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1~拉致された公主の異国生活~
茉莉の処遇と初恋
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異国で気鬱状態に陥っていた茉莉だったが、別荘で静養している間に少しづつ絶望感に苛まれることもなくなった。
それまでは部屋に閉じこもって、満足に食事を取らず、祖国と元の平穏な生活を恋しがり泣いてばかりいたが今は精神状態が落ち着き始めている。
茉莉の世話を任されているレンからの報告でユンはそろそろ茉莉を別荘から出して、本格的にマフィア組織『藍珠幇』の跡継ぎとして訓練させたいと考えたが、レンからは時期尚早だと反対された。
「兄ちゃん、茉莉はようやく精神が安定してきた。でも、まだ自分がマフィアの息子ってこともボスが親父だって事実も完全には受け入れてない。そんな状態で街に戻したら危ない」
ちゃんと茉莉が自分の立場を自覚できるまで……少なくても祖国を恋しがって泣かなくなるまで別荘で生活させた方が安全だと、レンが珍しく頑固に兄ユンに対して言い募ったのだ。
「たしかに、まだまだ茉莉様の心は不安定だろうが、ボスは……藍月はそんな悠長に待たない」
「そこは兄ちゃんが説得してくれ!とにかく、俺は茉莉を別荘から出すのは反対する!」
兄のユンやボスである藍月には従順なはずのレンが頑なに茉莉の精神状態を案じているので、ユンは思案した後、藍月に茉莉を今後どうするか相談した。
すると藍月もレンと同じく焦って茉莉を街に連れ戻しても逆効果だろうと結論付けたのである。
「茉莉は単にレンに馴染んだだけです。自分の立場を完全に受け入れた訳ではありません。そんな子に対してマフィアの心得を教えても意味はないでしょう」
ユンを抱き締めながら甘い声で告げる藍月の言葉にユンはそんな時間の余裕はあるのかと訊ねたが、藍月は楽しそうにクスクスと笑いだした。
「これは我が兄からの忠告なのですよ。茉莉の扱いは気を付けろと」
「橄欖様のことか?別荘で茉莉様にお会いしたみたいだが、扱いに気を付けろってどういうことだ?」
橄欖は藍月の実兄だが、マフィア組織のボスになるには不適格だと自ら自覚して、ボスの座を弟の藍月に譲った男だ。
そんな橄欖の肩書きは『藍珠幇』の息がかかったカジノや風俗店のトップで事実上は歓楽街の『顔役』である。
ユンはマフィアになる前は幼い弟のレンを養う為に橄欖が仕切っている歓楽街で働いていた。
そこで橄欖の弟である藍月と出逢って、現在は愛人で部下というポジションでマフィアの構成員になっている。
橄欖はある意味ではユンとレンの人生を変えてくれた恩人なのだが、マフィアのボスの実兄なのにマフィア組織に口出ししてくることは滅多になかった。
「橄欖様が組織のことに意見するなんて珍しい。橄欖様は茉莉様をどうしろと?」
疑問を投げ掛けると藍月は笑みを絶やさず、ユンの小ぶりで形のよい耳に向けて囁いた。
「兄いわく……。茉莉は時間をかけて育てた方がマフィアとして大成する。稀に見る逸材だそうですよ」
マフィアが闊歩する歓楽街で長年、多くの人を見てきた兄橄欖の言葉ならば間違いはないと藍月は機嫌良く断言する。
ユンとしては藍月がそういう方針ならば、自分が何を言っても仕方ないと察して、茉莉を早急に街に戻す件は諦めた。
ただ、1つ気がかりなのは弟のレンの口調がどう考えても茉莉に対して特別な感情を持ってしまったこと確実な熱量が込められている。
要するにレンは茉莉に恋をしてしまったのだろう。
「レンが茉莉様のことを呼び捨てにしてる」
最初は16歳にもなってメソメソ泣いている甘えたお坊ちゃんだ、と見下していた茉莉の世話を続けているうちにレンの心に恋慕が芽生えてしまったらしい。
