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1章
3幕・接吻
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竜族の衣類は仕立服が基本である。
城に住まう彼らの服は上半身はぴたりと体のラインに沿ったシルエット、腰から下は山の峰のように裾がゆったりと広がった形で、肌の露出は少ない。
男性は両袖に膜のように広がる布が縫い付けてあり、女性の場合はこれが膜ではなく手首か肘か肩のいずれかから布の束がリボン状に一房 垂れさがっていて、どちらも男性女性を問わず歩くとひらりとはためくのが特徴的だった。
(尚、女性の袖飾りは肘にあるのが一般的で、手首は式典や祭事用、肩は女王か王女のみと区別される)
金銀の刺繍を施し光が当たるときらめいて一目で高貴な身分だとわかる。
これらは最も格式が高く正装と呼べる衣装だ。
簡略化するとまず袖飾りが省かれ、次に刺繍などの手の込んだ装飾部位が減ってゆく。
裾丈が短かくなったり布の厚みや素材を替えたり、外出の際にはもう1着外被物か外套を羽織るなど、場所や職業柄などで違いが出る。
仕立服の下には男女ともブラウスとズボンを着用しており、上着を身に着けることがない奴隷はこの格好で過ごす他、正装ではブーツを履くのに対して民間人と奴隷は軽くて動きやすいサンダルを着用する者が多い。
これらは最も単純化した服装であって決してだらしない格好というわけではない。高貴な竜族も部屋でゆっくりくつろいだり来客のない時はブラウスとズボンを着てサンダルで過ごす。
しかしあくまで簡略化であるから、竜は礼儀として上着を着用しぴたりとしたシルエットで身を固めるのが正統とされた。
炉の炎で熱っぽい工房で働く職人たちはブラウスすら脱いで上半身は裸で仕事していることが常だったが、来客があると急いで汗をぬぐってブラウスを着て、外出する際は上着をしっかりと着んでいたものだ。
さて。着せ替え人形にされた翌日。リンにあてがわれた服はまさに上着を省略したブラウスとズボンという格好ではあったのだが、その仕立ては竜族の着るものと遜色ない質の良さであった。
艶のあるなめらかな指ざわりの生地をたっぷりと使った柔らかなズボンに、ブラウスはオーガンジーをドレープでふわりと軽やかに仕上げたものだ。
服の生地は白色のように見えるが、よく見ると深い紅色の糸や銀色の糸を所々に織り交ぜてあるようで、光の当たり方やリンの動きに合わせて布がふわりと揺れる瞬間に赤や銀がきらりと垣間見える不思議な色の生地だった。
昨日と同じく臣下たちに着つけをされているリンは自分の上半身を見下ろす。
既視感。これではヴェールをまとっていた時と大差ない。
オーガンジーの生地は『透明感』と言えば聞こえはいいが、腕に胸周り、胴体は透けて丸見えの状態だった。
これではほとんど裸だ。服というより、飾りの扱いなのではないか?
それでもあのヴェールよりかはまだ厚手で透けにくいのだが……。
なぜだろう。布を一枚着ているのに、それが薄手で地肌も体の線も透けて見えてしまっているほうが裸でいるよりも恥ずかしく感じる。
顔や耳が赤くなっていないか。隠せるならそちらも隠してしまいたい。
こんなことで動揺してしまう小心を王に見抜かれたくなくて、リンは必死に冷静でいようとした。
その甲斐あってか、今も着付けの場にいるノルノフォール王には彼が恥じらっているようには見えなかったらしい。
今日も今日とてリンの周りをぐるぐる回って観察する王はまさにそのオーガンジーの布を摘んで、あろうことかこんなことを言い放った。
「これでは生地が厚い。もっと薄くさせよう」
王の注文に、服の背のボタンを締めている臣下が「はい。すぐに手配を」と即答する。
「装飾具は今夜には仕上がりますので明日 朝またお持ちします」
「早いな。さすがだ。仕事を終えたらよく休むよう技士に伝えておいてくれ」
リンはもはやあっけにとられる暇すらなく、彼がノルノフォールの言葉を反芻するよりも前に臣下たちは会話を済ませてきぱきと片付けをして部屋から去っていってしまった。
少し遅れてじわりじわりと胃が痛くなってゆく。今のこの丸見えの上半身ですら恥ずかしいというのに更に透けるのか?
