7 / 8
突然のキス
しおりを挟む
私はその日1日を、上の空で過ごした。デートの前のソワソワした感じではなく、何かが喉に引っかかったまま取れなくてずっと気になってしまう、そんな気分だった。
頭の中にはずっと、高校時代に出会った、名前も思い出せない彼がいた。しかし、私の思いとは裏腹に、そのことを考えれば考えるほど頭には霧がかかってしまう。何故そうなってしまうのか、そのことも気がかりだった。
ぼうっと過ごしていたらあっという間に帰りのホームルームの時間になっており、私はなんとか1日の終わりを迎えたことにほっと一息をついた。今日は部活が休みだから、気分転換に美術準備室の片付けでもしよう。そう思って、私は美術室へと向かった。
「おーい、干物ちゃん。聞いてる?」
ふと聞こえた声に、またもや意識が宙に舞っていたことに気がついた。慌てて視線を正面に戻すと、目の前に中村くんがいた。
「わっ! いつからいたの!?」
驚いて思わず、声が出てしまった私に、彼は
「10秒くらい前からいたけど……」
と、眉をハの字にして、首を傾げたまま笑った。どうやら私は、片付けを始める前にまた、彼のことを考えていたらしい。準備室のドアは開けっぱなしで、窓から入る風がゆっくりとドアを揺らしていた。
いつもは高野先生のことで頭がいっぱいなのに、今日はずっと名前も顔も忘れてしまった男の子のことを考えていた。
「なんか干物ちゃん、今日変だよ。何かあったの」
中村くんが、心配そうな目で私を見つめていた。彼の子犬みたいな目が、じっと私の目を見ていた。奥二重で、けれど丸っこい、深い色をした目だ。眉間からすっと伸びた高い鼻と形のいい唇。まるで彼は、準備室にある石膏像のような顔立ちだった。
私がなんと言えばいいのか分からずに押し黙っていると、彼は切なそうな顔をした。それがなぜだか分からず、私はますますなにも言えなくなってしまった。
「高野と、何かあったんだろ」
「えっ」
どうして彼の口から高野先生の名前が出てきたのか。私は驚き、そして困惑した。私と高野先生は学校、特に生徒の前ではあまり話をしていなかった。まさか、私の視線かなにかで彼のガチ恋勢だということがバレてしまったのだろうか。
「干物ちゃんさ、ほんとわかりやすいよね。すーぐ顔に出ちゃってさ。そんな顔されたら、誰が見たってわかっちゃうよ」
背の高い彼は少しだけ屈んで、私の額に軽くデコピンをした。笑ってはいたけれど、どこか苦しそうな、それを隠すために無理やり貼り付けたような、そんな表情だった。彼の瞳が、いやに乾いているように見えた。
秋のはじまりを告げる虚しい空気が、美術室に充満していた。
「今日さ、ホームルームの後に呼び出されて、高野に言われたんだ。干物ちゃんのこと、三浦先生って呼びなさい、だってさ。呼ばれたのは俺だけだった。俺以外のやつだって、干物ちゃんって呼んでるのに」
おかしいだろ、と彼は笑った。
「干物ちゃんと高野が直接話してるのなんて見たことなかった。だから、すぐに勘づいたよ。干物ちゃんのデートの相手があいつだってこと。」
どうやら、中村くんには全てお見通しだったらしい。もともと鋭いところがあるな、とは思っていたけれど、ここまでとは思っていなかった。
窓の外に見える空は青く澄み渡っているというのに、彼の表情は鉛のように鈍く、重かった。
「まあもともと、干物ちゃんは高野に気があったみたいだけど。見かけるたびに熱い視線を送ってたもんね」
ひっそりと行われていたはずの推し活(高野先生の観察)は、周囲から見たらバレバレらしい。私は、いたずらがバレてしまった子供のような気持ちになった。
「いや、それはね。なんというか、高野先生はあくまで推しで。そのときは特に恋愛的な好き、というよりも崇拝みたいなもので……あ、いや。でも今はガチ恋だから…………つまり……あれ?」
その場をなんとかやり過ごそうとあれこれ言っているうちに、自分でも何を言っているのか分からなくなってしまった。訳の分からないことをもごもごと言っている私を見て、彼はきょとんとした顔をしていた。
「つまりね! 推しなの! 高野先生は推しだから!!」
焦りすぎた私の声は、ひどく裏返ってしまった。彼は2、3度瞬きをした後、しばらく考えるような素振りを見せて、こう言った。
「へえ、推しねぇ。ってことは、まだ付き合ってるわけじゃないんだ」
彼は怪しげに、にやりと笑った。そして、獲物を狙う肉食動物のような目でこちらを見た。
「いいじゃん、なんか燃えてきた。干物ちゃんはまだ誰のものでもないんだから、俺のものにしてもいいってことだよね」
それなら、と彼は続けた。
「もう、隠すのはやめにするから」
言葉の意味が飲み込めず、混乱している私を彼は愛おしそうな目で、舐るように眺めた。
「ちゅーしようよ、干物ちゃん」
彼は私の顎を優しく持ち上げて、そのままキスをした。彼のさらさらとした髪が、柔らかく頬を撫でるようにして揺れた。
頭の中にはずっと、高校時代に出会った、名前も思い出せない彼がいた。しかし、私の思いとは裏腹に、そのことを考えれば考えるほど頭には霧がかかってしまう。何故そうなってしまうのか、そのことも気がかりだった。
ぼうっと過ごしていたらあっという間に帰りのホームルームの時間になっており、私はなんとか1日の終わりを迎えたことにほっと一息をついた。今日は部活が休みだから、気分転換に美術準備室の片付けでもしよう。そう思って、私は美術室へと向かった。
「おーい、干物ちゃん。聞いてる?」
ふと聞こえた声に、またもや意識が宙に舞っていたことに気がついた。慌てて視線を正面に戻すと、目の前に中村くんがいた。
「わっ! いつからいたの!?」
驚いて思わず、声が出てしまった私に、彼は
「10秒くらい前からいたけど……」
と、眉をハの字にして、首を傾げたまま笑った。どうやら私は、片付けを始める前にまた、彼のことを考えていたらしい。準備室のドアは開けっぱなしで、窓から入る風がゆっくりとドアを揺らしていた。
いつもは高野先生のことで頭がいっぱいなのに、今日はずっと名前も顔も忘れてしまった男の子のことを考えていた。
「なんか干物ちゃん、今日変だよ。何かあったの」
中村くんが、心配そうな目で私を見つめていた。彼の子犬みたいな目が、じっと私の目を見ていた。奥二重で、けれど丸っこい、深い色をした目だ。眉間からすっと伸びた高い鼻と形のいい唇。まるで彼は、準備室にある石膏像のような顔立ちだった。
私がなんと言えばいいのか分からずに押し黙っていると、彼は切なそうな顔をした。それがなぜだか分からず、私はますますなにも言えなくなってしまった。
「高野と、何かあったんだろ」
「えっ」
どうして彼の口から高野先生の名前が出てきたのか。私は驚き、そして困惑した。私と高野先生は学校、特に生徒の前ではあまり話をしていなかった。まさか、私の視線かなにかで彼のガチ恋勢だということがバレてしまったのだろうか。
「干物ちゃんさ、ほんとわかりやすいよね。すーぐ顔に出ちゃってさ。そんな顔されたら、誰が見たってわかっちゃうよ」
背の高い彼は少しだけ屈んで、私の額に軽くデコピンをした。笑ってはいたけれど、どこか苦しそうな、それを隠すために無理やり貼り付けたような、そんな表情だった。彼の瞳が、いやに乾いているように見えた。
秋のはじまりを告げる虚しい空気が、美術室に充満していた。
「今日さ、ホームルームの後に呼び出されて、高野に言われたんだ。干物ちゃんのこと、三浦先生って呼びなさい、だってさ。呼ばれたのは俺だけだった。俺以外のやつだって、干物ちゃんって呼んでるのに」
おかしいだろ、と彼は笑った。
「干物ちゃんと高野が直接話してるのなんて見たことなかった。だから、すぐに勘づいたよ。干物ちゃんのデートの相手があいつだってこと。」
どうやら、中村くんには全てお見通しだったらしい。もともと鋭いところがあるな、とは思っていたけれど、ここまでとは思っていなかった。
窓の外に見える空は青く澄み渡っているというのに、彼の表情は鉛のように鈍く、重かった。
「まあもともと、干物ちゃんは高野に気があったみたいだけど。見かけるたびに熱い視線を送ってたもんね」
ひっそりと行われていたはずの推し活(高野先生の観察)は、周囲から見たらバレバレらしい。私は、いたずらがバレてしまった子供のような気持ちになった。
「いや、それはね。なんというか、高野先生はあくまで推しで。そのときは特に恋愛的な好き、というよりも崇拝みたいなもので……あ、いや。でも今はガチ恋だから…………つまり……あれ?」
その場をなんとかやり過ごそうとあれこれ言っているうちに、自分でも何を言っているのか分からなくなってしまった。訳の分からないことをもごもごと言っている私を見て、彼はきょとんとした顔をしていた。
「つまりね! 推しなの! 高野先生は推しだから!!」
焦りすぎた私の声は、ひどく裏返ってしまった。彼は2、3度瞬きをした後、しばらく考えるような素振りを見せて、こう言った。
「へえ、推しねぇ。ってことは、まだ付き合ってるわけじゃないんだ」
彼は怪しげに、にやりと笑った。そして、獲物を狙う肉食動物のような目でこちらを見た。
「いいじゃん、なんか燃えてきた。干物ちゃんはまだ誰のものでもないんだから、俺のものにしてもいいってことだよね」
それなら、と彼は続けた。
「もう、隠すのはやめにするから」
言葉の意味が飲み込めず、混乱している私を彼は愛おしそうな目で、舐るように眺めた。
「ちゅーしようよ、干物ちゃん」
彼は私の顎を優しく持ち上げて、そのままキスをした。彼のさらさらとした髪が、柔らかく頬を撫でるようにして揺れた。
0
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
俺に抱かれる覚悟をしろ〜俺様御曹司の溺愛
ラヴ KAZU
恋愛
みゆは付き合う度に騙されて男性不信になり
もう絶対に男性の言葉は信じないと決心した。
そんなある日会社の休憩室で一人の男性と出会う
これが桂木廉也との出会いである。
廉也はみゆに信じられない程の愛情を注ぐ。
みゆは一瞬にして廉也と恋に落ちたが同じ過ちを犯してはいけないと廉也と距離を取ろうとする。
以前愛した御曹司龍司との別れ、それは会社役員に結婚を反対された為だった。
二人の恋の行方は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる