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夏休み
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夏休みも中盤。
寮母さんや食堂のおばちゃんが盆休みに入ってしまう前に、俺:荒井結那(あらい ゆいな)は実家のある田舎町に帰省していた。
ホームも往復分の2つしかないこじんまりとした駅に着くと、一斉にセミの声が響く。
当然ICカード非対応の旧式の自動改札機に切符を通し、駅員のおじさんに頭を下げると、俺のこと覚えてるわけじゃないくせに“おかえり”と声をかけられた。
日差しの強さに目がくらみそうになったが、懐かしい道筋を通って実家へと向かう。
駅前の喫茶店、寂れた商店街を通りすぎると、子供の頃通っていた小学校。
夏休みだから静かなもんかと思ったけど、少年野球の練習で結構賑わっているみたいだ。
そして小学校から俺の家までの間には、古ぼけた神社がある。小さい頃にはよく祭りの縁日に出掛けたもんだ。
(・・・ん?)
神社の石段に誰か座り込んでいるのを見つけ、俺は思わず歩くスピードを緩めた。
この何もない場所で、そいつはただ座っていた。ぼんやりと空を眺めて、時折眩しそうに目を細めている。
「・・あ」
場所柄“幽霊だったらどうしよう”なんて思って見ていると、不意に目が合った。そいつは大きな目をさらに大きく見開いて立ち上がる。そして勢いよく駆け寄って来たかと思えば、いきなり俺に抱きついた。
「会いたかった・・・」
背に腕を回し、首筋に擦り寄るようにしながら吐息交じりに囁く。
(な、なんだコイツ?)
俺はこんなやつ知らない。何より、男に抱きしめられて熱っぽく“会いたかった”なんて言われる覚えは一切ない。
「いきなり何すんだよ!? 誰だてめぇ!?」
力任せにそいつの身体を引きはがして怒鳴りつける。そいつはキョトンとした顔をして、それからすぐに微笑んだ。
「俺、ハルキって言うんだ」
名乗られても、やっぱり俺の記憶にピンとくる人物はいない。
「俺はアンタのこと知ってるよ」
俺の考えていることが分かったのか、ハルキは悪戯っぽく言った。
「なんで?」
あからさまに警戒しながら尋ねる。ハルキは目を細めて俺を見つめ、信じられないことを口走った。
「夢で見たの。予知夢ってやつ?」
「はぁ?」
俺は思い切り顔を顰めた。
(なんだコイツ? 電波か?)
より一層警戒心を強め、少しずつ後ずさる。
正直なところ、帰省早々こんなわけのわからないヤツとは関わりたくない。
「そんなに怯えなくてもいいのに。可愛いなぁ」
くすくすと笑い、ハルキはまた俺に近づいてくる。・・・と思ったら、俺の横をすたすたと歩いて通り過ぎて行った。
“またね”なんて言葉を残しながら。
「・・・なんなんだ、アイツ・・?」
何とも気味の悪い心地がしながら、俺は実家へと急いだ。
「あぁ、お帰り。不肖の息子」
「おぉ、帰ってきたぜ。愚母」
我が親子の会話はいつもこんな感じで始まる。
口こそ悪いが、若くして俺を産んだこの母は、今じゃすっかり評判の田舎町唯一のスナックを経営しているなかなかのやり手だ。
女手一つで俺を育てて、今は金のかかる有名私立高校に通わせてくれているなんて、感謝してしかるべきだろう。
とはいえ、家にいる時はやっぱり普通のおばちゃんで、今もスイカなんか勧めてくれてる。帰宅してまだ3分だってのに。
「先に部屋に荷物置いてくるよ。着替えねーと落ち着かねーし」
断りを入れてから、自分の部屋に向かうべく階段を上る。
高校に入ってからはずっと寮生活だから、部屋は中学の頃のままになっている。
高校受験の参考書が積み上がってたり、ゲームソフトが散乱してたり、ダサいジャージが丸めておいてあったり。
(うわ・・・捨てろよ、こんなもん)
ベッドの上には昔懐かしいエロ本がわざとらしく積み上げてある。
俺はエロ本たちを粗雑に床に落とし、部屋の端に寄せてから、ようやく持ってきていた荷物を下ろした。
ぼふっとベッドに倒れ込み、懐かしい匂いを噛みしめながら、ぼんやりと思考を巡らせる。
(さっきのやつ・・・ホントに誰だったんだろう・・・)
思いあぐねいてみても、やはりハルキという男には全く覚えがなかった。
栗色の髪で、目がくりくりと大きい、どちらかと言えば中性的な顔立ち。
こんな田舎暮らしのわりには日焼けもせずに色白だった。
男としてはかなり美人の部類に入るのだろうが、男は男。
抱きつかれた感触を思い出し、俺は大きく首を振った。
(冗談じゃねぇ・・・)
“会いたかった”なんて、可愛い女の子に言われるならともかく、何が悲しくて見知らぬ男に言われなくてはならないのか。
(せっかく帰って来たのに・・・幼馴染の女が飛び切りの美人になってる、なんて美味しいシチュエーションねーかなぁ)
よくある期待を思い巡らせ、我ながら有り得ないと脳内でツッコミを入れる。
そうこうしていたら母親に早く降りて来いとせっつかれた。
次の日。
俺は小学校に来ていた。
小学校の頃には俺もチームに所属していたこともあり、少年野球の見学にやって来たのだ。
OBとはいえ、中高は帰宅部。すっかり体は鈍っていて、練習に付き合うのは一苦労だった。
情けないかな、あっという間に汗だく。
小学生たちが練習試合を始めている間に、一休みさせてもらうべく、俺は水飲み場に向かった。
蛇口をひねり、頭から勢いよく水を被る。
「ふー、さっぱりした・・」
顔を上げると、どうせ周りに誰もいないと高を括って思い切り頭を振った。
「シャンプーしたての犬みたい」
すぐそばで笑い声が聞こえ、俺は慌てて振り返る。
水がかかったなら謝ろうとも思ったが、思いがけない人物が立っていた所為で言葉が出なかった。
「はい、タオル。使えば?」
ハルキがにっこりと微笑んでタオルを差し出す。
受け取るのを躊躇していると、一歩二歩と歩み寄って来て俺の頭にタオルを被せた。
「なんで・・・?」
