「野宿最長記録ですね」
ユアンは1週間連続野宿という未知の領域には不安を隠せないようだ。ブラムとしても、リギィはともかくユアンにそんな苦労をさせたくはない。
「そこで、だ。こっちだと地図にはねぇけど途中に村があるらしくてな、が。野宿は1、2日で済みそうなんだ」
再びブラムが地図を示す。指先にあるのは聳え立つ山だ。
「ま、結構標高あるし、楽ではねーけど」
要は険しい近道か平坦な遠回り、どちらを選ぶかという話だ。
「山登り!すっげー楽しそう!!」
「僕、山登りするの初めてです」
リギィもユアンも好奇心に満ちた瞳を輝かせる。満場一致で険しい近道に決定したようだ。
「そういやブラム、一体いつの間に宿屋のねーちゃんと仲良くなってたんだ?」
一頻り話し合いが終わった後、リギィが訝しげに尋ねた。
「あぁ、それは」
さらりと答えようとしたブラムだが、こちらを見つめているユアンの澄んだ瞳にハッとした。
「いや、まぁ、ちょっと話しただけだけどな。色々親切に教えてくれたんだよ」
当たり障りのない言い回しで逃げてみる。
「へぇ~。それにしちゃあ、向こうはミョーに別れがたそうだったよな~」
宿屋を出た時のことを思い返しているらしく、リギィは益々眉を顰めてブラムを見やる。
「・・・?」
ユアンは不思議そうに首をかしげている。全くピンときていないらしいのが幸いだ。
「うっせぇんだよ、ガキ」
「痛ててててっ!」
ブラムはリギィの耳を引っ張って黙らせるのだった。

***
登山を開始してから1時間。
道なき道を進むのは楽ではないが、初めての山登りに心躍らせるリギィには苦にならなかった。周りの木々や花々、そして虫たちを見ていると幼い頃に育った場所を思い出す。途中で野生の熊や猪も出没しても、ブラムが簡単に追い払ってくれるから安心だ。かくいう今も、襲いかかってきた盗賊を瞬時に薙ぎ払ったところだ。
「なぁなぁ、なんでブラムはそんな強いんだ?」
耳をピクピクと動かしながらリギィが尋ねる。剣に触れたことすらないリギィにとっては、ブラムの戦い方はまさに神業のように見える。
「そうだなぁ、」
ブラムは少し考えるような仕草をしながら後ろを歩いていたユアンに歩み寄ると、その肩をふわりと抱き寄せて悪戯な笑みを浮かべた。
「番犬は強くなきゃご主人様を守れねーからな」
「それ答えになってねーし」
堂々と言ってのけるブラムに、リギィは呆れ顔でツッコミを入れる。真剣に聞いた分損をした気持ちになった。
「じゃあもう教えてやんねー」
ブラムは子供の様に舌を出す。どうにも強さの訳を話してくれるつもりは無いようだ。
リギィは思わず剥れたが、ユアンは二人のやり取りを見て楽しそうに笑った。ブラムはそんなユアンの肩を抱いたまま、愛しそうに銀髪を撫でている。
(またイチャついてるし)
お互いの顔を近付けて笑い合う二人の様子を眺め、リギィは密かに口を尖らせた。
今朝の一コマ然り、リギィが見る限りユアンとブラムはいつもこの調子だ。
前に一度ブラムから二人が恋人ではないのだと聞いたが、何せこの調子なのでリギィはどうにも疑っていた。
ブラムがユアンを過保護すぎるほど大切にしているのは明らかで、出会ったばかりの頃はリギィにも再三“ユアンに惚れるな”と釘を刺していたものだ。ユアンはどう思っているのかはっきりしないが、ブラムと一緒にいる時の安心しきった表情は特別な信頼を寄せている証なのだろう。
(番犬かぁ・・・オレもブラムみたいに強かったらユアンのこと守れるのになぁ)
ふと自分の頼りない腕を見やり、リギィはしょんぼりと耳を垂れた。
腕も足も胸板も、ブラムと比べれば何とも細くひ弱な事か。そしてなにより、ちんちくりんなこの身長が嫌いだ。ブラムと比べるまでもなく、ユアンよりも低いのだ。ユアンに頭を撫でてもらえるのは嬉しいが、子供扱いをされているようで切ない。
(もっと背伸びて、もっと鍛えて、そしたら、オレもブラムみたいにユアンのこと・・・)
あの柔らかい銀髪を撫でたり、華奢な肩を抱き寄せたり、腕枕をして眠ったり、それから・・・
(な、な、な、な、なに考えてんだ、オレ!?)
