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Ⅷ 優しさ、たくさん

115. ただいま混乱中

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 目を開けると知らない天井が見えた。瞬間、飛び起きる。
 知らない天井、知らない部屋。私は半ばパニックになりながら入り口へと駆ける。そして、外に出ようとしたとき、真正面からドン、と鈍い衝撃を受けた。

「おう。起き――」
「やっ、や、ヤダ! ヤダヤダヤダ!」

 逃げられない。捕まった。殺される。一瞬にして脳裏が恐怖で埋め尽くされる。

「リアちゃん!」

 男性の一喝。ビクリと肩を震わし、それから、おかしいと気づく。

「リアちゃん、俺だ。バッソだ。落ち着け」
「あ……」

 おそるおそるぶつかった人から離れ、顔を上げると、よく見知った黒くてちょっとごついバッソさんの顔があった。

「バッ、ソ、さん……?」
「そうだ。バッソだ」

 それからゆっくりと部屋を見回すと、ここが、知らないけれども見慣れた雰囲気の部屋だとわかる。

「村……?」
「おう。俺んちだ。中に入れたのは初めてだな」
「そっか、よかった……」
「っと」

 崩れ落ちた私をバッソさんが慌てて抱き止める。荷運びで鍛えられた腕はたくましく、片手でもまったく危なげなかった。

「まあ、座れや。白湯でも入れよう。それとも、薬湯のほうがいいか?」
「さ、白湯で」
「ちぇっ」

 即答するとバッソさんは舌打ちした。
 バッソさんが入れる薬湯は村でも一、二を争うまずさだ。私はどんなに体調が悪かろうが、バッソさんの薬湯だけは飲まないと決めていた。幸いにも、これまで私が体調を崩した時、薬湯を入れてくれるのは乾物屋のおばちゃんだったので、被害にはあっていないが。

「バッソ、どうだい?」

 乾物屋のおばちゃんを思い浮かべたタイミングで、ちょうど本人が顔を出した。普段と変わらない、穏やかなおばちゃんの笑みに思わずほっとする。

「ああ、ちょうど起きたとこだ」
「そうかい、じゃまするよ」

 どうやらバッソさんは乾物屋のおばちゃんを呼びに行っていたらしい。おばちゃんはまっすぐに私の元へくると、心配そうに顔を覗き込み、やさしく頬に、額にと触れた。

「うん、まだちょっと青白いが、大丈夫そうやね」

 私は頷く。もとより体調が悪かったわけではないのだ。少し、いや、かなり驚き、怯えてしまっただけで――。
 思い出した瞬間、怖くなった。小刻みに体が震え、頭が真っ白に――。

「リアちゃん」
「あ……」
「大丈夫。大丈夫だから、しばらくここにおりなさい」

 しばらくここに――つまり、バッソさんの家にいるということか。
 でも、バッソさんの家は村の中にある。村の中は、危険だ。見つかってしまう。

「これ。私の言葉は信じられないかい?」

 私は一瞬迷うも、首を横に振る。乾物屋のおばちゃんは、私がこの村に来たときからずっと私を気にかけてくれた人だ。信じられないなどと言ったらバチが当たる。

「ん、大丈夫さ。リアちゃんはここでゆっくり養生してればいいんよ。今日は私もここにおるから」
「うげっ。んじゃ俺はどこで寝んだよ」
「その辺に転りゃいいだろう? 安心しな。馬鹿は風邪ひかん」
「ひでぇ」

 いつもどおりのやり取りに思わず気が抜ける。大丈夫、という乾物屋のおばちゃんの言葉がすっと心に染みた。

 バッソさんの家は、私の家よりは家らしい作りだったが、板敷きとなっている場所はあまりない。おばちゃんと私が寝たらそれでスペースは埋まるだろう。私は申し訳なくなって、帰ると告げようとしたけれど。

「リアちゃんは気にしなくていいからね」
「なんで干しばーさんが言うかね。いや、まあ、間違っちゃねーけど。まあ、そういうことだ。リアちゃんは気にすんな」

 口に出す前に言葉を封じられてしまった。
 本当に、この村の人たちは私を甘やかすのが上手い。

 
 
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