silvery saga

sakaki

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一話後編

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***
翌日、何とか眠り姫にはならなかったユアンを連れ、ブラムは山道を歩いていた。
道こそ悪いが今の所は何事もなく、散歩のような道のりだ。
「少し休むか。おばさんの作った弁当もあるし」
少し遅れて歩くユアンを振り返る。
そろそろ歩き続けて2時間ほど。いつ倒れてしまうか分からないユアンが心配になった。
「はい・・・」
ユアンはブラムの言葉に頷き、申し訳なさそうな表情をした。
「僕、足手まといになってますね。僕のために連れて来てくれてるのに・・・」
少し汗の滲んだ額に掛かった髪をかき上げながら言う。
「俺が勝手にやってんだから気にすんなよ」
ブラムは自分よりも20センチほど低いところにある頭を撫でた。
銀色の長い髪は緩い編みこみになっている。泉の事をユアンに話している隙にミネルバが結ったのだ。ユアンが着ている服もミネルバの見立てだ。自分が若い頃、冒険家だったころの服を引っ張り出してきたらしい。
昨日のネグリジェのようなフリフリではないが、ショートパンツの丈が非常に短いのが気になるところ。
「昨日の傷、もう跡形もないんだな。」
並んで木陰に腰掛けたブラムは、目前に惜しげもなく晒された太腿を眺めて呟いた。
昨日は痛々しく血に塗れていたのだが、今は見る影もない。真っ白で滑らかで柔らかそうで、
(触り心地が良さそうだな・・・って、違うだろ俺)
ついつい手が伸びそうになるのを誤魔化して、代わりにミネルバお手製のサンドイッチを手に取った。
ブラムの下心など全く気付かないユアンも同じくサンドイッチに手を伸ばす。
「ミネルバさんもブラムさんも、本当に優しい方ですね」
しみじみと呟いて、改めて感謝の言葉を述べた。
「優しいっつーか、単にお節介だな。おばさんのは特に」
ブラムは水筒に入ったスープをユアンに注いでやりつつ、キセルを吹かすミネルバを思い浮かべた。
「得体の知れない俺を拾って、事情を知ってからは城の連中からも匿ってくれてる。本当に感謝してるよ」
“けど、”とブラムが続ける。
「俺の方はそんなにイイヒトじゃねぇな。美人は守る、ただそれだけ」
冗談めかして言いながら、ユアンの頬に指先で触れる。ユアンは少しキョトンとした後で、くすくすと笑った。
(うわ・・可愛いじゃねーか)
初めて見る笑顔に思わず見惚れる。記憶にある大司教ロザリアの笑みとはまた違っていて、随分と愛らしい。
「僕の顔に何かついてます? 」
「いやいや、何でもねぇ」
つい凝視していたことを誤魔化し、ブラムはまた一つサンドイッチを平らげた。

***
食事を終えて再び歩き始めた二人。
しかし目的地の泉にはまだまだ辿り着けていなかった。
「やっぱりこの地図じゃなぁ・・・」
ブラムが弱音を吐く。
唯一泉の場所を知っているミネルバが用意してくれた地図は、村と目的地が矢印で結ばれているだけのラクガキだ。
「川が左側だから、きっと方向は間違いないですよね・・・」
ブラムに身を寄せるようにしてユアンが地図を覗き込む。
「お前、顔色悪くなってきたな・・・」
近付いてきた顔が色味を失っている事に気付き、ブラムは溜息を漏らした。
「え? あっ!」
突然お姫様抱っこにされたユアンは驚く。ブラムはお構いなしにそのまま歩き出した。
「昨日みたいに限界まで我慢される方が困るからな。泉に着くまでこれで行くぞ」
悪戯っぽく笑ってすいすい進めば、ユアンも諦めたようで力を抜いて身を委ねてくれた。
「そういえば、昨日の話が途中でしたね」
ユアンが思い出したように言う。
大司教であるユアンがここにいる理由を、昨夜は結局聞きそびれていたのだ。
「レイリアスという街を知っていますか?」
尋ねられ、ブラムは頷く。
「レアナ大聖堂が出来る街だろ? あ、いや。もうとっくに出来上がってるのか。」
言いながら、建造中だったのは自分が城にいた頃の話だったと気付く。
レアナ大聖堂は、リングファット王が姫の婚礼を記念して造らせた、第二の城とも噂されるほどに贅の限りを尽くした文字通りの『大聖堂』である。
