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家で死にたくなりました
不運
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ゴールデンウィークのクルーズから一ヶ月ほどがすぎた頃。梅雨なのか、なん日も雨が降り続いている。
ベッドの上で身体を起こし、湿気のせいで跳ねているであろう髪を触っていた。今日も雨が降っているようで、窓の外から軽快な音が聞こえてきている。
着替えてから、部屋をでると。隣の兄さんの部屋からなにかが落ちたような音がした。
「兄さん。帰ってきているの?」
兄さんの部屋の扉をノックしたが全く反応がない。帰ってきているのなら、すぐにでてくるので気のせいだったのだろう。
リビングキッチンで簡単につくった朝ご飯を食べおえて、自分の部屋で大学にいく準備をしていると。また、隣の兄さんの部屋から音が聞こえてきた。
「ネズミでもいるのかな」
しらべてあげたいが、そろそろ大学にいかないといけないし。帰ってくる頃にはいなくなってくれているかもしれない。
「ごめんね」
兄さんの部屋のほうに軽く頭を下げてから廊下にでた。高校生の頃から愛用している傘をさして、家をでていく。
「あら。カナデちゃん、おはよう」
リンソウ大学のほうに向かっていると近くに住んでいるおばさんに声をかけられた。
「おはようございます、おばさん」
「今日も雨ね。そうそう、最近ヒビキくんを見ないけど、がんばっているの?」
「がんばっていると思いますよ。あれでも、エリートみたいなので」
長いつき合いなので兄さんの変なところを知っているからか、おばさんが苦笑いを浮かべている。
「ま、あれよ。あれはカナデちゃんが可愛いからああなっているだけだから」
「フォローをありがとうございます」
「困っている時は、お互いさまだし」
「兄さんがわたしに関することで電話をしてきたのなら、軽く聞きながしてくれてかまわないので」
「次からは、そうさせてもらうわね」
帰ってきたら、兄さんに色々と言わないといけなくなってしまったな。
自宅の近くに住んでいるおばさんと別れ、若そうなガードマンさんが立っている、リンソウ大学の正門を通り抜けようとしていた。
「おはようございます」
別にガードマンさんと知り合いではないのだが、わたしが挨拶をすると。
「どうも、おはようございます」
相手のほうも頭を下げてくれるので、なんだか抜き差しならないことに。他人から良いように見られたいと思わなければ、こんな。
「オツノさん」
名前を呼ばれた気がしたので振り向くと、黒くて大きな傘をさしているツチウラくんが立っていた。
白髪で目つきが悪くて、知らない人がツチウラくんを見たら、殺人鬼に勘違いをされてしまうかもしれないな。
「ツチウラくん。おはようございます」
「ああ、おはよう」
「今日も、カナデじゃないんですね?」
「二人きりじゃないからな」
わたしが、からかっていることは分かっているようでツチウラくんがため息をつくように言っている。
「おれをからかって、楽しいか?」
「からかっているつもりはないですよ。あの時みたいに、ツチウラくんが呼んでくれないのかな? と思っているだけなので」
「ものは言いようだな」
だまったままで、ツチウラくんを見上げていると、こちらに空いているほうの手を伸ばしていた。
一瞬、ツチウラくんがなにをしているのか分からなくて首を傾げていると。
「今日も、握るつもりなんだろう?」
まるで普段からそんなことをしているかのように、ツチウラくんが口にしている。
「あー、そうですね」
クルーズの時にも、なん回かツチウラくんの手を握っていたんだから。きんちょうしているわけでもないと思うけど、周りの視線が気になってしまう。
リンソウ大学の正門の近くに立っている、ガードマンさんと目が合ったような気がしたが、別のものを見ていたらしく違うところに顔を向けている。
「では」
「おう」
なにかの条約を締結しているみたいにツチウラくんと握手をした。
「きんちょうしているのか?」
「そんなことはないと思いますが」
「そうか」
ツチウラくんに、手が汗ばんでいると思われたようだが雨のせいだろう。
「今日は、もう満足しましたので」
そう言って、わたしは彼の大きな手をはなしたけど。
「こっちは満足してない」
ツチウラくんの右手に包みこまれるように握られてしまった。意識せずにしたからか、恋人つなぎみたいになっている。
「いやだったら、言ってくれ」
「別に、いやではないですが」
