孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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六章 探求の魔女アンタレス

外伝:捻くれた者達の礼賛歌

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「ふぅーっ…、えーっと、土産の品は持ったし 服装はまぁ制服でいいし、あとなんかあったか?、…香水…はいいよな、別に見合いに行くわけでもねぇし」

コルスコルピ中央都市ヴィスペルティリオの一角、陽光に照らされ長閑に揺れる芝生のその上に、野暮ったそうに立つ男が一人

ダルダルと伸ばした茶髪とこれまた眠そうに半開きにされた目をするのは 世界一の大学園において初の生徒会長にして次期理事長 アマルト・アリスタルコス

彼は片手に紙袋を持ちながら歩む、今日は学園はお休み…その休みを利用してとある場所に赴くつもりなのだ

「家の事…ちゃんと決着つけるか…、ああー その場の勢いで面倒な約束しちまった」

今より一ヶ月前、彼の友であるエリス達が卒業し その別れの際に彼はエリスと約束したのだ

『ちゃんと家の事 決着をつける』…と

アマルトとその実家アリスタルコスの関係性は今現在あまり良いものではない、アマルトはアリスタルコスの事が嫌いだし アリスタルコス側も俺のことを可愛い可愛いご子息様とは思ってないだろう

けど、いつまでもそれを引きずるわけにはいかない、こういうゴタゴタは尾を引くとどこで顔を出して俺の道行きを邪魔するか分からない、人間関係のイザコザは解決出来ないにしても後回しにするのはよろしくない

和解するにしても しないにしても、少なくとも『和解出来なかった』という決着の形は必要だろう、少なくとも今みたいに曖昧な状態でいるよりはいい

だから今日、アリスタルコス家に赴いて 親父殿とお話しして、俺は理事長になる けどアリスタルコスの理念やらなんやらを守る気はありません そう伝えるつもりだ

「けどもなぁ…」

そういう理屈は理屈として、心は別にある…

帰り辛い、学園に入学してからはずっと学園で寝泊まりしてたから…、少なくとももう四年は帰ってない

どんな顔して帰ればいいんだ?、何食わぬ顔で?それとも神妙な面持ちで?、いや…そもそも事前に向かいますって連絡してないな俺、門前払いされたらどうしよう

…ああ、頭の中に門前払いされた方が都合がいいと考える自分がいる、門前払いされりゃ ゴタゴタ悩まず全部終わる、けど同時になんの解決もしない

やっぱ、話す必要があるよな…親父殿と

「あー、ヤダヤダ 着いちまった、もう少し考える時間くれてもいいのに」

休まず動き続ける足はアマルトをアリスタルコス邸へと誘う、四年前出て行った時と同じだ、あの時は何も言わず帰らなかったし アリスタルコス側からも何も言われなかった

…さて、どうすっかな…あ!そうだ!、何もわざわざ顔つき合わせなくてもいいじゃないか

手紙だ!、手紙で済ませよう そうすれば顔を合わせなくても意志の疎通ができる、それで行こう

「とくりゃここじゃ手紙は書けませんし、帰るしやしょう…」

「おや、貴方は…」

「か…ね、ああくそ 見つかった」

庭の掃除に出てきたのか、それとも屋敷の目の前で右往左往する不審者の顔の一つでも拝んでやろうと出てきたのか、その扉が徐に開かれ 中から皺くちゃの婆の顔が見える

この屋敷の従者でありマナー講師の婆やだ、細かいことをチクチク刺してくる厳しい人だが、なんだろうな 嫌な奴という感覚は湧いてこない

「…………」

「…………ぅぅ」

ただ、婆やは何も言わずにこちらジッと見ている 、礼儀正しい立ち姿と振る舞いでジーッと、やべぇ すげぇ帰りたい

「アマルト様」

「あ…えっと、なんすかね」

「自宅の目の前でジッと立たれて、何をされているのですか?」

「いや…、その」

「フーシュ様のお顔を見に来られたのではないのですか?」

そうですよ、なるほど …ンなとこに突っ立ってねぇでとっとと入れってか、分かりましたよ 腹括りますよ

「…親父殿は家に?」

「ええ、今日は学園がお休みですので、少々療養を」

「療養ね…、なら都合がいい、お邪魔するよ」

「どうぞ」

軽く手を挙げズカズカとアリスタルコス邸へ足を踏み入れる、そのマナーもクソもない無礼な立ち振る舞いに婆やはややムッとするも、特に何か口出ししてくる様子はない

しかし、療養ね…やっぱあの噂本当だったかね

「親父殿は元気で?」

「体に異常はありません、しかし 少々精神の方を」

精神かい、…なんでも聞いた話じゃ親父殿は例の魔獣襲撃事件以来、無気力というか上の空というか、様子がおかしいらしい

いつもは休みでも学園運営に精を出していたのに、今じゃ休みは部屋で寝てるそうだ、思春期かよいい大人が

これも聞いた話だが、…フーシュは感じたらしい 自分の理想と周りの意志の乖離を、自分の望むことは周りも望んでいると思っていたそうだ、つまり 生徒も教師もみんな学園を残すためだけに存在しているしみんなもそれを了承の上だと思ってたそうだ

しかし、実際は違った 生徒を縦にしようとしたフーシュはイオに拒絶され部下のリリアーナに殴られ事件解決まで気絶してたそうだ、情けない話だよ いや情けない話以上に馬鹿らしい話だ

どんだけ自分勝手なんだよ、自分の意思が全体の意思だと思い込んで 拒絶されたショックを受けて寝込むって?、無責任にも程があらぁな

「こちらにて、フーシュ様はお休みになっています」

「あいよ、案内ありがとよ 婆や」

と父の寝室の前まで案内される、扉は重厚な風格も漂わせているが 不思議と中から音はしない、…寝てんだろうな

叩き起こして話するか、そう扉の取っ手に手をかけると、その手が掴まれる…婆やにだ

「なんです?婆やさん」

「…私は、古くよりアリスタルコス家に仕えておりました、フーシュ様のお父様 アマルト様のお祖父様の頃よりここに仕え、その成長を見てきました」

「はあ、そうですか」

「故に言わせていただきます、フーシュ理事長はアマルト様よりも才気溢れる方でした」

だからなんだよ、俺より父の方が優れてたって?…、あれ?もしかして馬鹿にされてる?、いやいや違うな こりゃ多分言い方が悪いだけだ

「それだけ、肝に命じてください」

「…婆やさ、多くを語らないのは美徳とは言うが、全部言ってくれなきゃ分からないぜ?」

「それは…、申し訳ございません」

「まぁいいさ、俺ってば優秀だから 婆やの言いたいことはわかったから、親父殿より優秀じゃないかもしれないけどよ」

「出過ぎた事を…」

とだけ言うと婆やは俺の手を離し、優雅に一礼すると廊下の奥へとさっさと消えていく、才気あふれる方…でした か、婆やも婆やで大変だね

まぁいい、邪魔者もいなくなったところで扉を開ける、ノックも無く 声もなく静かに、音を立てて失礼する

「…………」

「………………」

部屋の真ん中、ベッドの上に親父はいた 横たわって仰向けで天井をじーっと見て、俺のことも見えてるだろうに 反応もしない、腹立つな

「親父殿」

「アマルトか」

「顔見に来たぜ、それとも見舞いといったほうがいいかい」

態とらしく 嫌味を言いながらベッドの横に置かれた椅子にどかりと腰をかける、親父殿の顔に元気はない 、いつもはピンっと張ったお髭も、今はしなしなと下を向いている

体に異常はない、見舞いの必要もない、けど 精神をやると人は弱る、それはよく分かってる

「体に異常はないよ、うん ただちょっと元気が出ないんだ」

「そうかい、もう歳なんじゃないのか?」

ただ、俺の口も様子がおかしい、弱ってんのが分かってるのに、嫌味しか出てこない、酷くトゲのある素直じゃない物言いしかできない、もっと素直で大人の余裕ある振る舞いをするつもりだったんだがな

「そうかもしれないが、…原因は分かっている、心の方だ」

「…かもな、そんな顔してる」

「アマルト、私は間違えたのか?」

そうだよ!!、と叫びたかったが 言わない、今ここで喧嘩腰になれば多分何も解決しないから、でも 深く 冷静に考えてみる

間違ってたか と言われれば、実は微妙なところだ、そりゃ生徒を盾にしたり人の生き死ににも興味を示さず…、その辺は擁護のしようもない

けど、親父殿は親父殿で学園を守る為に必死だったとも言える、いくら親父殿が生徒の方を見ていなかったにせよ、生徒は別に理事長なんかいなくても成長出来る 学園という箱があればそれでいい

そういう意味では、ある意味親父殿も生徒を守っていたとも言える、見方の問題だけどな

「イオ王子やリリアーナ君に言われて、初めて学園の伝統の方を見ているのが自分だけだと気がついた、私は…学園さえ存続させれば 校舎さえ残せば、伝統さえ守れば全ていいと思っていたし、みんな それを望んでいると思っていた」

「けど、それは勘違いだった…ってか」

「やり方を間違えたのか 考え方を間違えたのか、全部間違ってたのか、分からない…そんなこと考えた事もないし、学んだ事もない」

「…………」

結局、親父殿は混乱しているのだ、自分のやり方を否定されると思ってなかったんだ

じゃあ俺の訴えはどう思ってたんだ、ガキ一人喚いていると考えていたのか?、だとしたら腹が立つ

腹が立ち腹が立つ、分かっちゃいたが 親父の顔を見ているとムカムカしてしょうがない、仮にこの男が元気はつらつで体操していようが俺は似たような感情を抱いていただろう

それはこの男の事が嫌いだからか?、それとも…親だからか?