そうしたら本当にヴェールに逆戻りするようではないか……。
意気消沈しているリンをよそにベンチに悠々と腰かけるノルノフォールが言った。
「おまえを買い上げたはいいが。これからどうしようかと考えているところだ」
リンは服のことは一先ず忘れ王に向き直る。
「なにせ俺にはもう臣下は大勢いるしな。おまえにさせる仕事がない」
そう言って王はふうと息を吐き、手で額を抑えてさも悩ましいというしぐさをして見せる。
ここへ来てまだ3日目のリンは、日に小一時間ほど王と対面することはあるがたいていは部屋にいるように言われひとりで過ごしていた。それでもこの王が、時に大仰すぎると思うほど感情豊かな人物だと気づくに至っていた。
気さくな人柄なのだろう、と思う。
ぱっと額から手を離した王は肘あてに寄り掛かり、頬杖をつく。
「おまえはどうしたい?」
「私はあなたの奴隷。あなたのしもべです。あなたのご命令の通りにいたします」
リンがそう答えると、ノルノフォールは「そうか」と言って立ち上がった。
そのまま彼はリンの目の前にやってくる。
「俺は。そうだな。とりあえず、まずはひたすらおまえを愛でてみたい」
そう言って腕を伸ばす王の手の平にリンは捕まった。
鎖骨から喉をなぞり、両頬を包む。
うなじに触れて黒髪を優しく梳いた。リンにはその感触がこそばゆい。
「肌。髪。ああ、どこも柔いな。中はどうだ。口を開けろ」
と言う彼の親指が唇を撫でそこに少し力がこもる。
顎を押す力に促されてリンがおそるおそる口を開けると、指が僅かに彼の口の中に入り込んできた。
不思議だ。体の中に異物が入ってくるならば排除しようとするべきなのに、唇に、歯に、舌に、王の指が触れてしまうのが申し訳なく思われるし、間違えても噛んだりしてしまってはいけない。自然とより大きく口を開いて内をさらけ出してしまう。
ノルノフォールが顔を寄せてきた。
リンが反射的に目をしばった瞬間。
ドンドン、と扉が叩かれる。
はぁ、と悪態まがいのため息をつくと王は顔を上げる。
扉が開いて部屋に入ってきた人物を見てもう一度、今度はその人物に対して嫌味のつもりなのだろう、大きく「はあ」と嘆息した。
「婆。なあ、キーキよ。いいところだったのに話の腰を折られてしまったぞ」
「はいはい、王様。軟膏をお持ちしましたよ」
入ってきたのは老女官キーキだった。彼女は二人の様子など気にも留めずにとことこと部屋の中を横切り持っていた薬箱をフットベンチに置く。
近くにくるように促すキーキに、仕方なく王はリンを解放して彼女の言う通りにさせる。
「服を脱いで傷を見せてごらん」
言われた通りにするリンがブラウスの背面にあるボタンの外し方がわからず手こずっていると、寄ってきたノルノフォールがリンが何か言うよりも早くするするとボタンを外していく。
「折角 着せたのにもう脱がすのか」
「ぐずぐず言わないの。傷を消してと言ったのはノフォ様でしょう」
あっという間に裸にされたリンはフットベンチに座らされた。
ひんやりとしたものが背中に撫でつけられる。キーキが軟膏を塗ってくれているのだ。
「それにしても大きな傷痕ですこと。何の痕なんです?」
「鞭打ちだと」
王が答えると、キーキは、ははぁ、と吃驚した。
「あなたを鞭で打った人は人間の扱いがうまくてよかったですよ。切り傷みたいなあとだもの。馬用の鞭で叩いたんじゃないかしら。普通の鞭で叩いたら人間の体じゃあこんなにきれいに残ってないわ」
「普通の鞭を見たことあるか?銀の茨でできているんだ」
ベンチに戻って頬杖をついている王がにやりと笑みを浮かべて得意げに言った。リンがそれを知らないことを見越して怖がらせようと思っているのだろう。
彼の思惑通り、リンはふたりの話を聞いてぞっとした。
「いいえ……」
銀の茨。針が生えているということなのだろう。そんなもので体を叩かれては傷跡どころか骨に届くまで肉がえぐられてしまうに違いない。
