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Ⅵ 決断は遅きに失し
78. 夜会のその前に
しおりを挟む王宮での夜会が明後日に迫ったその日の朝。普段はおとなしくおしとやかなメリッサさんが、慌てた様子で教室に飛び込んできた。
「ミュリエル様、大変ですわ!」
「どうしたの、そんなに慌てて」
「ミュリエル様、念のためお伺いしますけれど、明後日が何の日かご存知でしょうか?」
「明後日? もちろんよ。王宮で夜会が開かれる日でしょう?」
セーファス様が準備に駆り出されていた、あの王妹様が一枚噛んでいる夜会だ。
「やっぱり……」
メリッサさんがその場に崩れ落ちるかのように椅子に座る。
「え、ちょっと。本当にどうなさったの、メリッサさん」
「ミュリエル様、どうか落ち着いてお聞きください。明後日、王宮で……殿下の婚約者を選ぶ、選抜試験なるものが行われるそうです」
「選抜試験……?」
「えぇ。なんでもマナーからダンスから、学院での学習内容まで幅広く試験を行い、殿下にふさわしい方を選ぶのだとか。参加者は婚約者候補全員ですわ」
その選抜試験では、婚約者候補たちは朝から王宮に集合し、試験を受けるのだという。夜会はダンスやマナー、社交力を測るための試験会場にされたようだ。
そして、そこで引っかかるのは婚約者候補全員、という言葉。私はまだセーファス様の婚約者候補だ。だが――。
「もしかして、私も? でも、そんなの……聞いてないわ」
「主催者がメイヴルール公爵夫人ですから、何かしらの手が回されていたのかもしれません」
「ええと、メイヴルール公爵夫人というのは?」
「王妹様です! お忘れですか? 私はその場におりませんでしたけれど、叔父から伺っております。以前、ミュリエル様がデビューなさった夜会で、セーファス様との仲を認めないとおっしゃられた方がいらしたでしょう? その御方ですわ」
私ははっとした。もう遠い昔のような気がするが、ほんの四か月前のこと。たしかにそんな出来事があった。それが王妹様であるという認識はあったが、名前までは記憶していなかった。
けれどそれで私は納得した。王妹という立場を使えば、関係者に婚約者選抜試験の実施に関して言わないようにさせ、私に悟らせないことなど容易だっただろう。
というか、この夜会に王妹様が一枚噛んでいることは知っていたのだ。もう少し警戒すべきだったのかもしれない。
「レイラ様がミュリエル様から距離を取られたのも、その社交界デビューについて、お茶会で夫人が口にされたから……でしたが、もしかしてそれもお気づきではいらっしゃいませんでしたか?」
「お茶会で、なんて?」
「あの子は失格よ、と。社交界デビューでの出来事自体はセーファス様が手を回されて、私たちの耳に届くことはありませんでしたが……」
それで納得した。レイラ様が離れていってしまったのは、決して突然ではなかったのだ。きちんとしたきっかけとなる出来事があった――。
「いえ、それは一旦置いておきましょう。それより試験はどうなさいます? こんな直前では準備なんてとても間に合いませんわ。いくら気に入らないからといって、このようなことをなさる方だったなんて――」
「メリッサさん! 駄目。それ以上は言っては駄目よ」
降嫁しているとはいえ、元王族。不敬罪は適用されるのだ。こんな、他にも生徒たちがいる教室で口にしていい言葉ではなかった。
私自身もメリッサさんの言葉を聞かなかったことにして話を進める。
「メリッサさん、知らせてくださってありがとうございます。あとで殿下とお話してみますね」
「では、試験をやめさせるのですね?」
「いいえ。私……婚約者候補であることを辞退してこようと思うの。私を想ってくださる殿下には申し訳ないけれど、私自身、自分が殿下の婚約者にふさわしいとは思えないもの」
「そんな! ほとんど内定されているミュリエル様が降りられることは、逃げたとみなされてしまいますわ。そんなことなさったらどんな陰口を叩かれるか……。それに、このタイミングで降りられることは大変不名誉なこと。結婚できなくなってしまいますわ」
選抜試験直前での離脱。ミュリエルが侯爵令嬢であることも相まって、大スキャンダルとなるだろう。
評判第一の貴族社会だ。メリッサさんが言うように、今後、結婚できなくなる可能性は極めて高かった。
ふっと思い浮かんだのはベイル様のお姿。セーファス様との婚約に未練はないが、誰とも結婚できなくなってしまうことには少し躊躇いがあった。
別に、ベイル様と結婚したいからというのではない。いや、したいけれど、それが無理なことはわかっているのだ。ベイル様にはもう婚約者がいるのだから。
ただ、無駄だとわかっていても、気持ちを伝えたいと願ってしまう。一度も伝えることのできなかった気持ちは行き場を失くし、私の心で燻っている。きちんと振られることができたら、それも変わるのではないかと期待していた。
ベイル様とは冬期休暇中のデートを最後に、以降まともに顔を合わせていない。けれどこの選抜試験を断れば、その瞬間から、私は侯爵家の恥としてひっそりと身を隠すことになり、ベイル様とは二度と会えなくなるだろう。一方、選抜試験を受けることにすれば、少なくとも結果の出る明後日までは、会えるチャンスがあった。
抗いがたい誘惑だ。それでも意見は変えられない。私の決意は決まっていた。
「大げさね。相手が貴族でなければ嫁げるわ。そうね、どこかの裕福な商人にでももらっていただこうかしら」
元々貴族ではなかったのだ。村での辛い生活も経験している。たとえ貴族でなくなったとしても死にはしないはずだ。
――なんていうのは、もちろん私の強がりで。時を戻せるなら、ベイル様に告白されたあの瞬間に戻してほしかった。
もしあの時に戻れるのなら、私は一二もなく頷くだろう。
私はベイル様に恋をしてしまった。
そして、それは簡単に忘れられるものではない。もしかすると、一生、忘れられないかもしれなかった。
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