「息子たるお前に話すことではないな」

「今更弱音なんざ聞きたくねぇよ、自分の信じてるもんを踏み躙られる苦しみをその歳になって初めて経験したかよ、余程気楽な人生歩んで来たんだな」

「…………そうだな」

なんだよ…、その憂げな顔は… 、ああダメだ

ダメダメダメ、自分のテンションがエリス達と出会う前に戻っているのを感じ両手で顔を覆いため息を吐く、大丈夫 俺は変わった…変わったんだ、もう元には戻らない あの頃には戻らない

俺にしがみついて叫んでくれたエリスや信じてくれたラグナ達、そしてずっとそばに居てくれたイオに恥じない生き方はもう元には戻らないことだけなんだ

「親父はさ、学園を守り抜く事が全てだったんだよな」

「ああ、そうだね…守り抜きさえすればいいと思っていたし、求められていると思ってた」

「そう、作られたからか」

「…そうだね」

親父も俺と同じなんだ、この家の洗脳とも言える教育を受けて 学園継続の歯車として加工され送り出されたんだ、今まではそれで恙無く進んだかもしれない 祖父や曾祖父の代は

でも、親父の代で学園は危機に瀕した、存亡の危機だ…そこに直面し理事長は学園と生徒と向き合う機会を得た、得てしまった

そしてズレを感じた、数百年 数千年の時経て徐々に歪んでいったアリスタルコスの理念は、いつしかどうしようもないくらい歪み果てて 周りの意識と乖離してしまったんだ

今までは向き合わずに居ても問題なかったからなんともなかったが、向き合ったせいで露呈した、それを感じて 親父は打ちのめされた 自分が人生を賭けて得てきたものが、歪んでねじれていたものだと気付かされて

……俺と同じなんだ、今までの自分を否定されて打ちのめされて、不貞腐れてんだ 親子揃って、情けねぇよな きっと周りからは呆れられてるよ、俺同様

「………………」

どうするべきか、親父が今ショックを受けてるのは分かった、けど そりゃある意味自業自得なんだ、親父のやり方の所為で割食った奴はいるし 俺もその一人だ、落ち込んでるからって何もなしに味方はできない

けど、この辛さを理解できるのは俺だけだし…、悩む 頭から湯気が出るほど悩む、突き放すべきか手を取り慰めるべきか

頭から溢れた湯気はいつしか人型を取り二つに分かれる、天使と悪魔だ

『めちゃいい気味!、笑い飛ばして蹴飛ばして罵っちゃえ!』と小悪魔の格好をしたデティフローアが俺の右耳で囁く

『いけません、お父さんは今落ち込んでるんです、傷を共有する者としてアマルトさんだけは味方でいてあげてください』と天使の格好をしたエリスが左耳で囁く

いや、デティフローアとエリスがこの場にいたらそういうことを言うかは分からんけど、俺の意思が二人の形を借りて俺の頭の中で言い合いをする

「アマルト」

ふと、親父の声で意識を取り戻す、気がつけばベッドから起き上がりこちらを見ていた

「私はどうやらやり方を間違えたらしい、これ以上私が理事長を続ければ教師陣や生徒達から反感を買うだろう」

「別に、そんな気にしてる奴はいないと思うぞ?」

「いや、私はそういう風に作られてしまった 私は失敗作だ、また間違える」

随分だな、それは…

「だから、君が学園を卒業したら私は君に理事長の席を譲ろうと思う」

「………………」

「いち早く理事長の席を変えて生徒達からの反感を防がなければ学園の運営に支障を来す、私が失敗作でいる以上取り急いで理事長を交換しなくては…」

「交換って…、部品じゃねぇんだぞ、俺もあんたも」

「何を言っている、お前は私が失敗作であることを予期して私を否定していたんだろう?、お前のいう理想とやらが正解なんだろう?、なら部品でもなんでもいいから早く私と変わってくれ 学園と伝統の為に」

……呆れてものも言えなくなる、結局それか 結局そうなのか、ショックを受けて省みたが反省はしてないし変わってはいないんだ、この人は

自分の意識が間違っていると理解しながらも価値観は変わらず、見ているのは正誤だけか…まぁいいんだけどさ、この人の意見を変えたく俺は来たわけじゃないし、とっとと席から退いてくれるんなら都合がいいことこの上ない

もう帰ろうかな…、これ以上話して 互いに何か変わるわけじゃない、決着をつけられたかは分からなけれど…もう帰ろう

「…はぁ」

「アマルト…、アマルト 何処へ行く」

「帰るんだよ」

「お前の家はここだろう」

「もう違うよ」

席を立ち扉へ向かう俺へ親父が声をかける、俺の家はここじゃない もうここではない、ここには帰ってきたんじゃない お邪魔したんだ

「…この家を出ていくのか」

「今更かよ、もう四年も帰ってないんだぜ?」

「…もう四年も経つのか、そうか 通りで…」

「なんだよ、さっきから」

父の縋るような口ぶりに思わず足を止めて少しだけ、振り返る ベットの上で起き上がる父の目は、先程よりも光が灯っている様にも見える

「アマルト…私は間違えたのか?」

「さっき自分で言ってたろ、間違えたって」

「ああ、だが分からないんだ どこを間違えたのか、…誰も教えてくれないんだ、何が正しくて何を間違えているのか、子供の頃の様に誰かが横で指導してくれるわけじゃない、答案用紙の様に私の生き方に誰かがマルバツをつけてくれるわけじゃない、あるのは漠然とした間違えているという感覚だけだ…、君が正しいというのなら 教えて欲しい、何を間違えたのか それだけでも」

「…………」

親父は本気で言ってるんだ、本気で分からないんだ、何が間違いだったのか 何を間違えていたのか、それを教えて欲しいと言ってるんだ 俺の方が正しいと認めているからこそ

つっても、俺が正しい理屈なんてどこにも無いし、俺自身が正しいと胸を張れるわけでも無い

…ただ、思い出すのは婆やの言葉…『フーシュ様は優秀な方だった』、それは人として優秀なんじゃ無い、理事長の座を継ぐ存在 アリスタルコスの伝統を守るという一点から見て親父は適任であその才能があった

何せ、教えられたことしかできないんだから、教えられたことはなんでも出来るが アリスタルコスの伝統という狭い世界で狭い知識だけ与えられれば、出来上がるのは狭い視野を持った人間

今にして思えはとうぜんだ、親父は伝統しか教えられなかった だからみんなもそれを守る為に生きていると思い込んでいた

アリスタルコスの伝統が生んだ 生んでしまったある種の到達点、機械の様に育てられた人間とはかくも脆いのか

「教えてくれアマルト、私は 何をどう どこで何を 間違えた」

自分で考えろって突っぱねるのは簡単だ、けど 多分この男はいくら考えても答えは出せない、数式と同じだ 人間が本来持ち合わせる数字を この男は持っていない、数字の欠けた数式で考えても 出るのは不確かで曖昧な答えだけ、確固たる答えは出ない

「別に俺は俺が正しいとは公言出来ないよ、もしかしたら俺も間違えてるかもしれない、けどさ…、別に間違えてるって思ったなら、今と少しやり方を変えればいいだけだろ?」

「…やり方を…」

「いいじゃんか、間違ってるってのが分かってるのは、正しいと思い込むより百倍マシだよ、答えなんて簡単に出ないから…足掻くんじゃないのか?、偉そうなこと 言えないけどさ」

確固たる答えを俺も持ってるわけじゃない、もうこれ以上何かを言えない…けど、俺はそうした

あの時 エリスの叫びを受けて、自分の間違いをなんとなく認識したから そのやり方を変えた、するとどうだ?物事が正しい方向に進んだかは分からないが 少なくとも迷いは晴れた

間違えたなら 道を変えればいい、右だろうが左だろうが、なんなら戻ってもいい…、俺はあの時エリスにそう教えられた、あいつはそこまで考えてなかったみたいだけどな

「…昔、似た様なことを言われたことがある」

「は?」

「間違えたなら 無理に進める必要はない、正しいと納得出来るまで色々試す…、考えてるより動いた方が 百倍マシ…と」

ふと、親父が天を仰ぎながらそうポツリと呟く、昔?親父にそんな殊勝な物言いする奴がいたのか…?