“こんなところにいるのか”と俺が尋ねる。
ハルキは悪戯に笑い、タオルの裾を引っ張りながら答えた。
「予知夢で見たの。ここに来ればまた会えるって」
(また予知夢かよ・・)
昨日と同じ言葉にげんなりする。
思いのほか近づけられていた顔を少し背けてから、礼を言って髪を拭いた。
「ねぇ、今も野球やってるの?」
上目遣いに俺を見つめて、ハルキが尋ねる。
「いや、やってたのは小学生の時だけ」
俺が答えると、ハルキは“ふーん”とか言いながら、上から下まで俺をじろじろと見た。
(・・なんだよ・・)
品定めするようなその視線に俺はまた顔を顰める。
「だからあんまり鍛えてないんだね、残念だなぁ」
俺の胸元や腹筋をベタベタ触り、ハルキはニッコリ笑顔で言い放った。
(じ、冗談じゃねぇ・・・)
俺は青ざめ、踵を返して逃げ出した。
その次の日。
少年野球に行くとまたアイツに遭遇してしまう気がして、俺は母親の使いで買い物に出かけることにした。
ただゴロゴロしてるだけというのも、何だか申し訳ない気がしてしまうから不思議だ。自分の実家だというのに。
(よし、あとは八百屋に寄ったら終わりだな)
スマホにメモした買い物リストを見ながら歩く。
「・・あ、ここ・・・」
ふと、子供の頃抜け道にしていた路地裏が目に入り、途端に懐かしくなった。
(確か池に続いてんだよな)
ただでさえ荷物を抱えて、ガタイの良くなった今の身体じゃかなり狭い道だったが、それでも横歩きをして何とか通り抜ける。
神社の裏手に当たるこの場所は、ちょっとした空き地になっていて、大した深さの無い小さな池もあることから、子供の頃の恰好の遊び場になっていた。
「うわぁ・・・なつかしい」
全く変わっていない光景に、俺は思わず感嘆の声を上げる。
自然と頬が緩んでいたが、人がいたことに気付き、慌てて顔を引き締めた。
しかも・・・
「は、ハルキ・・・」
池のほとりに腰掛けているのはハルキだった。
思わず名前を呼んだ俺を振り返り、とても驚いた顔をした。
「びっくりしたぁ・・・」
どこかぼんやりとした口調でハルキが言う。
(いや、それはこっちの台詞だし・・)
俺は項垂れながら頭をかいた。
「結那、今度は名前覚えててくれたね」
俺を仰ぎ見るようにしながら、ハルキは嬉しそうに笑った。
足先を池の水に漬けていたらしく、ズボンの裾は膝まで捲り上げられ、白い脚が露わになっている。
うっかり目が行ってしまったことにバツの悪い思いがした。
(・・って、待てよ・・)
ふと気づいてハッとする。
「俺、まだ名前言ってないよな? 」
初めて会った時から、俺は一度も自己紹介なんてしていない。
なのに、ハルキはさっき確かに俺を“結那”と呼んだ。知らないはずの名前を。
訝し気な顔をしている俺に、ハルキはふっと笑った。
「予知夢で見たもん」
「またそれかよ・・」
真面目に聞いた俺がバカだった・・そんな心地がして、俺は無遠慮に舌打ちをした。
買い物の途中だったことも思い出し、速足でその場を立ち去る。
ハルキがこっちを見つめている気がしたが、敢えて気に留めない振りをした。
そしてまた次の日。
縁側に寝転び、扇風機に当たりつつ、俺はひたすらボーっとしていた。
冷房のない時代錯誤な実家の暑さは生き地獄だ。そんなんだからろくに考え事もできない。
(アイツ、ホントに何なんだろう・・)
考えるのは専らハルキのことだ。
“予知夢を見た”と言って俺の行く先々に現れて、しかも名前まで知ってた。
(やっぱり知り合いなのか?・・・いや、でも覚えがねぇし)
一通りの幼馴染を思い浮かべるが、やはり一致する顔は無い。
だが妙に気になる。
あの含みを持たせたような笑みと何処か艶を含んだような視線が・・・。
「おい、邪魔だよ。バカ息子」
「うっ!・・だからって踏むなよ」
洗濯物を抱えた母親が俺の腹を思いっきり踏みつけた。
渋々ながらに起き上がり、洗濯物を干している逞しい後ろ姿を眺める。
「・・・なぁ、母ちゃん」
「なんだい?」
不意に声を掛けてみると、母親は振り向きもせず手も止めずに返事をした。
ほんの少し迷いつつも、意を決して問いかける。
「予知夢ってあると思う?」
「はぁあ?」
さりげなく、のつもりだったが、流石に突拍子の無い質問に、母親は顔を顰めて振り返った。
「あんた、暑さでそこまで脳みそやられちゃったのかい?」
憐れむような視線で俺を見つめる。
(そこまで本気で引くことねぇだろ・・・)
聞いてみたことを後悔しつつ、汗ばむ頭をガシガシとかいた。
母親に勧められるままに、俺は図書館にやって来た。
クーラーもあるし、学校の課題も進められるし、一石二鳥というわけだ。
(人いねぇな・・)
しんと静まり返った図書館には、司書さん以外のひと気はなかった。
俺みたいに宿題やりに来てる学生とかがちょっとくらいはいるかと思ったけど、全然だ。
司書さんからもあまり見えなさそうな奥まったところを陣取り、俺は課題に取り掛かった。
「だーれだ?」
「ぅわっ!?」
突然視界を塞がれ、俺は思わず声を上げた。
「しーっ。ダメだよ騒いじゃ」
心臓バクバクの状態で振り返ると、案の定というか、悪戯な笑みを浮かべたハルキがいる。
「何やってんだよ・・・」
がっくりと項垂れる俺を後目に、ハルキは俺の隣にちょこんと座った。
「結那と一緒なら宿題やるのも楽しいかなーと思って」
鞄から取り出した問題集を机に広げて、またにっこりと笑う。
そう言われてしまえば、何となく断る理由も見つからず、俺たちは並んで勉強を始めた。
静かな図書館の中で、ペンを走らせる音だけが響く。
一段落して顔を上げると、俺を見つめているハルキに気付いた。
「な、なんだよ?」
「別にー」
俺が眉を顰めると、ハルキはふふっと笑う。
一体いつから見られていたのか、全然気づかなかった。
見ればハルキの宿題はとっくに終わっていたらしく、机の上もかたづけられていた。
「もう終わってんなら、別にもういなくてもいいんじゃ・・」
言いかけて、ハルキに言葉を止められる。ハルキの指先が俺の唇に触れていた。
