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第二章
013 イーナ視点
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言われたとおり仕事をしていると、店に陽気な三人組がやってきた。給仕をしている私を呼び、注文をしながら手慣れたようにメモを見せる。メモはエステリ様からで、この三人が後で店に送ると話していた方たちのようだ。
とびきりの笑顔で注文をとり、料理を運びながら世間話をして接点を作る。
こうしてなんとか仕事ができるようになったのも、最近のことだった。それまでは仕事とは縁がなく、学園に通い社交をするだけのお嬢様だったのだから。
慣れない日常生活と仕事でボロボロになり、生きていくことがこんなにも過酷なことなのかと毎晩泣いた。奴隷として見知らぬ土地に送られ、身の回りのことを何ひとつできない状態で放り出されたのだ。何もできず鈍くさい役立たずと皆から鼻で笑われながらも、生きていくために頭を下げてやり方を教えてもらった。こんな見知らぬ土地まで助けに来てくれる人はいないと、何度も絶望した。
それでも私は諦めたくなかった。世間知らずでとても弱かったけれど、生きることを諦めきれなかったのだ。
だから、必死にできることを探した。自分で望んだのならそれもいいけれど、望んでもいないのに娼館へ送られなかったことだけが幸いだった。
そうしてようやく生まれ故郷に戻ってくることができたけれど、ここは私が住んでいた場所からあまりにも遠かった。私のことを知っている人はいないし、逃げる隙もない。私の元の顔はあの憎たらしい魔術師が使っているし、私は姿を変えられている。もし、お父様が私とすれ違っても気がつかないに違いない。
それでも、私は諦めきれなくて休憩時間に教会へ通った。誰かが私に気づいてくれますように、と毎日神に祈りを捧げた。
そんなある日、私はかつての名を呼ばれた。ずっと願っていたことだったけれど、自分のことを話そうとするととてつもない苦しみが訪れるのを知っていたから体がこわばった。
「私たちは、あなたに危害を加えたりしません。落ち着いて」
私の身に起きたことを話したい。けれど、話そうとすると息ができなくなる。私は、と口を開いた瞬間、意識が飛ぶ。やっぱり駄目だった。私は本物のイーナ・ロユッテュです、と伝えたかったのに。
次に目を覚ましたとき、あの苦しさが消えていた。私に何をしたのかと尋ねれば、私の胸につけられた奴隷の証を上書きしたという。私はあいつの支配から抜け出すことができた。でも、上書きというくらいだから、この波打つ赤髪が美しい女性の支配下にあるのだろう。けれど、あいつよりは良いはずだ。これで私の話をすることができる。そう思って言葉を紡ごうとすると、それを彼女に止められた。
詳しい話を聞く前にあとひとつだけ、と彼女は微笑んで私の胸の刻印を消してしまったのだ。綺麗に消えた刻印が信じられなくて、私は何度も刻印のあった場所と彼女を見比べた。
必要ないでしょう、と言われて涙がこぼれた。私は自由になったのだ。彼女は私の恩人だ。この世界でひとりぼっちになったと思っていた私が掴んだ光だった。
苦しかった胸の内を吐露すると、思ったよりも複雑なことになっていた。あいつは私の顔と名前でとんでもないことをしでかしていた。お父様たちも罪に問われたのではと思ったけれど、本人たちだけが対象とされたらしい。本当に良かった。
赤髪のエステリ様は一番の被害者は私だと仰ったけれど、それはエステリ様じゃないだろうか。今はお幸せそうだから良かったけれど。
私はエステリ様とベルトサーリ卿に感謝してもしきれない。
今、二人が約束してくれたとおり、明け方に昨夜の三人のうちの一人が迎えに来てくれた。
背が高く、細身だけど筋肉質で笑顔が爽やかな青年だ。お芝居だけれど、私をこの地獄から救い出してくれて胸が高鳴る。トール卿は男爵家の三男坊で、ベルトサーリ卿に仕えているそうだ。
大金を手に入れた店の主人は、上機嫌で私を簡単に手放した。あいつの息のかかった者だと思っていたのに、そんなことはなかったらしい。
私はようやく自分自身を取り戻す一歩を踏み出した。
諦めないでいて良かった。
