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Ⅵ 決断は遅きに失し
82. 嘘でした。撤回します
しおりを挟む「あの、ガーゼとか、包帯は……?」
ひとまず自分のハンカチで傷口を押さえて圧迫止血をするが、私の求める道具は袋の中に見当たらない。じわじわと血がしみだしてくるハンカチを見て、私はだんだんと焦ってきた。
「お、お兄様っ」
「やはりそうか……」
当のお兄様は平然としていた。ただ私の言動にだけ、小さくため息をついた。
「ミュリエル。ガーゼや包帯といった旧式のものはうちには置いていない。いや、王都ではどこを探してもないだろう」
「え……?」
「ちなみに止血のための器具はこれで、傷口を塞ぐための器具はこっち。どちらも神秘の道具だ」
私は愕然とした。私はこの世界の多くが神秘によって成り立っていることを完全に忘れていた。
私の場合、貴族の令嬢であるから大半のことはメイドがしてくれる。だからこれまで意識する必要がなかったのだ。
「ほら」
お兄様から器具を手渡され、それをまじまじと見る。
起動は一般的な神秘の器具と同じようなので起動させられる。けれどすぐにそれだけでは使えないことに気づいた。家庭に置いてある救急道具といえども医療器具であることには違いない、ということなのだろう。視覚化されている神秘の一部に、安全装置のような仕組みが見えた。
神秘の道具には一般的に、誰でも使えるものと、あえて神秘を使いこなせるものしか扱えないように作られているものとがあった。前者はトイレやお風呂のように、誰が使っても同じ結果を得られ、危険性がないもの。後者は台所の火や武器などの危険なものや、使った結果に違いが出てくる可能性のあるもの。
今回の場合、救急道具は「使った結果に違いが出てくるもの」にあてはまっていた。ゆえに、誰でも使えるようになっていなかったのだ。
つまり、ただ起動させるだけでなく、安全装置を解除するように神秘を流さなくてはならないということで、私はそれに神秘を流してみる――のだが。
器具は無反応だった。
「ミュリエル、貸してごらん」
お兄様は自分で手早く起動し、あっさりと治した。傷口は綺麗に消え、私の手に残されたハンカチの血だけが、お兄様の怪我が現実だったことを示す。
「へたな者が使うと傷跡が残ったり、傷が悪化したりする。だから、きちんと扱える者にしか使えないような仕組みになっているんだ。おそらく、今のミュリエルに使えるのはこれだけだろう」
見せられたのは先ほど三角巾だと思った白い布。
「応急布(おうきゅうふ)だ。これをあてると傷口の状態を維持する。自己治癒も止まるが悪化が防げるから、救急道具を使える大人が駆けつけるまで持たせるために、子どもたちが使う道具だ」
「子どもたち、が……」
きっとわざとなんだろう。わかっていてもお兄様の言葉は屈辱的で、私はそれ以上なにも言えなくなってしまった。
本当は、応急布だけでもいいから手伝わせてほしい、と言うべきだったのかもしれない。けれど言えなかった。応急布しか使えないことを、恥ずかしいと思ってしまったから。
「ミュリエル、その心意気は認める。民を守るために奔走するのは貴族の責務だしな。だが、今はどうか大人しくしていてくれ。私がミュリエルの分まで尽力するから」
なだめるように言うお兄様の顔を、私はもうまっすぐとは見れなかった。
傷の手当てくらいなら、そう考えなしに言ってしまったことを後悔する。最初にメイドや使用人たちが微妙な顔をしたのは、私が十分に神秘を扱えないことを知っていたからだろう。
とはいえ、私だってまったく神秘を使えないわけではない。冬期休暇中の特訓のおかげで、かなりの数の基本構成も覚えた。自分で発現させる神秘でもオンオフ機能をつけられるようになったりと、確実に成長はしているのだ。
だから――たぶん救急道具も、使い方を教わって、一ヶ月程度訓練すれば、使えるようになっていたと思う。
ただ、私は救急道具が神秘の道具だと知らなかったし、救急道具が必要な状況になるということを想定していなかった。
結果、必要とされる今、使うことができないという現実にぶつかってしまったのだけど。
誰も言ってくれなかったから、教えてくれなかったから、というのは言い訳にはならない。
もっと周囲に意識を向けていれば。自分のことにかかりきりにならず、他のことにも関心を向けていれば――。
知る機会はちゃんとあったのだ。
神秘を使いこなせるものしか使えない道具があることは学院で習っていたし、移民たちがいることやその問題点だって、もっと外に出たり、色々な人と交流していれば気づけただろう。
でなくとも私は、遠くない未来に、リングドル王国に危機が訪れることを知っていたわけだし、そのとき自分が行動しなければならないだろうこともわかっていた。
それなのにどうして、戦う術なり、治療する術なりが必要になるかもしれないと考えなかったのだろうか。どうして今後起こるかもしれないことに備えようとしなかったのだろうか。
日本にいた頃とは違って、この世界にはテレビがない。自分で意識しなくても情報を届けてくれるような環境はなかった。
それはつまり、知ろうとしなければ何の情報も得られないということで、意識して興味関心を向けなければ、大抵のことは知らずに終わってしまうということだ。
だのに、私はこれまで何をしていただろうか。何かを知ろうとしてきただろうか。
ただただ自分を取り繕うことに必死で、なにかを成そうとか、知ろうとかしてこなかった。
気にしていたのは周囲の視線ばかり。学院というちっぽけな世界の中だけを気にしたってしようがないのに。
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「これで国が滅んだら――」
私のせいになるのだろうか。いや、それすらも思い上がりかもしれない。
思わず口から乾いた笑いがこぼれた。
本当に、私は今日まで何をしてきたんだろう。
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