これは少し問題ではないかとユンは心配になったが、藍月はその報告を聞いても笑みを消すことはなかった。
「兄橄欖の見解ではレンの恋は前途多難だそうで。茉莉はレンを異国で初めてできた友達としか現在は思っていません。急展開はありますかね?」
2人がどうなるかも親として見守るのも一興ですね、と微笑む藍月にキスされたユンは「茉莉様は恋愛面では鈍感そうだが、レンが可哀想」と面倒な相手に恋をしてしまった弟レンの身を密かに案じていた。
大人たちの思惑をよそに郊外の別荘で茉莉とレンは仲良く暮らしていた。
茉莉は部屋に閉じこもることをやめて、レンの仕事の手伝いをするようになる。
ここには大仰な護衛はおらず、茉莉の世話はすべてレンに一任されていた。炊事に洗濯、食料品の買い出しなど茉莉が塞ぎ込んでいた期間はレンが全部采配していたのである。
食料品の手配はマフィア組織に関係する別荘番が配達してくれるが、徐々に元気になってきた茉莉は外を散策しながら買い出しをしたいと申し出た。
「学校のサマーキャンプみたいで楽しそうだから」
「茉莉、食料品なんて重たいから別荘番に届けさせればいいんだ」
13歳のレンにとって茉莉は初恋の相手となったが、この初恋の相手は一向にレンの気持ちに気付かないばかりか、無神経にこんなことをのたまう。
「レンといると何だかお友達で更に弟ができたみたいで嬉しい。僕はひとりっ子だったから」
「悪いけど!俺は友達でもなければ茉莉の弟でもねーよ!俺の兄ちゃんはこの世に1人だけだ!」
そのレンのこの世に1人だけの兄ちゃんユンは、藍月の指示で傘下の企業から大量の武器弾薬を仕入れながら、別荘でレンが我慢できず茉莉様に迫ったらどうしよう、と仕事中なのに弟レンと茉莉の身を心配してため息を吐いていた。
そんな膠着状態が続いたある日のことだ。
今日は天気が良いから別荘番の事務所まで食料品や備品をもらいに行こうと茉莉が提案したので、レンも仕方なく応じた。
整えられた木々が美しい散歩道を2人でテクテク歩いていたら、不意に茉莉が不安そうな声でレンに訊いてきた。
「別荘でレンと暮らすのは楽しい。でも、こんな生活は永遠にできないよね?僕はこれからどうなるの?」
今は自称父親の藍月が茉莉を静養という形で別荘に住まわせているが、いつまでもこんな生活はできないと茉莉だって充分に分かっている。
「ここを去ったら僕はどんな目に遭うのかな?レンとも離れることになるのかな?せっかく仲良くなれたのに……」
この先の生活で何が待っているか分からない茉莉が不安を吐露するとレンは茉莉の手を握って、安心させるよう口を開いた。
「別荘から出ても俺は茉莉の側にいてやるから不安がるな。マフィアって言っても始終ドンパチしてる訳じゃない。表向きは互助会だしな!」
ドンパチを想定した訓練や心構えはみっちり仕込まれるが、とりあえず別荘での静養が終わった茉莉が最初にするべきことは『藍珠幇』が支配している街に馴染むことだ。
それは16歳まで平穏で恵まれた環境で暮らしていた茉莉には苦しいかも知れないが、マフィアのボスの息子に生まれた以上は避けて通れない。
茉莉の恋愛対象にされなくても、ずっと側で見守って補佐していきたいとレンは本気で考えていた。
「だから!茉莉は何も怖がることない!どんなことがあっても俺が助けるから」
「ありがとう。レンが近くにいてくれたら僕も心強いかも」
そう告げて微笑む茉莉の表情はまだまだ弱々しい。整った茉莉の容貌は派手と云うよりは高貴……ノーブルなのだが、こんな繊細で心優しいお坊ちゃんがマフィア組織の後継者としてやっていけるのか?過酷な現実を直視できなくて、本当に心が壊れてしまわないかとレンは気がかりだったが、自分では茉莉を逃がしてやることも、祖国に返してやることもできない。
(茉莉の泣き顔は好きだけど、できる限り泣いてはほしくない。なんだ?この矛盾した感情は?)