一頻り妄想を膨らませた後で、リギィは茹蛸のように真っ赤になった。気を取り直すように顔を上げると、待ち構えていたブラムに額を叩かれた。
「なに一人で百面相してんだよ?」
「落ち込んだり笑ったり赤くなったり大忙しですね」
ブラムは怪訝そうな顔をして、ユアンはくすくすと笑っている。
「な、なんでもないっ!!」
リギィは何度も何度も首を振った。

***
山道は頂上に近づくにつれ、益々困難なものとなった。標高が高い所為で霧も深い。霧なのか雲なのかすらもはや分からないが。
体力には自信があり、足場の悪さにも慣れているブラムはそんな状況であってもまだまだ余裕だ。リギィも流石獣人族というべきか、それとも遠足に来た子供的感覚のためか、終始ハイテンションで元気が良い。ユアンも何とか歩き続け、ブラム達のペースに付いて来ている。少しでも辛そうにしたらすぐおぶってやろうと考えていたのだが、この分ではどうやらその必要もなさそうだ。
一際ゴツゴツとした岩場を暫く踏み越えていると、不意に幾分か平坦で歩きやすい地面へと変わった。どうやらここからは人の手が加わっているらしい。それはようやく頂上が近いことを意味していた。
頂上にたどり着くと、来た道と反対側に向けてはずっと道が舗装されているようだ。反対側に下って行けば途中に村があることがその理由だろう。
「うわー、すっげぇキレ―!!」
疲れ知らずのリギィが嬉々として叫ぶ。
グッドタイミングというべきか、霧が晴れてきたため頂上からの景色は忽ち絶景へと変貌を遂げた。遠くの町や海、かのリングファット城まですべてがミニチュアサイズで一望できる。
(うへぇ・・・懐かしー)
久々に目にした城の姿に、ブラムは思わず顔を引きつらせた。
失踪事件を起こしてからまだ数か月ほどしかたっていないのだが、なんだか随分と懐かしい。手配書までバラまいて近衛騎士団長を探している城側の人間からすれば、まだまだ過去の話ではないのだろうが、ブラムにとってはかつての部下のことも、主君や従者たちのことも思い出すことはない過去の遺物だ。
ただ唯一、気になることがあるとすれば、あの聖母画はまだあの場所に飾られているのか、変わらず神々しい美しさを纏っているのだろうか・・・そんな事だ。
殆ど無意識に目を閉じて思い返し、そしてふと自分の愚かさに苦笑した。絵など思い浮かべる必要はない。今は正真正銘の本物が傍にいるではないか。
「大丈夫か!? ユアン!」
突然リギィが慌てふためいて叫ぶ。
見れば、リギィの傍らでユアンが膝を付いていた。
「おい、どした?」
すぐにブラムも歩み寄り、ユアンの身体を起こす。
「す、すみません、何だか眩暈が・・」
ユアンは申し訳なさそうに答えた。その顔は真っ青で、唇からも血の気が引いている。どことなく息遣いも荒いようだ。
「熱も出てるな。ったく、いつから無理してたんだよ」
ユアンの額に手のひらを当てて、ブラムは呆れたように言う。
その言葉にリギィは益々動揺したようだった。泣きそうな面持ちになりながら、何度も“大丈夫か?”と聞いている。
「おやおや、そりゃ高山病じゃないかい?」
リギィの様子に驚いて、一人の男が近付いてきた。鼻髭を蓄えた恰幅の良い男だ。
「こうざんびょうってなんだ?大丈夫なのか?」
リギィが困惑した様子で尋ねる。ブラムは答える余裕もなく、ユアンを抱きかかえて立ち上がった。
「すぐに下山するぞ。ここより標高の低いトコに連れてかねーと」
冷静なふりをしてはいるが、内心かなり動揺している。ユアンに無理をさせるのは一体これが何度目か。自分の甘さが歯痒い。