「そんな冷たいこと言わないでよ。一緒にいたいんだもん」
切なそうに呟く。
潤んだ瞳に妙に心がざわついて、俺は思わずハルキの手を力任せに払いのけた。
「ひゃっ!」
(やべっ・・)
勢い余って、ハルキの身体が大きく揺れる。
ガシャンと大きな音を立て、ハルキは椅子ごと倒れてしまった。
「ごめん、大丈夫か?」
流石にヤバいと、慌ててハルキの身体を抱き起す。
ハルキは目を閉じたまま、軽くゆすってもピクリとも動かない。
(頭打ったとか? ・・・やべぇ、どうしよう・・)
もはや軽いパニックだ。
どうしたらいいのか分からず、何度もハルキの名前を呼ぶ。
「・・・え?・・」
不意に首に腕を回され、俺はさらに困惑した。
脳が状況に追いつく間もなく、ハルキの顔が目前に迫る。
「んんっ!? 」
唇に柔らかい感触がしたと思えば、すぐに熱い舌が口の中に押し入ってきた。
何度か舌を絡められ、そこでようやく我に返った。
「なにすんだよ!?」
ハルキの身体を力任せに引きはがし、口を拭いながら怒鳴りつける。
「結那とキスしちゃったー」
俺の怒号も虚しく、ハルキはヘラヘラと笑った。
(有り得ねぇ・・・)
あまりのことにわなわなと震えつつ、俺は荷物をさっさとまとめて図書館を出て行った。
さらに次の日。
昨日のキス事件が尾を引いている俺は、不機嫌極まりない表情でコンビニに向かっていた。
コンビニと言っても元々小さな商店だったのを少し改装した程度の小さなものだ。
アイスと炭酸ジュースを買って、アイスは食べながら帰ろうと、袋を破る。
そうしていると、コンビニの向かいにある整骨院から、今一番会いたくない顔が出てきた。
「あ、結那」
こっちに気付くなり、ハルキは人懐こい表情で駆け寄って来る。
一目散に逃げ出そうかとも思ったが、ハルキの手に包帯が巻かれていることに気付いて思いとどまった。
「それ・・・もしかして昨日の、俺の所為で?」
恐る恐る尋ねると、ハルキはあっけらかんとして答えた。
「ちょっと手首捻っただけだよ」
それはつまり、やっぱり俺の所為だってことだ。椅子ごと倒れた時、咄嗟に手を付いたのが原因だろう。
「・・・ごめん」
流石に申し訳なく思い、素直に頭を下げる。
ハルキは俺の肩をぽんぽんと叩いて、“気にしないで”とでもいうのかと思いきや、小悪魔な笑みを浮かべた。
「ごめんと思うなら、一個俺の言うこと聞いてくれる?」
「はい?」
嫌な予感がして身構える。
何せ初対面で抱きつき、昨日は不意打ちにキスまでされたのだ。
一体何をさせられるのか、わかったもんじゃないと思った。
けど、ハルキが言ったのは何とも容易い願い事だった。
「明日のお祭り、あの神社の縁日に一緒に行ってくれない?」
「縁日?」
肩すかしを喰らったような心地になりつつ、俺は訝しげにハルキを見つめる。
ハルキは大きく頷いて、嬉しそうに言った。
「いいでしょ? 俺浴衣着ていくから。約束、ね?」
俺の手を取り、無理やり小指を絡めてくる。
ハルキの小指には小さな指輪が嵌められていた。
「・・・・分かったよ」
期待にキラキラと輝く大きな瞳に、俺は遂に根負け。
ため息交じりに頷いて、しっかりと指切りをした。
怪我をさせた申し訳なさも勿論あったが、何より俺と祭りに行くことでこんなにはしゃいでくれることが純粋にうれしかった。
昨日不意打ちでキスをされた怒りも、いつの間にかすっかりどこかに消えていた。
「なぁ母ちゃん、俺の浴衣ってあったけ?」
家に帰るなり押入れを探してみたが見つからず、早々に諦めた俺は母親に泣きついた。
すると母親はものの10分足らずで、去年買った濃紺の浴衣を出して来てくれた。
ちなみに俺が探していた場所とはまったくもって違う所に仕舞いこんでいたらしい。検討違いの場所を探していた無駄な時間が悔しい。
「明日の祭りに行くのかい?」
「あぁ。なんか、一緒に行くヤツが浴衣着てくるっつーから・・・」
尋ねられ、何となく言い訳のように言う。
ほんのちょっとだけど、楽しみにしている自分に気付いて、こそばゆい心地がした。
可愛い女の子との祭りデートならいいのに、相手は謎の男なのだ。
「祭りと言えば、加古川さんとこも盆休みで帰省してるらしいよ。昔よく一緒に縁日で遊んだの、覚えてるかい?」
浴衣にアイロンを掛けながら母親が懐かしそうに目を細める。
“カコガワ”という名前にはいまいちピンと来なかったが、“縁日で遊んだ”というフレーズには何人かの幼馴染たちが当てはまった。
「赤い浴衣が可愛くてさぁ、あの頃は女の子にしか見えなかったけど、流石に今はちゃんと男の子になってたよ」
カラカラと楽しそうに笑う。
母親の言葉に一気に思い出があふれ出し、そしてハッとした。
「母ちゃん、アルバムどこやったっけ!?」
掴みかからんばかりの勢いで尋ねる。
「アルバム? 確かアンタの部屋の押し入れに・・・」
「分かった!」
答えを聞くなり、俺はバタバタと二階に向かった。
押入れの中には数冊の分厚いアルバムが入っていた。
埃に咳き込みそうになりながらも必死に目的の写真を探す。
高校の入学式、中学の修学旅行、小学校の頃の野球の試合・・・3冊目のアルバムに差し掛かった時、ようやく見つけた。
小学2年生の頃、初めて子供だけで縁日に言った日の写真。
俺はど真ん中で、飛び切り可愛い女の子と手を繋いでピースサインをしてる。
女の子の指には指輪が嵌められていて、確かこれは俺が買ってやったんだと思う。
今思えば、ガキのくせにかなりのカッコつけだ。
「やっと・・・思い出したぞ」
俺は写真に向かって呟く。
少し頭が混乱していたが、それでもいいと思った。
明日の夜、町が祭りで賑わう時までに、言いたいことを整理しておけば良い。
そして祭りの日、当日。
しっかりと糊付けされた浴衣を着付け、俺は神社の裏側にやって来た。
ハルキとの待ち合わせ場所だからだ。
「おっ、ちゃんと来てくれたね」
この前と同じように足先だけを池の水に漬けて涼んでいたハルキは、俺の姿を見るなり嬉しそうに微笑んだ。