姫の結婚相手である近衛騎士団長がいなくなってしまったのだから婚礼は白紙だろうが、大聖堂は予定通り完成したのだろう。
「レアナ大聖堂は一月前・・・完成記念式典が行われたその晩に、跡形もなく消えました」
ユアンの言葉に、ブラムは目を見開く。
ミネルバが話していた、あの事件を思い出した。
「新聞に出てた、ひと月前に魔獣かなんかに跡形もなく吹っ飛ばされた街ってのは、それのことか?」
詳しく読んではいないので街の名までは分からなかったが、確か“大きな教会がある街”と言っていたはずだ。
心当たりを口にすると、ユアンは少し考えるような表情を浮かべてから頷いた。
「きっとそうなのでしょうね。魔獣の仕業ではなかったのですが」
すっかり赤みの失せた唇が震える。
「街を吹き飛ばしたのは僕なんです」
悲しげな瞳で、ユアンは驚くべき事実を語り始めた。

大司教ロザリアとしてレアナ大聖堂の完成式典に招かれ、司祭たちに逗留を求められた。城から招かれた人々によって盛大な宴が行われており、すっかり夜も更けていたため求めに応じてひとまずは一宿することとなった。伴はおらず、一人きり・・・そうなったのが間違いだった。
部屋に入った途端に、司祭や城からの賓客たちに囲まれ、四肢を抑えつけらえた。昼間見る顔とは全く違うその男たちの表情。ユアンは言いようのない恐怖を覚えた。
「ちょ、ちょい待ち。それってつまり・・・」
途中まで聞いたところで堪えきれず、ブラムが口をはさむ。
ユアンは頬を染め、実に言い辛そうに瞳を伏せた。
「その・・・無体なことをなさろうとして・・・」
(マジか・・・)
ブラムはサーッと青ざめた。
仮にも教会に勤める司祭たちが、よもやまさか聖女ロザリアを集団で犯そうとした。しかもその中には城の連中もいたとは。
ユアンはさらに言葉を続けた。
「宴の時に薬を盛られていたようで、体の自由も利かず、声も出せませんでした」
それでも何とか抵抗をしようと必死だった。
そしてその結果が、魔力の暴発。
気付いた時には自分を襲っていた男達は愚か、大聖堂も街すらも跡形なくなっていた。瓦礫さえも残さずに、ただの塵となって風に消えた。
「そんな罪深いことをしておきながら逃げ出して・・・今ここにいるんです」
恐る恐るという風に顔を上げ、ユアンはブラムを見つめた。
揺れる銀色の瞳に胸がざわつく。ブラムはユアンを包み込むようにしてよりいっそう抱き寄せ、そのまま額に口づけた。本当は慰めに髪を撫でてやりたかったが、生憎両手が塞がっているのでその代りだ。
「それでお前を拾えたんだから、俺にとっては罪じゃなくて幸運だよ。・・・超絶不謹慎だけど」
悪戯っぽく舌を出して見せると、ユアンは困ったように微笑んだ。
ユアンは笑っている顔の方がいい。ブラムは心の内でそんなことを思うのだった。

***
さらに川沿いに歩き続けること数十分。
ユアンの顔色は益々悪くなっていた。口数も減り、ぐったりとブラムの胸元によりかかるようにしている。
(・・どこにあるんだよ。)
腕の中のユアンを見る度に気が逸る。一度引き返そうかとも考えたが、それでは元の木阿弥だ。歩いた時間から考えてもそろそろのはずなのだが。
「よぉ、ご両人。こんな所までデートかい?」
突如男が立ちふさがった。下卑た笑顔でブラムとユアンを交互に見やる。
それを皮切りに、ぞろぞろと男たちが現れた。裾の切れた歪な衣服を纏い、頭には揃いのバンダナを巻いている。どうやら山賊らしい。
「よく見りゃ昨日俺らの邪魔してくれた兄ちゃんじゃねぇか」
そのうちの一人が言う。後ろから2人の男も姿を見せ、その言葉に同意した。
昨日ユアンを襲おうとして、ブラムに秒殺された3人組だ。
「その女、流浪の民だったのか」
「流浪の民は金になる。頭が喜ぶぞ」
“金になる”というキーワードで山賊の数はざっと倍に増えた。一体どこから湧いてくるのか、次から次へと似たような風貌の男が現れる。
気がつけば2人はすっかり囲まれていた。
(『女』ではないんだけどな・・・)
ブラムは腕の中のユアンを見つめる。
少し迷った後でゆっくりとユアンの身体を地面に下した。
「ちゃっちゃと片づけるから、ちょっとだけ待ってろ」
ユアンの顔を両手で包むようにして、目前で囁く。