ブラム達の様子を微笑ましく見ていたのは先ほどの男だ。
「案外、高山病じゃなくておめでたかもしれないね。兄ちゃん隅に置けないねぇ」
目尻を下げて笑い、からかうようにブラムを肘でつつく。
「いや、それは百パーありえねー」
ブラムはげんなりして言い切った。
「ユアンはこう見えても男なんだぞ」
「おや、そうかい」
リギィの説明に、男は髭を撫でながら目を丸くする。
(おめでたどころか、こちとらキスすらしてねーんだっての)
ブラムは心密かにぼやいた。
苦しそうにしているユアンを見やり、先を急ぐべく歩き始める。リギィもそれに続き、そしてなぜか鼻髭男も付いてきた。
「わしはコロネだ。この先の村で宿屋をしている。村までの最短ルートを案内してやるよ」
どんと胸を叩き、得意満面という表情で先を行くブラムの前に躍り出る。そして言った。
「村に着いたら是非うちの宿へ来ると良い。三部屋くらい空いとるからな」
がっはっは、と豪快に笑う。こんな所で客引きかとツッコみたいところだが、今は何よりユアンが最優先だ。
「よろしく頼むぜ、おっさん」
コロネの言葉に素直に従い、一行は大急ぎで村へと向かった。

***
コロネの案内する道は、最短ルートというだけあって30分ほどで目的地に着くことができた。その分、到底人が歩けるとは思えないような文字通りの獣道を通ったり、崖と思わしき場所から何度も飛び降りをさせられる羽目にはなったが。
そんなこんなで辿りついたメトンの村は、ブラムが以前暮らしていたクジ村よりもさらに細々とした小さな集落だった。観光になるようなものは何もなく、ただこの村の人々が暮らすための店がぽつぽつと並んでいる程度だ。
コロネの宿屋はこの村で唯一旅人を迎えるための宿泊施設で、実にこじんまりとした建物だった。当然ブラム達の他に客がいる気配もない。
コロネが帰宅すると、彼の奥さんと従業員と思わしき若い女性が出迎えてくれた。
「これまたキレ―なねーちゃんだな、ブラム」
コロネがブラムの代わりに宿帳を書いてくれている間、従業員の女性を見たリギィがぼそりと呟く。その言葉には何処となく嫌味を含んでいるようだ。サルースの宿屋の娘のことを思い出したのだろう。
「大概しつけーよな、お前」
ブラムは頭を抱えた。咄嗟に腕の中のユアンの様子を伺うが、当のユアンはそんな事を気にするような余裕はなさそうだ。目を閉じたままぐったりとブラムに寄りかかっている。
「ユアン、すげー辛そう」
リギィが心配そうに覗き込む。
「大丈夫ですよ。心配しないで」
ユアンはゆっくりと瞼を開くと、言い聞かせるように囁いてリギィの頭を力なく撫でた。
(こんな時まで無理して笑うなっての)
ユアンの力無い微笑みに、ブラムは密かにため息を漏らす。
「ほれ、部屋の鍵だよ」
コロネがのしのしと歩み寄り、三部屋分の鍵を差し出した。
山頂で会った際に“三部屋くらいは空いている”と言っていたが、正確には“三部屋しかないが全室空いている”だったようだ。部屋の場所は説明するまでもなく、宿帳のあるカウンターからすぐ見えるところに3つ並んだ扉がある。
「さんきゅな、おっさん」
リギィが礼を言いながら鍵を受け取る。
早速部屋に向かおうとしていると、不意に女性に呼び止められた。
「あの、そちらの方もしや」
恐る恐るという風にこちらに歩み寄り、ブラムの腕の中のユアンを見つめる。そして、次の瞬間その顔は確信と驚愕に染まった。
「ロザリア様!」
奮える声で呟く。ユアンが嘗て呼ばれていた名前だ。この名こそ誰もが知っているが、ユアン本人を見てそう呼ぶのは、教会に深い関わりを持つ者だけ。
(誰なんだ、この女・・?)
