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第1章:ダメ男とばかりつき合ってしまう
7. あんたみたいな男に、私はもったいないから
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「よくそんな……」
微かに震える唇から、マオさんが声を絞り出す。
「ひどいこと、言えるわね」
「そのひどいことを、きみは自分にしてるんだ。心当たりがないなら動揺しない。笑い飛ばせるはずだよ」
「あなた……人の悩みを聞くセラピストじゃないの? クライアントを侮辱して楽しいの?」
「悩みを聞いて根拠なく慰めて励ましてほしかったのなら、ここに来たのが間違いだね」
変わらない静かな声にシニカルな笑みを浮かべ、葦仁先生が答える。
「僕はきみの悩みの根源を見つけ、解決策を示す。きみを侮辱するつもりはないけど、傷つけないように言葉を選ぶつもりもない」
葦仁先生を睨みつけるマオさん。
「悩みを失くしたいなら、自分の心をここまで放置してきたツケを払いなよ。我慢してたことを、ぶちまければいい」
マオさんの瞳が揺れる。
「僕が聞く」
葦仁先生とマオさんの視線が絡む。
「当時の最低男の代わりに、僕が聞くよ。だから、怒れ」
それきり、葦仁先生は黙って待つ。
張り詰めた空気に亀裂を入れるのは、マオさんの役目とでもいうように。
「ごめんって言ってくれるだけでよかったのに」
マオさんがボソッと呟いた。
「ただの浮気なら、悪かったって謝ってくれれば許せたのに。そのくらい……好きだったのに」
続きを求めるように、葦仁先生が頷く。
「何であんたが怒るの? 何で私が責められなきゃいけないの? どうして……」
テーブルにマオさんの涙が落ちた。ひとしずく。続けて、ポタポタと。
「私じゃダメなの……? ダメなら……さっさと別れればよかったのに。嫌いになってくれたほうがよっぽどマシ!」
私は静かに腰を上げ、痛みを堪えるような声で言い放つマオさんの横に立った。
「何て言ったの? 僕は、きみに」
感情のこもらない葦仁先生の言葉。
今この時は、マオさんの怒りの対象……悩みのもとになった彼氏の役でいる先生。
演じてるわけじゃないのに乗せられるクライアントが多いのは、葦仁先生の何かが彼らと通じ合うんだろう。
「私よりいい女だから浮気した……って。嫌いじゃないけど、私じゃなくても別にいいって……」
「それから?」
「お前は……女として劣ってるって……だから、そう言われたらもう……どうしようもないじゃない! 私なんて……!」
葦仁先生の目配せをキャッチした。
マオさんが泣き崩れる前に、そっと彼女の腕を取る。
涙で濡れた瞳で私を見るマオさんをイスに腰を下ろすように促し、デスクに用意してあるハンドタオルを渡した。
「ありがと……」
嗚咽を漏らしながらも、マオさんが泣き喚くことはなかった。
自分勝手な男に言われた理不尽な言葉を鼻で笑えるほど強くはない。でも、惨めに感じた過去の自分と向き合えるほどには強い。
このセラピーで、マオさんの悩みは消えるはずだ。
「『私なんて』じゃない。『あんたなんて』だよ」
抑えた泣き声が聞こえなくなったところで、葦仁先生が口を開いた。
「劣ってるのは彼のほうだ」
「そ……れは……」
「認めたからって、彼を好きだったきみの価値は下がらない。苦い経験は誰にでもある」
葦仁先生の瞳に感情の色が戻る。
「最後に一言、過去に戻って彼に言うとしたら?」
マオさんの瞳にも生気が戻る。
「自分にふさわしくない男に、胸のすく捨て台詞を。遠慮なくどうぞ」
期待感に満ちた沈黙は数秒。
「あんたなんか……もう要らない。あんたみたいな男に、私はもったいないから」
言い放ち、マオさんは大きく息を吐いた。
「お帰り。よく出来ました」
葦仁先生が笑みを浮かべて立ち上がる。
時計を見ると、4時5分を指している。開始から1時間16分経過。ちょうどいい時間だ。
「今日のセラピーはこれでおしまい。2回目も受けるなら、次はきみが望む自分になるための手助けをしよう」
「先生……」
向かい合って差し出された葦仁先生の右手を、マオさんが握った。
「ありがとうございます。先生のおかげで……スッキリしました」
「僕は手伝っただけ。きみ自身の力だよ、マオさん」
照れくさそうに微笑むマオさんは、泣いたせいで目が赤い。それでも、いい顔をしていた。