茉莉に出逢って、一緒に過ごしてからレンの感情は変化して乱れる一方であった。
しかし、茉莉はレンの恋心も葛藤も察しないので、またしても無神経な質問をしてくる。
「ユンさんは自称僕の父の愛人だけど、レンは好きな女の子か男の子はいないの?僕、16歳なのに恋人がいたことなくて」
完全にレンを恋愛対象とみなしていない茉莉の発言に今まで我慢してきたレンも流石にぶちギレた。
「いねーよ!今まで1人も!俺にはこの世で1番大切で大好きな人が出来たんだ!」
これは普通ならば、ほぼ100%の確率で茉莉のことが大好きだと告白したようなものだが、繊細なようで、ずば抜けて天然な茉莉は琥珀色の大きな瞳をハッと見開いて、とんでもない誤解を披露した。
「もしかして……?レンが好きな人って……橄欖さん!?妙に親しげだから変だとは思った!」
覆面マッチョな自称茉莉の伯父さんにレンが恋をしている疑惑発生にレンは更にぶちギレたのだ。
「ちげーよ!橄欖のオッサンは兄ちゃんが働いていた男娼専用妓楼のオーナー!嫌いじゃねーが恋してはいない!」
大切な兄ユンの前職が男娼だと勢いで暴露するレンだったが、茉莉にはそもそも男娼専門の妓楼さえもピンと来ていない。
「橄欖さんではないんだ?でも、レンは優しいから好きな子だって絶対に気付いてくれるよ」
全然、レンの恋心に気付いていない茉莉が笑顔で励ますので、レンはいい加減、想いを胸に閉まっておくのがバカらしくなってきた。
「なら!気付け!俺が茉莉を好きだってことくらい!!」
別荘番の事務所前でレンは激怒しながら茉莉への恋慕の情を叫んでしまった。
茉莉はキョトンとしていたが、レンの怒鳴った意味を理解すると次第に赤面して態度がアワアワしてくる。
口に出してから「ヤバイ!」と自覚したレンが冗談だと誤魔化そうとしたが、茉莉は恥ずかしがりながら別荘まで走って逃げ戻ってしまった。
「おい!待てよ、茉莉!俺の方がどちらかと云うと走って逃げたい気分だからな!」
慌てて茉莉のあとを追いかけるレンの様子を逐一見ていた別荘番は仲間マフィアに告げた。
「ありゃ、レンちゃんが怒っても無理はないな?」
「おお!ボスのご子息の茉莉様ってある意味では大物だせ?レン坊をあそこまで困らせるんだからな」
別荘番マフィアたちは頃合いを見計らって別荘に食料品と備品を届けようと相談していた。
そして、別荘では茉莉が今度は別の意味で部屋に閉じこもってしまったので、レンは助けを求めて兄ユンに連絡をした。
「兄ちゃん、助けて!茉莉につい勢いで告ちゃった!茉莉が俺の片想い相手を橄欖のオッサンだと誤解したから!なんかスゲー、ムカついて!」
何故に茉莉がレンの想い人を橄欖だと勘違いしたのかユンにも理解不能だったが、レンが早々に茉莉に告白してしまいどうするか思案した。
「茉莉様はお前の気持ちを知ってどう反応した?」
「赤面して部屋に閉じこもった!」
「お前が告白したのだから責任もって茉莉様のお世話をしろよ?ボスには俺から伝えておく」
そんな訳でユンは早速、弟のレンがうっかり茉莉に告白した件を藍月に報告したら、意外にもレンはお咎めなしとされた。
「一途に恋してくれている美少年の片想い相手を間違えるなんて困った息子ですねぇ」
「どういう思考回路で茉莉様はレンの片想い相手が橄欖様だと誤解したのか俺にも分からない」