縮こまっているリンの横でキーキが肩をすくめた。
「おどかしてどうするんですか。王様も、奴隷をお召し抱えになるのは初めてなんですから、気を付けてくださいね。人間族は竜よりよっぽど体が弱くてケガをしやすいんですよ」
キーキの治療は実に鮮やかだった。のんびりと王と雑談を交わしながらいつの間にか傷跡に軟膏を塗り込め、道具を小箱にまとめて片付け始める。
慣れない手つきでリンが服を着直している間に彼女は簡単に挨拶を済ませると部屋から出ていった。
再びふたりきりになった途端、ノルノフォールは椅子から立ち上がって前に来るように言う。
彼の前に立ったリンの腰を抱くと自分の傍に引き寄せた。
「そら。口を開けろ」
さっきの続きをするつもりでいるのだ。
リンはてっきり、先ほどキーキの登場でこの話は終わったものと思い込んでいたせいでひどく驚いた。
しかし命令は命令だ。今一度、言われた通りに口を開ける。
「舌を出せ」
そう言われてリンは何をされるのかもわからないまま、おとなしく舌を出す。
ふっ、と自分の上に影が落ちたのが瞼を閉じていてもわかったと気づいたとき初めて、リンはいつの間にか自分が目を閉じてしまっていたことを知った。
開いた視界に見えたのは、長いまつ毛とその向こうにある松明の炎のような緋の色。
炎でもない何かがこの身を焼く。
そんな好奇心と高揚感。
今はまだそれは未知なる恐怖に似ていて、リンはおそろしくなってきつく目を閉じた。
唇に柔らかいものを感じる。
差し出していた舌にぬるりと何かが触れた、と思った。
瞬間。
「あっ、ぐ……!」
ビリっとした痛みでリンはうめいた。痛みをどこかへ逃がしたいあまりに思わず咄嗟にノルノフォールの腕をがしっと掴んでしまう。
彼のうめき声にも腕を掴まれた事にも驚いたノルノフォールががばりとリンから体を離して解放する。
半開きのリンの口からはちょろりと舌がはみ出ていて、今は真っ赤に染まっていた。
口から滴った血がぼたぼたと零れ落ちていく。
服に垂れ、光沢のある床の上にも赤いシミが点々と広がった。
「あ……申ひ訳あいま……」
粗相をしたことと傷の痛みで混乱するリンは慌てて顎を伝う血を手でぬぐうが、すぐには出血が収まらずかえって血がぱらぱらと飛び散ってしまい服も床も更に赤く汚していく。
ノルノフォールは勢いよく体をひるがえして扉に駆け寄り戸を開け放った。
「婆!戻れ、婆!」
王の叫び声を聞いて、少しするとキーキが戻ってきた。
血を滴らせているリンを一目見て彼女は呆れた声を上げ、彼を適当な椅子に座らせた。
「わあ。なんですこれ。なにをどうやったらベロなんか怪我するんです?ほら、見せて」
早速 傷の具合を見ながらキーキが素早く小箱の蓋を開ける。
治療を始めるキーキの横を通り過ぎてベンチに舞い戻った王はどこかふてくされた様子だったが、その口から出た言葉は見た目に反して小声だった。
「舐めようとしたら歯が当たった」
そう言ってノルノフォールは「い」と歯を剥き出してみせた。鋭い犬歯がうっすらと赤くなっている。素早く唇を離したもののリンの血が付いてしまったようだ。
キーキはため息をつく。
「こりゃあ当たったとは言いません、刺さったって言うんですよ」
あらかた綿に血を吸わせ、出血が収まったのを見計らって軟膏を塗る。
薬の沈痛作用なのか、驚くほどすぐに痛みは引いていった。
治療の間、無言の王。
ガーゼでリンの口周りの血をぐいぐいとぬぐってやるキーキは突然、はぁ!と何かに思い至った様子でノルノフォールを真正面から見た。
「王様。あなたにお后様はおられませんけど、あなたは物知りですからお体同士の愛で方もよくご存じでいらっしゃるでしょうし興味もおありでしょうが、奴隷にお盛りになるとはびっくりですよ。ほら、奴隷もこんなにびっくりしてる。さっき人間は弱くてケガをしやすいって婆が言ったばかりなのに!」