すると、親父は目をこちらに向け 今度は、俺の顔をしっかり確認する様に見つめて 口を開く

「ダムティナ…、私の妻 君の母の言葉だ」

「俺の…母親?」

俺の母、俺を生んで 直ぐに死んだと言われていた、母親の…ダムティナの言葉

「思えば彼女はいつも私を隣で正してくれていた、彼女が生きていたら こんなことにはならなかったのか…」

「何言ってんだ、あんた言ってたろうが、…俺の母親は俺を生む仕事を終えたから、見殺しにしたって」

「…そうだな、見殺しにした…私は彼女が産後衰弱しているとも知らず…仕事にかまけていた、弱る手を握ることもせず…、見殺しにしたも同然だ」

本当は愛していましたってか、本当は見殺しにするつもりはありませんでしたってか?

今、そんなもん聞かされたからって…、なら もっと早くそれを言えよ、サルバニートが苦しんでいる時に それを言えよ、だったら俺は こんなにも…

「アマルト…、ありがとう 忘れていた事を思い出せた…」

「そりゃ結構、思い出せたなら俺 行くよ」

「ああ、そうか」

もう言うべきことも言った、やはり親父の前に立つには まだ時間が浅かったようだ、仕方ない もっと時間をおいて、互いに大人になって それから話そう

いち早く、この場から逃げる様に扉に手をかける…、するとその瞬間

「すまなかったな、アマルト…君を苦しめ 蔑ろにした事、謝らせてくれ」

背後で、毛布が擦れる音がする、親父が頭でも下げたのか…、今になっての謝罪 もう遅い、遅いと思いながら俺の動きは止まる

予想外の言葉に、止まる

「……どう言う事だよ」

「君の言う通り、やり方を変えるよ とはいえ何から変えたらいいか分からない、だから 先ずは自分がしたいと思ったことをしたまでだ」

「したい事?」

顔を向けずに扉に手をかけたまま、親父の方を見ないで ただその言葉に耳を傾ける

「ああ、…ダムティナに言われたことを思い出した、…親子…仲良く生きてくれと」

それが私が聞いた最後の言葉だったからと…、父はそれだけ言うと俺の答えを聞くこともなく、息を吐き再び布を擦り合わせ頭をあげる

「今更仲良くは出来ない…」

「そうだね、分かってる 四年も息子を放置した父などと仲良くは出来ないね」

そうだ、今更仲良くとか仲直りとかするには、溝が深すぎるんだ 間が開きすぎたんだ、…今更なんだ 本当に…今更

「じゃあな、親父殿 体まで壊すなよ」

若干の遣る瀬無さを感じながら扉を今度こそ開けて廊下に転がり出る、何してんだか俺は…、決着つけるとか言いながら返り討ちかよ、かっこ悪りぃ

「はぁ、俺もまだまだガキンチョだな…」

チェッ と床を蹴りながら廊下を歩く、もう帰ってもいいだろ…いや、まだだった

手の中には相変わらず紙袋が握られている、親父殿への見舞いの品兼長く家を空けていたことに関する謝罪の品、あと土産ついでに持ってきたその辺のクッキーだ、美味いかは知らん、行き掛けに立ち寄ったところのを摘んだだけだから

これを今から親父殿に渡すのはアレだよな…、ダイニングか何処に置いて書き置きしておくか、皆さんで食べてくださいってな感じで

よし、そうしよう… そう決めるなり踵を返しダイニングへ向かう、四年空けていたとはいえ元は我が家だ、目瞑ってたって間取りは分かる

……………………………………………………

「げぇ…」

ダイニングの扉を開けるなり思わず口から潰れたカエルの断末魔みたいなのが飛び出る、いや或いは俺の胃の断末魔か

この家は針の筵だ、祓魔殿だ 何が出てくるか分からないとはよく言ったものだ、いや予想はしていた もしかしたら居るかもしれない、いやいやそんなに都合よく居るわけない なんて悶々とした予想を立ててはいた

けど

「やっほ」

マジで居るかよ、タリアテッレ…

ダイニングの椅子に座りながらまるで俺がここに来る事を予期していた様に手をにこやかに振っている、親父殿に続いてタリアテッレの相手までするのはちょいと無理だ、親父殿相手にも打ちのめされたのに…連戦はちょっと

「なんでいるんだよ」

「アマルト…そろそろ来るかと思って」

「俺のこと理解している風な話ぶりはよせよ、本当は何一つ分からないくせに」

「まぁね」

本当になんでここにいるんだ、俺こいつに今日アリスタルコス邸に行くことを言った覚えはないんだが…、まぁいいや 、変に相手しないで紙袋だけ置いて帰ろう

「…あー、アマルト?その紙袋何かな」

「関係ねぇだろ、あんたには」

「んー、分かった クッキーだ、砂糖と小麦の匂いがする」

「犬かあんた、ってか分かるなら聞くなよ」

「話の物種が欲しかったんだよう」

紙袋を机に置き、その辺の机に備えられている羽ペンを強奪し書き置きを残す、これでよし…

「ねぇねぇアマルト」

「なんだよ鬱陶しい」

「昔みたいにお話ししよう」

さっきからなんだこいつ、こんな変な絡み方してくるやつだったか?、もっとこう…無責任なようでいて厳格で、規則に厳しく アリスタルコスの役目を何よりも優先する女だった筈だ

多分、いつもならこう…、理事長の役目がどうたらと顔を突き合わせたら行ってくるのに、今日はそれがない…不気味だ

「俺と話がしたいのか?」

「そうそう、お話ししたい」

「なんで?」

「なんで…って、そりゃ…その…」

よくわからない態度に首をかしげる、理由はないのか?理由もなしに話しかけてくる人じゃないのに、おかしいな…なんなんだよ

親父殿と言い タリアテッレといい、昔はこんな 弱い人達じゃなかった筈なのに、なのに…

「用がないなら帰るからな」

「え?、あ…うん、気をつけて 帰りなよ」

気をつけて…か、ここに来て姉を気取る様な態度に些かの不信感と一抹の憤りを覚えながらも肩を竦め 踵を返す、本当になんだったのか

親父の弱々しい態度、タリアテッレの不気味な態度…、それに当てられ 肩透かしを食らいながらも俺は屋敷を後にする

決着…結局つけられなかったな、ただよく分からないまま拗れただけだ、何しに来たんだ俺、あいも変わらず素直ではない己と 腹が見えない家族達に頭を抱え、帰路につく

不可解な二人の行動の理由、それは意外なほどすぐに判明した

……………………………………………………………………

アリスタルコス邸を訪れた日の午後、あのままよく分からん悶々とした心持ちのまま俺は自宅に戻ってきた

エリス達が元々四人で暮らしていたあの屋敷だ、元来はメルクリウスがこの街の貴族だか資産家だかから買い取った学園に通うためだけの仮住まいだったらしいのだが、メルクリウスも晴れて卒業 もうこの屋敷は用済みなので…という理由だけで俺に譲ってくれた

屋敷一つポンと渡すってどんな価値観だよ、おまけに当面の生活費と言いながらまぁ結構な額を置いていったのだが、あいつは俺の母親か?ってくらい面倒見がいい

言っちまえばこの家は貰い物だが、貰ったならもう俺のものだ 変に遠慮はしない

「はぁ…ずずっ」

自宅のダイニングに一人座り、コーヒーを啜る…ダイニングに置かれたテーブル その周りには合計五つの椅子がある、あいつらが住んでた頃の名残だ

俺のケツは一つしかないから 椅子がこんなにあっても邪魔なだけだが、処分はしない、あいつらがいつ戻ってきてもいい様に なるべくあいつらが出て行った状態で保存してある

エリス達が出て行ったとき置いて行ったベットや本棚とかも、俺一応掃除してんだぜ?…未練がましいかな、でも あいつらの置いて行ったものを引き払ったらこの家 何にも無くなっちまう

多分俺 椅子とかテーブルとかなくても生きていけるからさ、まぁそれはそれとしてそんな何も置かれてない廃墟同然の家に住んでたら気が狂いそうになるだろ?

だから、あいつらの残していった 生活感というか、人がここに住んでいる感は大切にしたいんだ

「逸り過ぎたのかな…、もう少し間を空けてから会いに行くべきだったかな、親父も結構引きずってるみたいだし、タリアテッレもよく分からんし…」

ただ、今俺の頭の中は完全にアリスタルコス達の事で持ちきりだ、今にして思うと不可解なことばかりだった

フーシュの態度 なぜか居るタリアテッレ、そして二人徒歩どこかそわそわして落ち着いていなかったように思える、まぁそれは俺も同じだが

…んー、なんだろうなこの感覚

「失礼するよ、アマルト」

「ん?」

ふと、玄関が勝手に開けられて中に誰か入ってくる、泥棒?強盗?バカな 、どこの世界に玄関から馬鹿正直に入って挨拶する泥棒がいるんだよ

イオだ、俺の親友のイオ・コペルニクス  あいつにはここの合鍵を渡してあるからな、入りたければいつでも入れと鍵渡したらあいつ本当にいつでも勝手に上り込むようになりやがった

「アマルト?、なんだいたのか いたなら返事の一つでもしてくれよ」

「返事どころか反応も待たずに入り込んできたんだろうが」

「そうだった」

イオはダイニングに顔を見せ俺を見るなりほにゃっと笑い、もう流れる様なスピードでダイニングの椅子を引き俺の対面に座る、そしてこの視線だ

「………………」

…この、私の分のコーヒーは無いのか とでも言わんばかりの視線、こいつ俺の家カフェか何かだと思ってんのか?