レンは引き続き茉莉の側で働くことが決まったが、ユンは密かに茉莉はド級に思考回路がぶっ飛んでいるのではないかと思い始めた。
「そんなところも親子で似てるな」
「可愛いユン、茉莉とレンの話はここまで。私の相手をしてください」
藍月に押し倒されて、ユンは男娼だった頃を思い出した。莫大な金額を妓楼に支払って藍月は当時14歳だったユンを身請けして、弟のレンも引き取ってくれたのである。
その恩義があるからユンは藍月の為に命を賭けて働くし、藍月を愛し続ける。
「まさか……。レンまで茉莉様に惚れてしまうなんて」
吐息を漏らして呟くユンの口に藍月は自らの唇を重ねた。
一方、別荘では茉莉がようやく部屋から出てきたのでレンが気まずいながらも食事を用意していた。
なんとも云えず別荘内に気まずい雰囲気が漂うなか茉莉は赤面しながらレンにおずおずと訊ねた。
「レンは……その……玩具で僕にそういうことをしたいの?尿道プラグとかを使って?」
先日、橄欖が暴露した藍月とユンの危ないプレイのような行為をレンが茉莉相手にしたいと、またしても、茉莉は変な誤解をしているので、レンはこれだけは断固否定した。
「誓ってそんなことはやらない!俺は茉莉が好きだけど茉莉はそれに応える必要性はねーから!」
それだけ告げて黙り込むレンの顔を見詰めながら、茉莉は安心したような笑みを浮かべて言ったのだ。
「僕、16歳までの人生で男性に告白されたのはレンで5回目なんだ」
「意外と多いな!でも、だからなんだよ!?」
レンがイライラした顔で言葉を投げ掛けると茉莉は笑顔のまま、何気なく告げたのだ。
「まさか5回目でOKすることになるとは思わなかった。しかも、拉致された遠いい異国の地で……」
5回目の告白をOKしたってことは……!?
レンが驚いて瞳を見開くと茉莉は赤面しながらも笑顔でレンの手を握った。
「僕もレンの気持ちに応じたい。レンと一緒にいる為にも僕はもっと強くなる」
茉莉は出逢ってから不器用にも自分に優しくしてくれたレンの恋心を知って、最初は動揺したが、どんなときでも気丈に茉莉を守ろうとするレンの愛情は嬉しかった。
この子となら今度こそ本当の愛情と信頼関係を築いていけると思ったから、茉莉はレンの恋心を受け入れたのだ。
「ちなみに俺以外の告白した男って誰だよ?」
そこが気になるレンが質問すると茉莉は指を折りながら教えてくれた。
「えっとね?幼稚舎で仲良しだったタカシ君と初等部の時に席が隣だったユウト君と聖歌隊が同じだったアキラ君と最後は中等部の頃の新任の音楽のハヤト先生かな?」
タカシとユウトとアキラまでは看過できるが、新任の音楽教師のハヤト先生だけは捨て置けない。
茉莉は幼い頃から男子校育ちなので、そういう話はあっても不思議ではないが、教師にまでターゲットにされるところが実に生々しい。
「それ全部断ってたのかよ?」
「うん。タカシ君とユウト君とアキラ君とはそれからも友達として接したけど、ハヤト先生は僕の使用したリコーダーを内緒で舐めているのが露見して学校辞めちゃった」
それくらい、タカシ君もユウト君もアキラ君もやっていたから、ハヤト先生も学校辞めることなかったのにと平然と喋っている茉莉を見ていてレンは確信した。
(茉莉はやっぱりボスの息子だ!繊細そうで鋼のようなメンタル!)
容姿端麗で純情そうなのに、告白してきた男子3名と変態音楽教師1名のことを普通に語る茉莉の大胆さにレンは改めて恋をしたのである。
End
それまでは部屋に閉じこもって、満足に食事を取らず、祖国と元の平穏な生活を恋しがり泣いてばかりいたが今は精神状態が落ち着き始めている。
茉莉の世話を任されているレンからの報告でユンはそろそろ茉莉を別荘から出して、本格的にマフィア組織『藍珠幇』の跡継ぎとして訓練させたいと考えたが、レンからは時期尚早だと反対された。
「兄ちゃん、茉莉はようやく精神が安定してきた。でも、まだ自分がマフィアの息子ってこともボスが親父だって事実も完全には受け入れてない。そんな状態で街に戻したら危ない」
ちゃんと茉莉が自分の立場を自覚できるまで……少なくても祖国を恋しがって泣かなくなるまで別荘で生活させた方が安全だと、レンが珍しく頑固に兄ユンに対して言い募ったのだ。
「たしかに、まだまだ茉莉様の心は不安定だろうが、ボスは……藍月はそんな悠長に待たない」
「そこは兄ちゃんが説得してくれ!とにかく、俺は茉莉を別荘から出すのは反対する!」
兄のユンやボスである藍月には従順なはずのレンが頑なに茉莉の精神状態を案じているので、ユンは思案した後、藍月に茉莉を今後どうするか相談した。
すると藍月もレンと同じく焦って茉莉を街に連れ戻しても逆効果だろうと結論付けたのである。
「茉莉は単にレンに馴染んだだけです。自分の立場を完全に受け入れた訳ではありません。そんな子に対してマフィアの心得を教えても意味はないでしょう」
ユンを抱き締めながら甘い声で告げる藍月の言葉にユンはそんな時間の余裕はあるのかと訊ねたが、藍月は楽しそうにクスクスと笑いだした。
「これは我が兄からの忠告なのですよ。茉莉の扱いは気を付けろと」
「橄欖様のことか?別荘で茉莉様にお会いしたみたいだが、扱いに気を付けろってどういうことだ?」
橄欖は藍月の実兄だが、マフィア組織のボスになるには不適格だと自ら自覚して、ボスの座を弟の藍月に譲った男だ。
そんな橄欖の肩書きは『藍珠幇』の息がかかったカジノや風俗店のトップで事実上は歓楽街の『顔役』である。
ユンはマフィアになる前は幼い弟のレンを養う為に橄欖が仕切っている歓楽街で働いていた。
そこで橄欖の弟である藍月と出逢って、現在は愛人で部下というポジションでマフィアの構成員になっている。
橄欖はある意味ではユンとレンの人生を変えてくれた恩人なのだが、マフィアのボスの実兄なのにマフィア組織に口出ししてくることは滅多になかった。
「橄欖様が組織のことに意見するなんて珍しい。橄欖様は茉莉様をどうしろと?」
疑問を投げ掛けると藍月は笑みを絶やさず、ユンの小ぶりで形のよい耳に向けて囁いた。
「兄いわく……。茉莉は時間をかけて育てた方がマフィアとして大成する。稀に見る逸材だそうですよ」
マフィアが闊歩する歓楽街で長年、多くの人を見てきた兄橄欖の言葉ならば間違いはないと藍月は機嫌良く断言する。
ユンとしては藍月がそういう方針ならば、自分が何を言っても仕方ないと察して、茉莉を早急に街に戻す件は諦めた。
ただ、1つ気がかりなのは弟のレンの口調がどう考えても茉莉に対して特別な感情を持ってしまったこと確実な熱量が込められている。
要するにレンは茉莉に恋をしてしまったのだろう。
「レンが茉莉様のことを呼び捨てにしてる」
最初は16歳にもなってメソメソ泣いている甘えたお坊ちゃんだ、と見下していた茉莉の世話を続けているうちにレンの心に恋慕が芽生えてしまったらしい。
これは少し問題ではないかとユンは心配になったが、藍月はその報告を聞いても笑みを消すことはなかった。