でも、やっぱり周りの目が気になる。普段はなんとも思わないのに、わたしの頭がツチウラくんと手をつないでいるのを知られたくないとでも。
「もう、良いですか?」
「いや。まだ満足してなさそうだな」
「そうですか。手をつないだままで良いので中に入りませんか。雨でぬれますし」
普段と同じように、しゃべっているつもりなのだが。ツチウラくんが不思議そうに首を傾げている。
「熱でもあるのか?」
「今日も平熱だと思いますよ」
「そうか。けど、顔が」
なんの前触れもなく、ツチウラくんが顔を近づけてきたので、びっくりしたのか身体が勝手に後ろに下がっていた。
「あ。えと、ごめんなさい」
「こっちこそ悪かったな。目つきの悪い顔が近づいてきたら、びっくりもするよな」
冗談めかした感じでツチウラくんが明るい声をだしている。
「オツノさんの言うように、雨でぬれるし。中に入ろうか」
だまったままでうなずくと、ツチウラくんがわたしの手を引っぱりながら歩きだした。
こちらに歩くペースを合わせてくれているのか、ゆったりしているような気がする。
「あの」
ゆったり歩きながらツチウラくんがわたしの顔を見下ろしていた。不意に、目があったせいか心臓の音が大きくなっているような。
「ん。なんだ?」
「わたしはツチウラくんの目つき以外は良いと思ってます」
「そう。ありがと。うれしいよ」
「これは、うそじゃないですよ」
「分かっているって」
この後もツチウラくんと雑談をしつつ雨の中を歩いたけど。手をつないでいるからか、やっぱり周りの視線が気になってしまう。
特に、背後から力強い視線が一つ。
中に入る前に、その視線のほうを見たが。正門の近くに立ってくれている、ガードマンさん以外にめぼしい人はいなかった。
講義がおわり、他にやらなければならないこともないので家に帰ることに。
そう言えば、最近。ミオンさんのところに遊びにいってないな。別にケンカをしている訳でもないが、なんとなくいきづらいってのが本音か。
ゴールデンウィークのクルーズ中に、あのミヤシロさんと。そもそも、彼氏彼女の関係だったんだから変ではないんだろうけど。
やっぱり、しばらくはミオンさんのところに遊びにいくのは、やめておいたほうが良さそうか。夕食とかを誘われても、断ることにしよう。
そんなことを考えつつ雨の中を歩いているとスマートフォンから着信音が。液晶画面には、兄さんと白い文字で書かれている。
「見なかったことにしようかな」
でも、あの兄さんだからな。とんでもない勘違いをして、おばさんに迷惑をかけそう。
そうなるくらいだったら、電話にでたほうが楽そうだな。
「はい。オツノです」
すぐ近くの公園にある、屋根つきのベンチに座り、わたしが電話にでると。
「カナデの大好きな、お兄ちゃんだぞ」
なにかの間違い電話かと思うような言葉が聞こえてきた。でも、こんなことを第一声で口にする詐欺師もいないはずなので、間違いなく兄さんだった。
「わーい、兄さんだ。それでなんの用で電話をかけてきたんですか?」
「相変わらず、カナデは落差が激しいよな。大学生になっても、大好きなお兄ちゃんには甘えて良いんだぞ」
「そっちも忙しいと思うから兄さんに甘えるのは我慢するよ」
わたしに用があるのならそのことをはやく伝えてほしいと考えていたので棒読みだったはずなのに。
「そうか。お兄ちゃん、がんばるね」
スマートフォンから、兄さんの涙声が聞こえてきた。もしかしたら先ほどの言葉を美化しているのかもしれないな。
「兄さん。時間があったら病院にいったほうが良いと思うよ」
「こ、こんなお兄ちゃんのことを。カナデは心配してくれているのか?」
「うん。ある意味ね。時間があったらで良いよ。わたしの勘違いかもしれないし」
と言うか、もう手遅れか。病院にいくように言っておいてなんだけど、どんな名医でも兄さんの頭はなおせなさそうだ。
「おっと、そろそろ時間だ。カナデ、大好きだよ」
「わたしも大好きだよ。兄さん」
お決まりの挨拶を交わすと、兄さんは電話を切った。
「おばさんのことを言うの、忘れてた」
兄さんが帰ってくるまでそのことを覚えていたら良いんだけど、忘れてそうだな。
そうならないようにしようと思いながら、スマートフォンをスカートのポケットの中に入れて、自宅のほうへと歩いていく。
あれ? 確か今朝、鍵をかけたはずなのに玄関の扉が開いていた。
オツノカナデ。
リンソウ大学に通っている女性。
色白で、大きくてきれいな黒い瞳をもっている。それをくり抜き、部屋に飾っている夢を見た時、ぼくは彼女にほれてしまっていることを、頭のほうだけは認識していたに違いない。