そう言って治療の済んだ合図なのかそれともびっくりしている呼ばわりの奴隷にか、キーキはリンの頬をべちべちと叩いた。やはり竜族だ。今は口内の傷に響くのもあるが老齢のビンタにしてはちょっと痛い。
「キーキよ。説教なら勘弁してくれ。悪かったと思ってる。次は気を付ける」
「いいですかノフォ様。あなたがいつどこで誰と愛をお交わしになろうと婆は知らんぷりですけどね、婆は王様がちいちゃい頃から見てきたのでよく知ってるんです。あなたのものは他の人より大きくてご立派なんですから、間違っても乱暴はいけませんからね。人間じゃケガしちゃいますからね」
腰に手を当てて言うキーキに向かって、ノルノフォールは手の平をはたはたと振ってみせた。
「わかったわかった。ありがとう。もう戻っていい」
ふん、と鼻息荒くキーキが部屋を出ていく。
扉が閉まる前にノルノフォールがふてくされた声で言った。
「キーキよ。俺はもう子供ではないのだぞ」
「何か困ったことあるとすーぐ婆を呼びつけるうちはまだまだ子供ですよ」
間髪を入れずに返ってきた言葉を最後に扉が閉まった。
静かになった部屋を王が横切ってくる。
リンは立ち上がって居直り、頭を下げた。
「申し訳ありません。服と床を汚しました。片づけを____」
「構うな。あとでさせる。舌を見せろ」
命じられてリンは口を開けて王に見せた。
リンにはもちろん自分の口の中がどうなっているのか見えなかったが、それを見つめている王の顔がしかめっ面になっているのを見れば中々の見た目をしているのかもしれないと想像できる。
ノルノフォールはリンの両頬をさすった。
「ここまで脆いか。悪かった。痛かろうな」
「い、いいえ。私がうまくできなかったばかりに……」
そうは謙虚に返したものの、上手くとは、何をすれば正解だったのかリンにはわからないでいる。
リンは接吻などしたことがない。
誰かと恋に落ち、伴侶として生きる約束をしたならばそのような経験もあるだろうが、ずっと奴隷働きのリンにはそんな相手がいるはずもなく、そんな人物と出会うきっかけもない。
口を開けよ舌を出せと命令されればそれにただただ従うほかなかったのだ。怪我を反省しようにも次をどう回避すればいいのかわからない。
目線を上げてちらりと王の様子を見ると、彼はじっとリンを見下ろしている。
命令もなく無言ではあるが王が何を求めているのかは流石にわかる。
リンは沈黙の命令に従って口を開けて待った。
すると彼の唇を王が自分のもので塞ぐ。
大きな手の平で頭を力強く支えられていても、背の高いノルノフォールのためにリンは顔を真上に向けなければならない。
息ができない。喉が締まるようで、少し苦しい。
奇妙な感覚だった。
唇で唇を撫でられるたびにぞくりと背筋が凍る。
舌を舌で絡めとられるたびに、次の瞬間にまた彼の歯が刺さって痛い思いをするのではないかと想像し、それを怖いと思う。
腰を強く引き寄せられ、身動きも取れない。
息をしようとしても自由にならない。全てノルノフォールの望むがままだ。彼の息づくに合わせてリンもまた慌てて息継ぎをするしかない。まだ息が足りなくても再び口を塞がれてしまう。
こんなに苦しくて恐ろしいのに、なぜだかリンには背筋を這うこの感覚が恐怖の一言で表せるものだとは段々思えなくなっていた。
ぞっとする、その感覚がくすぐったさにも似ていると思った途端、リンは自分の体に言い知れぬ熱を感じた。
苦しい。怖い。なのに振りほどく気になれない。
自分が抵抗できない理由にリンは混乱した。
奴隷の自分は、主人の命令に絶対に従わなければいけない。自分が今されていることもしていることもそれなのだと思っていた。
抵抗してはいけない。だから抵抗せずにいるのだと。そう思っていたのに。
自分がどう感じているのかを自覚しようとすればするほど、抵抗しようとする意志が自分の中にないことにリンは気づき始めた。
それこそが彼を混乱させる。
こんな。こんな苦しいことを。
なぜ嫌だと思えずにいるのだろう?