「コーヒーが欲しいのか?」

「悪いね、気を遣わせて」

「誰も淹れるなんて言ってねぇだろ、まぁ淹れるけどさ…ちょっと待ってろ、今昼飯作るから 食ってけ」

「ほほう!、アマルトが料理を作るのかい?いやあ何から何まですまないね」

嘘つけ、俺の昼飯時を狙ってきたくせに、まぁいいや と立ち上がり壁に掛けてあったエプロンを纏い、キッチンに向かう

もう大体の準備は終わってる、仕上げ前の一服をしてる最中だったしな 寧ろイオは最高のタイミングで来たと言える

「何を作るんだい?アマルト」

「ピザ」

「ピザ!?自宅でかい?」

「この間ピザ窯作ったんだよ、幸い金やスペースには事欠かないからな、物は試しに作ったんだよ」

これといって趣味があるわけでもなし、時間潰しに料理をしているうちに 色々作りたくなって、キッチンに機材を揃え始めてるんだ

自分で作っては消費する様に食べて…、若干虚しいが没頭できるし時間は存分に潰せるしでいいこと尽くめなので ついつい傾倒しているところがある

なんて考えながら既に仕上げてあったピザを窯にいれやや待ち、頃合いを見て取り出す、元々一人用に作っておいたから量は多くはないが、勝手に上がり込んだ奴に文句を言う資格はないのでこれで良しとする

「おら、出来たぞ」

「おお、あっという間だね…小さくないかい?」

「ちゃんとしたのが食いたきゃ店に行けよ王子様」

「ごめんごめん、有り難く頂かせていただきます」

王子スマイルで一つ頭を下げると共にイオはテーブルの上のピザを切り取り口に運ぶ、普通相伴に預かる奴が先に食うか?いやいいんだけどさ イオだし、こいつが無遠慮になるのは俺だけだ、そう思えば可愛いじゃないか

「相変わらず美味しいね、アマルト」

「王族の方にお褒め頂けるとは光栄の極み」

「茶化すなよ、…君の料理は絶品だ 君が手に入れた君だけのものだ、そうだろ?、ならもっと誇れよ」

背筋が痒くなる様なセリフを真顔で言えるのはイオの強みで、そうやって褒められると心底嬉しくなってしまうのは俺の弱みだ

美味しいか、そっか…嬉しい限りだ、ピザを千切って一枚食べれば、まぁ悪くない味と言える、ただ完璧じゃないな 生地が想定より硬い…窯が悪いのか 生地の作り方が悪いのか、もっと研究が必要か?、プロに教えてもらうのが一番手っ取り早いが…

そういや、ピザの作り方を教えてくれたのはタリアテッレだったな、…理事長になるには必要のない技とか言いながら、俺の疑問に一から十まで答えてくれた

なんのかんの言いつつあいつも料理のことが好きなのかもしれない、今 ピザの作り方聞いたら答えてくれるかな…、タリアテッレは…

「むくむぐ、美味しいね…、そういえばエリスも料理が上手いんだったかな?」

ふと、イオが口を開き エリスの名を出す、こいつと一緒にエリスの事を話題のタネとして出す日が来ようとはな、敵対してもなお諦めず俺を励まし立ててくれたエリスの尽力のおかげか?

「あー、確かにエリスの料理は美味い、しかもあれで独学だってんだから凄まじいぜ」

「へぇ、一度食べてみたかったな…、アマルトとどっちが上手いんだい?」

「俺と?、そりゃ俺だよ」

「随分な自信だね」

そりゃそうだ、エリスの料理の腕は必要に迫られ獲得したもの 謂わば生きる手段の一つだ、対する俺の料理は娯楽の一種 そして美味い料理ってのは娯楽に位置する、美味しさだけを比べれば 俺に軍配があがるのは当然だ

「まぁな、俺の料理は厨房の料理 エリスのは旅の最中出来る限り美味いものを提供する謂わばサバイバル術だ、それにな…」

「それに?」

「エリスはこう…粗いんだ、色々と」

エリスの料理は美味いには美味いが粗い、作り方がじゃない 食材の選び方がだ

俺は料理を作る時 なるべく品質を見る、美味さを求めるなら出来るだけ品質の良いものが好ましいからだ

対するエリスは鮮度を見る、お腹を壊さず体を壊さず…最悪食べれればいいや、そんな感覚で大雑把に選んでいるからか、食材選びにムラがある、当然そこを責めるつもりはない アイツは料理人じゃないからな

「食材選びの目利きってのは 一朝一夕で身につくもんじゃない、最も?あの記憶力お化けのことだ コツさえ教えりゃあっと言う間に会得するだろうがな」

「過ぎたる記憶力はそれだけで武器になる、羨ましいことだ 私もあれくらいの記憶力が欲しいよ」

「そうか?、…俺は欲しくねぇ」

忘れたくても忘れられないってのは、恐ろしいことだ…、聞いた話じゃエリスまで小さい頃 恐ろしい記憶のフラッシュバックに悩まされたこともあると言う、そんな生活を一生続けなきゃいけないんだ 気が狂うぜ多分

「エリス君は今頃エトワールか」

「だな、まぁあそこ平和な国だし ここよかのんびり出来るだろう」

「え?…アマルト、君知らないのかい?、今のエトワールの状況」

へ?、何?なんかやばいの?エトワール、イオの顔つきはとても冗談とは思えず、かなり深刻…いや実際深刻そのもので

「色んな要因が重なって今エトワール国内はかなり荒れてるらしくてね、多分のんびり芸術鑑賞をしている暇はないと思うよ」

マジか、いや知らなかった…知らないとは言えエリスに無責任なこと言っちまったな、いやまぁあいつなら大丈夫か

「まぁあいつなら大丈夫だよ、何せこのカストリア大陸の魔女大国全ての問題を解決してきた女だぜ?、またなんとかするって」

「確かにそうだね、…それに私達がここで気をもんでも出来ることはないかもね」

「そゆことそゆこと、まぁアイツがどうしても助けてくれっていうんなら 助けに行ってもいいけどな」

「まぁ、そんな偉そうなこと言う前に君は自分の問題を先に片付けたらどうだい?」

え?、何?なんでそんなこと言うの?、今楽しく談笑してたのにまるで胸に槍でも打ち込まれるが如き衝撃に思わずギクリと肩を揺らす、自分のこと…デスカ

「君今日アリスタルコス邸に行くって言ってたよね、で?どうなったの?」

「…上手く話せませんでした」

「ふぅん、やはりか」

イオには結構前から行く事は伝えてあった、イオにだけは伝えておいた…、多分今日ここを訪ねにきたのは俺がちゃんとアリスタルコス邸に行ったかどうか確認するためだろうな

つまり、これが本題 さっきまでの話がジャブだとするならこれが右ストレートだ、心象の顎先を射抜かれて見事に昏倒した俺は身を小さく縮まらせる

「上手く話せかったのかい、相手側が受け入れてくれなかったって事はないんだろ?」

「お おう、そうだけど…家族を前にする上手く話せないというか」

「問題はこっち側か、…まあ君の気持ちもわからないでもないけれどね」

するとイオは両足を組みその上で頬杖をつき、何やらからかうような それでいて至極真面目な顔つきでこういうのだ

「確かに、君があの二人からされた事は屈辱的であり侮辱的だ、その仇はまだ丸皿に残ってると言っていい、けど 今更何かを償われて 元に戻るものでもないだろ?」

「うん…」

「じゃあもう思い切って飲み込んでしまった方が楽なんじゃないかい?、アリスタルコスの伝統という呪いを断ち切りたいなら、区切りをつけるべきだ 簡単な事じゃないのはわかるけど」

「いや頭じゃわかってんだけどな…」

ポリポリ頭をかいてイオの咎めるような視線に申し訳なさを覚える、そりゃもう飲み込んで区切りをつけてしまえれば楽かもしれない、でもこれがまた面倒な話で

心に負った傷は時の流れの共に塞がることもあれば、今の俺みたいにでっかいカサブタになってカチカチに頑固になっちまう事もある、固まった心ってのはどうにもこうにも動かしづらいんだ

「ふむ…、二人と話したんだろ?なんて言ってた?」

「なんてって、なんか妙にしおらしくて …頭ごなしに怒鳴りつけて否定してくれた方がむしろやりやすいくらいだよ……ん?」

ふと、引っかかる…

イオはなんで俺が二人と話したって知ってんだ?、俺が会いに行ったのはフーシュだけだ、そこに偶然タリアテッレが現れ結果的に俺は二人と話すことになっただけ、そう 偶然…タリアテッレが俺がここにいると知っていたかのように

まさか…

「イオ、お前か?…タリアテッレをアリスタルコス邸に送り込んだのは」

「まぁね、別に内緒にしろとは言われてないし 話すなら一気に話した方が楽だろ?」

こいつか、タリアテッレをあの家に送り込んだ犯人は…

タリアテッレも一応王宮勤めの剣士団長だ、いえばイオの部下…イオが言えばタリアテッレは逆らえない、大方イオがアマルトと仲直りしてこいとか命じてたからタリアテッレはあの変な態度であの場に現れたんだろう