だけど、彼女の恋人やらなんやらになろうなどとは全く考えてなかった。
いや、諦めていたと言うほうが的確か。
朝、顔を合わせるたびに挨拶をするていどの関係ではあったが。それ以上、先へといく勇気のようなものがなく。
彼女が挨拶をしてくれるだけで満足をしている自分がどこかにいたのだろう。
天寿を全うするだけなら、そんなていどの幸せで充分。と、その時のぼくはそう考えていた。あの彼女が楽しそうに自分以外の男と話しているのを見せられて、胸の辺りが痛くなるまでは。
まあ、なんにしてもその失恋のような気分を味わわされたことで、ぼくは目覚めることができたんだ。
だから、彼女には感謝をしている。
あの時は、自分を正当化するためにあんなことをしようとしたが今は違う。
今のぼくなら、あの時の彼女の願いを純粋にかなえることができる。
けど、彼女にとって今さらだろうし、それに色々とルール違反だろうからな。
昔から、ぼくは色々なことで間が悪いやつだったな。その時のエピソードのようなものが頭の中に浮かびかけていたがタイミングの悪いことにオツノカナデが帰ってきていた。
玄関の扉を開くと、見知らぬ男が目の前に立っていれば驚いてしまうよな。
それにしても、こんな時にでも、ぼくの頭は冷静に働いてくれている。先ほどの失恋で脳がマヒしているだけかもしれないが。
「兄さんの友人、ですか?」
てっきり、大声をだされるものだと考えていたのに意外と今日のぼくは運が良いのか、そんなことを聞かれた。
彼女の言葉にどこか安心しながらも切なさを感じている。普段の服装でないからこそ、気づかれてない。好都合だと考えるべき状況なのに。
まだ可能性があると思っているのか?
「あの、どうかしましたか?」
ぼくの反応がないからか、雨で少し身体がぬれている彼女が首を傾げている。
「ああ。いや、変な質問をしてくるからさ。お兄さんと会わなかったのかな? と思ってね」
「兄さんと会ってないのですれ違いになってしまったみたいですね」
それにしても、兄さんもうかつですよね。もしかしたら窃盗犯かなにかだと、わたしに勘違いされたかもしれないのに。
こちら的には笑えない台詞だが彼女はぼくのことを兄の友人だと思ってくれているようで、可愛らしい笑顔を見せてくれている。
良心でも痛んでいるのか、ぼくは意識せずにズボンのポケットに入れていた彼女の黒い下着を握りしめていた。
ベッドの上で身体を起こし、湿気のせいで跳ねているであろう髪を触っていた。今日も雨が降っているようで、窓の外から軽快な音が聞こえてきている。
着替えてから、部屋をでると。隣の兄さんの部屋からなにかが落ちたような音がした。
「兄さん。帰ってきているの?」
兄さんの部屋の扉をノックしたが全く反応がない。帰ってきているのなら、すぐにでてくるので気のせいだったのだろう。
リビングキッチンで簡単につくった朝ご飯を食べおえて、自分の部屋で大学にいく準備をしていると。また、隣の兄さんの部屋から音が聞こえてきた。
「ネズミでもいるのかな」
しらべてあげたいが、そろそろ大学にいかないといけないし。帰ってくる頃にはいなくなってくれているかもしれない。
「ごめんね」
兄さんの部屋のほうに軽く頭を下げてから廊下にでた。高校生の頃から愛用している傘をさして、家をでていく。
「あら。カナデちゃん、おはよう」
リンソウ大学のほうに向かっていると近くに住んでいるおばさんに声をかけられた。
「おはようございます、おばさん」
「今日も雨ね。そうそう、最近ヒビキくんを見ないけど、がんばっているの?」
「がんばっていると思いますよ。あれでも、エリートみたいなので」
長いつき合いなので兄さんの変なところを知っているからか、おばさんが苦笑いを浮かべている。
「ま、あれよ。あれはカナデちゃんが可愛いからああなっているだけだから」
「フォローをありがとうございます」
「困っている時は、お互いさまだし」
「兄さんがわたしに関することで電話をしてきたのなら、軽く聞きながしてくれてかまわないので」
「次からは、そうさせてもらうわね」
帰ってきたら、兄さんに色々と言わないといけなくなってしまったな。
自宅の近くに住んでいるおばさんと別れ、若そうなガードマンさんが立っている、リンソウ大学の正門を通り抜けようとしていた。
「おはようございます」
別にガードマンさんと知り合いではないのだが、わたしが挨拶をすると。
「どうも、おはようございます」
相手のほうも頭を下げてくれるので、なんだか抜き差しならないことに。他人から良いように見られたいと思わなければ、こんな。
「オツノさん」
名前を呼ばれた気がしたので振り向くと、黒くて大きな傘をさしているツチウラくんが立っていた。
白髪で目つきが悪くて、知らない人がツチウラくんを見たら、殺人鬼に勘違いをされてしまうかもしれないな。
「ツチウラくん。おはようございます」
「ああ、おはよう」
「今日も、カナデじゃないんですね?」
「二人きりじゃないからな」
わたしが、からかっていることは分かっているようでツチウラくんがため息をつくように言っている。
「おれをからかって、楽しいか?」
「からかっているつもりはないですよ。あの時みたいに、ツチウラくんが呼んでくれないのかな? と思っているだけなので」
「ものは言いようだな」
だまったままで、ツチウラくんを見上げていると、こちらに空いているほうの手を伸ばしていた。
一瞬、ツチウラくんがなにをしているのか分からなくて首を傾げていると。
「今日も、握るつもりなんだろう?」
まるで普段からそんなことをしているかのように、ツチウラくんが口にしている。
「あー、そうですね」
クルーズの時にも、なん回かツチウラくんの手を握っていたんだから。きんちょうしているわけでもないと思うけど、周りの視線が気になってしまう。
リンソウ大学の正門の近くに立っている、ガードマンさんと目が合ったような気がしたが、別のものを見ていたらしく違うところに顔を向けている。
「では」
「おう」
なにかの条約を締結しているみたいにツチウラくんと握手をした。
「きんちょうしているのか?」
「そんなことはないと思いますが」
「そうか」
ツチウラくんに、手が汗ばんでいると思われたようだが雨のせいだろう。
「今日は、もう満足しましたので」
そう言って、わたしは彼の大きな手をはなしたけど。
「こっちは満足してない」
ツチウラくんの右手に包みこまれるように握られてしまった。意識せずにしたからか、恋人つなぎみたいになっている。
「いやだったら、言ってくれ」
「別に、いやではないですが」
でも、やっぱり周りの目が気になる。普段はなんとも思わないのに、わたしの頭がツチウラくんと手をつないでいるのを知られたくないとでも。
「もう、良いですか?」
「いや。まだ満足してなさそうだな」
「そうですか。手をつないだままで良いので中に入りませんか。雨でぬれますし」
普段と同じように、しゃべっているつもりなのだが。ツチウラくんが不思議そうに首を傾げている。
「熱でもあるのか?」
「今日も平熱だと思いますよ」
「そうか。けど、顔が」
なんの前触れもなく、ツチウラくんが顔を近づけてきたので、びっくりしたのか身体が勝手に後ろに下がっていた。
「あ。えと、ごめんなさい」
「こっちこそ悪かったな。目つきの悪い顔が近づいてきたら、びっくりもするよな」
冗談めかした感じでツチウラくんが明るい声をだしている。
「オツノさんの言うように、雨でぬれるし。中に入ろうか」
だまったままでうなずくと、ツチウラくんがわたしの手を引っぱりながら歩きだした。
こちらに歩くペースを合わせてくれているのか、ゆったりしているような気がする。
「あの」
ゆったり歩きながらツチウラくんがわたしの顔を見下ろしていた。不意に、目があったせいか心臓の音が大きくなっているような。
「ん。なんだ?」
「わたしはツチウラくんの目つき以外は良いと思ってます」
「そう。ありがと。うれしいよ」
「これは、うそじゃないですよ」
「分かっているって」
この後もツチウラくんと雑談をしつつ雨の中を歩いたけど。手をつないでいるからか、やっぱり周りの視線が気になってしまう。
特に、背後から力強い視線が一つ。
中に入る前に、その視線のほうを見たが。正門の近くに立ってくれている、ガードマンさん以外にめぼしい人はいなかった。
講義がおわり、他にやらなければならないこともないので家に帰ることに。
そう言えば、最近。ミオンさんのところに遊びにいってないな。別にケンカをしている訳でもないが、なんとなくいきづらいってのが本音か。
ゴールデンウィークのクルーズ中に、あのミヤシロさんと。そもそも、彼氏彼女の関係だったんだから変ではないんだろうけど。
やっぱり、しばらくはミオンさんのところに遊びにいくのは、やめておいたほうが良さそうか。夕食とかを誘われても、断ることにしよう。
そんなことを考えつつ雨の中を歩いているとスマートフォンから着信音が。液晶画面には、兄さんと白い文字で書かれている。
「見なかったことにしようかな」
でも、あの兄さんだからな。とんでもない勘違いをして、おばさんに迷惑をかけそう。
