君の声など焼いて捨てるほど

なな山リス美

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1章

2幕・自由という名の命令

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 正直な話をすると、リンは自身が王の慰みものとして召し上げられたのだと思っていた。

 否。思っていた、ではなく、思っている、だ。
 この先 自分が王から何を求められるのかなどたった一夜ではわかるはずもない。

 昨日さくじつ、ひとしきりリンを眺めた王は家来を呼ぶと彼を自室へと下がらせた。

 通されたのは王の私室のある廊下の並びにある部屋で、そこを自由に使ってよいと言う。

 奴隷のリンは自ら竜に声をかけることは許されない。
 主人の命令を受け、それに従い、仕事をこなすのみ。それが彼の生き方だ。
 部屋で待つ。これが今の彼の仕事である。
 食事を出されればそれを食べることも仕事となる。それが見たこともない食べ物で、初めて食べる味と歯触りで、どれほど美味であっても声を発さずに黙って食べる。

 そうして陽が沈み、リンは王の執務が済んだなら呼びつけられることを想像していた。
 しかし待てど暮らせど使いの者は来ず、結局その日やってきたのは夕餉ゆうげを持ってきてそれを片付けていった家来だけだった。

 いつ呼び出されてもいいようにリンは窓際にあったベンチに座って、目を閉じて夜を明かした。



 ところで、城に到着して服を脱がされてからのリンは常に裸であった。
 1枚のヴェールだけが彼をささやかながら覆ってはいたが、生地はほとんど透けているといっていいほど薄く体を隠せているとは到底言えない。

 王侯貴族は奴隷をこのように扱うのか、城の中の誰も彼のその姿を気にしていない様子だったのが幸いであった。

 このままほとんど裸で過ごさなければいけないのだろうか?
 今の季節は温暖で、城内も日が差し込み涼やかな風が吹けば快適に過ごせそうに思う。その実 薄いヴェール1枚で一晩過ごしたリンの体も特段冷えてしまったということもない。
 しかしいつかは乾期がやってくる。

 バシュカムル国には『氷期』と呼ばれる乾燥した季節がある。厳密には1年のうち極端に寒冷化する2週間を『氷期』と呼び、その前後1か月の季節の移ろいの時期を『小氷期しょうひょうき』と呼ぶ。一般的に冬と呼ぶ季節がこの国ではそれにあたる。
 これは地熱が弱まる影響で国一体が極端に寒冷化する時期。
 バケツの水には一晩で氷の膜が張り、畑の土は霜柱ででこぼこに浮かび上がってしまう。
 氷期の寒さの中を裸で過ごす者などまずいない。

 目下 リンの不安はこの恰好がどうにかならないだろうかということだった。


 彼のその心配は翌日、杞憂きゆうに終わった。

 空が白んでくる前にリンはいつも自然と目を覚ます。長く工房で働いていた癖だ。
 窓の外は小さな庭に面していてすぐ向こうには岩肌が見える。日の出は見えなかったが、持ち前の体内時計と景色の色から彼はおおよその時間を計ることができた。

 椅子に座ったまま眠った体がこわばっていたので、立ち上がって身じろぎし、そのままじっと待つ。

 日もだいぶ昇りきった頃。工房では親方が起床を始めたぐらいの時間だろう。
 扉が開いて竜の臣下が何やら荷物を抱えて入ってきた。
 老齢の女性を囲うように年若い者が4人。中央の女性がリーダーなのだろう。

 中央の女性は、窓際に立ってじっとしているリンを見て少しぎょっと驚いたふうだった。

 「まあなんでそんなところに突っ立って」

 そう言って「こっちに来て」とリンを呼び、ベッドのそばに立たせる。

 臣下たちは荷物を床に広げた。大小様々な木箱を開けると中身を取り出してどんどんベッドの上に並べていく。

 衣類だ。
 リンがそう思うや否や彼はあっという間に着せ替え人形にされ、やれ丈が合わないそれ色が合わないととっかえひっかえに服を着替えては脱ぎ着替えては脱ぎを繰り返した。

