8 / 11
ソーラス
しおりを挟む
広いリビングだった。
ひとりになると余計にそう感じる。
綾瀬の着替えを待つ間、直冬はすることもなくぼんやりと周囲を見回した。
部屋の真ん中にポツンと置かれたモスグリーンの布張りのソファとガラスのテーブル。壁掛けの大型テレビ、他には家具らしい家具も見当たらない。
もっともこれだけの高級マンションともなれば、物を収容するスペースには事欠かないだろう。
しかし、なんとういか生活の匂いのするようなものがあまりないのだ。
すべてが不自然なくらいきちんと整頓されている。まるですぐにでも引っ越しできるように片付けられているのだ。
綾瀬はこんなところで毎晩、過ごしているのだろうかと直冬は思った。
壁には作り付けの書棚があった。
それが唯一、この部屋の住人の個性を知る手掛かりになりそうなものだった。
天井まで届くその書棚には本がぎっしりと詰まっていた。
棚の上の方には立派な装丁の外国製の絵本が表紙をこちらに向けて並んでいる。真ん中あたりには文学全集や辞典類がぎっしりと詰まっていた。
どうやら綾瀬はかなりの読書家らしい。彼女は成績優秀だと聞いたことがある。
金持ちで頭も良いのに、なぜあの学校に通っているのだろうと、ふと直冬は思った。もっと相応しい私立のお嬢様学校のようなところに行っていいはずだ。
ひょっとして沢井がこの学校を選んだからだろうか?
下の棚に目をやると、そこには見慣れた背表紙があるのに直冬は気づいた。ラノベのレーベルだ。直冬が読んだこともあるタイトルもあった。
それはどれも異世界ファンタジーと言われるジャンルの作品だった。
高一の女の子がラノベを読んでいることじたいは不思議でもなんでもないのだが、普段の彼女のクールな印象とはそぐわない気がした。
「お待たせ」
戻ってきた綾瀬を見て、直冬は「えっ?」と驚きを漏らしてしまった。
シャワーを浴びてきたのだろう、濡れた髪をタオルで拭っている彼女が着ているののは臙脂色のジャージだった。
いやジャージだけなら、直冬だって部屋着として愛用している。しかし、そのジャージの胸には、もうだいぶ薄くはなっていたけど、「綾瀬」とマジックで書かれた白い布が貼り付けてあった。
直冬の視線に気づいたのか綾瀬は両手で胸を隠してしゃみこんだ。
「なっなによ、その目!これが家の中ではいちばんくつろげるんだから」
少し涙目で抗議する。
「たしかにそうかも……でもそれって中学のときのじゃないの?」
「そうよ。だってこの洗いザラされた生地の肌触りがいいんだもん」
頬をぷっと膨らませる。その表情を見ていると、自分が彼女に抱いていた印象と随分違うなと直冬は思った。
教室での彼女はいつもどこか遠くをみているようで、周りのことにはあまり関心を払わない、冷めた雰囲気を漂わせていた。
自分の今居る場所に馴染めない居心地の悪さ、ほんとうの自分はもっと別な場所にあるのに、それを見失ってしまって、途方に暮れているような、孤独で寂しい姿だった。ひょっとすると自分はそんな彼女に共感にも似た恋心もったのかもしれない。
しかし、今目の前居る彼女はまるで違う少女のように見える。表情豊かに感情の振幅を表し、いかにも楽しげに語る。
どちらがほんとうの綾瀬なのか直冬には判然としなかったが、そのどちらも直冬には魅力的だった。そして綾瀬美月の存在が自分の乾ききった心に潤いを与えてくれているのだと強く感じた。それは直冬の人生に欠落していたなにかだった。
「ところで頼みの件なんだけど」
「ああ! ごめんなさい。すぐに脱線しちゃうよね」
綾瀬はカウチの上にきちんと座り直すと、幾分、視線を泳がせながらいった。
「わたし、ソーラスがやりたいの」
ちょっとした沈黙が二人の間に流れた。最初に沈黙を破ったのは直冬だった。
「ソーラスって、パソコンゲームのソーラスだよね?」
「ええそうよ」
それ以外に何があるという調子で綾瀬はこたえた。
「つまりそれをインストールすればいいってことなのかな。それくらいならお安い御用だけど、なんでまたソーラスなわけ?」
話題の大作とはいえ、それはあくまでも日本ではマイナーな存在のパソコンゲーマーの間での話だ。
「それを話すとちょっと長くなるんだけど、ほら柏木がいつも話している眼鏡かけた太った人」
「矢島?」
「そう矢島! 二人がソーラスの話をしているのをこっそり聞き耳を立てていたのよ」
矢島の席は綾瀬と近い。三枝と西野のやり取りが鬱陶しくて、授業の合間の休み時間は矢島のところに出向く。話題は自然とソーラスのことになる。
しかし綾瀬がパソコンゲームなんかに興味を持ったというのは意外すぎて、直冬はどう解釈していいのかわからなかった。
「それで興味が湧いたから、ネットで調べてみたの。それでこれを見つけたわけ」
綾瀬はノートパソコンを開いて見せた。
「これってソーラスのスクリーンショットかな?」
「そう、この塔はゲームの世界の中にあるんでしょ?」
「僕もまだ始めたばかりだから行ったことはないんだけど、雰囲気からしてかなりの高レベルゾーンにある建物っぽいね」
「そうなんだ。実はね。私、この塔のことを知っているんだ」
知っているとはいったいどういう意味なんだろう。
ひとりになると余計にそう感じる。
綾瀬の着替えを待つ間、直冬はすることもなくぼんやりと周囲を見回した。
部屋の真ん中にポツンと置かれたモスグリーンの布張りのソファとガラスのテーブル。壁掛けの大型テレビ、他には家具らしい家具も見当たらない。
もっともこれだけの高級マンションともなれば、物を収容するスペースには事欠かないだろう。
しかし、なんとういか生活の匂いのするようなものがあまりないのだ。
すべてが不自然なくらいきちんと整頓されている。まるですぐにでも引っ越しできるように片付けられているのだ。
綾瀬はこんなところで毎晩、過ごしているのだろうかと直冬は思った。
壁には作り付けの書棚があった。
それが唯一、この部屋の住人の個性を知る手掛かりになりそうなものだった。
天井まで届くその書棚には本がぎっしりと詰まっていた。
棚の上の方には立派な装丁の外国製の絵本が表紙をこちらに向けて並んでいる。真ん中あたりには文学全集や辞典類がぎっしりと詰まっていた。
どうやら綾瀬はかなりの読書家らしい。彼女は成績優秀だと聞いたことがある。
金持ちで頭も良いのに、なぜあの学校に通っているのだろうと、ふと直冬は思った。もっと相応しい私立のお嬢様学校のようなところに行っていいはずだ。
ひょっとして沢井がこの学校を選んだからだろうか?