「約束したからな」
俺もつられるように頬を緩める。そして、ハルキの隣に腰を下ろした。
ハルキの浴衣は白地に紺色の菖蒲の花が描かれていて、多分女物だろうと思う。それでも全く違和感もなく、むしろよく似合っていた。
そして何より、その浴衣にも、俺は覚えがあった。
「お前、“晴子”だろ?」
浴衣の袖をついと引っ張り、俺は意を決したように問いかける。
ハルキは瞳が零れそうな程大きく見開いて俺を見つめ返した。
「予知夢なんて嘘つきやがって・・・」
責めるように呟いてみる。
ハルキは口を尖らせて、わざとらしく大きなため息を付いた。
「だって、誰かさんが全然思い出してくれないから」
「・・・う・・」
それを言われると確かに俺の落ち度。
だけど、俺にだって言い分はある。
「仕方ないだろ、俺はお前のこと女の子だと思ってたんだよ。名前だって、ずっと“晴子”って呼んでたし」
思い出せなかった理由を言い訳がましく言ってみる。
「皆が俺のこと女みたいだからってからかって呼んでたあだ名でしょ? そんなのしか覚えてなかったんだ・・・」
ハルキはまた一つ大きなため息。
俺が何も言えずにいると、我慢できなかったらしくふっと笑みを漏らした。
ハルキ・・・加古川晴希(かこがわ はるき)は小学校3年の時に引っ越して行った、俺の幼馴染だった。
同じ年の割には小さくて妙に可愛くて、だから俺は女の子だと信じて疑わなかったのだと思う。学校も別だったし。
小学校2年生の夏、俺たちは子供だけ5、6人で祭りに出掛けた。
その時“晴子”はお姉さんのお下がりだというそれはそれは可愛らしい赤い浴衣を着ていて、当然皆にからかわれ、泣きべそをかいていた。
俺はそんな“晴子”を楽しませてやりたくて、手を繋いで金魚すくいや射的、ヨーヨー釣りなど、とにかく色んなものに誘った。
そんなことをしていたらあっという間に他の奴らとはぐれて、いつの間にか二人だけになってた。
“晴子”ははぐれてしまった不安から、遂に本格的に泣き出してしまい・・・ほとほと困り果てた俺は、夜店で指輪を買ってやったんだ。
あの頃の俺にすれば全財産をはたいた高価なプレゼントだったが、今思えばとてもささやかな品だ。
「こんな安モン・・・よく大事に取ってたな」
晴希の小指に触れ、俺は苦笑する。
アルバムの写真と同じ指輪が、今またこうして目の前にある。それは何とも不思議な感じで、何ともこそばゆい心地がした。
「安モンなんて言わないでよ。俺の大事な宝物なんだから」
晴希はわざとらしく拗ねた表情を浮かべる。
そして指輪を隠すように手のひらで覆い、愛おしそうに唇を寄せた。
(・・・覚えてるよな・・やっぱ・・)
艶めいたハルキの表情に、俺は思わず視線を逸らす。
指輪と浴衣を交互に盗み見るようにしてから、頬をぽりぽりとかいた。
“晴子”に指輪を渡した時、丁度ハルキのお姉さんとその彼氏に遭遇した。
お姉さんは当時高校生くらいだったと思うが、随分大人びた浴衣を着ていてとてもきれいだった。
彼氏と手を繋いで歩く姿がまた絵になっていて、その光景には子供ながらに憧れた。
それは“晴子”も同じだったようで、すっかり涙も止まり、ぽーっと二人を見ていた。
そんな“晴子”を見て、俺は言ったんだ。
『晴子がもうちょっと大きくなったら、あの浴衣もお下がりで貰うんだろ? そしたら、あの浴衣着て・・・今度は二人で祭りに来ような』
あの頃の俺にしてみたら、精一杯の口説き文句だった。心臓が口から飛び出しそうだったのを今でも覚えてる。
俺は“晴子”が好きだったから。
「俺、ずっと結那のこと好きだったんだ」
不意に、晴希が呟く。
“よいしょ”なんて言いながら立ち上がると、悪戯っぽく微笑んだ。
「ごめんね、“晴子”じゃなくって」
「・・え・・」
気持ちを見透かされたような言葉に、俺は何も言えずに晴希を見つめる。
晴希は笑っているが、何処か切なそうにも見えた。
「ほら、そろそろ屋台回ろ? 昔みたいに金魚すくいで勝負しようよ」
座ったままでいる俺に、晴希が手を差し伸べる。
俺はその手を取って、そして思いきり引き寄せた。
「もう!なんでそんな荒っぽいの?」
思い切りよろめいて俺に倒れ込んできた晴希が眉を顰めて抗議する。
「あー・・ごめんごめん」
俺は素直に謝りながら、晴希の身体を抱きしめた。
神社の石段で、晴希はすぐに俺に気付いた。
駆け寄って、抱きついて、“会いたかった”と言ってくれた。
俺が少年野球をやっていたことを覚えていた。
子供の頃の思い出の詰まったこの池で、晴希の名前を初めて呼んだ俺に、“今度は名前を憶えてくれてた”と言った晴希はどんな気持ちだったんだろう。
全く思い出しもせず、むしろ冷たくすらしていた俺に、何を思ってキスしたんだろう。
どういう想いで祭りに誘ったんだろう。
そんなことを考えていたら、晴希を抱き寄せずにはいられなかった。
「結那?」
晴希が不思議そうな顔をする。
俺は意を決したように言った。
「俺も、ずっと晴希が好きだった」
たちまちのうちに、晴希の目が真っ赤になる。
大きな目から涙が零れたが、その表情は泣きべそをかいていた小学生の頃とは違い、随分綺麗だった。
寮母さんや食堂のおばちゃんが盆休みに入ってしまう前に、俺:荒井結那(あらい ゆいな)は実家のある田舎町に帰省していた。
ホームも往復分の2つしかないこじんまりとした駅に着くと、一斉にセミの声が響く。
当然ICカード非対応の旧式の自動改札機に切符を通し、駅員のおじさんに頭を下げると、俺のこと覚えてるわけじゃないくせに“おかえり”と声をかけられた。
日差しの強さに目がくらみそうになったが、懐かしい道筋を通って実家へと向かう。
駅前の喫茶店、寂れた商店街を通りすぎると、子供の頃通っていた小学校。
夏休みだから静かなもんかと思ったけど、少年野球の練習で結構賑わっているみたいだ。
そして小学校から俺の家までの間には、古ぼけた神社がある。小さい頃にはよく祭りの縁日に出掛けたもんだ。
(・・・ん?)