 臣下たちは合わないことに納得が行かないのではなく、候補を見繕っているのだとわかった。箱に戻される服もあれば、明らかに選りすぐったと思われる服はベッドの上に一式広げられたままになっている。

 かれこれ15,6着は試したと思われた頃、扉が再び開いてノルノフォールがやってきた。

 手の空いている臣下たちが主君のほうを向き丁寧に礼をする。
 リンはお辞儀をしようと思ったが臣下たちに囲まれちょうど服を着つけられていたので身動きが取れない。
 それとわからないくらい小さな会釈になってしまったが彼が頭を下げた(下げようとした)ことに王は気付き、「構わない」とでもいうように軽く手を掲げてそれを朝の挨拶とした。

 「王様。肩幅がちょっと合いません。見てください、このを」

 リーダーの女性が言う。
 彼女はリンをぐるっと90度をさせると彼をまるで洗濯物のように両側からバシンと叩いた。老齢の女性の姿から油断していたリンはその衝撃で「うっ」と声を上げてしまう。竜族の力の強さを思い知った。

 王がリンを観察する。

 「2、3日食って太ればちょうどよくならないか?」

 「そうでしょうとも。もっとぽんぽこに太らせてください。これじゃあゴボウにスカーフを巻くようなものですよ」

 「ならはいらぬか。裸のままでよい」

 王がそう言って笑うのでリンは心の中で思った。それは願わくばおやめ頂きたい、と。冗談だとはもちろんわかってはいたが。

 「だめです。小氷期に入ったら凍り付いてしまいます。それこそこんなゴボウみたいじゃあね」

 老家来が呆れて返していたので、リンは諫言かんげんする臣下がいることに安堵した。

 それにしても自分は言われるほど細いだろうか。
 これまでリンの仕事は肉体労働だった。リンのいた工房は組合が奴隷の食事の管理をしていて、日に3回の配給がある。食事の量は均等に配られていたものの腹が満足に膨れるほどではなく奴隷仲間はよく愚痴をこぼしていたが、もともと食の細いリンは配給にさえ間に合えば量は気にならず、それは自分自身の体がやせ細りもせず仕事をしっかりこなせるだけの筋力もついていたことから適量だとすら思っていた。

 しかし細いのだという。ゴボウのように。

 「胸飾りはもう少し太らせてから作ったほうがよろしいですわ。今作っても仕上がった頃には形が合わなくなって作り直しですよ」

 「わかった。ばあがそう言うならその通りにしよう。飾りは後回しにするから、先に生地だけ仕立ててくれ」

 王が言うと婆と呼ばれた家臣は、はあい、と呑気に答えて作業を続けた。
 仕立てる、ということは、今この場で選んだ服をそのまま着るわけではないのだろうか……。

 「リン。よわいは26だと聞いた」

 急に王に声をかけられてリンははっと我に返る。

 「はい。仰る通りです」

 「俺よりひとつ上でこの背丈か。人間は小さいな」

 王はひとつ年下。リンは顔色こそ変えなかったが、内心かなり驚いていた。


 いにしえの戦争で人間が竜族に挑むという愚考に至った要因は2つある。

 ひとつ目は、彼らの多くは温厚で争いを好まない性格であったこと。
 人間は彼らに心優しく接され、施しを受け、情けを与えられた果てに、彼らが然るべき時には怒りもし鉄槌をも下す厳しさを持つ生き物であることを忘れた。
 残念ながらこれは戦後大きく変化してしまった。竜族の多くは人間を卑しい生き物と見るようになってしまったから。

 ふたつ目は、彼らが人間と極めてよく似た姿で暮らしていて、文化や言語を共有し、その社会性に多くの共通点があったこと。
 このことで人間は愚かしくも彼らを自分たちと能力差のない存在であると誤解し、やがて数の力をもって彼らを超え捻じ伏せられると思い込んだ。

