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第17話『みんなの上に落ちる雨粒』

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「これ以上、何を身につけるんだい?」
「人はな、考えの温床があると安住する生き物だ。上手くいってる時は特にな。おまえさんに促されてここに来なければ、三人は自分たちが見過ごしてきたことの中に、どんな配慮があって引き立てられているのか、わからないままだったろう。それじゃいかんと言っとる」
「うーん……じゃあよ、じいさん。その手紙見しちゃもらえないかい?」
「いいぞ、どれでも好きなものを見なさい」
 どうやらノリヒトは一瞬気を失って、その後は寝たふりをして四人の話を聞いていたらしい。マルクたちがひやひやするのも無理はなかった。
 ノリヒトは六通の中から若草色の封筒を抜き取って、便箋を取り出し、レンナの手紙を読んだ。
 まず飛び込んできたのは、女性らしい流麗な筆致。老人の寂しさの寄り添うような季節のあれこれ。生活の中の楽しいニュース。NWSの活動の様子と展望。そして、サバラス老人の健康を祈ります、と結んであった。
「はぁー、なるほどねぇ。この人が万世の魔女さんなんだろ? これは確かにじいさんを人恋しくさせるはずだな」
「そうだろう。この人はな、儂もNWSも誰も責めてない。だから、余計なことは一切書かないし、言い訳したり謝ったりもしない。返事を下さいとも言わない。ただ、やり残した仕事が儂に与えた精神的苦痛を和らげようと、それだけを思って文章を書いとる。これがあんたらに書けるかな?」
「そう言われてみれば、かなり男前な手紙だな」
 ノリヒトは肩を竦めて笑った。
「この人はそうして、きちんと仕事しとる。——それはそのまま三人に足りない部分だ。散々言ったから、後は個人の思うに任せるが。こんな機会も滅多にないんでな、今日はお説教だ」
「まぁ、この手紙じゃ仕方ないわな。じいさんの言うこともわかった気がする。万世の魔女さんて何歳なわけ?」
「十八歳だな。手紙に誕生日のことが書かれとった」
「——そりゃ、すげぇわ。自分が一番大変な時に、人の面倒も見れるなんてのは、ハイグレードな大人のなせる業だぜ。万世の秘法ってのはこんな人間の集まりかい?」
「まぁ、他の例に漏れず、ピンからキリまでな。層が厚いのは確かだが」
「参った! 俺が全面的に悪かった」
「なにも悪いことなんかないわい。おまえさんだって大したもんだよ」
「俺が話聞いてたの、気づいてたかい?」
「術をかけた本人だ。効果が薄かったことくらいお見通しだ」
「やっぱ、、腐っても鯛だな」
「腐っておらん、というのに」
 ノリヒトとサバラス老人が軽口を叩き合う。
 マルクたちはノリヒトに遠慮がないおかげで、普段レンナに任せきりにしている交渉術の一端を垣間見ることができた。
 しかし――そこにあったのは人として真摯に向き合っている姿勢だった。
 難しいことは何一つない、思うことの大切さ。
 もちろん、かける言葉も語尾に至るまで考え尽くされたものだ。そこに暖かさを滲ませるのが素人には上手くいかない。
「——わかったかな?」
 読み終えた三人の思いを汲んでサバラス老人は言った。
「はい……」
「やっぱりすごいです、代表は」
「感動しました――」
 マルク、アロン、ランスは、レンナと出会ったばかりのことを思い出していた。
 あの時、レンナはわずか十二歳だった。
 天才肌の修法者なのだと思っていた。そもそも素質が違うのだと。
 そうではなく、既に人間力の萌芽があったのだ。
 そして磨き続けている――自分たちの面倒を見ながら。
 負けた、と思った。
 意識せずにはいられない実力の差を、またも思い知った。
 大人として、男として、自分はまだまだなのだ。それが痛切にわかった。

 後日、三人はレンナに手紙を書いた。
 男らしく、簡潔に、自分たちの決意を述べた手紙だった。
 しばらくして、レンナから同時にそれぞれへ返事の手紙が届いた。
 責めずに、理知的に、決意を汲んでいて、最後は同じ言葉で結ばれていた。

 皆さんの実力を信じています。
 やがて、大きな大河となり海となるまで。
 私は皆さんの上に落ちる雨粒でいようと思います。














 
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