「兄橄欖の見解ではレンの恋は前途多難だそうで。茉莉はレンを異国で初めてできた友達としか現在は思っていません。急展開はありますかね?」
2人がどうなるかも親として見守るのも一興ですね、と微笑む藍月にキスされたユンは「茉莉様は恋愛面では鈍感そうだが、レンが可哀想」と面倒な相手に恋をしてしまった弟レンの身を密かに案じていた。
大人たちの思惑をよそに郊外の別荘で茉莉とレンは仲良く暮らしていた。
茉莉は部屋に閉じこもることをやめて、レンの仕事の手伝いをするようになる。
ここには大仰な護衛はおらず、茉莉の世話はすべてレンに一任されていた。炊事に洗濯、食料品の買い出しなど茉莉が塞ぎ込んでいた期間はレンが全部采配していたのである。
食料品の手配はマフィア組織に関係する別荘番が配達してくれるが、徐々に元気になってきた茉莉は外を散策しながら買い出しをしたいと申し出た。
「学校のサマーキャンプみたいで楽しそうだから」
「茉莉、食料品なんて重たいから別荘番に届けさせればいいんだ」
13歳のレンにとって茉莉は初恋の相手となったが、この初恋の相手は一向にレンの気持ちに気付かないばかりか、無神経にこんなことをのたまう。
「レンといると何だかお友達で更に弟ができたみたいで嬉しい。僕はひとりっ子だったから」
「悪いけど!俺は友達でもなければ茉莉の弟でもねーよ!俺の兄ちゃんはこの世に1人だけだ!」
そのレンのこの世に1人だけの兄ちゃんユンは、藍月の指示で傘下の企業から大量の武器弾薬を仕入れながら、別荘でレンが我慢できず茉莉様に迫ったらどうしよう、と仕事中なのに弟レンと茉莉の身を心配してため息を吐いていた。
そんな膠着状態が続いたある日のことだ。
今日は天気が良いから別荘番の事務所まで食料品や備品をもらいに行こうと茉莉が提案したので、レンも仕方なく応じた。
整えられた木々が美しい散歩道を2人でテクテク歩いていたら、不意に茉莉が不安そうな声でレンに訊いてきた。
「別荘でレンと暮らすのは楽しい。でも、こんな生活は永遠にできないよね?僕はこれからどうなるの?」
今は自称父親の藍月が茉莉を静養という形で別荘に住まわせているが、いつまでもこんな生活はできないと茉莉だって充分に分かっている。
「ここを去ったら僕はどんな目に遭うのかな?レンとも離れることになるのかな?せっかく仲良くなれたのに……」
この先の生活で何が待っているか分からない茉莉が不安を吐露するとレンは茉莉の手を握って、安心させるよう口を開いた。
「別荘から出ても俺は茉莉の側にいてやるから不安がるな。マフィアって言っても始終ドンパチしてる訳じゃない。表向きは互助会だしな!」
ドンパチを想定した訓練や心構えはみっちり仕込まれるが、とりあえず別荘での静養が終わった茉莉が最初にするべきことは『藍珠幇』が支配している街に馴染むことだ。
それは16歳まで平穏で恵まれた環境で暮らしていた茉莉には苦しいかも知れないが、マフィアのボスの息子に生まれた以上は避けて通れない。
茉莉の恋愛対象にされなくても、ずっと側で見守って補佐していきたいとレンは本気で考えていた。
「だから!茉莉は何も怖がることない!どんなことがあっても俺が助けるから」
「ありがとう。レンが近くにいてくれたら僕も心強いかも」
そう告げて微笑む茉莉の表情はまだまだ弱々しい。整った茉莉の容貌は派手と云うよりは高貴……ノーブルなのだが、こんな繊細で心優しいお坊ちゃんがマフィア組織の後継者としてやっていけるのか?過酷な現実を直視できなくて、本当に心が壊れてしまわないかとレンは気がかりだったが、自分では茉莉を逃がしてやることも、祖国に返してやることもできない。
(茉莉の泣き顔は好きだけど、できる限り泣いてはほしくない。なんだ?この矛盾した感情は?)
