こどくな患者達

赤衣 桃

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奇跡は絶対に起こらない

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「ハチに作戦でも伝えているのか? わたしを返り討ちにする方法でもさ」
「いや、ゴウとロクがやられてしまった時点でもうシイをどうこうするつもりはないよ。ハチを生き残らせたいと、あの二人が願っていたからこそ手伝っていたんだ」
 ナナの言葉をうそだと思っているようで、シイは辺りを警戒したままでいる。
「本音を言えばね、わたしはシイが犯人だと分かった時点で殺されるつもりだったんだ。わざわざ人間になる理由も必要もないしさ」
「イチへの罪悪感か?」
「それも多少はあるが。こんな面白い世界を経験してしまったからね、今さら人間になるのはつまらないと思っているだけだよ」
 博士から聞いた情報で本当かどうかは知らないが色々とルールが細かいようだね、人間の世界ってやつは。
 ナナが普段よりも聞き取りやすい声で口にしていた。
「つまらないか、ナナらしくない台詞だな。人間の世界に行けるってだけでも興味をもちそうなのに」
「それは、わたしの性格をシイがはき違えていただけだろう。インドア派で、ミステリー小説が好きなやつなんだ部屋に引きこもっていたいと願うのは」
「ナナ……時間かせぎはやめようぜ。ゴウとロクが生きていたとしても、これだけの本棚につぶされている時点で無事じゃない。歩くのが精一杯ってところだ、諦めろよ」
「そうだね。殺すのならあんまり苦しめないで、ニイの時みたいに一瞬で首をねじ切ってくれ」
「分かっているよ、友達」
 ナナが一歩、シイのほうに踏みだしてからこちらを振り向いた。
「わたしはシイに殺されるつもりなんだが、ハチはどうする?」
「どうするもなにもわたしもナナと同じですよ。人間の世界に興味はなく、そもそもこの館やら身体自体はシイのもので」
「だったらシイに殺される前に教えてほしいんだが。どうしてハチは今……泣いているんだい?」
「花粉症ですかね」
「そっか。ハチらしいね」
 これから死のうとしているナナは、なんで変な質問をしてきたんだろうな? この館と身体はシイのものでわたし達のほうが悪いんだから殺されるべきなのに。
「わたしからも質問をして良いですか?」
 ちょうど、わたしとシイの中間地点でナナがこちらのほうに顔を向けている。
「さっきのメッセージみたいなものの意味は分かりましたが、どうしてそれをナナは実行しないんですか?」
 それを実行すれば、少なくともシイと引き分けにもちこむことができる。ゴウが命がけでつくってくれた、わたし達を助けるための作戦のはずなのに。
「単純な話だよ。それを実行すれば……この館にいるアンドロイド達は全員が死ぬことになるからさ。客観的に考えれば全滅するよりも本来の持ち主であるシイが助かるほうが得だと個人的には考えた」
 ハチもわたしと同じで人間になるつもりがないのならシイに人間になってもらうほうが合理的だろうし、とナナは続けている。
「なにを怒っているんだい、ハチ」
「怒ってなんかいませんよ。けど」
 確かに引き分けにもちこんだとしてもナナもわたしも人間になるつもりがないんだからその権利を必要としているシイにあげるほうが正しい。
 正しくて誰も損はしないんだろうけど。
「悩んでいるのかい? ハチは」
「そう、なんだと思います」
 ナナの考えかたは筋が通っていて否定する理由がない。わざわざシイだけに貧乏くじを引かせるなんて間違っている。
「どうして悩んでいるんだい」
「分かりません。ナナの考えかたは正しくて間違ってないのに。それなのになぜかわたしは納得をしてないようです」
「ハチらしくない言葉だな。もっとシンプルに考えたほうが良いんじゃないか」
「シンプルにですか」
「そうだ。なにが正しいとか、間違っているかとかじゃなくて。今までの、この館にいるアンドロイド達との全てを考慮した上で判断するとかさ」
 全て……確かにそうだな。この館や身体はシイのものだが。それが事実だからって他のアンドロイド達を殺しても良いってことにはならない。
 最初に殺されたサンは館の外に憧れていただけでシイに心臓を抜き取られてその身体を利用されてしまっている。
 イチはありがた迷惑なところもあったが。それは善意で他のアンドロイド達に可愛い服を着せようとしていただけなんだ、あんな風にされる理由がない。
 博士は色々な。逆さまになっているナナの首がシイの手の平の上に乗っている。
「ハチ、悪いな。まだナナと話したいことがあったかもしれないが、続きはここじゃなくあの世でしてくれ」
 もっていたナナの頭を床に落として力強く踏みつけていた。こなごなになり、その顔面の一部だった彼女の左目がわたしの足もとに転がってきた。
「シイはうそつきですね」
「うん? ああ。ナナを友達だと言ったことか? 約束通り首をねじ切って」
「そっちじゃなく、わたしを可愛いと言っていたことですよ」
「そっちか。うん、うそだよ。他人のところに間借りしといてアンドロイドのくせに人間みたいに涙を流したりなんかしたらさ、むかつくだろう?」
「その気持ちはまだ分かりませんが。ゴウがシイに対して向けていたと思う、怒りの感情は理解できた気がします」
 声を荒らげていた時のゴウと全く同じとは言えないかもしれないが。これは、わたしは確かに怒っている。
 お腹の中で心臓が暴れ回っている時と全く違うなにかが身体を駆けめぐっていく。
「可愛い顔が台無しだぞ、ハチ」
「それもうそですよね」
「いんや。意外と本音だったんだけどな」
 なんの表情も浮かべていないシイが一瞬で目の前まで移動し、わたしの首もねじ切ろうと勢い良く右手を振り下ろしてきていた。
「ん? なんで身体が」
 シイの振り下ろした右手は……わたしの首をねじ切る直前でかたまっている。目に見えないぐらいはやすぎて間に合わないと思ったがなんとか助かったらしい。
「ゴウは大量の本棚に押しつぶされる前に。自分が死にそうな時だったのにナナとわたしのためにシイにぶつけてくれました」
「ハチ、なんの話をして」
 わたしが右のこめかみを指先で押しているのを見て、シイも気づいたようで目を大きく開いている。
「頭電話か」
「そうですよ。ゴウは自分が死にそうだったのにナナとわたしを助けようとして、シイの左のこめかみをあのスタンガンで狙ってくれました」
 ナナかわたしのどちらかがシイに頭電話をかけて目に見えないぐらいはやい動きの彼女を止められるように。
 こんなことをしてくれなかったら、大量の本棚に押しつぶされない可能性だってあったはずなのに。
「なるほどね。感謝しないとな、ゴウに」
「ええ。感謝してますよ、ゴウに」
「それでここからどうするつもりなんだ? ナナが生きていればわたしを殺せたが、あの通りだ」
 シイが自分でこなごなにしたナナの頭部のほうに視線を向けている。
「まさか頭がなくても身体を動かせるように改ぞうとかしたんじゃないだろうな」
「そんなに都合の良い、奇跡みたいなことはありませんよ」
 なんとか身体を動かそうとしているようでシイが震えていた。
「そもそもハチは人間になるつもりがないんだろう。だったらこんなことをしても」
「はい。だから心中することにしました」
 確かにわたし達はこの館に間借りしていて悪かったとは思いますが、殺されるほどではない。
「誰かを殺す前に全てを話してれば他のアンドロイド全員が、シイのために絶対に死んでくれたとは言い切れませんが。わたし達にもそれぞれたった一つしかない自分の命の使いかたを選ぶ権利はあったはずです」
「正しいとは思うが今さらだな」
「はい。今さらです、わたし達がこんなことになっているのは」
「分かっているよ、ハチ。それも含めてだ。ナナも言っていたよな、どうせなら得をするほうを」
「わたしは、ナナではありません。得とか損とかじゃなくて、もっとシンプルにこの館のアンドロイド全員が悪いんですから心中を」
「全く、考えかたがシンプルすぎよ」
 大量の本棚が積み重なっているところから声が聞こえてきた。わたしの空耳なのかとも思ったがシイにも届いていたのか歯ぎしりをしている。
 さっきよりも、なんとか身体を動かそうとしているシイは激しく震えているけど関節がきしむような音がするだけだった。
「無駄な抵抗はやめたら、どうにもならないことがあるのは知っているでしょう」
 積み重なっている大量の本棚の隙間から、ロクが出てきている。右足は壊れてしまったのか引きずり、シイとわたしがにらみ合っているところにゆっくりと近づいている。
「ぎりぎり間に合ったようね。もう少し気絶をしていたらハチの心中に巻きこまれているところだったわ」
「ナナの作戦で助かったんですか?」
「さあね。あのへそ曲がりのナナだったら、ここまで計画してそうな気もするけど今回は奇跡が起こったと考えるほうがドラマチックじゃない?」
「そうですね」
 多分……ナナがシイとゴウのほうに本棚を集中させていたからロクが助かっただけなんだと思うけど今みたいな考えかたのほうが、わたしも。
「えと、ロク。なにをしているんですか?」
「見ての通りよ。頭電話をしていて動けないハチを移動させているのよ」
 ロクの壊れかかっている身体から嫌な音がしている。血なのか油なのか、それとも全く別の液体なのか分からないが、彼女の頭や腕から黒いものがあふれだしていた。
「状況、分かっているわね。ハチが頭電話をやめればわたしもシイに殺される。もう奇跡は絶対に起こらない、これが最後のチャンスだってことを」
「ロクはなにをするつもりなんですか?」
 シイはまだ諦めてないようでさらに激しく身体全体をきしませ、ロクから聞こえてきている嫌な音と共鳴させている。
「ロク。答えてください!」
「ナナから聞いたんでしょう。ゴウとわたしはハチを生き残らせるつもりだって、だからそうしようとしているだけよ」
 なんだか分からない黒い液体を流しすぎたのかロクの動きが鈍くなっていた。
「もうちょっとなのに」
「どうして、わたしなんですか? 今の状況だったらシイも簡単に殺せて、ロクが人間になれるじゃないですか?」
