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第二章
008
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ヴィルヘルム様が未婚だった謎も解け、私はご満悦だった。
まぁ、普通の令嬢は戦闘経験もないし、逃げ出すのも無理はない。戦闘などしなくてもいいと言われても、タルヤ様が前線に出ているのに、ただ屋敷で一人待つというのは酷だったのだろう。
屋敷にいる皆がそれで良いと言っても、街中の噂まではどうにもならない。歴代の奥方様が皆戦っていると知っていれば、何もできずに屋敷にいるというだけで民心が離れてしまうと考えたのではないだろうか。
役立たずと思われるのはとてもつらい。できる部分で頑張ったとしても、一度心が離れてしまえば挽回するのも難しく、マイナスからのスタートになってしまう。プライドの高さに関わらず、とてもつらい道のりになる。戦場に立つことができないことを考えると、なおさらこの場から逃げ出したくもなるだろう。
いくらヴィルヘルム様が優しくても、心を尽しても引き止められなかったのは、きっとそのせいだ。
そんなことを思っていると、遠くにキラキラと輝くものが見えた。ところどころ反射しているのは、湖よりも大きい水面だ。
「海だわ」
病弱だった前世で、写真や映像でしか見ることができなかった海が眼下に迫る。この世界に生まれてからも、海には縁がなかった。
海が見えるということは、ヴィルヘルム様の邸宅も近いということだ。魔獣の動向も気になるけれど、隣国や貿易国との窓口にもなっている港町が重要だと、賑やかな港町から少しだけ森に近いところに先祖が邸宅を構えたと聞いた。
「海を見るのは……」
「初めてです! 夕日が反射して、とてもきれい」
海の色が橙色に染まっている。太陽の沈む先から一筋の線が伸びていて、太陽が世界に残す今日最後の光が、暖かな色となって海を照らしていた。
空はすぐに夕焼けから夜の闇へと色を変えていく。橙色から夜色へと変化する間のことを、確か前世ではマジックアワーと呼んでいた。魔法のように色が移り変わる瞬間。
「まるで魔法みたい」
思わず声が漏れる。背後でヴィルヘルム様が頷いたのが伝わる。
「だが、魔法のような光景はこれからが本番だ」
「どういうことですか?」
言った先から、眼下で光が瞬き始めた。太陽はすでに姿を消しているし、水面下で何かが光っているのだろうか。
空は藍色に染まり、星が光っている。その星が海に映っているのかしらと思ったけれど、そういうわけではないようだ。糸のように細い月が先程まで太陽が見えていた辺りにあるけれど、光の元はこれでもない。
ヴィルヘルム様は愉快そうに笑うと少し高度を下げ、海へと近付いた。
目を凝らしよく見てみると、光っているのは海の中に咲く花だ。花は小ぶりの八重咲きで大きな花ではないが、かすみ草のように集まって咲いている。
「まぁ! 花が光って……」
ただ光るだけではなく、ゆっくりと瞬いている。青白い光を放ちながら、緩やかに花開く。閉じたり開いたりを繰り返し、その度に淡い光が暗い海の中を照らすのだ。
「この国ではこの辺りにしか生育していない星光蜜花という花だ。元はもっと東の方が生育地らしい。こちらまで種が流れ着き、生育に適していたから増えたのかもしれないな。ちょうど見頃の時期だと思って寄ってみたが、今日はいつもよりも花開く量が多いようだ」
「海もこちらの花も初めてです。素敵な光景で感激しました。頭上にも眼下にも星が溢れていて……」
私はうっとりと海と空の星を交互に眺めながら、柔らかな笑みを浮かべたヴィルヘルム様に感謝の言葉を告げる。すると、さらに優しく目を細めたヴィルヘルム様が、俺も初めてだ、と言う。何がだろうと思いつつ首を傾げると、答えを教えてくれた。
「この水中花は船で近付くと光るのをやめてしまうんだ。だから、空からでないと見ることができない。一緒にこれを見てくれた女性は、母以外でエステリ嬢が初めてだ」
なるほど、そういうことか、と私は納得する。竜に乗ることができなかったんですね、今までの婚約者の皆様。魔獣自体が危険だと言われているから、いくら飼い慣らしていると言っても慣れ親しんでいなければ、側に寄るのも怖いに決まっている。たとえ、乗れたとしても地上を走る馬車よりも速度が出るため、乗り慣れていなければ怖いだろう。ここまでは陸からも少し距離があるし、恐怖を克服して辿り着くには無理があるかもしれない。
美しいものを一緒に見たいというヴィルヘルム様の気持ちも、魔獣が怖いという令嬢の気持ちも分かるので、どちらも残念なマッチングだったんだなと悲しく思った。
「この景色を見ることができて良かったです。ヴィルヘルム様の好きなものがひとつ分かりました」
でも、私は違うから。
こうして、ひとつずつヴィルヘルム様のことを知って、これからも隣で一緒に過ごしていきたい。これからも、素直な言葉で感じたままに伝えるようにしようと思う。
美しい景色をずっと眺めていたかったけれど、夜の海風は冷たい。後ろでレラのくしゃみが聞こえる。
それに気付いたヴィルヘルム様が、肌寒くないか声をかけてくれる。薄手のショールをかけていたので私はそこまで寒くなかったけれど、そろそろ陸に戻った方が良さそうですね、と言っておく。レラだけでなく、他の二人も少し寒そうにしていたから。
「あの、また時期が来たら一緒に見に来たいです」