突然、リンはじくりと舌先に走った痛みで肩を震わせる。
先ほどの文字通り刺すような痛みほど酷くなかったが、塗り薬で手当てをしてもらってからすっかり気にならなくなっていた怪我の痛みがまたぶりかえすような、そんな鈍痛だった。
ノルノフォールもまた自身の舌先に嫌な味が絡みついたことに気づいたのかすぐに唇を離す。
「いかん。軟膏が」
傷口から剝がれてしまったのだ。口の中にぶわりと広がる薬と血 両方の苦さにリンはどうしても顔をしかめてしまう。
再びノルノフォールは扉に駆け寄りそれを開け放って叫んだ。
「婆!キーキ!!」
ほうらやっぱり!と廊下の向こうのほうから呆れた声の返事が響いていた。
城に住まう彼らの服は上半身はぴたりと体のラインに沿ったシルエット、腰から下は山の峰のように裾がゆったりと広がった形で、肌の露出は少ない。
男性は両袖に膜のように広がる布が縫い付けてあり、女性の場合はこれが膜ではなく手首か肘か肩のいずれかから布の束がリボン状に一房 垂れさがっていて、どちらも男性女性を問わず歩くとひらりとはためくのが特徴的だった。
(尚、女性の袖飾りは肘にあるのが一般的で、手首は式典や祭事用、肩は女王か王女のみと区別される)
金銀の刺繍を施し光が当たるときらめいて一目で高貴な身分だとわかる。
これらは最も格式が高く正装と呼べる衣装だ。
簡略化するとまず袖飾りが省かれ、次に刺繍などの手の込んだ装飾部位が減ってゆく。
裾丈が短かくなったり布の厚みや素材を替えたり、外出の際にはもう1着外被物か外套を羽織るなど、場所や職業柄などで違いが出る。
仕立服の下には男女ともブラウスとズボンを着用しており、上着を身に着けることがない奴隷はこの格好で過ごす他、正装ではブーツを履くのに対して民間人と奴隷は軽くて動きやすいサンダルを着用する者が多い。
これらは最も単純化した服装であって決してだらしない格好というわけではない。高貴な竜族も部屋でゆっくりくつろいだり来客のない時はブラウスとズボンを着てサンダルで過ごす。
しかしあくまで簡略化であるから、竜は礼儀として上着を着用しぴたりとしたシルエットで身を固めるのが正統とされた。
炉の炎で熱っぽい工房で働く職人たちはブラウスすら脱いで上半身は裸で仕事していることが常だったが、来客があると急いで汗をぬぐってブラウスを着て、外出する際は上着をしっかりと着んでいたものだ。
さて。着せ替え人形にされた翌日。リンにあてがわれた服はまさに上着を省略したブラウスとズボンという格好ではあったのだが、その仕立ては竜族の着るものと遜色ない質の良さであった。
艶のあるなめらかな指ざわりの生地をたっぷりと使った柔らかなズボンに、ブラウスはオーガンジーをドレープでふわりと軽やかに仕上げたものだ。
服の生地は白色のように見えるが、よく見ると深い紅色の糸や銀色の糸を所々に織り交ぜてあるようで、光の当たり方やリンの動きに合わせて布がふわりと揺れる瞬間に赤や銀がきらりと垣間見える不思議な色の生地だった。
昨日と同じく臣下たちに着つけをされているリンは自分の上半身を見下ろす。
既視感。これではヴェールをまとっていた時と大差ない。
オーガンジーの生地は『透明感』と言えば聞こえはいいが、腕に胸周り、胴体は透けて丸見えの状態だった。
これではほとんど裸だ。服というより、飾りの扱いなのではないか?
それでもあのヴェールよりかはまだ厚手で透けにくいのだが……。
なぜだろう。布を一枚着ているのに、それが薄手で地肌も体の線も透けて見えてしまっているほうが裸でいるよりも恥ずかしく感じる。
顔や耳が赤くなっていないか。隠せるならそちらも隠してしまいたい。
こんなことで動揺してしまう小心を王に見抜かれたくなくて、リンは必死に冷静でいようとした。
その甲斐あってか、今も着付けの場にいるノルノフォール王には彼が恥じらっているようには見えなかったらしい。
今日も今日とてリンの周りをぐるぐる回って観察する王はまさにそのオーガンジーの布を摘んで、あろうことかこんなことを言い放った。
「これでは生地が厚い。もっと薄くさせよう」
王の注文に、服の背のボタンを締めている臣下が「はい。すぐに手配を」と即答する。
「装飾具は今夜には仕上がりますので明日 朝またお持ちします」
「早いな。さすがだ。仕事を終えたらよく休むよう技士に伝えておいてくれ」
リンはもはやあっけにとられる暇すらなく、彼がノルノフォールの言葉を反芻するよりも前に臣下たちは会話を済ませてきぱきと片付けをして部屋から去っていってしまった。
少し遅れてじわりじわりと胃が痛くなってゆく。今のこの丸見えの上半身ですら恥ずかしいというのに更に透けるのか?
