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万華鏡
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「万華鏡をね、逆さまから見るとね、将来のお婿さんが見えるらしいんよ」
妹の晴子は、そう述べた。けたたましく蝉が鳴く、夏の頃だっただろうか。その頃、私は晴子とともに学校に通い、帰宅すると晴子の世話をするというのが日常であった。父が亡くなったのは、私がまだ幼いころだった。母は一人で私たちを育てることになり、それゆえ、自然と晴子の世話を私が見るようになった。
「そうなんやね、晴子はもう見たん」
私は算数の宿題を、晴子は宿題にとっくに飽きて、手遊びをしていた。
「それは秘密やね、良ちゃんも見てみたら」
晴子は私に目すら合わせず、ぶっきらぼうに述べた。晴子がすこし不機嫌になるのもよくわかる。夕方とは言え、なお汗は噴き出す。汗は目に落ちてきてヒリリと滲みるし、宿題以外にすることもない。私は宿題を終えたら晩のご飯の準備して時間を潰せるけれど、晴子は暇で暇で仕方のない状態であった。
「そうねぇ、私も見てみようかしら」
あと三問解けば、宿題は終わる。最近の小林先生の宿題は、少し悩ませるものが多い。それもそうだろう、来年からは中学生になるのだ。
「良ちゃんは楽しいの、毎日することもないんに」
「楽しくないと言えば、嘘にはなるわね」
手汗でノートがしわしわになりつつある。せめてこの暑さだけでもなければ、私たちもそれとなく日常を過ごせるんだけど。
ひとつだけ、楽しみなこともある。それは、もうすぐ夏休みだという事実だ。今年の夏は、祖父の家に行き、農業を手伝う。晴子も大好きな作業であった。先の大戦以降、祖父の田畑は痩せ細ってしまったけれども、それでもなお、甘酸っぱくて、水々しい野菜が実る。
「ねぇ、見てみてよ、万華鏡」
晴子が今度は私を見て述べた。
「もう、しょうがないわねぇ」
万華鏡は黄緑色の和紙で包まれていて、手触りは少しヒヤリとしていた。私の手にすっぽりと収まってしまうくらい、小さいものなのだけれども、これは私たち姉妹の宝物でもあった。というのは、これが父のくれた、東京の土産だったからである。晴子は万華鏡に夢中になって、一日中見ていたことがある。外で見るとキラキラして綺麗だ、なんて言って笑っていたのだけど、途端に泣き出した。晴子は太陽を見てしまったらしく、たくさんの泪を流していた。お父さんったら今まで見たこともないくらいに、慌てふためいていて、私もお母さんも驚いたような気がする。お父さんは晴子をおんぶして、何回か転けそうになりながらも、近くの徳山病院に連れて行った。お医者さんに診てもらって、無事だってわかったことをいいことに、晴子は今日だって、懲りずに外で万華鏡を眺めていた。
「良ちゃん、早くしてよ」
「ごめん、ごめん」
万華鏡を逆さまから覗く。見えるものなんて、きっと、白っぽいフタごしの、その先にある緑や赤、水色の小石たちに違いない。だいたい、晴子ったら、お婿さんだなんて言葉、どこで覚えたのかしら。
とはいえ、いざ覗くとなると、私自身もやや胸が小躍りするのであった。一体全体、お婿さんは誰なんだろうか。徳ちゃんだったらいいな、野口君もいいな、なんて思っていると、玄関がガタゴトと音を立てた。
「あっ、お母さんだ」
晴子が大声を出し、玄関口まで走っていった。意地っ張りの蝉が何匹か、もう夜が近づいてきているというのに、まだ鳴いている。晴子の足音が部屋に響く。
そうっと、そうっと。万華鏡を逆さまにみる。和紙は少しだけひんやりしていて、まるで、夜の涼しさを表しているようだった。
万華鏡を逆さまにみると、お婿さんがみえる、だなんてきっと嘘だ。私は佐々木君なんて全く興味もないし、おそらく彼とは中学は別になるだろう。だけれども、自分でも、急に顔が火照ってきたのがわかった。だけど、きっとこれは、暑さのせいに違いない。
良子もまた、晴子と母の方へと走っていった。ついさっきまで鳴き続けていた蝉の声は、だんだんと少なくなっていた。
妹の晴子は、そう述べた。けたたましく蝉が鳴く、夏の頃だっただろうか。その頃、私は晴子とともに学校に通い、帰宅すると晴子の世話をするというのが日常であった。父が亡くなったのは、私がまだ幼いころだった。母は一人で私たちを育てることになり、それゆえ、自然と晴子の世話を私が見るようになった。
「そうなんやね、晴子はもう見たん」
私は算数の宿題を、晴子は宿題にとっくに飽きて、手遊びをしていた。
「それは秘密やね、良ちゃんも見てみたら」
晴子は私に目すら合わせず、ぶっきらぼうに述べた。晴子がすこし不機嫌になるのもよくわかる。夕方とは言え、なお汗は噴き出す。汗は目に落ちてきてヒリリと滲みるし、宿題以外にすることもない。私は宿題を終えたら晩のご飯の準備して時間を潰せるけれど、晴子は暇で暇で仕方のない状態であった。
「そうねぇ、私も見てみようかしら」
あと三問解けば、宿題は終わる。最近の小林先生の宿題は、少し悩ませるものが多い。それもそうだろう、来年からは中学生になるのだ。
「良ちゃんは楽しいの、毎日することもないんに」
「楽しくないと言えば、嘘にはなるわね」
手汗でノートがしわしわになりつつある。せめてこの暑さだけでもなければ、私たちもそれとなく日常を過ごせるんだけど。
ひとつだけ、楽しみなこともある。それは、もうすぐ夏休みだという事実だ。今年の夏は、祖父の家に行き、農業を手伝う。晴子も大好きな作業であった。先の大戦以降、祖父の田畑は痩せ細ってしまったけれども、それでもなお、甘酸っぱくて、水々しい野菜が実る。
「ねぇ、見てみてよ、万華鏡」
晴子が今度は私を見て述べた。
「もう、しょうがないわねぇ」
万華鏡は黄緑色の和紙で包まれていて、手触りは少しヒヤリとしていた。私の手にすっぽりと収まってしまうくらい、小さいものなのだけれども、これは私たち姉妹の宝物でもあった。というのは、これが父のくれた、東京の土産だったからである。晴子は万華鏡に夢中になって、一日中見ていたことがある。外で見るとキラキラして綺麗だ、なんて言って笑っていたのだけど、途端に泣き出した。晴子は太陽を見てしまったらしく、たくさんの泪を流していた。お父さんったら今まで見たこともないくらいに、慌てふためいていて、私もお母さんも驚いたような気がする。お父さんは晴子をおんぶして、何回か転けそうになりながらも、近くの徳山病院に連れて行った。お医者さんに診てもらって、無事だってわかったことをいいことに、晴子は今日だって、懲りずに外で万華鏡を眺めていた。
「良ちゃん、早くしてよ」
「ごめん、ごめん」
万華鏡を逆さまから覗く。見えるものなんて、きっと、白っぽいフタごしの、その先にある緑や赤、水色の小石たちに違いない。だいたい、晴子ったら、お婿さんだなんて言葉、どこで覚えたのかしら。
とはいえ、いざ覗くとなると、私自身もやや胸が小躍りするのであった。一体全体、お婿さんは誰なんだろうか。徳ちゃんだったらいいな、野口君もいいな、なんて思っていると、玄関がガタゴトと音を立てた。
「あっ、お母さんだ」
晴子が大声を出し、玄関口まで走っていった。意地っ張りの蝉が何匹か、もう夜が近づいてきているというのに、まだ鳴いている。晴子の足音が部屋に響く。
そうっと、そうっと。万華鏡を逆さまにみる。和紙は少しだけひんやりしていて、まるで、夜の涼しさを表しているようだった。
万華鏡を逆さまにみると、お婿さんがみえる、だなんてきっと嘘だ。私は佐々木君なんて全く興味もないし、おそらく彼とは中学は別になるだろう。だけれども、自分でも、急に顔が火照ってきたのがわかった。だけど、きっとこれは、暑さのせいに違いない。
良子もまた、晴子と母の方へと走っていった。ついさっきまで鳴き続けていた蝉の声は、だんだんと少なくなっていた。
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