「はい。気を付けて下さいね」
ユアンは頷き、心配そうにブラムを見つめた。
「二人の世界作ってんじゃねーよ!!」
山賊たちに総ツッコミを喰らってしまったがそんなことは気にしない。
立ち上がり、腰に差していた剣を抜く。
「山賊なら手加減しねぇぞ」
その口には笑みが浮かんでいるが、纏っているのは殺気だ。
剣を握ったその瞬間から、嘗てフェンリル狼に擬えられた屈強な騎士の顔になる。
様々な武器を手に襲い来る山賊達だが、所詮ブラムの敵ではなかったただその数だけは大したもので、倒しても倒しても次々に新たな輩が溢れ出てきた。
(キリがねぇな・・・。)
ブラムもあまりの数の多さに焦れ始めていた。
「ブラムさんっ!!」
背後で木々が揺れる音がしたと思った次の瞬間、ユアンの声が響いた。
「魔獣だ!!かなりでかいぞ!!」
ブラムが振り返るよりも先にその姿を捉えていたらしい山賊の一人が叫ぶ。その視線の先には、聳える木々を遥かに凌ぐほどに巨大な獣が現れていた。
全身は毛に覆われ、手足の長く鋭い爪が目を引く。だらしなく開いた口からは黄みがかった牙が覗き、瘴気を含んだ涎が垂れ続けている。
そしてその左手には、力任せに握られたユアンの姿があった。
「ユアン!!」
さらに魔獣はこちらに向かってくることなく一目散に森の中へと駆け出してしまった。周りの木々を薙ぎ倒しながら進むその巨体からは、想像もできないほどの速さだ。
「くっそ、あの野郎!!」
ブラムは全力でそれを追う。山賊達も獲物を横取りされては困ると、大慌てで後に付いて駆け出した。
「このデカ熊っ!!ユアンを返せ!!」
ブラムが魔獣に向かって剣を投げる。照準を合わせたのはユアンが握られている左手だ。
「グアァァァァッ!!」
狙い通りに命中し、魔獣は雄たけびを上げてユアンを放り投げた。
そう、“放り投げた”のだ。
「げっ、しまった!!」
気付いた時はもう遅い。ユアンの身体が宙を仰ぐ。ブラムが抱きとめるには、まだまだ距離がありすぎる。
「ユアンッ!!!」
ブラムは全速力で駆け出した。
だが、次の瞬間思いがけない水音が響いた。
「これは・・泉か!?」
ようやく追いついたその場所には、薄い緑青の泉が広がっていた。
運がいいというべきか、ユアンは泉に落ちたらしい。
「グルルルルッ」
「うわっ!」
腕を刺されて逆上した魔獣が今度は一目散にブラムへと向かってくる。
先ほどの剣はへし折られ、無残に投げ捨てられている。
(ユアン・・上がってこねぇ)
地面を割るほどの魔獣の攻撃を避けながらも、泉に意識を向ける。水面が揺れてはいるが、落ちたと思われるユアンは一向に浮上して来なかった。
(溺れたのか・・・やべぇな)
すぐにでも飛び込んで助けに行きたいが、目の前の化け物がそれを許してはくれない。
「くっ!」
長い爪がブラムの頬を掠る。こんな小競り合いをしている暇はない。気ばかりが急いていた。
「うわ、戦ってやがる」
「流浪の民がいねぇぞ」
ようやく追いついてきた山賊達が言う。
ブラムはその内の一人から短剣を奪い取った。
「ちょっと借りるぞ」
手にした武器は、先ほどまでブラムが持っていたものの半分程度しか刀身が無い。山賊達は口々に困惑の声を上げた。
「おい、そんなもんでどうすんだ? 」
「なまくらもいいとこだぞ!」
「あのデカブツには刺さりもしねぇ」
「にーちゃん死ぬぞ!」
だがブラムはお構いなしだ。
短剣を振りかざし、こちらに向かってくる巨体を真っ向から捉えた。
「お前に構ってる暇はねぇんだよ」
呟くのと同時に、ブラムの瞳が金色に変わる。放たれたあまりの殺気に、魔獣の動きが一瞬緩んだ。
その隙を逃さず、ブラムは魔獣の遥か頭上に飛び上がる。脳天を目がけ、思い切りその刃を突き立てた。
「ギャアァァァァァァァッ!!」
断末魔の叫びと共に、魔獣の身体は真っ二つに引き裂かれる。
地面に着地したブラムの瞳は元の黒色に戻っていた。
「ウソだろ・・あんな短剣で・・・」
「あいつも化け物だ!!」
「こ、殺される!!」
腰を抜かした山賊達は一斉に逃げ出す。
そんなことには一切構わず、ブラムは短剣を投げ捨てて一目散に泉へと飛び込んだ。
飛び込んで初めて泉の水深を知る。澄み切った水なのにもかかわらず、水底が見えない。(・・ユアン!)
少しの間見回して、ようやくその姿を見つけた。ユアンはぐったりとして動かず、ただ浮かんでいるだけだ。
(ウソだろ・・)
嫌な予感がして、早くその身体をすくい上げようと水をかく。けれど水流の所為でうまく近づけない。
(・・・なんで泉なのに流れがあるんだ? )
ふと、自分を邪魔している水の流れに疑問を抱く。冷静になって周りを見ると、水がどんどん速度を上げて渦を巻いていた。
(水が・・干上がっていくのか? )
事実に気付いた頃、ようやくユアンに手が届いた。
すっかり強くなった水流に流されないようにその身体を抱きしめる。その途端、さらに水流は激しくなり、何かに吸い込まれるかのようにどんどん水嵩は減って行った。
そしてついには、水底に足をついても呼吸ができるほどになった。
「ゲホッゲホ・・・」
かなり水を飲んでしまっていたらしく、頭が外に出た途端に咳き込む。腕の中のユアンもゆっくりと目を開いた。
「僕・・・溺死するかと思いました。」
ぼんやりとした口調でそんな風に呟かれ、ブラムは思わず笑ってしまった。
「俺もだよ」
わざとげんなりした口調で言葉を返す。
(マジで、ビビらせやがって・・・)
ユアンを思い切り抱きしめる。生きていることを確かめるように、とても強く。
「ブラムさん、血が・・・」
ふと体を離し、ユアンがブラムの頬を指差した。先ほどの魔獣にやられた掠り傷のことだろう。
「こんなの別に・・」
“大したことない”そう答えるよりも早く、ユアンの手のひらから暖かい光が放たれた。傷は一瞬で消えた。
「回復魔法・・・魔力、戻ったんだな?」
泉の効力は本物だった。そう確信したブラムに、ユアンも満面の笑みを浮かべて頷く。
「貴方のおかげです」
今度はユアンから、ブラムを強く抱きしめた。

***
帰り道は迷わずに済み、初めの半分足らずの時間で村に着くことができた。
びしょ濡れの二人を見るなりミネルバはホッとしたように笑い、すぐに着替えを用意してくれた。
その後ブラムにはすぐさまいつも通りの1日分の配達を命じた。やはりミネルバは鬼だと思った。
(やっと終わった・・・)
すべての配達を終える頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
いくらタフなブラムでも、流石に今日はへとへとだ。肩を鳴らしつつ、鬼・・基、ミネルバの喫茶店へと急いだ。
「ん? 」
扉に、いつもならとっくにかけられているはずのclosedの札がない。それどころか、店内からは何やら賑やかな声が聞こえてくる。
(珍しいな)
不思議に思いつつ扉を開ける。
―――――カランカラン。
「あ、おかえりなさい」
飛び切りの笑顔が出迎えてくれた。
「た・・・だいま」
とりあえず言葉を返しながらも、ブラムはユアンの姿に目を丸くしていた。
銀色の髪はポニーテールにし、小花柄の三角巾をつけている。加えてピンクのフリフリエプロン着用。
代わる代わる客に声を掛けられ、とても愛想よく応対している。
「遅かったじゃないか。」
「あ、おばさん」
カウンターにいるミネルバに声を掛けられ、呆然としていたブラムは店の奥へと進んだ。
「どういう状況よ?」
カウンターに寄りかかり、客で埋め尽くされた店内を眺めながら問いかける。こんなに繁盛しているのを見るのは初めてだ。この店の風物詩は閑古鳥なのだと思っていたくらいだというのに。
「可愛いウエイトレスがいるって噂が村中に広まったのさ。暇な連中だよ」
キセルを咥えて毒づく。しかし今日の売り上げらしい札束を数えるその顔はご満悦だ。