そうしたら本当にヴェールに逆戻りするようではないか……。
意気消沈しているリンをよそにベンチに悠々と腰かけるノルノフォールが言った。
「おまえを買い上げたはいいが。これからどうしようかと考えているところだ」
リンは服のことは一先ず忘れ王に向き直る。
「なにせ俺にはもう臣下は大勢いるしな。おまえにさせる仕事がない」
そう言って王はふうと息を吐き、手で額を抑えてさも悩ましいというしぐさをして見せる。
ここへ来てまだ3日目のリンは、日に小一時間ほど王と対面することはあるがたいていは部屋にいるように言われひとりで過ごしていた。それでもこの王が、時に大仰すぎると思うほど感情豊かな人物だと気づくに至っていた。
気さくな人柄なのだろう、と思う。
ぱっと額から手を離した王は肘あてに寄り掛かり、頬杖をつく。
「おまえはどうしたい?」
「私はあなたの奴隷。あなたのしもべです。あなたのご命令の通りにいたします」
リンがそう答えると、ノルノフォールは「そうか」と言って立ち上がった。
そのまま彼はリンの目の前にやってくる。
「俺は。そうだな。とりあえず、まずはひたすらおまえを愛でてみたい」
そう言って腕を伸ばす王の手の平にリンは捕まった。
鎖骨から喉をなぞり、両頬を包む。
うなじに触れて黒髪を優しく梳いた。リンにはその感触がこそばゆい。
「肌。髪。ああ、どこも柔いな。中はどうだ。口を開けろ」
と言う彼の親指が唇を撫でそこに少し力がこもる。
顎を押す力に促されてリンがおそるおそる口を開けると、指が僅かに彼の口の中に入り込んできた。
不思議だ。体の中に異物が入ってくるならば排除しようとするべきなのに、唇に、歯に、舌に、王の指が触れてしまうのが申し訳なく思われるし、間違えても噛んだりしてしまってはいけない。自然とより大きく口を開いて内をさらけ出してしまう。
ノルノフォールが顔を寄せてきた。
リンが反射的に目をしばった瞬間。
ドンドン、と扉が叩かれる。
はぁ、と悪態まがいのため息をつくと王は顔を上げる。
扉が開いて部屋に入ってきた人物を見てもう一度、今度はその人物に対して嫌味のつもりなのだろう、大きく「はあ」と嘆息した。
「婆。なあ、キーキよ。いいところだったのに話の腰を折られてしまったぞ」
「はいはい、王様。軟膏をお持ちしましたよ」
入ってきたのは老女官キーキだった。彼女は二人の様子など気にも留めずにとことこと部屋の中を横切り持っていた薬箱をフットベンチに置く。
近くにくるように促すキーキに、仕方なく王はリンを解放して彼女の言う通りにさせる。
「服を脱いで傷を見せてごらん」
言われた通りにするリンがブラウスの背面にあるボタンの外し方がわからず手こずっていると、寄ってきたノルノフォールがリンが何か言うよりも早くするするとボタンを外していく。
「折角 着せたのにもう脱がすのか」
「ぐずぐず言わないの。傷を消してと言ったのはノフォ様でしょう」
あっという間に裸にされたリンはフットベンチに座らされた。
ひんやりとしたものが背中に撫でつけられる。キーキが軟膏を塗ってくれているのだ。
「それにしても大きな傷痕ですこと。何の痕なんです?」
「鞭打ちだと」
王が答えると、キーキは、ははぁ、と吃驚した。
「あなたを鞭で打った人は人間の扱いがうまくてよかったですよ。切り傷みたいなあとだもの。馬用の鞭で叩いたんじゃないかしら。普通の鞭で叩いたら人間の体じゃあこんなにきれいに残ってないわ」
「普通の鞭を見たことあるか?銀の茨でできているんだ」
ベンチに戻って頬杖をついている王がにやりと笑みを浮かべて得意げに言った。リンがそれを知らないことを見越して怖がらせようと思っているのだろう。
彼の思惑通り、リンはふたりの話を聞いてぞっとした。
「いいえ……」
銀の茨。針が生えているということなのだろう。そんなもので体を叩かれては傷跡どころか骨に届くまで肉がえぐられてしまうに違いない。
縮こまっているリンの横でキーキが肩をすくめた。
「おどかしてどうするんですか。王様も、奴隷をお召し抱えになるのは初めてなんですから、気を付けてくださいね。人間族は竜よりよっぽど体が弱くてケガをしやすいんですよ」