神社の石段に誰か座り込んでいるのを見つけ、俺は思わず歩くスピードを緩めた。
この何もない場所で、そいつはただ座っていた。ぼんやりと空を眺めて、時折眩しそうに目を細めている。
「・・あ」
場所柄“幽霊だったらどうしよう”なんて思って見ていると、不意に目が合った。そいつは大きな目をさらに大きく見開いて立ち上がる。そして勢いよく駆け寄って来たかと思えば、いきなり俺に抱きついた。
「会いたかった・・・」
背に腕を回し、首筋に擦り寄るようにしながら吐息交じりに囁く。
(な、なんだコイツ?)
俺はこんなやつ知らない。何より、男に抱きしめられて熱っぽく“会いたかった”なんて言われる覚えは一切ない。
「いきなり何すんだよ!? 誰だてめぇ!?」
力任せにそいつの身体を引きはがして怒鳴りつける。そいつはキョトンとした顔をして、それからすぐに微笑んだ。
「俺、ハルキって言うんだ」
名乗られても、やっぱり俺の記憶にピンとくる人物はいない。
「俺はアンタのこと知ってるよ」
俺の考えていることが分かったのか、ハルキは悪戯っぽく言った。
「なんで?」
あからさまに警戒しながら尋ねる。ハルキは目を細めて俺を見つめ、信じられないことを口走った。
「夢で見たの。予知夢ってやつ?」
「はぁ?」
俺は思い切り顔を顰めた。
(なんだコイツ? 電波か?)
より一層警戒心を強め、少しずつ後ずさる。
正直なところ、帰省早々こんなわけのわからないヤツとは関わりたくない。
「そんなに怯えなくてもいいのに。可愛いなぁ」
くすくすと笑い、ハルキはまた俺に近づいてくる。・・・と思ったら、俺の横をすたすたと歩いて通り過ぎて行った。
“またね”なんて言葉を残しながら。
「・・・なんなんだ、アイツ・・?」
何とも気味の悪い心地がしながら、俺は実家へと急いだ。
「あぁ、お帰り。不肖の息子」
「おぉ、帰ってきたぜ。愚母」
我が親子の会話はいつもこんな感じで始まる。
口こそ悪いが、若くして俺を産んだこの母は、今じゃすっかり評判の田舎町唯一のスナックを経営しているなかなかのやり手だ。
女手一つで俺を育てて、今は金のかかる有名私立高校に通わせてくれているなんて、感謝してしかるべきだろう。
とはいえ、家にいる時はやっぱり普通のおばちゃんで、今もスイカなんか勧めてくれてる。帰宅してまだ3分だってのに。
「先に部屋に荷物置いてくるよ。着替えねーと落ち着かねーし」
断りを入れてから、自分の部屋に向かうべく階段を上る。
高校に入ってからはずっと寮生活だから、部屋は中学の頃のままになっている。
高校受験の参考書が積み上がってたり、ゲームソフトが散乱してたり、ダサいジャージが丸めておいてあったり。
(うわ・・・捨てろよ、こんなもん)
ベッドの上には昔懐かしいエロ本がわざとらしく積み上げてある。
俺はエロ本たちを粗雑に床に落とし、部屋の端に寄せてから、ようやく持ってきていた荷物を下ろした。
ぼふっとベッドに倒れ込み、懐かしい匂いを噛みしめながら、ぼんやりと思考を巡らせる。
(さっきのやつ・・・ホントに誰だったんだろう・・・)
思いあぐねいてみても、やはりハルキという男には全く覚えがなかった。
栗色の髪で、目がくりくりと大きい、どちらかと言えば中性的な顔立ち。
こんな田舎暮らしのわりには日焼けもせずに色白だった。
男としてはかなり美人の部類に入るのだろうが、男は男。
抱きつかれた感触を思い出し、俺は大きく首を振った。
(冗談じゃねぇ・・・)
“会いたかった”なんて、可愛い女の子に言われるならともかく、何が悲しくて見知らぬ男に言われなくてはならないのか。
(せっかく帰って来たのに・・・幼馴染の女が飛び切りの美人になってる、なんて美味しいシチュエーションねーかなぁ)
よくある期待を思い巡らせ、我ながら有り得ないと脳内でツッコミを入れる。
そうこうしていたら母親に早く降りて来いとせっつかれた。
次の日。
俺は小学校に来ていた。
小学校の頃には俺もチームに所属していたこともあり、少年野球の見学にやって来たのだ。
OBとはいえ、中高は帰宅部。すっかり体は鈍っていて、練習に付き合うのは一苦労だった。
情けないかな、あっという間に汗だく。
小学生たちが練習試合を始めている間に、一休みさせてもらうべく、俺は水飲み場に向かった。
蛇口をひねり、頭から勢いよく水を被る。
「ふー、さっぱりした・・」
顔を上げると、どうせ周りに誰もいないと高を括って思い切り頭を振った。
「シャンプーしたての犬みたい」
すぐそばで笑い声が聞こえ、俺は慌てて振り返る。
水がかかったなら謝ろうとも思ったが、思いがけない人物が立っていた所為で言葉が出なかった。
「はい、タオル。使えば?」
ハルキがにっこりと微笑んでタオルを差し出す。
受け取るのを躊躇していると、一歩二歩と歩み寄って来て俺の頭にタオルを被せた。
「なんで・・・?」
“こんなところにいるのか”と俺が尋ねる。
ハルキは悪戯に笑い、タオルの裾を引っ張りながら答えた。
「予知夢で見たの。ここに来ればまた会えるって」
(また予知夢かよ・・)
昨日と同じ言葉にげんなりする。
思いのほか近づけられていた顔を少し背けてから、礼を言って髪を拭いた。
「ねぇ、今も野球やってるの?」
上目遣いに俺を見つめて、ハルキが尋ねる。
「いや、やってたのは小学生の時だけ」
俺が答えると、ハルキは“ふーん”とか言いながら、上から下まで俺をじろじろと見た。
(・・なんだよ・・)
品定めするようなその視線に俺はまた顔を顰める。
「だからあんまり鍛えてないんだね、残念だなぁ」
