甘い香り

寿里~kotori ~

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図書館は修羅場

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「恐れ入りますが、お客様・・・」

僕はカウンターを隔てた目の前にいる親子連れに声をかけると遠慮がちに本のページを指で示して出来る限り丁寧な言葉で指摘した。

「こちらのページですが食べ物によるシミがあります・・・何かご記憶はございませんか?」

図書館の仕事で一番嫌いなのは貸出する前は確実になかった汚れや破損を資料返却のさいに見つけてしまうときだ。

こんな風に堂々と資料を投げて返す利用者は100%こう答える。

「はっ?知らないわよ。最初からでしょ。急いでるんだから早くして」

休日の白昼に家族で図書館くる奴が何を急いでんだ・・・ボケカス!!

そう言いたいのを僕は必死に堪えて努めて穏やかに説明した。

「この資料は2週間前に受入した資料で、お客様が最初にお貸りになってます。貸出履歴に貸した人数がカウントされるんですが。お客様のみです」

だから、とっとと汚したと認めて弁償しろよ、あと、お客様ってなんだよ!?テメエらからはストレス以外の何物も貰ってねえよ!

履歴の説明をしたら目の前の「お客様」が激昂して周囲の迷惑考えずわめき散らし始めた。この人の旦那と子供になった人・・・可哀想にと僕が内心で同情を抱いているとも知らず「お客様」は耳障りなキンキン声で捲し立てる。

「因縁つけられたって中央図書館の館長にクレームするわよ!!なによ、こんな汚れにうるさく言って!!アンタの本じゃないからいいでしょ!?」

おい、何の超理論だよ?

これは税金で購入してる公共の財産なんだよ。それを汚して閲覧不可能にしたアンタには弁償する責任があるんだよ。

明らか僕の視線が相手をバカにしきっていたのか「お客様」はますますヒートアップして旦那と子供は貝のように沈黙している。正直、弁償とかいいから二度と来館するなと口から出そうになったとき僕の隣をフワリと甘い香りがわずかにかすめた。

「大変申し訳ございません。お客様、御不快な思いをさせまして・・・」

副館長の小野さんだ・・・僕が働く図書館では僕を入れてわずか2名の男性職員だが華奢な身体に中性的な美しいかんばせのせいで女性と図書館利用者からも勘違いされる。僕も配属して自己紹介されるまで「おばさんどもに紛れて美人がいる」と誤解したほどだ。

ちなみに小野副館長の名前は和(なごむ)

「私がお話しさせて頂きますので・・・」

そう言うと小野さんは僕に目で合図してカウンターから事務所に戻るようサインを出した。

腹が立ち、納得できぬまんま事務所にさがると騒ぎを聞いていたらしい館長がヤレヤレといった表情で僕を見て言った。

「貴方のやり方は取り調べよ。口調が丁寧でも責めてるように聞こえる。小野くんの対応を御覧なさい」

館長にそう言われ僕が見えないようにカウンターの様子を伺うと驚いたことにあれ程激昂していた「お客様」は笑いながら素直に弁償資料の書類にサインをしている。

複写の書類を渡して深々とお辞儀する小野さんに「お客様」やその家族も頭をさげて子供は小野さんに手を振って帰っていった。

別の職員にカウンターを任せて戻ってきた小野さんに僕はとりあえず謝罪すると小野さんは書類を弁償対象者ファイルに綴じてヤンワリと笑った。

「あの汚れね、コーヒーをこぼしたとき本にはねたんだって」

「それ、ガッツリ向こうが悪いじゃないですか?」

少しふて腐れたように呟く僕に小野さんは不思議そうに訊いてきた。

「それだけ?」

「それだけって・・・?他になにか」

何も答えられない僕に小野さんと館長は目を見合わせて苦笑した。

「コーヒーがこぼれて火傷しなかったかとか心配にならない?お子さんは大丈夫かとか汚れの背景にあった出来事を想像しようとか思わないの?職務に忠実なのは大切だけど人って白黒で決まるほど単純じゃない。それを覚えた方がいい」

