アポロの護り人 ―異世界夢追成長記―

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第一章 カラハダル大森林 異世界転移 編

39.家-Ⅰ

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 出発の朝を迎えた。
 玄関から外に出て、これから自分たちが向かう方角を見やる。
 時刻は早朝、雲一つ無い空を昇り始めた太陽が花畑と森の木々を照らし、澄み切った空気を温めていく。
 春とは言えやはり早朝はまだ少し肌寒いが、この調子で日が照り続ければ気温もすぐに上がり、旅にはもってこいの陽気となるだろう。

 昨日は軍属大学院とやらに行くことが決まった後、今日の出発に向けて急ピッチで準備が行われた。
 と言っても普段の生活に必要なものはほとんどマジックバッグに仕舞っていたため、追加で準備するものはそれ程多くは無かった。
 半年程度しか居住しておらず、出かける場所も森程度となれば、特別持っていくような物が無いのも当然と言えば当然である。
 こうして物の少なさなどを見て、まだ半年なのだという事実を実感すると、自分が既に何年もこの家で暮らしていた感覚に――この家の住人なのだといつの間にか意識していたことに気が付いた。

(居候みたいなものだったはずなのにな……)

 これまでの人生で学んだ事ではないか。
 いつだって、自分の住む場所は"仮宿"だ。
 かつて両親と共に過ごしていた家は、もしかしたらそうではなかったかもしれないが、自分の記憶の片隅にすら残っていないのならば結局は他と大差はない。
 高校の頃に暮らしていた家も、大学に入ってから暮らし始めた家も、両親を失ってから叔父に引き取られて住み始めた家も、全て"家"と言う名の場所を"契約"や"厚意"で提供されているに過ぎなかった。
 だからだろうか、引っ越す時も特に何の感慨も無かった。
 それ相応に思い入れや思い出もあったはずなのに、だ。
 
 人にしてもそうだ。
 友人と呼べる仲の者たちはいた。
 学校の休み時間には他愛のない話をし、休日は遊びに出かける。
 しかし、卒業で離れ離れになるとなっても特に思うことは無かった。
 周りが涙ぐむ中、自分は何をしていただろうか。
 恐らくいつも通り愛想笑いを浮かべてやり過ごしていたのではないだろうか。

 叔父にしても、別に邪険にされていたわけではない。
 寧ろ叔父はよくも自分を七年間も家に置いておけたものだとすら思う。
 今にして思えば"迷惑をかけまい"と考えるあまり、叔父からすれば寧ろ避けてられているようにも感じられたのではないだろうか。
 自分で言うのも何ではあるが、愛想笑いを覚えていなかったあの頃の自分は相当に不愛想だったと思う。

 そんな事を考えていると、妙に嬉しそうな表情のソフィアたち三人も玄関から出てきた。
 不思議に思ったが、各々の手に持っている物を見てその理由を理解した。

(ああ、我が家特性の石鹸を貰ったのか――)

 一度気が付くと細かな所にも気が付くようになるもので、いつの間にかこの場所の事を何の躊躇もなく"我が家"と表現するようになっていた事にも気が付く。
 今までの"仮宿"とは違い、自分は間違いなくこの場所を自分の"居場所"だと認識していた。
 そう思える場所ができたことが心の底から嬉しいと思いつつも、これまでと違う感覚に些か困惑している。

(この場所も結局は"仮宿"だもんな……)

 おじいちゃんの厚意で部屋を与えてもらっていたに過ぎないはずなのに――

 今までの"仮宿"と特に変わりはないはずなのに――

――この胸を締め付ける感情はいったい何なんだ……。

 続いて玄関から出てきたおじいちゃんを見た瞬間、反射的に後ろに広がる花畑の方に振り返ってしまった。
 ざわつき掛けた心が幾分か鎮まる。
 きっと今目を見て話してしまうと自分は泣いてしまう。
 それを瞬間的に理解したが故の行動だったわけだが、周りから見たらかなり不審な行動だったであろう。
 おじいちゃんを直視できないなんて思ったのは初めてなのではないだろうか。

(なんでだ……昨日は大丈夫だったのに……)