下の棚に目をやると、そこには見慣れた背表紙があるのに直冬は気づいた。ラノベのレーベルだ。直冬が読んだこともあるタイトルもあった。
それはどれも異世界ファンタジーと言われるジャンルの作品だった。
高一の女の子がラノベを読んでいることじたいは不思議でもなんでもないのだが、普段の彼女のクールな印象とはそぐわない気がした。
「お待たせ」
戻ってきた綾瀬を見て、直冬は「えっ?」と驚きを漏らしてしまった。
シャワーを浴びてきたのだろう、濡れた髪をタオルで拭っている彼女が着ているののは臙脂色のジャージだった。
いやジャージだけなら、直冬だって部屋着として愛用している。しかし、そのジャージの胸には、もうだいぶ薄くはなっていたけど、「綾瀬」とマジックで書かれた白い布が貼り付けてあった。
直冬の視線に気づいたのか綾瀬は両手で胸を隠してしゃみこんだ。
「なっなによ、その目!これが家の中ではいちばんくつろげるんだから」
少し涙目で抗議する。
「たしかにそうかも……でもそれって中学のときのじゃないの?」
「そうよ。だってこの洗いザラされた生地の肌触りがいいんだもん」
頬をぷっと膨らませる。その表情を見ていると、自分が彼女に抱いていた印象と随分違うなと直冬は思った。
教室での彼女はいつもどこか遠くをみているようで、周りのことにはあまり関心を払わない、冷めた雰囲気を漂わせていた。
自分の今居る場所に馴染めない居心地の悪さ、ほんとうの自分はもっと別な場所にあるのに、それを見失ってしまって、途方に暮れているような、孤独で寂しい姿だった。ひょっとすると自分はそんな彼女に共感にも似た恋心もったのかもしれない。
しかし、今目の前居る彼女はまるで違う少女のように見える。表情豊かに感情の振幅を表し、いかにも楽しげに語る。
どちらがほんとうの綾瀬なのか直冬には判然としなかったが、そのどちらも直冬には魅力的だった。そして綾瀬美月の存在が自分の乾ききった心に潤いを与えてくれているのだと強く感じた。それは直冬の人生に欠落していたなにかだった。
「ところで頼みの件なんだけど」
「ああ! ごめんなさい。すぐに脱線しちゃうよね」
綾瀬はカウチの上にきちんと座り直すと、幾分、視線を泳がせながらいった。
「わたし、ソーラスがやりたいの」
ちょっとした沈黙が二人の間に流れた。最初に沈黙を破ったのは直冬だった。
「ソーラスって、パソコンゲームのソーラスだよね?」
「ええそうよ」
それ以外に何があるという調子で綾瀬はこたえた。
「つまりそれをインストールすればいいってことなのかな。それくらいならお安い御用だけど、なんでまたソーラスなわけ?」
話題の大作とはいえ、それはあくまでも日本ではマイナーな存在のパソコンゲーマーの間での話だ。
「それを話すとちょっと長くなるんだけど、ほら柏木がいつも話している眼鏡かけた太った人」
「矢島?」
「そう矢島! 二人がソーラスの話をしているのをこっそり聞き耳を立てていたのよ」
矢島の席は綾瀬と近い。三枝と西野のやり取りが鬱陶しくて、授業の合間の休み時間は矢島のところに出向く。話題は自然とソーラスのことになる。
しかし綾瀬がパソコンゲームなんかに興味を持ったというのは意外すぎて、直冬はどう解釈していいのかわからなかった。
「それで興味が湧いたから、ネットで調べてみたの。それでこれを見つけたわけ」
綾瀬はノートパソコンを開いて見せた。
「これってソーラスのスクリーンショットかな?」
「そう、この塔はゲームの世界の中にあるんでしょ?」
「僕もまだ始めたばかりだから行ったことはないんだけど、雰囲気からしてかなりの高レベルゾーンにある建物っぽいね」
「そうなんだ。実はね。私、この塔のことを知っているんだ」
知っているとはいったいどういう意味なんだろう。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる