甘く愛され花は咲く 〜干物女教師、同じ職場の推し(イケメン)に溺愛される〜

たかきこう

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一目惚れだよ

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 学年の問題児、中村くんが美術部にやってきたのは私がこの学校にやってきた頃と同じ、4月のことだった。問題児といっても素行が悪いというわけではない。うちの学校では必須の部活動に、彼は断固として参加しなかった。学年主任いわく、1年生の時からずっとらしい。どんなに担任が入るよう説得しても、彼は入部届に名前すら書かなかったそうだ。

「2年B組、中村宗介です。絵とかはあんまり得意じゃないし、美術も苦手だけど頑張ります」

 新学期最初の部活動だというのにやってきた部員はひとりもおらず、新入部員も彼以外にはいなかった。美術室の真ん中で私ひとりだけの拍手が、ぱらぱらと桜の花のように散っていった。

 単に活動が楽な部活、というなら他にもいくつかあった。彼が、急にどうして美術部に入部したのか。しばらくの間、職員室はその話題で持ちきりだった。

「中村くんね。私は三浦はるのです。私の担任はC組だから、ひとつ隣のクラスだね。今年採用されたばかりの新人だから色々至らぬところはあると思うけど、私も精一杯頑張ります!」

 お互いに自己紹介を済ませてから、美術部の活動について軽く説明した。とはいっても、前任者の先生が言っていたことをそのまま伝えただけだ。

「うちの美術部は適当……じゃなくて生徒の自主性に任せているから、基本何をしてもオッケーです。一応、週に2日の活動日は決まっているけれど、そこも必ず来なくちゃいけないというわけではないから、気負わず気楽にやっていこうね」

 ん、わかった。と彼は返事をした。今日は新学期のはじめだから、オリエンテーションをして終わりにする予定だったけれど、来たのが中村くんだけだったので予想外に時間が余ってしまった。そのまま解散、ということにしようかとも思ったけれど、開始3分で解散というのもなんだか寂しかった。

「一応、今日の予定はこれでおしまいなんだけど……どうする? 何か描いてみる? それか、立体を作ってもいいよ。粘土はたくさんあるから」

「じゃあ、絵を描くよ」

 私は物置状態になっている美術室の後ろからまだ余りのあるスケッチブックを取り出して、鉛筆と練り消しゴム、カッターを彼に手渡し、道具の使い方を説明した。

「ええっと、モチーフはどうしよう。中村くん、何か描きたいものはある?」

 この学校の美術室には、モチーフ用のフェイクフルーツや造花、花瓶や置物なんかがたくさんあった。選択肢が多すぎると逆に迷ってしまうのが人間というものである。初心者でも描きやすいもの、とふるいにかけてもモチーフは山のようにあって、私は困ってしまった。

「それじゃあね。俺は、三浦先生が描きたい」

「えっ……私を?」

 うん、と彼は頷いた。どうして私なんかを……とは思ったけれど、もしかして人物が描きたいのかなと思い、私は納得した。絵が苦手だ、という生徒に人物画は少しハードルが高いかな、とも考えた。けれど初めは特にやりたいことをやるのが一番いいと思い、私はモデルを引き受けた。

 私も少し描きたい気分だったので、お互いの顔を描き合うことにした。机をくっつけて中村くんと向かい合って座り、鉛筆を動かす。絵を描くときは対象をよく見て観察するから、モチーフとなる中村くんの顔をよく見ることになった。

「中村くんは、綺麗な顔をしているね」

 それはお世辞でもなんでもなく、本心からの賛辞だった。そのくらい、彼は整った顔をしていた。きっと私が同い年だったら、一目惚れをしてしまうだろうと思うほどに。

「三浦先生だって、化粧っ気はないけど綺麗じゃん? 俺、可愛いと思うけど」

 彼はなんの恥ずかしげもなく、そう言った。私はからかわれているのかと思い、大人をからかうんじゃありません。と真面目な態度で返した。

「そう? 案外、俺は真面目に言ってるのかもよ?」

 一瞬どきりとさせられたけれど私はすぐに我に帰って、もう! と顔を赤くしたまま彼を叱った。なぜだか彼は満足げに、にこにこと私のことを眺めていた。

 私たちは絵を描きながら、いろいろな話をした。彼氏いるの? なんて聞かれたりして、なんだか私まで高校生に戻ったような、そんな気分だった。休日の過ごし方や今までの恋愛遍歴(全くないが)を話したところ、彼は

「じゃあ、先生はあれだね。干物女ってやつ」

 とズバリ言い切ってしまった。思わず喉がうぐ、となったものの事実には変わり無いためなんとか堪えて、そうかもねと相槌を打った。

「今日から三浦先生のこと、干物ちゃんって呼んでもいい? なんか、可愛いじゃん? 干物ちゃんって。それに、あだ名があると仲良くなれた感じがする」

 干物ちゃん。言いやすいし、なんだか可愛いあだ名のような気がした。23で干物、と言われるのに全く不満がないわけではなかったけれど。

 話しながら夢中で手を動かしているうちに、どんどんと絵が進んでゆく。ここ数週間は忙しくてまともに鉛筆を持てていなかったから、やはり腕が鈍っていた。大学時代の恩師がたびたび口にしていた、絵は毎日描け。3日も休めば下手になるぞ。という言葉が頭の中で再生された。

 1時間半ほどで、私も中村くんも絵が完成した。お互いに描いた絵を見せ合うと、彼は目を丸くしてしげしげと私の絵を眺めていた。

「干物ちゃん、絵うっま。画家みたい」

 そんなことないよ、と私は謙遜した。実際、私は大学の中では真ん中くらいの画力で、取り立てて個性もない平凡な画学生だったからだ。

 それを伝えてもなお、彼は私を褒め称えた。無個性だし、大してうまくもないね。と意地の悪い教授になじられていた学生時代の私が聞いたら涙を流して喜ぶだろうな、と思った。

「中村くん、本当に絵が苦手なの? すごく上手に描けていると思うけど」

 そんなふうに言いたくなるくらい、彼の絵は初心者離れしていた。もちろん荒削りな部分もあったけれど、それでもモチーフである私の顔の表情をよく捉えていて、私が同い年の頃よりもずっとうまく描けていた。

「なんていうか、俺さ。想像したものを描くのが苦手なんだ。頭にうまく浮かばないっていうか。見たものをそのまま描く方が楽しくて好きかも」

 彼は続けた。

「でも絵ってさ、ゴッホとかピカソとかが素晴らしいって世界なんでしょ? 俺はそういうのがうまく描けないから。だから、絵が苦手って言ったんだ」

 別に、抽象的だったり想像的なものだけが絵ではない、ということを彼は知らなかったらしい。見たまま描く写実絵画でも素晴らしい作品はたくさんあるということを伝えた。彼はそのことを聞いて、目を輝かせた。

「本当は俺、小さい頃、絵を描くのが結構好きだったんだ。いつの間にかやめちゃってたけど、またやってみようかな」

 私は全力で、それを薦めた。そうしないと勿体無い、と思ったからだ。間違いなく、中村くんには美術の才能がある。大学でたくさんの才能を見てきた私の直感がそう告げていた。

「中村くんは、どうして美術部に来てくれたの? ずっと部活に入るのを拒否してたって聞いたけど……」

 私の問いに彼は、にこりと笑って答えた。

「一目惚れだよ。干物ちゃんに、一目惚れしちゃったから。だから入ったんだ。なんとも不純な動機でしょ?」

 どうやら彼は人をからかうのが好きらしい。私はもうその手には乗らないからね、と言ってぷいと首を振った。

「本気にしちゃった?」

 と言って、彼はにしし、と笑った。

 こんな会話をした半年後、彼に強引なキスをされるなんて。この時は想像もできなかった。
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