連れてきてくださいますか、と尋ねれば、驚いた表情から満面の笑みを浮かべたヴィルヘルム様は大きく頷いた。
まぁ、普通の令嬢は戦闘経験もないし、逃げ出すのも無理はない。戦闘などしなくてもいいと言われても、タルヤ様が前線に出ているのに、ただ屋敷で一人待つというのは酷だったのだろう。
屋敷にいる皆がそれで良いと言っても、街中の噂まではどうにもならない。歴代の奥方様が皆戦っていると知っていれば、何もできずに屋敷にいるというだけで民心が離れてしまうと考えたのではないだろうか。
役立たずと思われるのはとてもつらい。できる部分で頑張ったとしても、一度心が離れてしまえば挽回するのも難しく、マイナスからのスタートになってしまう。プライドの高さに関わらず、とてもつらい道のりになる。戦場に立つことができないことを考えると、なおさらこの場から逃げ出したくもなるだろう。
いくらヴィルヘルム様が優しくても、心を尽しても引き止められなかったのは、きっとそのせいだ。
そんなことを思っていると、遠くにキラキラと輝くものが見えた。ところどころ反射しているのは、湖よりも大きい水面だ。
「海だわ」
病弱だった前世で、写真や映像でしか見ることができなかった海が眼下に迫る。この世界に生まれてからも、海には縁がなかった。
海が見えるということは、ヴィルヘルム様の邸宅も近いということだ。魔獣の動向も気になるけれど、隣国や貿易国との窓口にもなっている港町が重要だと、賑やかな港町から少しだけ森に近いところに先祖が邸宅を構えたと聞いた。
「海を見るのは……」
「初めてです! 夕日が反射して、とてもきれい」
海の色が橙色に染まっている。太陽の沈む先から一筋の線が伸びていて、太陽が世界に残す今日最後の光が、暖かな色となって海を照らしていた。
空はすぐに夕焼けから夜の闇へと色を変えていく。橙色から夜色へと変化する間のことを、確か前世ではマジックアワーと呼んでいた。魔法のように色が移り変わる瞬間。
「まるで魔法みたい」
思わず声が漏れる。背後でヴィルヘルム様が頷いたのが伝わる。
「だが、魔法のような光景はこれからが本番だ」
「どういうことですか?」
言った先から、眼下で光が瞬き始めた。太陽はすでに姿を消しているし、水面下で何かが光っているのだろうか。
空は藍色に染まり、星が光っている。その星が海に映っているのかしらと思ったけれど、そういうわけではないようだ。糸のように細い月が先程まで太陽が見えていた辺りにあるけれど、光の元はこれでもない。
ヴィルヘルム様は愉快そうに笑うと少し高度を下げ、海へと近付いた。
目を凝らしよく見てみると、光っているのは海の中に咲く花だ。花は小ぶりの八重咲きで大きな花ではないが、かすみ草のように集まって咲いている。
「まぁ! 花が光って……」
ただ光るだけではなく、ゆっくりと瞬いている。青白い光を放ちながら、緩やかに花開く。閉じたり開いたりを繰り返し、その度に淡い光が暗い海の中を照らすのだ。
「この国ではこの辺りにしか生育していない星光蜜花という花だ。元はもっと東の方が生育地らしい。こちらまで種が流れ着き、生育に適していたから増えたのかもしれないな。ちょうど見頃の時期だと思って寄ってみたが、今日はいつもよりも花開く量が多いようだ」
「海もこちらの花も初めてです。素敵な光景で感激しました。頭上にも眼下にも星が溢れていて……」
私はうっとりと海と空の星を交互に眺めながら、柔らかな笑みを浮かべたヴィルヘルム様に感謝の言葉を告げる。すると、さらに優しく目を細めたヴィルヘルム様が、俺も初めてだ、と言う。何がだろうと思いつつ首を傾げると、答えを教えてくれた。
「この水中花は船で近付くと光るのをやめてしまうんだ。だから、空からでないと見ることができない。一緒にこれを見てくれた女性は、母以外でエステリ嬢が初めてだ」
なるほど、そういうことか、と私は納得する。竜に乗ることができなかったんですね、今までの婚約者の皆様。魔獣自体が危険だと言われているから、いくら飼い慣らしていると言っても慣れ親しんでいなければ、側に寄るのも怖いに決まっている。たとえ、乗れたとしても地上を走る馬車よりも速度が出るため、乗り慣れていなければ怖いだろう。ここまでは陸からも少し距離があるし、恐怖を克服して辿り着くには無理があるかもしれない。
美しいものを一緒に見たいというヴィルヘルム様の気持ちも、魔獣が怖いという令嬢の気持ちも分かるので、どちらも残念なマッチングだったんだなと悲しく思った。
「この景色を見ることができて良かったです。ヴィルヘルム様の好きなものがひとつ分かりました」
でも、私は違うから。
こうして、ひとつずつヴィルヘルム様のことを知って、これからも隣で一緒に過ごしていきたい。これからも、素直な言葉で感じたままに伝えるようにしようと思う。
美しい景色をずっと眺めていたかったけれど、夜の海風は冷たい。後ろでレラのくしゃみが聞こえる。
それに気付いたヴィルヘルム様が、肌寒くないか声をかけてくれる。薄手のショールをかけていたので私はそこまで寒くなかったけれど、そろそろ陸に戻った方が良さそうですね、と言っておく。レラだけでなく、他の二人も少し寒そうにしていたから。
「あの、また時期が来たら一緒に見に来たいです」
連れてきてくださいますか、と尋ねれば、驚いた表情から満面の笑みを浮かべたヴィルヘルム様は大きく頷いた。
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