気遣いは嬉しいが、余計な事だ

「んだよ、タリアテッレのあの態度はお前の仕業か…、通りで」

「何を勘違いしているか知らないけれど、私はタリアテッレにその日アマルトがアリスタルコス邸を訪ねることしか言ってないよ?、そこで何をしろ…とか そんな事まで命じた覚えはない」

「え?、そうなの?」

「そうだとも、…彼女の様子がおかしかったなら それは彼女自身が悩んでいるんだろう、君と仲直りがしたくてね」

なんで…そう言いかけて思い過ぎるのは、あの事件の日 エリスとタリアテッレの二人が厨房で話していた内容、もう役目などではな姉として接したらどうだというエリスの厳しい言葉に狼狽えたタリアテッレの顔は今でも覚えている

もしかして、あれが あの顔は…、タリアテッレなりに答えを出してアイツの方から俺に歩み寄ってくれていたのか

「………」

「なぁアマルト、許してやれとは言いはしない、だが話してやってくれ タリアテッレと、彼女はあれでも…」

「俺の姉貴分…だろ?、わーってるよ 話してくる」

俺にされたことが…、あの夢を否定され今までの努力を嘲られた事が チャラになる事はない、けど あの人に与えられたもの あの人が俺にしてくれたことも チャラにはならない、どんなになったって 俺とタリアテッレは姉と弟なんだ

なら、…うん そういうつもりで話に行こう、膝を叩き席を立つ

「行くのかい?」

「ああ、ありがとな イオ、また今度なんか美味いもんでも作ってやるよ」

「本当かい?、ならあれが食べたいな 寿司」

「スシ?、なんじゃそら」

「最近マレウスで流行ってる料理さ、なんでも極東の剣士を王国で雇ったことを皮切りにどんどん極東の郷土料理が彼処に広まってるそうだ」

寿司ねぇ、聞いたことも…いやあるな、ええと確か 極東の島国トツカの郷土料理だ、炊いた米の上に生魚の切り身乗っけただけの料理、こちらでいうとこのクロスティーニみたいなもんだろ

正直作り方は分からんが、イオが望むなら勉強してみよう 何せこいつは忙しい合間を縫って 俺の人間関係にも気を遣ってくれてる

いい奴だよ ちょいとお節介だが俺みたいな捻くれ者には丁度いい


「んじゃ、ちょっくら行ってくら」

「ああ、行ってこい 仲直りするにしても 仲違いするにしても、話さないと関係は進まん、とりあえず現状を変えろ…今のお前ならそれが出来る」

パッパッと背を向けたまま手を払い返事をする、取り敢えず あの女にだけは、言いたいこと 言ってくるよ、イオ

屋敷の扉を勢いよく開けて、突っ走る

最初この家を出た時とは違う軽い足取り、この家に帰ってきた時のような迷いの足ではなく 確かな決意を抱き走る、よっしゃー!今日二度目のマラソンだ!

…………………………………………………………

忸怩 その二文字がタリアテッレの脳内を過ぎる、先程 弟と会って ロクな会話が出来なかった…、けど 今になって思う

私はアマルトを前にして何がしたかったんだ?、拒絶されてるのは分かってた、前ほど露骨ではないものの それでもアマルトは私を嫌っている、タリアテッレはそれを自覚しながらも深くため息を吐く

このアリスタルコス邸にやってきているとイオ様から聞かされて、ほーんそうなのか 今更何の用だろう、フーシュ様でも殺す気なのかな なんて余所事考えている間にいつのまにかこの体はアマルトに会いにここに向かっていたんだ

…引っかかるのはエリスちゃんの言葉、姉としての務め 役目 立場 それを私に語った彼女の目があんまりにも真剣で、あんまりにも重たかったから…どうにも忘れられず どうにも逆らえず、こうしてアマルトの事を気にかけてしまっている

私はどうしたいんだ、分からない…分からないけれど、アマルトにああして面向かって拒絶されて、少なからずショックを受けている自分がいる事に驚きだった

アマルトは伝統を継ぐ歯車 それ以外の何者でもないはずなのに、私は…アマルトにそれ以外を期待しているのか?

分からない、分からない…分からないまま 私は今 アリスタルコス邸を後にするため、玄関の扉を開ける、すると…

「おい!、タリアテッレ!」

そう、外からそんな声が聞こえる…男の声 否、アマルトの声だ

「アマルト?」

玄関から半身出した私は庭先に立つアマルトの 弟分の姿を見て首を傾げる、戻ってきたのか?なんで?、というか

…なんでアマルトはその手に…、そんなものを持ってるんだ

「いやぁ、悪い 忘れ物しちまってよ」

あっけらかんと語る彼の右手に握られたそれを見て、思わずギョッとする

だって彼…

「忘れ…物?」

その手の中に しっかりと

「ああ、実はさ…」

黒光りする…

「やり残した事があるってのに 気がついたんだ」

黒光りする長剣が握られていたから…

「っ…!?」

忘れ物 やり残した事、それを取り戻しにきたと語る彼、右手に剣を握り語る彼は 私の問いかけも答えも待たずに、刹那のうちに…

斬りかかってきた

「ぅおらぁっ!!」

「っ!何すんの!アマルト!」

「うっせぇ!」

突如斬りかかってきたアマルトの剣撃を咄嗟に腰の剣を抜き受け止める、なんでこんなことになってるんだ なんで斬りかかってきたんだ、忘れ物ってなんだ 私を殺しにきたのか、混乱する心とは別に 、体は勝手にアマルトの攻撃に反応して迎撃姿勢を取る

「オラオラオラ!!、鈍ったかよ!タリアテッレ!」

「鈍ったも何も!、いきなりこんなことされて混乱してんだよ!」

振るわれる黒剣は鋭く、不規則に それでいて基礎に沿った綺麗な剣閃を煌めかせ、我私の視線の目の前で踊る

右…左、袈裟 突き、連撃 連携 連打連閃、闇雲とも取れる怒涛の攻めを前に防御の回避を繰り返す、なんだこれ 何でこんなことになってんだ、攻撃していいのか?やり返していいのか?

「ハッ!、俺ぁ昔の事は忘れてねぇぜ!、よくも剣の稽古と託けて俺のことボッコてくれたな!」

「あの時のことを根に持って…、あれは!授業だから!」

気がつけば私は庭先にまで押し込まれていた、昔 彼と剣の授業をしてた頃の開けた庭先、そこで私は再びアマルトと剣を混じえる、あの時よりもちょっぴり過激に

「授業?、よく言うぜ!あんた言ったろ!、剣なんて程々でいい 理事長に剣の腕はいらないから ってさ!、なのにあんなに熱を入れて授業してくれたのか?」

「それは…っ!」

横薙ぎ払い、アマルトが横に体重を移動させる勢いを逃がすことなく 剣に全体重を乗せ真横に渾身の斬撃を放つ

上手い 思わず心で呟くほどに今の一撃は良い、私の部下の剣士達でもあれほどの物は打てない、まぁ防ぎましたが 防いだ手が軽く痺れた

アマルト…、見ないうちにこんなに強く…

「なぁ!知ってるか!タリアテッレ!」

「何が!」

「俺の剣!魔獣王の腕引き裂いたんだぜ!、山みてぇにデカい怪物の腕!真っ二つにしたんだ!」

両者の剣が虚空で火花を散らす、アマルトの黒剣 タリアテッレの銀剣、相反する色を持つ二振りの剣、されどその挙動は 振りは 煌きは、どちらもまた瓜二つ

「それだけじゃねぇ!、エリスや他の魔女の弟子にも引けを取らなかった!、アルカナなんていう犯罪組織相手にも大立ち回りしたんだ!俺!」

「それは貴方も魔女の弟子で…」

「違う!、この剣で俺は戦ったんだ!」

一層強く、刃が激突し鍔を鳴らし肉薄する

この剣で…アマルトは戦った、アマルトの扱う剣術は 間違いなく私のものだ、私がコルスコルピに伝わる伝統的な剣術をアレンジして自分用に改造したこの流派で、アマルトはあの戦いを切り抜いたそう…私に言うのだ

何故だ、何故なんだ…なんで、こんなにも アマルトの言葉が嬉しいんだ その事実が嬉しいんだ

「っ…!」

「俺を生かしたのは魔女だけじゃない、俺をここまで導いたのは友だけじゃない!、俺にとっての最初の恩師である あんたがいたからこそ、俺はここまで強くなれたんだよ…」

アマルトは伝統を継続する歯車だ、剣術なんて程々でいい…けど、私はそんなものを無視して アマルトに剣の極意を叩き込んだ

何故か?

愛おしかったから、ポセイドニオス家の歯車として アリスタルコス家を支える事しか存在意義のない私を、一人の人間として 一人の師として扱い、私の話を聞いて 私の目を見てくれる彼の目が 愛おしかったから

私に与えられるのはこれくらいしかなかったから、だから与えた…それで彼が生き残り戦い抜けたのが、嬉しいのか…私は!