ブラムは思わずユアンを抱く腕に力を籠めて身構える。だが、
「ハンナ・・・?シスターハンナですか?」
ブラムの心配をよそに、ユアンは懐かしそうに微笑んで、女性に向かってゆっくりと手を伸ばした。ハンナと呼ばれた女性はその手を取ると、祈るように自身の手を頭上に掲げて見せた。
「ロザリア様、よく御無事で」
瞳を潤ませ、益々震える声でハンナは言った。 
「なぁ、このねーちゃん知り合いなの?」
「さぁ」
不安そうなリギィが小声で尋ね、ブラムも眉を顰めて首を傾げた。さっぱり事情が分からない二人はすっかり蚊帳の外だ。
そんな空気を感じてか、コロネがずいっと割って入った。
「ハンナ、話は後にして高山病の薬を取ってきてくれ。お前さんも、早く寝かせてやらないと可哀相だぞ」
パンパンと手を叩き、急かすようにハンナとブラム双方の背を押す。言われるままに、ブラムは急ぎ足でユアンを部屋の中へと運び込んだ。

***
シスターハンナは、ユアンがかつて聖女ロザリアとして身を寄せていたグランストア修道院に暮らす修道女の一人で、ロザリアの世話係だった。
グランストア修道院では、修道院の責任者であるシスターグレイスを母代りとして、皆家族のように仲睦まじく暮らしていたそうだ。
ハンナは件のレイリアスの事件以降、失踪したロザリアを探して旅に出たのだという。
「ハンナはロザリア様のご無事を何よりも祈っておりました」
薬を差し出しながら、ハンナは瞳を潤ませて言った。
世話係というその申告通り、ハンナは献身的にユアンの看病に当たり、着替えの準備に、手製のおかゆにすりりんご、氷枕と慣れた様子で動き回っている。
ブラムとリギィもずっとついてはいるのだが、ハンナのお陰ですっかり出る幕はない。リギィは部屋の端に、ブラムはベッドの傍らに所在なく座っていた。
「ロザリア様、他にも何かハンナにできることはございますか?」
ベッドに横になっているユアンの額にタオルを乗せ、ハンナが尋ねる。
「いえ、もう充分です。ありがとう・・・」
ユアンは弱々しい笑みを浮かべて答えた。
再会を喜んでこそいるが、ハンナの勢いに飲まれているようにも見える。ユアンすらそうなのだから、傍から見ているブラムとリギィも気圧されていた。
(流石、聖女ロザリア様だな)
ブラムは無意識ながらに煙草を取り出そうとしてすぐに戻した。幾らブラムでも病人の傍で吸う気にはならない。
(俺にとってはもう、ユアンはユアンなんだけどな)
信仰の対象にすらなる聖女様とそれに傾倒する者・・・ハンナの献身ぶりに、改めてユアンがあのロザリアなのだと思い知らされた気がした。聖母画を思い返した時しかり、どうにもブラムはユアンとロザリアを同一視出来ないようだ。初めこそロザリアの存在を強く感じていたのだが、今は殆ど意識することはない。
(絵に描いた聖女様は、あんな強がって分からねぇしな)
ハンナを気遣って無理に笑顔を浮かべようとしているユアンを見やり、ブラムはそっと苦笑した。
「ほらほら、お前さんたち。いい加減に病人をゆっくり寝かせてやれ」
トントンと軽いノックの後でコロネが大きな身体を覗かせた。
「もうそろそろ晩飯の時間だ。飯でも食ってきたらどうだね?この宿の隣に美味しい山菜を使った料理屋があるぞ」
「そんなに美味いの!?」
リギィはパッと表情を明るくする。ユアンを心配してずっと耳を垂れていたのがウソのようだ。
「美味いぞ。私の兄がやっている店だ」
コロネがドンと胸を張る。
(このオッサンほんっと大した商売人だな)
ブラムはげんなりしつつ、それでもすっかり出掛ける気になっているリギィに続こうと立ち上がった。
だが、
(ん?)
