ダブル・スタンダード〜亀を助けたら、若返りの魔法を手に入れました〜

ryon*

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夢じゃなかった!

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 背後から誰かが、僕を優しく抱きしめる気配。
 窓から差し込む朝の光で目を覚まし、目の前にあった柳瀬君の顔を目にした瞬間、一気に覚醒した。

 ……嘘だろ。まさかあれ、全部夢じゃなかったのか?

 何度も求め合った後、僕は彼の腕の中で寝落ちてしまったらしい。
 壁掛け時計をそっと確認すると、時刻は朝の6時過ぎ。
 うっかり眠ってしまったけれど、そろそろあの妙な若返り薬の効果が切れている頃だろう。

 彼の腕からそっと抜け出して浴室の前にある鏡台の前に立ち、自分の顔を確認する。
 ランニングやジムで鍛えているため、年齢の割に体はそこまで酷くはないと思う。
 だけど肌のハリや艶は、昨夜の自分を思うと段違いだ。……もちろん、悪い方の意味で。

 もし今の姿を彼に見られたらと思うと、心底ゾッとする。本当に、危ないところだった……。

 リュックから、例の薬を取り出す。瓶の蓋を開け、ひと粒飲み込んだ瞬間、昨夜同様喉が焼けるように熱くなった。

「もう起きたのか? 君、早起きなんだな」

 ガシガシと頭をかきながら、裸のまま僕の体を後ろから抱きしめる柳瀬君。
 それに驚き、小さな悲鳴を上げた。

「ひっ!?」

 間一髪のところでバレずにすんだけれど、こんな秘密がバレたら、本当にいたたまれない。
 だって、そうだろう? 直属の上司で、しかも彼よりもずっと年上のおじさんを抱かせてしまったのだ。
 ……こんなの、彼のトラウマになりかねない。

「ひって、酷いな。驚き過ぎじゃね?」

 拗ねたような口調で言われ、またしても心臓がドクンと大きく跳ね上がる。

「いきなり後ろから抱きつかれたら、誰でも驚くと思うけど?」

 無理やり笑みを作り、余裕なふりをして答えた。

「たしかに。でも起きたら姿が見えなかったから、逃げられたかと思って」

 そんな言葉を口にしながら、首筋に優しくキスを落とされた。

 昨日の誘われ方から、彼はこういうことは言わないタイプの人間かと思っていた。
 というのもこれまでワンナイトの関係を持ってきた男たちの態度は、皆さっぱりしたものばかりだったからだ。

「……連絡先って、聞いてもいい? また会いたい」

 耳元で甘く囁かれ、嬉しさのあまり表情が緩みかけたがちょっと待ってくれ。……こんなことになるなんて思っていなかったから、メールアドレスもSNS用のアカウントも用意してきていないぞ!

 というのもこれまでは、連絡先を聞かれたら本名が田中 海斗なため、プライベートと仕事で共用しているKAITO名義のSNS用のアカウントを使ってきたからだ。
 ……こんなのを教えたら、僕がなんで職場の上司『田中さん』と同じIDを使っているのだと詰められ、確実に詰む。

 だけどこれっきりの関係にするのは、惜しい。だって恋人としてでなく、セフレとしてでも彼に関係の継続を求められているのだから。

「……ごめんなさい、連絡先の交換はすべて断ってるんだ。だからまたあのバーで会えたら、その時はよろしくね」

 もっともらしいお断わりの言葉を口にしたが、昨日の会話からも、不審に思われることはきっとないはずだ。
 それに彼がもし本当に遊び慣れているのであれば、激昂することもないだろうし。
 ……とはいえこれまで僕が見てきた柳瀬君の温和で人当たりのよいイメージからして、激昂なんてものをする可能性の方が低いだろうけれど。

「……了解、分かったよ。じゃあまた会えたら、その時はよろしく」

 ちょっとだけ不満そうな様子ではあったものの、一応納得はしてくれたようだ。
 彼はあのバーの常連さんみたいだから、僕が足繁く通ったさえまた会えるはず。
 
「うん、こちらこそ。本当に、ごめんね。じゃあ僕は、シャワーを浴びてくるから。お兄さんは、もう少しの間寝ててくれても大丈夫だよ?」

 彼の頬にキスをして、シャワーを浴びるため浴室に入ろうとしたら、再び抱き寄せられた。

「せっかくだし、風呂に湯を張って一緒に入ろ? その方が、効率的だし」

 ……お風呂に一緒に入って、本当に何事もなく終わるのだろうか?

 そんな疑問が頭をもたげかけたが、こちらとしても名残は惜しい。
 なのでその提案を、素直に受け入れた。
 そして、その結果。……僕は腰が抜けるくらい、再び
何度も貪られたのだった。

***

 月曜の朝。駅の改札口を抜けたところで、声をかけられた。

「おはようございます、田中さん。……もしかして、寝不足気味ですか?」

 振り返るとそこには、スーツに身を包んだ爽やかなひとりの青年がひとり。
 その相手は、言うまでもない。僕を散々悩ませ、寝不足に陥らせた張本人、柳瀬君その人である。

 だけど当の本人はそんな事情を知る由もないから、こうしていつもどおり話しかけて来たわけだが。

「おはよう。……うん、ちょっとね。けどそんな風に部下に心配されちゃうだなんて、僕もまだまだだな」

 にへらと笑って答えると、彼は真剣な表情で言った。

「いえ、そんなことは。……だけど、心配くらいはさせて下さい」

 本当に真面目で、いい子だよなと思う。だけどその一方で、こうも考えてしまうのだ。
 ……あの夜の君と、今の君。どちらが本当の姿なの?

 だけどそんなことは聞けるはずもないから、ただ曖昧に笑みを返した。

 いつものように当たり障りのない会話をしていたら、あっという間に会社に到着していた。
 だけどそこで、いつもとは異なる事態が起こる。
 というのも柳瀬君が、屈託のない笑みを浮かべて思わぬ質問をしてきたのだ。

「あ、そうだ! ねぇ、田中さん。今日もお昼はコンビニで何か買ってくる予定ですか?」

 その質問を疑問に感じながらも、素直に答えた。

「うん、その予定だけど……」
 
 すると彼は表情を崩して、人好きのする笑顔で聞いた。

「もし昼休みに買いに行くつもりなら、一緒にランチ行きませんか? 今度の企画経費で、偵察を兼ねてなんか美味しいものを食べに行って来ていいよって部長に言われてて」

 彼が今担当している、コラボカフェ。メニュー開発にも携わっているようだから、部長の提案は至極まっとうなもののように思える。
 だけどこんな風に彼から誘われたことはなかったから、少しだけ戸惑った。

「僕だけだと、そんなにたくさんのメニューを試せませんし。……それに若い女性をターゲットにしたお店だから、僕ひとりで行くのはさすがに罰ゲーム過ぎて」

 その言葉に、思わずプッと噴き出した。

「それじゃ、遠慮なく。とはいえおじさんが追加になったところで、余計に悪目立ちするだけだと思うけどね」

 すると柳瀬君は、いつになく真剣な表情で告げた。

「何を言ってるんですか? 田中さん。……田中さんは、おじさんなんかじゃないです」

「変に気を遣わないでくれよ、余計にむなしくなるじゃないか。36歳なんて、世間じゃもう立派な親父だから」

 ククッと笑って答えると、彼は一瞬だけ不満そうにしていたものの、それ以上否定も肯定もすることなくただ軽く肩をすくめて見せた。
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