俺の胸元や腹筋をベタベタ触り、ハルキはニッコリ笑顔で言い放った。
(じ、冗談じゃねぇ・・・)
俺は青ざめ、踵を返して逃げ出した。
その次の日。
少年野球に行くとまたアイツに遭遇してしまう気がして、俺は母親の使いで買い物に出かけることにした。
ただゴロゴロしてるだけというのも、何だか申し訳ない気がしてしまうから不思議だ。自分の実家だというのに。
(よし、あとは八百屋に寄ったら終わりだな)
スマホにメモした買い物リストを見ながら歩く。
「・・あ、ここ・・・」
ふと、子供の頃抜け道にしていた路地裏が目に入り、途端に懐かしくなった。
(確か池に続いてんだよな)
ただでさえ荷物を抱えて、ガタイの良くなった今の身体じゃかなり狭い道だったが、それでも横歩きをして何とか通り抜ける。
神社の裏手に当たるこの場所は、ちょっとした空き地になっていて、大した深さの無い小さな池もあることから、子供の頃の恰好の遊び場になっていた。
「うわぁ・・・なつかしい」
全く変わっていない光景に、俺は思わず感嘆の声を上げる。
自然と頬が緩んでいたが、人がいたことに気付き、慌てて顔を引き締めた。
しかも・・・
「は、ハルキ・・・」
池のほとりに腰掛けているのはハルキだった。
思わず名前を呼んだ俺を振り返り、とても驚いた顔をした。
「びっくりしたぁ・・・」
どこかぼんやりとした口調でハルキが言う。
(いや、それはこっちの台詞だし・・)
俺は項垂れながら頭をかいた。
「結那、今度は名前覚えててくれたね」
俺を仰ぎ見るようにしながら、ハルキは嬉しそうに笑った。
足先を池の水に漬けていたらしく、ズボンの裾は膝まで捲り上げられ、白い脚が露わになっている。
うっかり目が行ってしまったことにバツの悪い思いがした。
(・・って、待てよ・・)
ふと気づいてハッとする。
「俺、まだ名前言ってないよな? 」
初めて会った時から、俺は一度も自己紹介なんてしていない。
なのに、ハルキはさっき確かに俺を“結那”と呼んだ。知らないはずの名前を。
訝し気な顔をしている俺に、ハルキはふっと笑った。
「予知夢で見たもん」
「またそれかよ・・」
真面目に聞いた俺がバカだった・・そんな心地がして、俺は無遠慮に舌打ちをした。
買い物の途中だったことも思い出し、速足でその場を立ち去る。
ハルキがこっちを見つめている気がしたが、敢えて気に留めない振りをした。
そしてまた次の日。
縁側に寝転び、扇風機に当たりつつ、俺はひたすらボーっとしていた。
冷房のない時代錯誤な実家の暑さは生き地獄だ。そんなんだからろくに考え事もできない。
(アイツ、ホントに何なんだろう・・)
考えるのは専らハルキのことだ。
“予知夢を見た”と言って俺の行く先々に現れて、しかも名前まで知ってた。
(やっぱり知り合いなのか?・・・いや、でも覚えがねぇし)
一通りの幼馴染を思い浮かべるが、やはり一致する顔は無い。
だが妙に気になる。
あの含みを持たせたような笑みと何処か艶を含んだような視線が・・・。
「おい、邪魔だよ。バカ息子」
「うっ!・・だからって踏むなよ」
洗濯物を抱えた母親が俺の腹を思いっきり踏みつけた。
渋々ながらに起き上がり、洗濯物を干している逞しい後ろ姿を眺める。
「・・・なぁ、母ちゃん」
「なんだい?」
不意に声を掛けてみると、母親は振り向きもせず手も止めずに返事をした。
ほんの少し迷いつつも、意を決して問いかける。
「予知夢ってあると思う?」
「はぁあ?」
さりげなく、のつもりだったが、流石に突拍子の無い質問に、母親は顔を顰めて振り返った。
「あんた、暑さでそこまで脳みそやられちゃったのかい?」
憐れむような視線で俺を見つめる。
(そこまで本気で引くことねぇだろ・・・)
聞いてみたことを後悔しつつ、汗ばむ頭をガシガシとかいた。
母親に勧められるままに、俺は図書館にやって来た。
クーラーもあるし、学校の課題も進められるし、一石二鳥というわけだ。
(人いねぇな・・)
しんと静まり返った図書館には、司書さん以外のひと気はなかった。
俺みたいに宿題やりに来てる学生とかがちょっとくらいはいるかと思ったけど、全然だ。
司書さんからもあまり見えなさそうな奥まったところを陣取り、俺は課題に取り掛かった。
「だーれだ?」
「ぅわっ!?」
突然視界を塞がれ、俺は思わず声を上げた。
「しーっ。ダメだよ騒いじゃ」
心臓バクバクの状態で振り返ると、案の定というか、悪戯な笑みを浮かべたハルキがいる。
「何やってんだよ・・・」
がっくりと項垂れる俺を後目に、ハルキは俺の隣にちょこんと座った。
「結那と一緒なら宿題やるのも楽しいかなーと思って」
鞄から取り出した問題集を机に広げて、またにっこりと笑う。
そう言われてしまえば、何となく断る理由も見つからず、俺たちは並んで勉強を始めた。
静かな図書館の中で、ペンを走らせる音だけが響く。
一段落して顔を上げると、俺を見つめているハルキに気付いた。
「な、なんだよ?」
「別にー」
俺が眉を顰めると、ハルキはふふっと笑う。
一体いつから見られていたのか、全然気づかなかった。
見ればハルキの宿題はとっくに終わっていたらしく、机の上もかたづけられていた。
「もう終わってんなら、別にもういなくてもいいんじゃ・・」
言いかけて、ハルキに言葉を止められる。ハルキの指先が俺の唇に触れていた。
「そんな冷たいこと言わないでよ。一緒にいたいんだもん」
切なそうに呟く。
潤んだ瞳に妙に心がざわついて、俺は思わずハルキの手を力任せに払いのけた。