「配達に行ったアンタを見て、『僕にもお手伝いさせてください』なんて言ってきてくれてね」
しみじみと“いい子だねぇ”なんて感嘆の声を上げているが、そう仕向けたのは彼女だろう。でなければ、あの三角巾やエプロンなど準備が良すぎる。
(やっぱ鬼だ)
ブラムは心の中で呟いた。
「料理もユアンが作ってくれてね。それも評判がいいんだよ」
鍋の蓋を少しだけ開けると、芳しい香りが食欲を誘った。
「じゃあ俺も♪」
手料理にあやかろうと手を伸ばすが、キセルでバシッと叩かれた。
「あんたは最後だよ。」
「あははー、やっぱり」
(鬼だ・・・)
打たれた手を擦りつつ、ブラムは顔を引きつらせるのだった。
「で? どうなんだい、実物の聖母様に出会えた感想は? 」
金勘定を終えたらしいミネルバがレジを締めつつ問いかける。そういえば昨夜も同じようなことを尋ねられていた。
「うーん・・・」
考えるフリをしながら、接客に精を出しているユアンを見つめる。ポケットから煙草を取り出し、咥えてからニッと笑った。
「もう、骨抜きって感じ? 」
冗談めかして答え、煙草に火をつける。
ミネルバは鼻で笑い、ふーっと長めに煙を吐いた。
「明日にはもう行っちまうんだってさ。」
もう少し居て欲しいと言いたげな口調だ。
「へー・・・」
「あんたはどうすんだい? 」
気の抜けた返事をするブラムに、ミネルバが真面目な声で尋ねた。
「どうって・・・」
思っても見ないところで話を振られたものだと、ブラムは言葉に詰まる。
ミネルバは眉を潜めてキセルを灰吹きに叩きつけた。
「昨日の木偶の坊ども、今日もまたまた来たんだよ」
それは言わずもがな、近衛騎士団長を探し尋ねてきた騎士二人のことだ。
「ご丁寧にお偉いさんも引きつれて、もう一度あんたにお目通りしたいってさ」
やはり昨日の演技では誤魔化しきれなかったということだろう。
「あの様子じゃ、また明日も明後日も懲りずに来るだろう」
空になった火皿に息を吹きかけ、ぼやく。
ブラムも眉を顰め、天井を仰ぎ見ながら煙を吐いた。“潮時”という言葉が脳裏に過る。
「それに、だ。」
気を取り直したようにミネルバがブラムの背中をポンッと叩く。
「魔力が戻ってもあの子一人だと危なっかしいと思わないかい?」
大げさなほど肩をすくめて指を差す方向を見てみれば、ユアンが客の一人に尻を撫でられ、また別の客には肩を抱かれ、もみくちゃにされて困っていた。
「こら、爺ども! セクハラすんな!! 」
「ふん、青いねぇ。」
血相を変えて止めに入るブラムに、ミネルバは満足げに笑った。

***
――――コンコン。
お行儀の良いノックが聞こえ、ブラムは思わず顔を緩める。寝転んでいた体を起こしてから、“どーぞ”と短く返事をした。
「今日も、またお邪魔しますね」
(今日もまたフリフリネグリジェか。)
律儀にお辞儀をしてから部屋に入ってくるユアンを見て、なお一層顔が緩む。
ユアンが隣に腰掛けたのを確認してから煙草を灰皿に押し付けた。ベッドの上で胡坐をかいて、ユアンの方ににじり寄る。
ユアンもブラムに合わせるようにベッドの上に正座をして向き直った。
「明日、もう発つんだって? 」
ブラムの問いにユアンはゆっくりと頷いた。
「ブラムさんとミネルバさんには本当にお世話になりました。」
深々と頭を下げる。
「せめてお礼が出来ればいいんですけど・・・何か、僕にできることありますか? 」
顔を上げ、どこか甘えるような上目使い。
「・・・なんでも、してくれんの?」
ブラムはほんの少し邪な気持ちを含みつつ尋ねた。
「はい、なんでも」
ユアンが素直に頷いたため、ブラムは思わず咳払いをした。