キーキの治療は実に鮮やかだった。のんびりと王と雑談を交わしながらいつの間にか傷跡に軟膏を塗り込め、道具を小箱にまとめて片付け始める。
慣れない手つきでリンが服を着直している間に彼女は簡単に挨拶を済ませると部屋から出ていった。
再びふたりきりになった途端、ノルノフォールは椅子から立ち上がって前に来るように言う。
彼の前に立ったリンの腰を抱くと自分の傍に引き寄せた。
「そら。口を開けろ」
さっきの続きをするつもりでいるのだ。
リンはてっきり、先ほどキーキの登場でこの話は終わったものと思い込んでいたせいでひどく驚いた。
しかし命令は命令だ。今一度、言われた通りに口を開ける。
「舌を出せ」
そう言われてリンは何をされるのかもわからないまま、おとなしく舌を出す。
ふっ、と自分の上に影が落ちたのが瞼を閉じていてもわかったと気づいたとき初めて、リンはいつの間にか自分が目を閉じてしまっていたことを知った。
開いた視界に見えたのは、長いまつ毛とその向こうにある松明の炎のような緋の色。
炎でもない何かがこの身を焼く。
そんな好奇心と高揚感。
今はまだそれは未知なる恐怖に似ていて、リンはおそろしくなってきつく目を閉じた。
唇に柔らかいものを感じる。
差し出していた舌にぬるりと何かが触れた、と思った。
瞬間。
「あっ、ぐ……!」
ビリっとした痛みでリンはうめいた。痛みをどこかへ逃がしたいあまりに思わず咄嗟にノルノフォールの腕をがしっと掴んでしまう。
彼のうめき声にも腕を掴まれた事にも驚いたノルノフォールががばりとリンから体を離して解放する。
半開きのリンの口からはちょろりと舌がはみ出ていて、今は真っ赤に染まっていた。
口から滴った血がぼたぼたと零れ落ちていく。
服に垂れ、光沢のある床の上にも赤いシミが点々と広がった。
「あ……申ひ訳あいま……」
粗相をしたことと傷の痛みで混乱するリンは慌てて顎を伝う血を手でぬぐうが、すぐには出血が収まらずかえって血がぱらぱらと飛び散ってしまい服も床も更に赤く汚していく。
ノルノフォールは勢いよく体をひるがえして扉に駆け寄り戸を開け放った。
「婆!戻れ、婆!」
王の叫び声を聞いて、少しするとキーキが戻ってきた。
血を滴らせているリンを一目見て彼女は呆れた声を上げ、彼を適当な椅子に座らせた。
「わあ。なんですこれ。なにをどうやったらベロなんか怪我するんです?ほら、見せて」
早速 傷の具合を見ながらキーキが素早く小箱の蓋を開ける。
治療を始めるキーキの横を通り過ぎてベンチに舞い戻った王はどこかふてくされた様子だったが、その口から出た言葉は見た目に反して小声だった。
「舐めようとしたら歯が当たった」
そう言ってノルノフォールは「い」と歯を剥き出してみせた。鋭い犬歯がうっすらと赤くなっている。素早く唇を離したもののリンの血が付いてしまったようだ。
キーキはため息をつく。
「こりゃあ当たったとは言いません、刺さったって言うんですよ」
あらかた綿に血を吸わせ、出血が収まったのを見計らって軟膏を塗る。
薬の沈痛作用なのか、驚くほどすぐに痛みは引いていった。
治療の間、無言の王。
ガーゼでリンの口周りの血をぐいぐいとぬぐってやるキーキは突然、はぁ!と何かに思い至った様子でノルノフォールを真正面から見た。
「王様。あなたにお后様はおられませんけど、あなたは物知りですからお体同士の愛で方もよくご存じでいらっしゃるでしょうし興味もおありでしょうが、奴隷にお盛りになるとはびっくりですよ。ほら、奴隷もこんなにびっくりしてる。さっき人間は弱くてケガをしやすいって婆が言ったばかりなのに!」
そう言って治療の済んだ合図なのかそれともびっくりしている呼ばわりの奴隷にか、キーキはリンの頬をべちべちと叩いた。やはり竜族だ。今は口内の傷に響くのもあるが老齢のビンタにしてはちょっと痛い。
「キーキよ。説教なら勘弁してくれ。悪かったと思ってる。次は気を付ける」
「いいですかノフォ様。あなたがいつどこで誰と愛をお交わしになろうと婆は知らんぷりですけどね、婆は王様がちいちゃい頃から見てきたのでよく知ってるんです。あなたのものは他の人より大きくてご立派なんですから、間違っても乱暴はいけませんからね。人間じゃケガしちゃいますからね」