「ひゃっ!」
(やべっ・・)
勢い余って、ハルキの身体が大きく揺れる。
ガシャンと大きな音を立て、ハルキは椅子ごと倒れてしまった。
「ごめん、大丈夫か?」
流石にヤバいと、慌ててハルキの身体を抱き起す。
ハルキは目を閉じたまま、軽くゆすってもピクリとも動かない。
(頭打ったとか? ・・・やべぇ、どうしよう・・)
もはや軽いパニックだ。
どうしたらいいのか分からず、何度もハルキの名前を呼ぶ。
「・・・え?・・」
不意に首に腕を回され、俺はさらに困惑した。
脳が状況に追いつく間もなく、ハルキの顔が目前に迫る。
「んんっ!? 」
唇に柔らかい感触がしたと思えば、すぐに熱い舌が口の中に押し入ってきた。
何度か舌を絡められ、そこでようやく我に返った。
「なにすんだよ!?」
ハルキの身体を力任せに引きはがし、口を拭いながら怒鳴りつける。
「結那とキスしちゃったー」
俺の怒号も虚しく、ハルキはヘラヘラと笑った。
(有り得ねぇ・・・)
あまりのことにわなわなと震えつつ、俺は荷物をさっさとまとめて図書館を出て行った。
さらに次の日。
昨日のキス事件が尾を引いている俺は、不機嫌極まりない表情でコンビニに向かっていた。
コンビニと言っても元々小さな商店だったのを少し改装した程度の小さなものだ。
アイスと炭酸ジュースを買って、アイスは食べながら帰ろうと、袋を破る。
そうしていると、コンビニの向かいにある整骨院から、今一番会いたくない顔が出てきた。
「あ、結那」
こっちに気付くなり、ハルキは人懐こい表情で駆け寄って来る。
一目散に逃げ出そうかとも思ったが、ハルキの手に包帯が巻かれていることに気付いて思いとどまった。
「それ・・・もしかして昨日の、俺の所為で?」
恐る恐る尋ねると、ハルキはあっけらかんとして答えた。
「ちょっと手首捻っただけだよ」
それはつまり、やっぱり俺の所為だってことだ。椅子ごと倒れた時、咄嗟に手を付いたのが原因だろう。
「・・・ごめん」
流石に申し訳なく思い、素直に頭を下げる。
ハルキは俺の肩をぽんぽんと叩いて、“気にしないで”とでもいうのかと思いきや、小悪魔な笑みを浮かべた。
「ごめんと思うなら、一個俺の言うこと聞いてくれる?」
「はい?」
嫌な予感がして身構える。
何せ初対面で抱きつき、昨日は不意打ちにキスまでされたのだ。
一体何をさせられるのか、わかったもんじゃないと思った。
けど、ハルキが言ったのは何とも容易い願い事だった。
「明日のお祭り、あの神社の縁日に一緒に行ってくれない?」
「縁日?」
肩すかしを喰らったような心地になりつつ、俺は訝しげにハルキを見つめる。
ハルキは大きく頷いて、嬉しそうに言った。
「いいでしょ? 俺浴衣着ていくから。約束、ね?」
俺の手を取り、無理やり小指を絡めてくる。
ハルキの小指には小さな指輪が嵌められていた。
「・・・・分かったよ」
期待にキラキラと輝く大きな瞳に、俺は遂に根負け。
ため息交じりに頷いて、しっかりと指切りをした。
怪我をさせた申し訳なさも勿論あったが、何より俺と祭りに行くことでこんなにはしゃいでくれることが純粋にうれしかった。
昨日不意打ちでキスをされた怒りも、いつの間にかすっかりどこかに消えていた。
「なぁ母ちゃん、俺の浴衣ってあったけ?」
家に帰るなり押入れを探してみたが見つからず、早々に諦めた俺は母親に泣きついた。
すると母親はものの10分足らずで、去年買った濃紺の浴衣を出して来てくれた。
ちなみに俺が探していた場所とはまったくもって違う所に仕舞いこんでいたらしい。検討違いの場所を探していた無駄な時間が悔しい。
「明日の祭りに行くのかい?」
「あぁ。なんか、一緒に行くヤツが浴衣着てくるっつーから・・・」
尋ねられ、何となく言い訳のように言う。
ほんのちょっとだけど、楽しみにしている自分に気付いて、こそばゆい心地がした。
可愛い女の子との祭りデートならいいのに、相手は謎の男なのだ。
「祭りと言えば、加古川さんとこも盆休みで帰省してるらしいよ。昔よく一緒に縁日で遊んだの、覚えてるかい?」
浴衣にアイロンを掛けながら母親が懐かしそうに目を細める。
“カコガワ”という名前にはいまいちピンと来なかったが、“縁日で遊んだ”というフレーズには何人かの幼馴染たちが当てはまった。
「赤い浴衣が可愛くてさぁ、あの頃は女の子にしか見えなかったけど、流石に今はちゃんと男の子になってたよ」
カラカラと楽しそうに笑う。
母親の言葉に一気に思い出があふれ出し、そしてハッとした。
「母ちゃん、アルバムどこやったっけ!?」
掴みかからんばかりの勢いで尋ねる。
「アルバム? 確かアンタの部屋の押し入れに・・・」
「分かった!」
答えを聞くなり、俺はバタバタと二階に向かった。
押入れの中には数冊の分厚いアルバムが入っていた。
埃に咳き込みそうになりながらも必死に目的の写真を探す。
高校の入学式、中学の修学旅行、小学校の頃の野球の試合・・・3冊目のアルバムに差し掛かった時、ようやく見つけた。
小学2年生の頃、初めて子供だけで縁日に言った日の写真。
俺はど真ん中で、飛び切り可愛い女の子と手を繋いでピースサインをしてる。
女の子の指には指輪が嵌められていて、確かこれは俺が買ってやったんだと思う。
今思えば、ガキのくせにかなりのカッコつけだ。
「やっと・・・思い出したぞ」
俺は写真に向かって呟く。
少し頭が混乱していたが、それでもいいと思った。
明日の夜、町が祭りで賑わう時までに、言いたいことを整理しておけば良い。
そして祭りの日、当日。