不意に服を引っ張られ、不思議に思って視線を移すと、布団から少しだけ手を出したユアンがブラムの服の裾を握っていた。眉尻を下げてこちらを見つめ、何とも物言いたげな表情を浮かべている。
ブラムはリギィ達には見えないようにユアンの手を握った。
「お前は好きなもん食って来いよ。俺はユアンについてるから」
誤魔化すように笑みを浮かべ、早く行けと促す。反論してくるかと思ったが、山菜料理の誘惑と度を越えた空腹により、リギィは素直に部屋を出て行った。
扉が閉まったのを確認すると、ブラムはため息を漏らして椅子に腰を下ろした。そしてユアンの手を改めて握り直す。
「なーに不安そうな顔してんだよ」
手を握っているのとは逆側の手でユアンの頬に触れる。ユアンは擽ったそうにしながら、身体ごとこちらに向き直った。
「我侭、しちゃいました」
いつもよりも力ない口調で、それでも悪戯っぽく言ってのける。熱の所為だとは分かっていても、色付いた頬や潤んだ瞳にドキリとさせられた。
「こんな我侭ならいつでも大歓迎だって」
自然と表情が緩むのを感じながらブラムは囁く。ユアンの頬に触れていた手を髪へと滑らせ、ゆっくりと撫でた。体勢を変えた時にずり落ちてしまったらしいタオルを載せ直し、何度も艶やかな銀髪の柔らかさを味わう。
「なんだか、初めて会った時みたい」
与えられる感触に目を閉じ、再び目を開けてからユアンが言った。
出会ってすぐの頃、魔力が枯渇して弱り切っていたユアンをベッドに寝かせ、こうして髪を撫でたことがあった。あの時のブラムは、あの「ロザリア」が目の前にいることにただ戸惑い、困惑していたものだ。
「そうだな」
ブラムも頷く。だが、あの時とは確実に違う。今こうして自分の前で安心しきった顔をしているのは「ユアン」で、ブラムが感じているのは愛しさだ。
「ブラム」
「ん?」
不意に名を呼ばれ、ブラムはその甘やかな声に耳を傾ける。ユアンはブラムの手を自分に引き寄せ、噛み締めるように言った。
「今夜は・・・何処にも行かないで」
銀色の瞳が揺れる。思いがけない言葉に驚きながらも、ブラムはゆっくりと頷いた。

***
1時間ほど経ったのだろうか。ブラムが顔を上げると、すっかり日の落ちている窓の外の景色が目に入った。どうやら、ユアンの寝顔を眺めているうちに、つられて眠ってしまっていたらしい。
ベッドの中のユアンは尚も心地よい寝息を立てている。その手にはしっかりとブラムの手が握られたままで、何だか意地らしく見えた。
(タオル、濡らしてやんねーと)
ユアンの額からずれ落ちているタオルを手に取ると、もうすっかり乾いていた。
汗ばんでいるために額に張り付いている銀髪を丁寧に除け、起こしてしまわない程度に優しく撫でる。そしてそのままそっと額に唇を落とした。
コンコン。
(うぉっ!?)
タイミングよくノック音が響き、ブラムは反射的にユアンから離れた。握られていた手をゆっくりと離してからノックの主に返事をすると、首尾よく水を張った洗面器を抱えたハンナが顔を見せた。
「あとは私が付いていますから、貴方もお食事に行かれては?」
聊か愛想のない声でハンナが言う。
「いや、でも」
「大丈夫ですから」
ブラムの反論はハンナにピシャリと言い捨てられる。一応笑顔ではあるが、ブラムに対して好意的ではないことは明らかだ。
(仕方ねー・・・かな)
ブラムは苦い顔をした。
ハンナにとっては、ブラムなど差し詰め纏わりつく悪い虫なのだろう。ユアンに付いていてやりたいところだが、ここはハンナの気持ちを酌むべきか。
ブラムはユアンを一瞥し、溜息を噛み殺してから再度ハンナに向き直った。
「それじゃあ、ちょっとの間だけお願いします」
笑顔を作り、礼儀正しく頭を下げる。
どうせリギィが食料を買い込んでいるであろうし、それを貰ってすぐに戻れば、ユアンが目覚める頃にはまた傍にいてやれるはずだ。
「すぐに戻りますんで」
ハンナの刺すような視線に負けじと、ブラムは笑顔を向けた。

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