 これらはリンたち奴隷が暮らしの中で必ずどこかで教わる話だった。
 竜族は見た目は人間にとてもよく似ているが全く別の強い生き物だから、歯向かうという愚かな真似はしないように、と。

 年齢もまたふとした瞬間に竜族が人間と同じだと勘違いしそうになる要因だ。
 彼らの寿命は人間のそれとさほど変わらないのだ。年の取り方もまた同じである。

 目の前のこの大柄な体躯の王は、リンと年が近い、あまつさえたった1年とはいえ彼よりも年下なのだという。
 
 バシュカムル国は先王が病で崩御したあと、その若き王子が冠を受け継ぎ君主となったことは有名である。
 穏やかに生きる竜族は事故死や病死が珍しく、多くの王が老衰によって世代交代するため歴史を振り返ってみても齢50や60を超えてから冠を戴く王や女王が常であったからだ。
 このことは奴隷のリンも、自分が住む国の王の逸話として主人から聞かされてきた。

 それがこの威風。覇気とも言うべきか。
 王家に生まれたものは、いずれ王になることを約束されたとあって若年でありながらこれほどの風格を備えているのだ。

 たったひとつとはいえそれでも自分より年下の男性を前に、その歴然の差から自分とは別世界の存在を感じてリンは圧倒されもし、しかし年が近いこともあってなんだか身近な存在のような、いや、そうでないような……。
 複雑な気持ちにさせられた。

 そして、なるほどこの風貌の王がいるのだから自分がゴボウと呼ばれるのも無理はない。そう思った。

 「そうだ、ノフォ様。この子すっぽんぽんのまま立ってましたよ。ベッドも使ってないみたいですし」

 腰巻ベルトの位置を調節しながら婆と呼ばれた臣下が言う。
 それを聞いたノルノフォール王は怪訝そうな表情を浮かべた。

 「ここに奴隷を入れると先に伝えてあっただろう。なぜ寝間着を置いておかなかった?ベッドは……」

 と言ってリンを見る。

 「なぜ使わない?どこで寝たのだ、おまえ?」

 「あちらの椅子を、お借りしました」

 彼の返答にその場の全員がぐるっと頭を向けてリンが指し示した窓際のベンチを見る。

 しばらくの沈黙の後、王がすたすたと棚の前まで行き戸を開けて中を確かめた。
 すぐに着付けの場まで戻ってくる。

 「すまぬな。寝間着はあった」

 ノルノフォールが臣下のひとりに向かって言った。先ほど『寝間着を置いておかなかった』という誤解を被った女官なのだろう、王の言葉に軽く膝を曲げてお辞儀をして返していた。

 王はリンに向き直る。

 「自由に使えと言ったであろう。なぜ使わないのだ」

 「主人の持ちものです。私はそれをお許しなく使うことはしません」

 「……。奴隷は働き者だ。言われればその通りになんでもこなす。部屋を磨き、物を片付け、食事を作り、それを並べ、片し、荷車を引き、主人の話を暗記して伝言を届ける」

 ノルノフォールは少し不満げな顔だ。
 はあ、とあからさまなため息をつき、腰に手を当ててリンを見下ろす。

 「それなのに自分で戸棚ひとつ開けられず、ひとりで服も着れず、ベッドの使い方も知らないとは滑稽だろう。部屋の掃除も片付けも、食事の支度も荷の届けも、何から何まで他人任せのこの俺ですら自分で服ぐらい着られるしベッドで横になるのだからな。ここはおまえの部屋だ。ここのものは自由に使え」

 と、不満げと思えたその表情が、今は心配の様相に思える。
 驚きが顔に出てしまっていたのか、リンの様子を見た王が歯を見せて微笑んだ。

 「難しく考えるな。自由にしろ、それが俺の命令だ」

 そう言って彼はその場を臣下たちに任せ颯爽と立ち去って行った。
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