しっかりと糊付けされた浴衣を着付け、俺は神社の裏側にやって来た。
ハルキとの待ち合わせ場所だからだ。
「おっ、ちゃんと来てくれたね」
この前と同じように足先だけを池の水に漬けて涼んでいたハルキは、俺の姿を見るなり嬉しそうに微笑んだ。
「約束したからな」
俺もつられるように頬を緩める。そして、ハルキの隣に腰を下ろした。
ハルキの浴衣は白地に紺色の菖蒲の花が描かれていて、多分女物だろうと思う。それでも全く違和感もなく、むしろよく似合っていた。
そして何より、その浴衣にも、俺は覚えがあった。
「お前、“晴子”だろ?」
浴衣の袖をついと引っ張り、俺は意を決したように問いかける。
ハルキは瞳が零れそうな程大きく見開いて俺を見つめ返した。
「予知夢なんて嘘つきやがって・・・」
責めるように呟いてみる。
ハルキは口を尖らせて、わざとらしく大きなため息を付いた。
「だって、誰かさんが全然思い出してくれないから」
「・・・う・・」
それを言われると確かに俺の落ち度。
だけど、俺にだって言い分はある。
「仕方ないだろ、俺はお前のこと女の子だと思ってたんだよ。名前だって、ずっと“晴子”って呼んでたし」
思い出せなかった理由を言い訳がましく言ってみる。
「皆が俺のこと女みたいだからってからかって呼んでたあだ名でしょ? そんなのしか覚えてなかったんだ・・・」
ハルキはまた一つ大きなため息。
俺が何も言えずにいると、我慢できなかったらしくふっと笑みを漏らした。
ハルキ・・・加古川晴希(かこがわ はるき)は小学校3年の時に引っ越して行った、俺の幼馴染だった。
同じ年の割には小さくて妙に可愛くて、だから俺は女の子だと信じて疑わなかったのだと思う。学校も別だったし。
小学校2年生の夏、俺たちは子供だけ5、6人で祭りに出掛けた。
その時“晴子”はお姉さんのお下がりだというそれはそれは可愛らしい赤い浴衣を着ていて、当然皆にからかわれ、泣きべそをかいていた。
俺はそんな“晴子”を楽しませてやりたくて、手を繋いで金魚すくいや射的、ヨーヨー釣りなど、とにかく色んなものに誘った。
そんなことをしていたらあっという間に他の奴らとはぐれて、いつの間にか二人だけになってた。
“晴子”ははぐれてしまった不安から、遂に本格的に泣き出してしまい・・・ほとほと困り果てた俺は、夜店で指輪を買ってやったんだ。
あの頃の俺にすれば全財産をはたいた高価なプレゼントだったが、今思えばとてもささやかな品だ。
「こんな安モン・・・よく大事に取ってたな」
晴希の小指に触れ、俺は苦笑する。
アルバムの写真と同じ指輪が、今またこうして目の前にある。それは何とも不思議な感じで、何ともこそばゆい心地がした。
「安モンなんて言わないでよ。俺の大事な宝物なんだから」
晴希はわざとらしく拗ねた表情を浮かべる。
そして指輪を隠すように手のひらで覆い、愛おしそうに唇を寄せた。
(・・・覚えてるよな・・やっぱ・・)
艶めいたハルキの表情に、俺は思わず視線を逸らす。
指輪と浴衣を交互に盗み見るようにしてから、頬をぽりぽりとかいた。
“晴子”に指輪を渡した時、丁度ハルキのお姉さんとその彼氏に遭遇した。
お姉さんは当時高校生くらいだったと思うが、随分大人びた浴衣を着ていてとてもきれいだった。
彼氏と手を繋いで歩く姿がまた絵になっていて、その光景には子供ながらに憧れた。
それは“晴子”も同じだったようで、すっかり涙も止まり、ぽーっと二人を見ていた。
そんな“晴子”を見て、俺は言ったんだ。
『晴子がもうちょっと大きくなったら、あの浴衣もお下がりで貰うんだろ? そしたら、あの浴衣着て・・・今度は二人で祭りに来ような』
あの頃の俺にしてみたら、精一杯の口説き文句だった。心臓が口から飛び出しそうだったのを今でも覚えてる。
俺は“晴子”が好きだったから。
「俺、ずっと結那のこと好きだったんだ」
不意に、晴希が呟く。
“よいしょ”なんて言いながら立ち上がると、悪戯っぽく微笑んだ。
「ごめんね、“晴子”じゃなくって」
「・・え・・」
気持ちを見透かされたような言葉に、俺は何も言えずに晴希を見つめる。
晴希は笑っているが、何処か切なそうにも見えた。
「ほら、そろそろ屋台回ろ? 昔みたいに金魚すくいで勝負しようよ」
座ったままでいる俺に、晴希が手を差し伸べる。
俺はその手を取って、そして思いきり引き寄せた。
「もう!なんでそんな荒っぽいの?」
思い切りよろめいて俺に倒れ込んできた晴希が眉を顰めて抗議する。
「あー・・ごめんごめん」
俺は素直に謝りながら、晴希の身体を抱きしめた。
神社の石段で、晴希はすぐに俺に気付いた。
駆け寄って、抱きついて、“会いたかった”と言ってくれた。
俺が少年野球をやっていたことを覚えていた。
子供の頃の思い出の詰まったこの池で、晴希の名前を初めて呼んだ俺に、“今度は名前を憶えてくれてた”と言った晴希はどんな気持ちだったんだろう。
全く思い出しもせず、むしろ冷たくすらしていた俺に、何を思ってキスしたんだろう。
どういう想いで祭りに誘ったんだろう。
そんなことを考えていたら、晴希を抱き寄せずにはいられなかった。
「結那?」
晴希が不思議そうな顔をする。
俺は意を決したように言った。
「俺も、ずっと晴希が好きだった」
たちまちのうちに、晴希の目が真っ赤になる。
大きな目から涙が零れたが、その表情は泣きべそをかいていた小学生の頃とは違い、随分綺麗だった。
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