甘く愛され花は咲く 〜干物女教師、同じ職場の推し(イケメン)に溺愛される〜

たかきこう

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突然のキス

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 私はその日1日を、上の空で過ごした。デートの前のソワソワした感じではなく、何かが喉に引っかかったまま取れなくてずっと気になってしまう、そんな気分だった。

 頭の中にはずっと、高校時代に出会った、名前も思い出せない彼がいた。しかし、私の思いとは裏腹に、そのことを考えれば考えるほど頭には霧がかかってしまう。何故そうなってしまうのか、そのことも気がかりだった。

 ぼうっと過ごしていたらあっという間に帰りのホームルームの時間になっており、私はなんとか1日の終わりを迎えたことにほっと一息をついた。今日は部活が休みだから、気分転換に美術準備室の片付けでもしよう。そう思って、私は美術室へと向かった。

「おーい、干物ちゃん。聞いてる?」

 ふと聞こえた声に、またもや意識が宙に舞っていたことに気がついた。慌てて視線を正面に戻すと、目の前に中村くんがいた。

「わっ! いつからいたの!?」

 驚いて思わず、声が出てしまった私に、彼は

「10秒くらい前からいたけど……」

 と、眉をハの字にして、首を傾げたまま笑った。どうやら私は、片付けを始める前にまた、彼のことを考えていたらしい。準備室のドアは開けっぱなしで、窓から入る風がゆっくりとドアを揺らしていた。

 いつもは高野先生のことで頭がいっぱいなのに、今日はずっと名前も顔も忘れてしまった男の子のことを考えていた。

「なんか干物ちゃん、今日変だよ。何かあったの」

 中村くんが、心配そうな目で私を見つめていた。彼の子犬みたいな目が、じっと私の目を見ていた。奥二重で、けれど丸っこい、深い色をした目だ。眉間からすっと伸びた高い鼻と形のいい唇。まるで彼は、準備室にある石膏像のような顔立ちだった。

 私がなんと言えばいいのか分からずに押し黙っていると、彼は切なそうな顔をした。それがなぜだか分からず、私はますますなにも言えなくなってしまった。

「高野と、何かあったんだろ」

「えっ」

 どうして彼の口から高野先生の名前が出てきたのか。私は驚き、そして困惑した。私と高野先生は学校、特に生徒の前ではあまり話をしていなかった。まさか、私の視線かなにかで彼のガチ恋勢だということがバレてしまったのだろうか。

「干物ちゃんさ、ほんとわかりやすいよね。すーぐ顔に出ちゃってさ。そんな顔されたら、誰が見たってわかっちゃうよ」

 背の高い彼は少しだけ屈んで、私の額に軽くデコピンをした。笑ってはいたけれど、どこか苦しそうな、それを隠すために無理やり貼り付けたような、そんな表情だった。彼の瞳が、いやに乾いているように見えた。

 秋のはじまりを告げる虚しい空気が、美術室に充満していた。

「今日さ、ホームルームの後に呼び出されて、高野に言われたんだ。干物ちゃんのこと、三浦先生って呼びなさい、だってさ。呼ばれたのは俺だけだった。俺以外のやつだって、干物ちゃんって呼んでるのに」

 おかしいだろ、と彼は笑った。

「干物ちゃんと高野が直接話してるのなんて見たことなかった。だから、すぐに勘づいたよ。干物ちゃんのデートの相手があいつだってこと。」

 どうやら、中村くんには全てお見通しだったらしい。もともと鋭いところがあるな、とは思っていたけれど、ここまでとは思っていなかった。

 窓の外に見える空は青く澄み渡っているというのに、彼の表情は鉛のように鈍く、重かった。

「まあもともと、干物ちゃんは高野に気があったみたいだけど。見かけるたびに熱い視線を送ってたもんね」

 ひっそりと行われていたはずの推し活(高野先生の観察)は、周囲から見たらバレバレらしい。私は、いたずらがバレてしまった子供のような気持ちになった。

「いや、それはね。なんというか、高野先生はあくまで推しで。そのときは特に恋愛的な好き、というよりも崇拝みたいなもので……あ、いや。でも今はガチ恋だから…………つまり……あれ?」

 その場をなんとかやり過ごそうとあれこれ言っているうちに、自分でも何を言っているのか分からなくなってしまった。訳の分からないことをもごもごと言っている私を見て、彼はきょとんとした顔をしていた。

「つまりね! 推しなの! 高野先生は推しだから!!」

 焦りすぎた私の声は、ひどく裏返ってしまった。彼は2、3度瞬きをした後、しばらく考えるような素振りを見せて、こう言った。

「へえ、推しねぇ。ってことは、まだ付き合ってるわけじゃないんだ」

 彼は怪しげに、にやりと笑った。そして、獲物を狙う肉食動物のような目でこちらを見た。

「いいじゃん、なんか燃えてきた。干物ちゃんはまだ誰のものでもないんだから、俺のものにしてもいいってことだよね」

 それなら、と彼は続けた。

「もう、隠すのはやめにするから」

 言葉の意味が飲み込めず、混乱している私を彼は愛おしそうな目で、舐るように眺めた。

「ちゅーしようよ、干物ちゃん」

 彼は私の顎を優しく持ち上げて、そのままキスをした。彼のさらさらとした髪が、柔らかく頬を撫でるようにして揺れた。
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