茉莉に出逢って、一緒に過ごしてからレンの感情は変化して乱れる一方であった。
しかし、茉莉はレンの恋心も葛藤も察しないので、またしても無神経な質問をしてくる。
「ユンさんは自称僕の父の愛人だけど、レンは好きな女の子か男の子はいないの?僕、16歳なのに恋人がいたことなくて」
完全にレンを恋愛対象とみなしていない茉莉の発言に今まで我慢してきたレンも流石にぶちギレた。
「いねーよ!今まで1人も!俺にはこの世で1番大切で大好きな人が出来たんだ!」
これは普通ならば、ほぼ100%の確率で茉莉のことが大好きだと告白したようなものだが、繊細なようで、ずば抜けて天然な茉莉は琥珀色の大きな瞳をハッと見開いて、とんでもない誤解を披露した。
「もしかして……?レンが好きな人って……橄欖さん!?妙に親しげだから変だとは思った!」
覆面マッチョな自称茉莉の伯父さんにレンが恋をしている疑惑発生にレンは更にぶちギレたのだ。
「ちげーよ!橄欖のオッサンは兄ちゃんが働いていた男娼専用妓楼のオーナー!嫌いじゃねーが恋してはいない!」
大切な兄ユンの前職が男娼だと勢いで暴露するレンだったが、茉莉にはそもそも男娼専門の妓楼さえもピンと来ていない。
「橄欖さんではないんだ?でも、レンは優しいから好きな子だって絶対に気付いてくれるよ」
全然、レンの恋心に気付いていない茉莉が笑顔で励ますので、レンはいい加減、想いを胸に閉まっておくのがバカらしくなってきた。
「なら!気付け!俺が茉莉を好きだってことくらい!!」
別荘番の事務所前でレンは激怒しながら茉莉への恋慕の情を叫んでしまった。
茉莉はキョトンとしていたが、レンの怒鳴った意味を理解すると次第に赤面して態度がアワアワしてくる。
口に出してから「ヤバイ!」と自覚したレンが冗談だと誤魔化そうとしたが、茉莉は恥ずかしがりながら別荘まで走って逃げ戻ってしまった。
「おい!待てよ、茉莉!俺の方がどちらかと云うと走って逃げたい気分だからな!」
慌てて茉莉のあとを追いかけるレンの様子を逐一見ていた別荘番は仲間マフィアに告げた。
「ありゃ、レンちゃんが怒っても無理はないな?」
「おお!ボスのご子息の茉莉様ってある意味では大物だせ?レン坊をあそこまで困らせるんだからな」
別荘番マフィアたちは頃合いを見計らって別荘に食料品と備品を届けようと相談していた。
そして、別荘では茉莉が今度は別の意味で部屋に閉じこもってしまったので、レンは助けを求めて兄ユンに連絡をした。
「兄ちゃん、助けて!茉莉につい勢いで告ちゃった!茉莉が俺の片想い相手を橄欖のオッサンだと誤解したから!なんかスゲー、ムカついて!」
何故に茉莉がレンの想い人を橄欖だと勘違いしたのかユンにも理解不能だったが、レンが早々に茉莉に告白してしまいどうするか思案した。
「茉莉様はお前の気持ちを知ってどう反応した?」
「赤面して部屋に閉じこもった!」
「お前が告白したのだから責任もって茉莉様のお世話をしろよ?ボスには俺から伝えておく」
そんな訳でユンは早速、弟のレンがうっかり茉莉に告白した件を藍月に報告したら、意外にもレンはお咎めなしとされた。
「一途に恋してくれている美少年の片想い相手を間違えるなんて困った息子ですねぇ」
「どういう思考回路で茉莉様はレンの片想い相手が橄欖様だと誤解したのか俺にも分からない」
レンは引き続き茉莉の側で働くことが決まったが、ユンは密かに茉莉はド級に思考回路がぶっ飛んでいるのではないかと思い始めた。
「そんなところも親子で似てるな」
「可愛いユン、茉莉とレンの話はここまで。私の相手をしてください」
藍月に押し倒されて、ユンは男娼だった頃を思い出した。莫大な金額を妓楼に支払って藍月は当時14歳だったユンを身請けして、弟のレンも引き取ってくれたのである。
その恩義があるからユンは藍月の為に命を賭けて働くし、藍月を愛し続ける。
「まさか……。レンまで茉莉様に惚れてしまうなんて」
吐息を漏らして呟くユンの口に藍月は自らの唇を重ねた。
一方、別荘では茉莉がようやく部屋から出てきたのでレンが気まずいながらも食事を用意していた。
なんとも云えず別荘内に気まずい雰囲気が漂うなか茉莉は赤面しながらレンにおずおずと訊ねた。
「レンは……その……玩具で僕にそういうことをしたいの?尿道プラグとかを使って?」
先日、橄欖が暴露した藍月とユンの危ないプレイのような行為をレンが茉莉相手にしたいと、またしても、茉莉は変な誤解をしているので、レンはこれだけは断固否定した。