そうなるくらいだったら、電話にでたほうが楽そうだな。
「はい。オツノです」
すぐ近くの公園にある、屋根つきのベンチに座り、わたしが電話にでると。
「カナデの大好きな、お兄ちゃんだぞ」
なにかの間違い電話かと思うような言葉が聞こえてきた。でも、こんなことを第一声で口にする詐欺師もいないはずなので、間違いなく兄さんだった。
「わーい、兄さんだ。それでなんの用で電話をかけてきたんですか?」
「相変わらず、カナデは落差が激しいよな。大学生になっても、大好きなお兄ちゃんには甘えて良いんだぞ」
「そっちも忙しいと思うから兄さんに甘えるのは我慢するよ」
わたしに用があるのならそのことをはやく伝えてほしいと考えていたので棒読みだったはずなのに。
「そうか。お兄ちゃん、がんばるね」
スマートフォンから、兄さんの涙声が聞こえてきた。もしかしたら先ほどの言葉を美化しているのかもしれないな。
「兄さん。時間があったら病院にいったほうが良いと思うよ」
「こ、こんなお兄ちゃんのことを。カナデは心配してくれているのか?」
「うん。ある意味ね。時間があったらで良いよ。わたしの勘違いかもしれないし」
と言うか、もう手遅れか。病院にいくように言っておいてなんだけど、どんな名医でも兄さんの頭はなおせなさそうだ。
「おっと、そろそろ時間だ。カナデ、大好きだよ」
「わたしも大好きだよ。兄さん」
お決まりの挨拶を交わすと、兄さんは電話を切った。
「おばさんのことを言うの、忘れてた」
兄さんが帰ってくるまでそのことを覚えていたら良いんだけど、忘れてそうだな。
そうならないようにしようと思いながら、スマートフォンをスカートのポケットの中に入れて、自宅のほうへと歩いていく。
あれ? 確か今朝、鍵をかけたはずなのに玄関の扉が開いていた。
オツノカナデ。
リンソウ大学に通っている女性。
色白で、大きくてきれいな黒い瞳をもっている。それをくり抜き、部屋に飾っている夢を見た時、ぼくは彼女にほれてしまっていることを、頭のほうだけは認識していたに違いない。
だけど、彼女の恋人やらなんやらになろうなどとは全く考えてなかった。
いや、諦めていたと言うほうが的確か。
朝、顔を合わせるたびに挨拶をするていどの関係ではあったが。それ以上、先へといく勇気のようなものがなく。
彼女が挨拶をしてくれるだけで満足をしている自分がどこかにいたのだろう。
天寿を全うするだけなら、そんなていどの幸せで充分。と、その時のぼくはそう考えていた。あの彼女が楽しそうに自分以外の男と話しているのを見せられて、胸の辺りが痛くなるまでは。
まあ、なんにしてもその失恋のような気分を味わわされたことで、ぼくは目覚めることができたんだ。
だから、彼女には感謝をしている。
あの時は、自分を正当化するためにあんなことをしようとしたが今は違う。
今のぼくなら、あの時の彼女の願いを純粋にかなえることができる。
けど、彼女にとって今さらだろうし、それに色々とルール違反だろうからな。
昔から、ぼくは色々なことで間が悪いやつだったな。その時のエピソードのようなものが頭の中に浮かびかけていたがタイミングの悪いことにオツノカナデが帰ってきていた。
玄関の扉を開くと、見知らぬ男が目の前に立っていれば驚いてしまうよな。
それにしても、こんな時にでも、ぼくの頭は冷静に働いてくれている。先ほどの失恋で脳がマヒしているだけかもしれないが。
「兄さんの友人、ですか?」
てっきり、大声をだされるものだと考えていたのに意外と今日のぼくは運が良いのか、そんなことを聞かれた。
彼女の言葉にどこか安心しながらも切なさを感じている。普段の服装でないからこそ、気づかれてない。好都合だと考えるべき状況なのに。
まだ可能性があると思っているのか?
「あの、どうかしましたか?」
ぼくの反応がないからか、雨で少し身体がぬれている彼女が首を傾げている。
「ああ。いや、変な質問をしてくるからさ。お兄さんと会わなかったのかな? と思ってね」
「兄さんと会ってないのですれ違いになってしまったみたいですね」
それにしても、兄さんもうかつですよね。もしかしたら窃盗犯かなにかだと、わたしに勘違いされたかもしれないのに。
こちら的には笑えない台詞だが彼女はぼくのことを兄の友人だと思ってくれているようで、可愛らしい笑顔を見せてくれている。
良心でも痛んでいるのか、ぼくは意識せずにズボンのポケットに入れていた彼女の黒い下着を握りしめていた。
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