いまいち釈然としなかったが汚れた本は弁償手続きが完了したし恐らくクレームも来ないだろう。

僕には出来ないやり方で小野さんはいつもトラブルを解決する。優秀だし綺麗な人だけど何だか僕は彼が苦手だった。おまけに、あの甘い香り・・・香水ですかと訊ねても小野さんは何もつけていないと言うし他の職員に訊いても何も匂わないと首を傾げられた。

それから僕は何となく小野さんと距離をおくようになった。

あの甘い香りが僕のなにかを麻痺させてしまうようで恐かったのもあるし小野さんにフワリと笑いかけられると身体が変に反応してしまう。


だから休日の神保町でバッタリ、小野さんと遭遇してしまったときは買った本を派手に落とした。

「和泉くんも買い物?大丈夫、何だか痙攣してるけど・・・」

本を拾ってくれた小野さんは本についた土埃をはらうと僕に差し出して微笑みかけた。

「和泉くんはマルケスが好きなの?」

「まだ、百年の孤独とか予告された殺人の記録しか読んでないけど好きです」

「あっ、僕もそれは読んだ!南米文学っていいよね。読むと頭がクラクラするけど」

立ち話を続けるのも失礼だし、早くこの場を去りたいと思った僕に小野さんはフンワリと誘ってきた。

「もし、買い物が済んでるなら何か飲み物でも飲まない?美味しい紅茶のお店が近いから」

断る言い訳などいくらでも考えられたのに僕は本をバッグにしまうと小野さんオススメの喫茶店に入ってミルクティーを頼んでいた。

ちなみに小野さんはパンケーキとシナモンティー

「ここに来るとホッとするんだ・・・図書館や利用するお客様もいない・・・ただ本だけを見ていられる世界だから」

パンケーキにシロップをぶっかけている小野さんのくだけた仕草に僕は思わず呟いた。

「小野さんは図書館が心底好きなんだと思ってました」

「ぜーんぜん!むしろ大嫌い・・・本は好きだけど僕は基本的に人間嫌いだし」

意外すぎる答えに僕が目を白黒させていると小野さんはいつもの無害そうな表情を引っ込め皮肉気に笑いながら続けた。

「だからさ、そんな奴らと長く話すのも嫌だから早々に立ち去って欲しくて穏やかに応対してるだけ。逆に和泉くんみたいに素直にお客を見下せたらな~とか思ってた」

そう言ってクスクス笑う小野さんの表情は悪さを考える子供みたいで僕はつい口角を上げてしまった。

「小野さんって本音はめっちゃ毒舌ですね」

「逆に和泉くんは素直だよね。図書館なんて本が好きな奴より人あしらいがうまい奴の方が向いてるんだよ・・・それに女性職員ばっかだから力仕事は何でも押し付けてきやがる。あと、とりあえず男性職員が出れば黙るクソ利用者がいたり人間の限りなく嫌な面ばっか見る羽目になる」

これでもかと図書館と利用者を罵る小野さんの話を僕が笑いながら聞いていると小野さんがようやく通常のフンワリした笑みに戻った。

「はぁ・・・なんか少しスッキリした。いま僕が言ったことは職員には内緒で」

本当に爽快な気分になってるらしい小野さんがパンケーキを食べ終えると僕は覚悟を決めてパンケーキのシロップが入っていた器から残りのシロップを指でなめて言った。

「僕は小野さんが近くにいると甘い香りがして変な気分になった・・・いま分かったよ、これ・・・シロップの匂いだ」

指でシロップをすくって小野さんの唇まで近付けると綺麗なかんばせが途端に毒々しくなり僕の指をしゃぶり囁いた。

「ねぇ・・・ここを出てどこにいく?」

「言わせないで・・・行こう」

ベタベタしたパンケーキのシロップの匂いにクラクラしながら僕は小野さんの手を引いて本の街をあとにした。


end


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