「ああん? ハチ。誰かを助けようとするのがそんなに不思議なのか。なにかしらの理由やら得とかメリットがないと、やったらいけないことなのかよ」
 やっぱり双子だから似ているのか、ロクと会話しているはずなのにゴウに怒られているみたいな気分だ。
「わたしは、自分で言うのもなんだが。あんまりほめられた性格をしてない、腹黒だし。けど、目の前で困っているやつがいたら助けようとは思うタイプだ」
「ロクは良い人ですよ」
「今はな。誰かを殺して。いや……この館にいた人間達、全員を犠牲にして生き残ろうとするようなやつがさ。選ばれたらいけないんだよ」
 ロクは両手でわたしを抱えたまま左足だけを前に出して少しずつ移動している。彼女の右足からは黒い液体が大量にでていて、床に線を引けていたのに。
「ナナ。ぶち殺す、あいつしか。あいつしかこんなふざけたことを考えるやつはいない」
 床とロクの右足が削れる音をかき消すようにシイが叫んでいる。懸命に身体を動かそうとした結果か顔や胸、腕や足いたるところにひびが入っていく。
 ひびから、あふれだしてきているなんだか分からない黒い液体をまとって、辺りに垂れ流しているシイの姿は人間でもアンドロイドでもなく空想の世界にしかいないはずの化けものだった。
「ぶっ壊れろ、ナノマシン。さっさと壊れてあの二体のアンドロイドをこなごなにしろ」
 おそらくナナが。シイの命令をナノマシンが聞かないように設定してあったんだろう。
「ロク。それならジャンケンをしましょう。これからしようと思っていることはわたしも分かりました。それならどっちが生き残るか真剣に」
「いや。ジャンケンなんかするまでもなく、ハチしか生き残れない。忘れっぽい天然娘もナノマシンに命令できないんだからな」
「冗談ですよね?」
「わたしはナナみたいに冗談を言えるタイプのアンドロイドじゃない」
「お、怒りますよ。ロクもうそつきだったら心中しますよ。今ナノマシンに命令を」
 違う。ロクは……うそなんかついてない。
 もしも、うそをついているなら。わたしが間違ってもナノマシンに命令できないように気絶をさせるはず。
「泣くなよ、ハチ。心配しなくてもちゃんと助けてやる」
「そんなことは心配してません。どうして、一緒に死なせてくれないんですか?」
「全滅するよりは誰か一人でも生き残るほうが得だから。それがハチなら、なおさら文句はない」
「わたしは文句を言いますよ」
「言えよ。好きなだけ聞いてやる」
 七階に下りるための階段はすぐ後ろにあるのだろう、ロクは動くのをやめていた。
「文句を言いたいのにでてきません」
「そうか。それは残念だな」
「だけどロクを一生うらみます。他のアンドロイド達も全員、人間になっても絶対に」
「いんや、忘れさせてやる。わたしだけじゃない、他のアンドロイド達にも手伝ってもらってな……絶対にこの館での出来事を全部。ハチの頭の中から消去する呪いをかけてやるからな」
「アンドロイドだったら呪いじゃなくて機能じゃないですか?」
「ハチは人間になるんだから、呪いのほうが正しいに決まっている」
 ロクに身体を押されてわたしはマットの上で後ろ回りをするように階段を転がり落ちていく。
「絶対に忘れろよな。ハヅキちゃん」
 ナノマシンに残酷な命令をしたあと、確かにロクはそう言ったように聞こえた。
 爆風に包みこまれ吹きとばされて壁や床にぶつかり、色々なものが身体全体に当たってきたからか手足が動かしづらい。
 ひびも入っていてなんだか分からない黒い液体がもれているようにも見える。
「やっぱり、ロクも良い人じゃないですか」
 このままダンゴムシみたいになって一階の南にある開かない扉に行かなければ、皆に。
「ハチ、行かせない」
 声が聞こえてきた。八階の夢世界に通じている階段のほうから、小さい音量だったけど確実に。
「まだ、いた。いたいた。死ね。壊れろ……人間になるのは、わたしなんだから」
 爆風で色々なものが当たった時に、頭電話をするためのなにかしらの機能が壊れたようで人間でもアンドロイドでもない姿に変わり果ててしまったシイが階段を下りて。
「仇に……なったよな。わたしの周りはナノマシンが少なかった、だから」
 シイはもう動かなくなってしまった。心配をしなくてもわたしにはどうすることもできないと伝えてくれているのか、階段から転げ落ちてばらばらになってしまっている。
「分かりましたよ、シイ。代わりにわたしが人間になります」
 シイは色々なやりかたを間違えてしまったけど、人間になりたいって思いだけはどんなことよりも純粋だった。
 ゆっくりと立ち上がっていた。身体全体にひびが入っていて、胸に穴が空いてて心臓をどこかに失くしてしまったのに動けている。
「アンドロイドで良かった。人間だったら、とっくに死んじゃってたよ」
 なんとか一階にたどり着く頃には館の全てが炎に包まれていた。おそらく人間の精神の世界だし色々と影響はないと思いたい。
「本当の葬式になっちゃったね」
 そんな冗談を口にしながら、開かない扉のドアノブをわたしは力強く回していた。
 その先には。
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