私はもう、ただの何も知らないお嬢様ではない。分からなければどんなことにも飛び込んで経験し、自分の糧にすることができる。
これから私はエステリ様のもとで、たくさんのことを学びながら私を取り戻す力を身につけるのだ。
とびきりの笑顔で注文をとり、料理を運びながら世間話をして接点を作る。
こうしてなんとか仕事ができるようになったのも、最近のことだった。それまでは仕事とは縁がなく、学園に通い社交をするだけのお嬢様だったのだから。
慣れない日常生活と仕事でボロボロになり、生きていくことがこんなにも過酷なことなのかと毎晩泣いた。奴隷として見知らぬ土地に送られ、身の回りのことを何ひとつできない状態で放り出されたのだ。何もできず鈍くさい役立たずと皆から鼻で笑われながらも、生きていくために頭を下げてやり方を教えてもらった。こんな見知らぬ土地まで助けに来てくれる人はいないと、何度も絶望した。
それでも私は諦めたくなかった。世間知らずでとても弱かったけれど、生きることを諦めきれなかったのだ。
だから、必死にできることを探した。自分で望んだのならそれもいいけれど、望んでもいないのに娼館へ送られなかったことだけが幸いだった。
そうしてようやく生まれ故郷に戻ってくることができたけれど、ここは私が住んでいた場所からあまりにも遠かった。私のことを知っている人はいないし、逃げる隙もない。私の元の顔はあの憎たらしい魔術師が使っているし、私は姿を変えられている。もし、お父様が私とすれ違っても気がつかないに違いない。
それでも、私は諦めきれなくて休憩時間に教会へ通った。誰かが私に気づいてくれますように、と毎日神に祈りを捧げた。
そんなある日、私はかつての名を呼ばれた。ずっと願っていたことだったけれど、自分のことを話そうとするととてつもない苦しみが訪れるのを知っていたから体がこわばった。
「私たちは、あなたに危害を加えたりしません。落ち着いて」
私の身に起きたことを話したい。けれど、話そうとすると息ができなくなる。私は、と口を開いた瞬間、意識が飛ぶ。やっぱり駄目だった。私は本物のイーナ・ロユッテュです、と伝えたかったのに。
次に目を覚ましたとき、あの苦しさが消えていた。私に何をしたのかと尋ねれば、私の胸につけられた奴隷の証を上書きしたという。私はあいつの支配から抜け出すことができた。でも、上書きというくらいだから、この波打つ赤髪が美しい女性の支配下にあるのだろう。けれど、あいつよりは良いはずだ。これで私の話をすることができる。そう思って言葉を紡ごうとすると、それを彼女に止められた。
詳しい話を聞く前にあとひとつだけ、と彼女は微笑んで私の胸の刻印を消してしまったのだ。綺麗に消えた刻印が信じられなくて、私は何度も刻印のあった場所と彼女を見比べた。
必要ないでしょう、と言われて涙がこぼれた。私は自由になったのだ。彼女は私の恩人だ。この世界でひとりぼっちになったと思っていた私が掴んだ光だった。
苦しかった胸の内を吐露すると、思ったよりも複雑なことになっていた。あいつは私の顔と名前でとんでもないことをしでかしていた。お父様たちも罪に問われたのではと思ったけれど、本人たちだけが対象とされたらしい。本当に良かった。
赤髪のエステリ様は一番の被害者は私だと仰ったけれど、それはエステリ様じゃないだろうか。今はお幸せそうだから良かったけれど。
私はエステリ様とベルトサーリ卿に感謝してもしきれない。
今、二人が約束してくれたとおり、明け方に昨夜の三人のうちの一人が迎えに来てくれた。
背が高く、細身だけど筋肉質で笑顔が爽やかな青年だ。お芝居だけれど、私をこの地獄から救い出してくれて胸が高鳴る。トール卿は男爵家の三男坊で、ベルトサーリ卿に仕えているそうだ。
大金を手に入れた店の主人は、上機嫌で私を簡単に手放した。あいつの息のかかった者だと思っていたのに、そんなことはなかったらしい。
私はようやく自分自身を取り戻す一歩を踏み出した。
諦めないでいて良かった。
私はもう、ただの何も知らないお嬢様ではない。分からなければどんなことにも飛び込んで経験し、自分の糧にすることができる。
これから私はエステリ様のもとで、たくさんのことを学びながら私を取り戻す力を身につけるのだ。
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