腰に手を当てて言うキーキに向かって、ノルノフォールは手の平をはたはたと振ってみせた。
「わかったわかった。ありがとう。もう戻っていい」
ふん、と鼻息荒くキーキが部屋を出ていく。
扉が閉まる前にノルノフォールがふてくされた声で言った。
「キーキよ。俺はもう子供ではないのだぞ」
「何か困ったことあるとすーぐ婆を呼びつけるうちはまだまだ子供ですよ」
間髪を入れずに返ってきた言葉を最後に扉が閉まった。
静かになった部屋を王が横切ってくる。
リンは立ち上がって居直り、頭を下げた。
「申し訳ありません。服と床を汚しました。片づけを____」
「構うな。あとでさせる。舌を見せろ」
命じられてリンは口を開けて王に見せた。
リンにはもちろん自分の口の中がどうなっているのか見えなかったが、それを見つめている王の顔がしかめっ面になっているのを見れば中々の見た目をしているのかもしれないと想像できる。
ノルノフォールはリンの両頬をさすった。
「ここまで脆いか。悪かった。痛かろうな」
「い、いいえ。私がうまくできなかったばかりに……」
そうは謙虚に返したものの、上手くとは、何をすれば正解だったのかリンにはわからないでいる。
リンは接吻などしたことがない。
誰かと恋に落ち、伴侶として生きる約束をしたならばそのような経験もあるだろうが、ずっと奴隷働きのリンにはそんな相手がいるはずもなく、そんな人物と出会うきっかけもない。
口を開けよ舌を出せと命令されればそれにただただ従うほかなかったのだ。怪我を反省しようにも次をどう回避すればいいのかわからない。
目線を上げてちらりと王の様子を見ると、彼はじっとリンを見下ろしている。
命令もなく無言ではあるが王が何を求めているのかは流石にわかる。
リンは沈黙の命令に従って口を開けて待った。
すると彼の唇を王が自分のもので塞ぐ。
大きな手の平で頭を力強く支えられていても、背の高いノルノフォールのためにリンは顔を真上に向けなければならない。
息ができない。喉が締まるようで、少し苦しい。
奇妙な感覚だった。
唇で唇を撫でられるたびにぞくりと背筋が凍る。
舌を舌で絡めとられるたびに、次の瞬間にまた彼の歯が刺さって痛い思いをするのではないかと想像し、それを怖いと思う。
腰を強く引き寄せられ、身動きも取れない。
息をしようとしても自由にならない。全てノルノフォールの望むがままだ。彼の息づくに合わせてリンもまた慌てて息継ぎをするしかない。まだ息が足りなくても再び口を塞がれてしまう。
こんなに苦しくて恐ろしいのに、なぜだかリンには背筋を這うこの感覚が恐怖の一言で表せるものだとは段々思えなくなっていた。
ぞっとする、その感覚がくすぐったさにも似ていると思った途端、リンは自分の体に言い知れぬ熱を感じた。
苦しい。怖い。なのに振りほどく気になれない。
自分が抵抗できない理由にリンは混乱した。
奴隷の自分は、主人の命令に絶対に従わなければいけない。自分が今されていることもしていることもそれなのだと思っていた。
抵抗してはいけない。だから抵抗せずにいるのだと。そう思っていたのに。
自分がどう感じているのかを自覚しようとすればするほど、抵抗しようとする意志が自分の中にないことにリンは気づき始めた。
それこそが彼を混乱させる。
こんな。こんな苦しいことを。
なぜ嫌だと思えずにいるのだろう?
突然、リンはじくりと舌先に走った痛みで肩を震わせる。
先ほどの文字通り刺すような痛みほど酷くなかったが、塗り薬で手当てをしてもらってからすっかり気にならなくなっていた怪我の痛みがまたぶりかえすような、そんな鈍痛だった。
ノルノフォールもまた自身の舌先に嫌な味が絡みついたことに気づいたのかすぐに唇を離す。
「いかん。軟膏が」
傷口から剝がれてしまったのだ。口の中にぶわりと広がる薬と血 両方の苦さにリンはどうしても顔をしかめてしまう。
再びノルノフォールは扉に駆け寄りそれを開け放って叫んだ。
「婆!キーキ!!」
ほうらやっぱり!と廊下の向こうのほうから呆れた声の返事が響いていた。
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