「誓ってそんなことはやらない!俺は茉莉が好きだけど茉莉はそれに応える必要性はねーから!」
それだけ告げて黙り込むレンの顔を見詰めながら、茉莉は安心したような笑みを浮かべて言ったのだ。
「僕、16歳までの人生で男性に告白されたのはレンで5回目なんだ」
「意外と多いな!でも、だからなんだよ!?」
レンがイライラした顔で言葉を投げ掛けると茉莉は笑顔のまま、何気なく告げたのだ。
「まさか5回目でOKすることになるとは思わなかった。しかも、拉致された遠いい異国の地で……」
5回目の告白をOKしたってことは……!?
レンが驚いて瞳を見開くと茉莉は赤面しながらも笑顔でレンの手を握った。
「僕もレンの気持ちに応じたい。レンと一緒にいる為にも僕はもっと強くなる」
茉莉は出逢ってから不器用にも自分に優しくしてくれたレンの恋心を知って、最初は動揺したが、どんなときでも気丈に茉莉を守ろうとするレンの愛情は嬉しかった。
この子となら今度こそ本当の愛情と信頼関係を築いていけると思ったから、茉莉はレンの恋心を受け入れたのだ。
「ちなみに俺以外の告白した男って誰だよ?」
そこが気になるレンが質問すると茉莉は指を折りながら教えてくれた。
「えっとね?幼稚舎で仲良しだったタカシ君と初等部の時に席が隣だったユウト君と聖歌隊が同じだったアキラ君と最後は中等部の頃の新任の音楽のハヤト先生かな?」
タカシとユウトとアキラまでは看過できるが、新任の音楽教師のハヤト先生だけは捨て置けない。
茉莉は幼い頃から男子校育ちなので、そういう話はあっても不思議ではないが、教師にまでターゲットにされるところが実に生々しい。
「それ全部断ってたのかよ?」
「うん。タカシ君とユウト君とアキラ君とはそれからも友達として接したけど、ハヤト先生は僕の使用したリコーダーを内緒で舐めているのが露見して学校辞めちゃった」
それくらい、タカシ君もユウト君もアキラ君もやっていたから、ハヤト先生も学校辞めることなかったのにと平然と喋っている茉莉を見ていてレンは確信した。
(茉莉はやっぱりボスの息子だ!繊細そうで鋼のようなメンタル!)
容姿端麗で純情そうなのに、告白してきた男子3名と変態音楽教師1名のことを普通に語る茉莉の大胆さにレンは改めて恋をしたのである。
End
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生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。
何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。
【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?
キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。
知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。
今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど——
「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」
幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。
しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。
これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。
全8話。
悪役令息の兄って需要ありますか?
焦げたせんべい
BL
今をときめく悪役による逆転劇、ザマァやらエトセトラ。
その悪役に歳の離れた兄がいても、気が強くなければ豆電球すら光らない。
これは物語の終盤にチラッと出てくる、折衷案を出す兄の話である。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
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