「じゃあ、一つだけ頼みがある。」
仕切り直してブラムが言う。
「俺も連れてってくれないか? 」
「・・・え?」
予想だにしなかったらしく、ユアンは目を見開いた。
ユアンの手を握り、ブラムは更に続ける。
「これからもお前を守りたいんだ。俺の騎士道精神に則って、忠誠を誓わせてほしい」
握った手に口づける。
「でも、そんな・・」
ユアンは困惑したような表情を浮かべた。
「俺じゃ役不足か? 」
目を逸らさせないよう顔を近付けて問う。ユアンは大きく首を振った。
「そうじゃなくて、僕の方が・・・僕なんかでいいんですか?」
またも上目使いで見つめる。笑顔もいいが、この顔にも絶対に勝てそうにない。
「俺はお前がいいんだよ。」
ブラムは甘い声色で囁いた。
――――――カコンッ。
「痛ってーな、何すんだよ!?」
突如後頭部を襲った鈍痛に振り向くブラム。
ブーメランのようにキセルを操るのは、呆れ顔のミネルバだった。
「おサムい台詞吐いてんじゃないよ。」
“鳥肌がたった”と言いながらいつもの様子でズカズカと部屋に踏み込んでくる。
立ち聞きしておいてそのいい草もないだろうとも思ったが、言い返したところでキセルが飛んでくるだけなので口をつぐんだ。
「口説くんなら旅に出てからにしな」
我が物顔でベッドに腰掛け、吐き捨てるように言う。そしてユアンに向き直った。
「こんな盛りの付いた犬だけど、番犬にくらいはなるさ。あんたが引き取ってくれるなら、拾ったあたしも大助かりだよ」
大雑把な仕草で銀色の髪を撫でる。
「ひでぇ言いぐさ・・」
こっそりぼやくブラム。
かなりぶっきら棒ではあるが、ミネルバなりに背中を押してくれているのだろう。
と、思いきや・・
「本物の犬と違って万年発情期だからね、襲われないように気を付けな」
ユアンにそんなよからぬ耳打ちをした。
「襲わねーって・・・・」
げんなりしながら弱い反論。
ミネルバもユアンも、実に楽しそうに笑っていた。

***
翌朝早朝。
騎士たちが尋ねてくる前に発ってしまうべく、早々に旅立ちの準備を済ませた。
見送りのため早起きしてくれたミネルバは、今日もまたユアンの髪を楽しそうに弄っている。ちなみにハーフアップだ。
「ありがとうございます。お洋服まで戴いて」
「どうせ箪笥の肥やしだからね」
深々と頭を下げるユアンに、ミネルバも上機嫌で笑う。
ユアンの荷物に入っている着替えはすべてミネルバの若かりし頃、冒険家時代のものだ。
ブラムとしてはフリフリのネグリジェとピンクのエプロンも入れておいてほしかったが、残念ながらそれは置いていくらしい。
「ほら、弁当だよ」
「ありがとう、おばさん」
風呂敷を受け取りながらブラムも微笑む。
「3か月も長々とお世話になりました」
わざとらしい言い回しで、90度の角度でお辞儀する。
ミネルバは眉を顰めて“全くだ”などと軽口を叩いた。
「気が向いたらアンタの部屋の掃除くらいしといてやるからさ。そのうちまた帰っておいで」
言い終わるなりキセルでポカッ。
「痛ってーなぁ」
打たれた頭を擦りつつ、ブラムは悪戯な笑みを浮かべて手を差し出した。
「じゃあ、また」
がっちりと握手を交わす。
いつもと変わらぬ様子で送り出され、新たな一歩を歩み出した。
「ユアン」
ブラムの声に、風に靡く銀髪が振り返った。
「よろしくな」
差し伸べた手を取り、ユアンが嬉しそうに笑う。
「はい!」
この笑顔が見られるのなら、何からだって守ってやろう。ブラムはそう誓った。
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