「素直じゃないからさ、こうやって雰囲気作らねぇと上手く言えないから、よく聞いてくれよ タリアテッレ」

「何…?」

「ありがとな、剣と料理 教えてくれてさ、姉貴のおかげで俺 強くなれた、姉貴の教えてくれた料理でみんなを笑顔に出来た、そこは 感謝してる、いや 感謝し続ける…これからもずっと、アマルトと言う男が生き続ける限り 姉貴の教えと共に生きる限り、俺は感謝し続けるよ」

「っっ…!」

アマルトの言葉、それは…それは 私の胸の深い所に行き渡り 反復する、ありがとう…教えてくれてありがとう 鍛えてくれてありがとう、その言葉と共に成長を見せつけられる

ああ、なるほど…私は今 教師というか人種が、何故あんなにも生徒達に奉仕できるのか、理解できた気がする

嬉しいよな、これは…あんまりにも嬉しい…

「ま…まったく、そんなの 普通に言えばいいのに」

「言ったろ?雰囲気作らなきゃ言えないって、それに 見て欲しかったからさ、俺の成長をさ!」

ああ、存分に見たよ 存分に感じたよ、アマルトが剣を持ち始めた頃からずっと見続けてきた、そんな彼が一人の剣士として私と剣を交えている、大きくなった 強くなった 立派になった、ああ アマルトを育ててよかった…

伝統の歯車としてでなく、一人の人間として 私はそう思う

「あれれ?、姉貴泣いてんの?」

にやーっとアマルトが笑う、泣いている?確かに目頭が熱く 鼻がムズムズする、…そっか 私泣いてるのか、嬉しくて…彼に礼を言われて まだ姉と呼んでくれて

そっか…そうか、これがアマルトのやり残したことなんだね

「ふんっ!!」

「ちょっ!?うおぉっ!?」

剣を軽く振るい アマルトを弾き飛ばす、強くなったがまだまだ甘い、彼は剣士として大成したかもだが、こちとら世界最強の剣士でアマルトの剣の師なんだ、まだまだ負けない

「いってて…、この流れで普通吹き飛ばす?」

「足腰がまだまだ弱っちいね アマルト、もっと鍛えないとさ…」

「そうかい、…なぁ 姉貴」

ふと、アマルトが吹き飛ばされ 横になった姿勢で、こちらをちらりと目だけ向ける

「なあに?」

「今まで避けててごめん」

「…それはずるいよ」

ずるい ズルイよ、…ここで謝られたら、もう負けだ この流れで謝られたら私はもう打つ手なしだ、だって 今私 今までの行いを激烈に後悔してるんだもん

あんなにも無垢に私を慕ってくれて、真摯に剣に向かい合ってくれていたアマルトの夢を踏みつけ嘲る否定して、その心を殺し歯車にしようと躍起になって、私の存在意義はアマルトを伝統の生贄にすることだけだと勝手に盲信して、自分で考えることをやめて 彼を裏切ったのは私だ、謝るべきは私なんだ

エリスの言葉がようやく、理解できた…そっか、アマルトが伝統の歯車をやめて 真に理事長を目指せたように、私も ポセイドニオスの伝統になんか縛られる必要はなかったのかもしれない

私はアリスタルコスの踏み台でも その伝統を守る為に存在するけ訳でもない、血は繋がらないけど 、私はアマルトのお姉さんなんだ 義理でもなんでも、アマルトにとって私は姉だったんだ

いやだったじゃないな、今も…か

「じゃあ私も一つ言っていいかな?」

「なあんですか?」

「…ごめん、アマルト…本当にごめん」

謝罪の言葉は思いの外するりと出てきた、まるで私の喉元で待機していたように スルスルと言葉が続く

「サルバニートの件 夢を踏みにじった件、君を蔑ろにした件 君を弟ではなくアリスタルコスの伝統としてしか見なくて、ごめん…ごめんよ、本当に 本当に…ごめん」

頭を下げる、深々と…許してくれとは言えない、けど 謝らずにはいられなかった、ただただ謝罪する私に…アマルトは

「ダメだ、許さん」

とだけ、淡白に返した…まぁ、そうだよな、私 いいお姉さんじゃなかったし、嫌な奴だったし、今更だよな 分かってた

もう覚悟は出来ている、彼から恨まれ続ける覚悟は…

「許して欲しけりゃ一つ条件を飲め」

「へ?」

ふと、上半身だけを起こした彼は ニヤリと笑いながら、その言葉を待っていたとばかりに笑い、私を見る…条件があると

条件を飲めば?、…許されるなら どんな条件でも飲もう、どんな願いでも叶えよう 彼が望むなら、弟が望むなら 姉として

「いいよ、…なんでも言って、許してくれるならなんでもする」

「言ったな?、じゃあ一つ条件がある」

そう言って指を一つ立てた彼は、その条件を口にして…

「上手いピザの作り方教えろ」

そう、条件を…え?

「ピザ?」

「ああ、さっき作ったんだがどうにも上手く行かなくてさ、姉貴なら上手く作れるだろ?」

「ま…まぁ、得意料理だし…」

「じゃあ決まりだ、教えてくれよ 姉貴」

それだけでいいのか?、それだけで許してくれるのか?、ぽかんと口を開けるタリアテッレの隣に立ち歯を見せ笑っているアマルトのそのあり方に圧倒されながらも 何処か惹きつけられる…

「ゆ 許してくれるの?」

「ピザの作り方教えてくれたらな、しかも美味い奴な?」

「でも…そんな…、釣り合って…」

「釣り合いなんて言ったら、あんたが俺にした事としてくれた事でもうトントンなんだよ、だからこれは贖罪でも赦免でもない、ただの仲直りさ…昔みたいに剣術の授業して 一緒に料理して、そんな関係に戻ろうや 姉貴」

仲直り…か、ここは昔と違うな こういう所は私と離れてから培った部分だろう、エリスかイオか…アマルトが一人で出会い形作っていった人間関係、それによって得られた人間性

大きくなった 大きくなっていた、アマルトは私よりもずっと


「こんなお姉ちゃんでよけりゃ…いくらでも仲直りさせて頂きます」

「うむ、よろしい…んじゃアリスタルコスの台所借りようぜ」

「え?、いいのかな…勝手に使って」

「いいだろ、だってここ 俺の家なんだからさ」

なっ とそよ風のように優しく語る彼の横顔は、晴れやかで 清々しい…、いい顔だ 昔はこんな顔しなかった、…けど いいな

アマルトにはこういう顔が似合っている…、出来るならこれからは 彼の姉として、出来るだけ振る舞おう 、不足もあるだろうが それでも、アマルトが望むなら 私はなんでもしよう

だって、私は彼の お姉ちゃんだから

「でも今からピザ一枚作るの?、私ちゃんお腹減ってないんだけど」

「俺も減ってねぇ」

「じゃあ作ったのどうすんの!、作るだけ作ってはいおしまいは流石に許せんぜ」

料理なんて と心のどっかじゃあ思ってるけど、それでも私は料理人なんだ、料理には敬意を払っている、だから流石に無駄にされると腹が立つ、けど アマルトは気にも留める事もなく屋敷へと一人でフラフラ歩いて行き

「いいよ、食うの俺らじゃないから」

「…?、そうなの?じゃあ誰が…って、アマルト!待ってって!」



………………………………………………

学術国家コルスコルピが世界に誇る存在 それがディオスクロア大学園だ

魔女様達も在籍し このコルスコルピが出来るよりも前から存在していた まさしく世界と共にあった一大学園、その存在は八千年間一度として揺らぐことはなかった…


訳ではない、何度も廃校の危機に直面し その都度奇跡的に首の皮一枚繋がる、そんな綱渡りじみた時を何度も過ごしてきた

その中で一番の危機と言えば 今より千年近く前の話だ、当時のコルスコルピの国王が 己の野心と欲望から大学園を私物化しようと企んだ事があった、膨大な土地と歴史的価値を持つ学園を私物化すれば、それはもう絶大な富と名声が手に入るからだ

けれど、結局その野心は達成されることはなかった、当時一介の貴族であったアリスタルコス家がコルスコルピ諸侯やかつて学園に所属していた世界中の貴族王族達に呼びかけ国王の手から学園を救い出したのだ

その功を魔女アンタレスより讃えられ、彼女から学園の管理を託された…それが理事長一族 アリスタルコス家の栄光と呪いの始まりだった


アリスタルコスは如何なる王 如何なる権力の外にあり、誰の命令を受ける事もなく学園を守る義務が生まれた、生徒達の憩いの場を守る為にその義務と信念は息子に託され 孫に託され 子々孫々に託され続けた

そして、今に至るまでその義務は果たされ続けた…、いつしか生徒の憩いの場を守る伝統は、伝統を守るための伝統に姿を変えても尚 守られ続けた

現理事長フーシュ・アリスタルコスもまたその一人だ、先祖より託され続けた伝統を守る為だけに存在する男の一人だった、彼の父も祖父もそうだった、それが普通だと思っていた、何よりも伝統が大切であると誰もが思っていた

けど、…と フーシュは思い返す

この伝統の始祖は アマルトと同じ生徒の未来を守る為に死力を尽くしていた、この伝統を始めた存在は 伝統の為ではなく 生徒の為に戦っていたと、昔 祖父より聞かされた覚えがある

父が早死にし、バタバタと転がるように今日まで学園を守ってきた、何を犠牲にしても守ってきた、けど私はどうやら妄信的過ぎたようだ…私のせいでアリスタルコスと生徒達の間に亀裂を生んでしまった

どこでどこからどうやって間違えたのか、どうやったら正解だったのか…相変わらず分からないが、どちらがより始祖の考えに近いかと問われれば きっとアマルトの方なのだろうな…

ただ続けるだけの伝統に意味はなく、続けるからにはそこには必ず意志が介在すべきなのだ…、だからアマルト お前の方が理事長に相応しい

そう伝えたかったんだが、上手くいかなかった

「ふむ…」

フーシュは自室のベッドの上で髭を撫でる、久しく息子と話した…思えば私はあれとロクに話してこなかった気がする、話しても内容なんて気にも留めなかった

私はアマルトの父なのだから、アマルトに理解されて当然で 、アマルトか私を理解できないのは アマルトがまだ幼いから、いつかきっと私のことを理解してくれると、浅ましい願望と低俗な傲慢の入り混じった感情を息子にぶつけていた

幼かったのは私の方だ私には父としての意識があまりに欠如していた…、そうか 間違いがあるとしたらそこからなのか、…私は他に私の意識を押し付けすぎたのか…

なんて、気がついてももう遅いか

「ダムティナ…、すまない 私は君の残した子と上手く接することが出来なかったよ」

彼女がもし生きてくれていたら、私と彼の橋渡し役として努めてくれただろうか、それともこれも私の意識の押し付けなのだろうか

視線を横に逸らせば、花瓶が見える…古ぼけて埃のかぶった汚い花瓶、あれはダムティナが私に昔贈ってくれたものだった、…あんなに 汚れる程に ダムティナがいなくなってから時間が経っていたのか

そういえばアマルトももう大人だ、…時が経つのは早いな

「さてと、どうするか」

はっきり言って私はこれ以上理事長を続けて行く自信がない、周りに否定された途端へし折れるのかと罵られるかもしれないが、自分のやり方が間違っていることを理解し そしてその間違いがどこまで遡れば正せるのか分からないこの現状のまま続けるのは危険だ

間違っているまま進めるほど私は勇敢ではない、私はどこまでいっても学園存続のためにしか働けない 動けない 考えられない

それが学園のためにならないなら、とっとと辞めて資格のある息子に託す方が賢明か、しかし私は理事長を辞めたら何をしたらいいんだ?、その先のビジョンが真っ暗だ…

「…………ふむ、む?」

ふと、自室の扉が軽くノックされたことに気がつく、誰だ 従者じゃない、彼らはこの部屋に入る用事がない限り入らないし、今用事はない

「入りなさい」

「うーい、失礼しやーす」

私の声に応えるように無遠慮に開かれる扉の奥に立っていたのは、他でもない我が息子 アマルトだった、もう戻ってこないと思った息子が またすぐに戻ってきた、しかも 先程とはまるで違う 晴れやかな顔で

「アマルト?…何をしにきた」

口から出たのは自分でもどうかと思うくらい冷たい言葉だった、もっとこう…かける言葉はないのか、せっかく息子が家出から戻ってきてくれたのに

「何しにって、ツラを拝みに来たんだよ もう一回な」

片手にクローシュの乗った盆をバランスよく持ちながら私の前まで歩いてくるなり、舐めるような目つきで私の顔を見つめてくる、さっきはろくすっぽ私の顔も見なかったのに、何かあったのか?

「私の顔をか?」

「ああ、辛気臭い顔してんなぁあんた、今にも死にそうな病人だってもっと明るい顔してるぜ」

「それは悪かったな」

「ああ悪い、悪すぎるぜ あんたのその顔」

そんなに悪い顔しているだろうか、いや悪いか 寝たきりで悶々と悩んでいるんだ、いくら体に異常がなくても 血色は悪くなろう

「それを見にきたのかい?」

「ああ、見るもん見たし もう帰るよ」

「それだけをしにここまできたのか?」

「まぁな」

相変わらず息子の考えてることが分からない、もしかしたらこの世で最も難しい問題とは 子の心かも知れないな

…もう帰ってしまうのか、出来るなら もう少し、なんて考えていたが…、どうやら私にもまだ子を子として見る心があったらしい

「じゃあなクソ親父、あとこれ 土産」

「土産…?」

「ピザ、作ったから」

そう言ってベッドの上に置かれる盆、クローシュを開くと共に浮かび上がる芳しい湯気、…ピザだ、一枚のピザが丸々ドンと皿の上に乗っている、…しかもこれ焼き立てだ

作ったのか?態々?

「アマルト…これ…」

「それ食って、次会う時はもうちょっとマシな顔しとけよ、クソ親父」

次会う時…か、そうか また会ってくれるか、アマルト…

「別に あんたがどれだけ苦しもうが悩もうが、ぶっちゃけどうでもいい、けどな…あんたは理事長なんだよ、あんたにその気がなくても 生徒たちにとっちゃたった一人の理事長で模範なんだ、それがたやすく折れんな」

「だが…私は」

「ああ聞きたくないね、弱音なんか…逆にいいこと教えてやる、どうしても立てない 折れる 耐えられない、そう思った時 この言葉呟きながら足に力入れてみろよ」

「この言葉…?」

ズイと顔を近づけ、輝くような自信を孕んだ笑みと共に、アマルトは言う…

「『それでも』…ってな」
 
「それでも?」

「ああ、辛い苦しい…それでも立つ、折れる苦しい…それでも歩く、もう何も見たくない したくない、…それでも それでもってな」

それでも そうやってしてるうちに、大体のことはどうでもよくなって 立ち上がれるもんさ…と、そう語る彼の瞳に迷いはない、口先だけでなんとなく口にしているのではない、実際にその言葉を口にしてなんとかなる根拠はどこにも無い

だが彼は事実その言葉に救われた経験があるんだろう、だから言ってるんだ、俺と同じようにお前も立ち上がれと、俺の父なら 俺と同じ方法で立ち上がれるはずだと

信じてくれている…のかな

「んじゃ、それだけだから」

「ああ…アマルト」

「ん?」

立ち去る彼の背中になんと声をかけようか、理事長の話?それともこれまでの話?、いや違うな…、今私が言うべきは

「大きくなったな」

それだけだった、口を割り 出てきた言葉は…、気がつけば私とさして変わらないくらいの背丈になり、私に教えを与えるまでに大きくなった息子を見て、なんてことない ありふれた感想しか出てこない

そんな言葉を受けたアマルトは部屋の扉を開けながら振り返り、破顔すると

「今更かよ」

…ああ、笑うとダムティナに …私の愛した女性にそっくりだ、そうだ アマルトは…私と私の愛した彼女の子なんだ、そんな事に今更気がつくとは

本当に愚かな父親だ、だが…独り善がりで自分勝手な思い込みかも知れないが、私は今 ようやく、彼の父親になれた気がした



「…それでも、か」

アマルトが出て行き、一人になった部屋ただポツリと呟くフーシュ、アマルトの残した言葉だけが反復する、それでも それでも…言い訳のような言葉だが、いや事実言い訳なんだ

言い訳に対する言い訳、裏返り鼓舞となる…彼なりのエールだろうか

「ふむ…」

チラリと目を下に向ければピザがある、何故ピザなのか分からないが、あの子が作ったなら 食べてみるか、と言うかアマルト 料理出来たのか

端を摘んで引けばプツリと綺麗に切れてチーズを伸ばす、よく出来たピザだ…どれ一口

「はふ…はむ、…ん…うまい」

美味い、純粋な感想だ…丁寧な味付け 丁寧な作り、私には料理の知識などてんでないから分からないが、きっと作るのは簡単ではないだろう

…丁寧に 手間を惜しまず誰かのために何かをする、案外それが理事長として 教師として 教え導く者として一番必要な素養なのかもな、なんて 何でもかんでも理事になぞらえてしまうのは職業病か

でも、うん きっとこの料理のように、アマルトなら学園を上手く纏めてくれるだろう

「…私では不足だろう、私では上手く出来ないだろう、私は間違えているだろう…、それでも もう少し頑張るか」

うん、それでもか 悪くないな、出来る気にはならないが不思議とやれる気になってくる、あの子がしっかり成熟するまで、もう少しもう少しだけ頑張ってみよう

それが私の 父としての役目なのかもな

……………………………………………………………………

「ふぅー…」

フーシュの部屋の扉を閉めて、息を吐くアマルトは、その余裕そうな表情の裏で冷や汗をかきながらグルグルと思考する

上手く出来たか?素直に言えたか?、相変わらず素直にはなれなかったが、それでも言えたと思う…もうちょっと頑張ってくれって、親父の学園もそんなに悪いもんじゃないよって…言えたかな、伝わったかな

「ねぇアマルトぉ?」

「んだよ姉貴」

するといつの間にか隣に立っていたタリアテッレがややふてくされながらこちらを見ている、なんだよその顔 なんか文句でもあんのかよ

「あれでよかったの?」

「あれでとは?」

「フーシュ様との会話だよ、あれでよかったの?」

そりゃこっちが聞きてぇよ、あれでよかったか 誰かに聞いて答えを教えてくれるなら頭下げてでも聞きたいくらいだ、けどな こう言うことは正しい答えはないし、何より誰かが与えてくれる答えは 誰かの答えでしかない

俺が欲しいのは俺の正解だけだ、だからこう言う場合は

「いいんだよ、あれで」

こう答えるのが正解だと思う、俺が正解といえば正解なんだよ、こういうのは

「でも仲直りしてないじゃん」

まだ食い下がるか、仲直りって…

「別にクソ親父とは喧嘩してるわけじゃねえし、…喧嘩にもならないから互いにグズグズに腐ってたんだよ、だから こっちはこれでいいの」

「あ、そう…アマルトがそれでいいならいいけど」

親父とは喧嘩をしていない、ただ 価値観がお互いに違いすぎただけで 受け入れられなかっただけだ、喧嘩じゃない だから仲直りもしない、対するタリアテッレとは喧嘩していたから仲直りした それだけなんだ

…上手く出来たのかな、…俺は

いや、結果としてタリアテッレとはまぁ和解できたし、親父には言いたいこと言えたし、これでいいんだろうな

「はぁー!終わった終わった!、面倒なお家の事情はこれで終わり!、ようやくさっぱり出来るぜ」

今までずっと引きずってた問題がスカッと解決したから、随分身軽になった気がする、これでもう振り返る必要はねぇな、イオには感謝しかない、今度寿司とやらを作ってやろう

「過去のこと終わったんだ、あとは未来に向けて準備するか」

「準備?何するの?手伝おうか?」

「おう、手伝ってくれ…いまから剣の稽古頼めるか?」

「剣の?今から?、なんで?」

なんでときたか、まぁ来るか 突拍子も無いもんな

「俺はもっと強くなりたい、俺の手には今古式呪術があるが… これだけじゃ足りない気がするんだ」

剣を振る理由なんてのは 一つしかない、強くなりたい…それだけなんだ

魔女の弟子には何やら重大な使命とやらが付随するようだ、ぶっちゃけ面倒だし 怖いし 痛いのは嫌だ、俺は単純な人間でね?顔を見たこともない奴のために命張れる程いい性格もしてない、もし今この目の前に世界の危機とやらが現れても俺は尻尾くるくる巻いて逃げるつもりだ

けど、エリスはきっと立ち向かう 、ラグナもメルクもあのチビのデティフローアだって立ち向かう、勝てなくても立ち向かう…アイツらは勇敢だからな

さっきも言ったが俺は単純な人間なんだ、顔も知らない人間の為には頑張れないが 顔を知ってる…友達の為なら戦える というか多分戦う、無茶するあの四人を守る剣として 俺もきっと一緒に戦うことになるだろう

その時、弱いままじゃダメなんだ、強くないとダメなんだ、強くないと…何にも守れない、お師匠さんの与えてくれた古式呪術は強力だがこれだけじゃ戦えない

俺の武器はあくまで剣だ、そしてその剣を教えてくれるのは タリアテッレを置いて他にいない、この人もある意味 俺にとっては師匠の一人なんだ

「ふーん 強さを求めんが為に刃を振るう…ねぇ、凡百極まる動機だが、願望と執念の乗らない剣ほど軽いものはない…、アマルトが望むなら 世界最強の剣技を授けようじゃないの」

「サンキュー姉貴、厳しめに頼むぜ?」

「でもいいの?、アマルトのお師匠さんに嫉妬されない?」

「いいんだよ、それに師匠としては姉貴の方が先だろ?」

「まぁ確かに」

悪いが強くなるのに手段を選んでる余裕はない、俺の目算じゃ 次の決戦はそう遠くないうちに訪れると思う、エリスが旅を続ければ続けるほど世界の動きが加速している気がするんだ

或いは、エリスが魔女の弟子達を繋ぎ合わせる都度…か、こりゃマジで 魔女の弟子が世界の運命握ってそうだ、理事長以上の大役だが 俺もその舞台に立てるように少しでも強くなっとかなきゃな

「よっし!、んじゃあ行くか!」

捻くれた青年は今、真っ直ぐに未来を見据え 友を思い、剣を手に取る

世界を守る なんて大層な事ができる人間でないことは自覚している、けれど せめて守りたいと思った人と場所くらいは守れるように強くならねばと息を吐く

全ては、自分を信じてくれた 信じてくれている全ての人達のために…、アマルト・アリスタルコスの戦いは続く

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「馬鹿弟子が…」

コルスコルピの中央都市に存在する王城の地下室、遥かな奈落に通じる螺旋階段の最奥のカビ臭い部屋の中、探求の魔女アンタレスはため息を吐く

彼女の目の前には水鏡が揺らめいている、ボウルに張った濁った水に映るは彼女の憂いげな顔ではなく 地上に存在する彼女の弟子 アマルトの姿だ

これもまた呪術の一つ、マーキングした相手の動向を探る呪い… 見られていると知ってか知らずか、弟子のアマルトは自分以外の師匠と剣の修行している

「まあ別に私は剣術教えられないから構いませんけどそれでももう少し師に対する敬意はないんですかねあの浮気者は」

魔女から指導を受けられる、それがどれだけ名誉なことかアイツ分かってないな とアンタレスは目を細める…が、同時に嬉しく思う

アマルトが 彼女の弟子が、使命に燃えて一人で身を高めている事に、いささかの感動を覚える

「変わりましたねアマルト昔の面影もありませんよ」

アンタレスは一人目を伏せ考え込む…否 想起する、アマルトと出会ったあの日のことを


…出会いはアマルトが学園に入学してきた時のことだ、外界に興味も持たず この地下室で塞ぎ込んでいるアンタレス…そんな彼女の目に偶然留まったのが彼 アマルトだ

彼を見つけたのは本当に偶然だ、気まぐれで外界の様子を探った時 たまたま見つけた自分と同じく塞ぎ込んだ青年、その塞ぎ込みぶりにアンタレスは逆に惹かれた

…この子は私にそっくりだと、私の若い頃に瓜二つだった…、周りの全てを不当に憎み 己自身さえも嫌悪するあり方に、思わず心惹かれて ついこの奈落に彼を引きずり込んで提案してしまった

弟子にならないか、と…

「偶然と感性が噛み合った奇跡の出会い…思えばこれも運命なのか」

周りの魔女が弟子を取ってるから私も、という感情はその時は存在していなかった、ただ この子を導きたいと 八千年で初めての感情に新鮮さを覚え、ついその情動に身を委ねてしまった

幸いアマルトの方も私を疑いつつも弟子入りを許諾し、修行を受けてくれた…、まぁそんな出会いもあってか 魔女の弟子の中では一番師を敬わない弟子が誕生してしまったわけだが

それでも、今は思う 彼を選んで正解だったと、彼とエリス達を引き合わせ 高めあわせて正解だったと、今にして考えれば私の弟子は彼以外考えられないくらいだ

…あんなに捻くれていたのに、今じゃしっかり前を見て…私よりも立派ですよアマルト


「フッ…これが師の心か」

彼には役目がある、私達魔女に代わって迫る世界の危機からこの世を救う事、大役だ…このまま運命の通り進むなら アマルトはあの災厄と同程度の大戦に身を投じる事になる

…弟子が可愛い、可愛すぎる…そんな恐ろしい戦いに彼を放り込みたくない…、けど 残酷にも戦いはきっと起こる

「アマルト…貴方の予感は正しい 決戦の日は近い…あまりにも近い」

レグルスさぁん達にはぼかしましたが、私は決戦の日の大まかな予想が立っている

最低でも四、五年だ ともすれば早まる可能性もある、もう目の前に迫ってるんだ…決戦は

何故わかるかって?、…レグルスさぁんは私のことを信頼して有耶無耶にしてくれましたが、彼女にだけ真相を伏せて アルクトゥルスさぁんにだけ真相を教えたのには意味があります

それは魔女が操られる可能性があるから…ではない


魔術はどうして 体を介して出るか…分かるだろうか、それは体の中にある魂から放たれているから …という説もあるが、実際には違う

…血だ、血は魔力をよく通すのだ、恐らくこの世で最もよく魔力を通す物質は血液なのだ、…いや少し言い方が違うな

血の保有者と魂の形が合致していればいるほどよく魔力を通す、つまり 魔術を使う当人の魔力を一番通し増幅させるのは 他でもない魔術行使者当人の血なのだ…、時点でよく通すのは親族の血 …、親族の血は殆ど同じ物が流れてますしね

この世には血縁者の血と肉を杖に加工して使うイカレ者もいるくらいだ


そして、…シリウスが目的としている他人の肉体を奪い現世に復活する為に行使している同化魔術…つまり、シリウスの魔力を最もよく通し 最も受け入れるものは何か、少し考えれば直ぐに理解できる


…その準備は着々と終了しつつある、その準備が完了した時が その決戦の時なのだ

だからアマルト、少しでも強くなりなさい、手段なんか選ばなくていいから強くなりなさい、最悪の結末…世界崩壊だけは なんとしてでも防ぐ為に
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