 そんなことを考えていると、背中越しでおじいちゃんたちの話し声が聞こえてくる。

「じゃあテッチ。みんなをしっかり帝都まで護衛してくれのぅ」

「ワウッ!」

 おじいちゃんはこの森で"やるべきこと"があるらしく、帝都まで行けないらしいので、テッチが護衛として一緒に来てくれるのだそうだ。
 特訓を通じてテッチの強さはよく知っているので、正直非常に心強い。

「ソフィア嬢ちゃん。ディムロイの奴によろしくのぅ。サキトのボウズもアイラの嬢ちゃんも達者でのぅ。――タケルをよろしく頼むぞ」

「はい。もちろんです!」

「了解ッス!」

「逆に私たちが助けられることの方が多くなるかもですけどね」

「ほほほ。タケルは知らないことが多いから色々教えてやってくれのぅ」

 前言撤回だ。
 声を聴いただけでもう目頭が熱くなってしまった。
 どうにか涙が零れ落ちないように頑張ってはいるが、もうすぐ決壊しそうだ。
 鼻を啜る音で後ろの彼らにも泣きそうなのが伝わっているかもしれないが、恥ずかしくて見せられたものじゃない。

(ああ……そうか……)

 胸を締め付ける感情の正体がわかった。
 自分はおじいちゃんと、この場所と離れるのが寂しいのだ。
 今になってようやく心が、"もうすぐお別れなのだ"と理解してしまったのだ。
 泣かないようにと努める度に、別の事を考えようとする度に、頭の中には今までの事が思い出される。

――最初に森の中で救って貰ったこと。

 忘れもしない。
 あの背中は今の自分の目標の一つなのだ。

――ご飯を一緒に食べたこと。

 誰かと共に食べる食事は本当においしかった。
 今では当たり前のようにも感じるあの光景が、とても特別で大切なものなのだと自分は知っている。

――特訓をしてもらったこと。

 辛い時もあったが、新しい事が出来るようになる度に楽しかったし、褒めてもらえるのが嬉しかった。
 何よりも――

(僕が何か出来るようになる度におじいちゃんが本当に喜んでくれるのが嬉しかったんだ……)

 誰に評価されることもないから、必要な事を必要なだけ、自分のためだけにこなし、ただ日々を過ごしていたかつての自分にとってそれは、実に得難く、そして密かに憧れていたものだった。

 日々の何気ない会話も、共に行動したことも、自分に本当に多くの事を教えてくれた。
 どこの誰かもわからない、この世界の事も何も知らない人間を助け、育て、導いてくれた。
 これほど恵まれたことがあるだろうか。
 これほどの幸福があるだろうか。
 これほどの――

「――タケル」

(ああ……だめだ……)

 決壊寸前の涙腺に止めを刺すかの如く鼓膜を揺らしてきたその優し気な低い声に、ついに堪えきれなくなってしまった。
 溢れだし、頬を伝う涙は顎から首へと順に伝い、シャツの襟を湿らせていく。
 無意識に拳を握りしめていたためか肩が震え始める。
 泣き声はあげないようにと唇を引き結び、自然と下がってしまう視線をどうにか上に向けようと頑張る。

「何を泣いておるんじゃまったく……。ほれ、こっちを向いて顔を見せておくれタケル」

 そう言うおじいちゃんの声も、僅かながら震えていたのはきっと気のせいではないだろう。
 振り返り、おじいちゃんの顔を見るが――

「お、おじい、ぢゃ……あ゛ぁ――」

 引き結んだ唇が解け、嗚咽が漏れる。
 こんな顔で別れなどしたくなかったのに、溢れる涙も嗚咽も止まってはくれない。

「まったくのぅ――」

 下を向いて顔を隠そうとする自分の頭を大きな手が撫でる。
 いつもの少し乱暴な手つきとは違い、不器用だが優しい手つきだ。

「――わしは幸せ者じゃよ」

 尚も嗚咽の止まらない自分を、おじいちゃんは優しく抱き寄せて泣き顔を隠し、落ち着くまで頭を撫で続けてくれたのであった。

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