「私、失礼なことも言いましたよね。すみませんでした」
「いや。気に障ることはなかったよ」
葦仁先生がニヤリと笑う。
「僕の言葉はきみの気に障ったようだけど、そのくらいじゃないと届かない。これでも少しは抑えたんだ。若い女性の涙には弱いからね」
それを聞いて、私はつい声を漏らした。もちろん、吹き出しそうになった笑いだ。
「ごめんなさい」
真顔を取り繕って、こっちを向いたマオさんに謝った。
「西園寺さんもありがとう。セラピー、受けてよかった」
「こちらこそ、ありがとうございました」
マオさんの笑顔に、微笑みを返す。
「都合のいい日時があれば、次の予約を入れられますよ」
「じゃあ、入れておこうかな」
「では、カウンターで」
「はい。あ、そうだ」
マオさんが葦仁先生に向き直る。
「先生、もうひとつ聞いていいですか?」
「いくつでも」
「先生はもう、自分にふさわしい恋人って見つけました?」
「見つけたよ。僕の妻だ」
驚きに口を開くマオさん。
気持ちはわかる。
この男と生涯変わらぬ愛を誓うのは、かなり強靭な精神が要りそうだものね。
葦仁先生が既婚者だってことをあえて言わなかったのは、クライアントによってはそのほうが心を開きやすいから。
マオさんみたいに恋に悩む独身者は、話す相手が結婚していると潜在的に引け目を感じる人が多いらしい。
反対に、既婚者のほうが安心する種類の悩みを持つクライアントには、始めからそう言っておくことが多い。
「結婚してたんですね。ちょっと……びっくりです」
「そうかな? もう10年以上経つんだけどね。娘も二人いる」
マオさんが葦仁先生をじっと見つめる。
「奥さんのこと、愛してますか?」
「愛してるよ。彼女は僕のすべてだ」
繋がったまま一瞬固まった視線を緩め、マオさんと葦仁先生は同時に口元をほころばせた。
「羨ましいです」
「ありがとう」
「また来ます」
葦仁先生が頷き、マオさんが軽くお辞儀をする。
ドアを開けて待っていた私は、マオさんとともにセラピールームを後にした。
微かに震える唇から、マオさんが声を絞り出す。
「ひどいこと、言えるわね」
「そのひどいことを、きみは自分にしてるんだ。心当たりがないなら動揺しない。笑い飛ばせるはずだよ」
「あなた……人の悩みを聞くセラピストじゃないの? クライアントを侮辱して楽しいの?」
「悩みを聞いて根拠なく慰めて励ましてほしかったのなら、ここに来たのが間違いだね」
変わらない静かな声にシニカルな笑みを浮かべ、葦仁先生が答える。
「僕はきみの悩みの根源を見つけ、解決策を示す。きみを侮辱するつもりはないけど、傷つけないように言葉を選ぶつもりもない」
葦仁先生を睨みつけるマオさん。
「悩みを失くしたいなら、自分の心をここまで放置してきたツケを払いなよ。我慢してたことを、ぶちまければいい」
マオさんの瞳が揺れる。
「僕が聞く」
葦仁先生とマオさんの視線が絡む。
「当時の最低男の代わりに、僕が聞くよ。だから、怒れ」
それきり、葦仁先生は黙って待つ。
張り詰めた空気に亀裂を入れるのは、マオさんの役目とでもいうように。
「ごめんって言ってくれるだけでよかったのに」
マオさんがボソッと呟いた。
「ただの浮気なら、悪かったって謝ってくれれば許せたのに。そのくらい……好きだったのに」
続きを求めるように、葦仁先生が頷く。
「何であんたが怒るの? 何で私が責められなきゃいけないの? どうして……」
テーブルにマオさんの涙が落ちた。ひとしずく。続けて、ポタポタと。
「私じゃダメなの……? ダメなら……さっさと別れればよかったのに。嫌いになってくれたほうがよっぽどマシ!」
私は静かに腰を上げ、痛みを堪えるような声で言い放つマオさんの横に立った。
「何て言ったの? 僕は、きみに」
感情のこもらない葦仁先生の言葉。
今この時は、マオさんの怒りの対象……悩みのもとになった彼氏の役でいる先生。
演じてるわけじゃないのに乗せられるクライアントが多いのは、葦仁先生の何かが彼らと通じ合うんだろう。
「私よりいい女だから浮気した……って。嫌いじゃないけど、私じゃなくても別にいいって……」
「それから?」
「お前は……女として劣ってるって……だから、そう言われたらもう……どうしようもないじゃない! 私なんて……!」
葦仁先生の目配せをキャッチした。
マオさんが泣き崩れる前に、そっと彼女の腕を取る。
涙で濡れた瞳で私を見るマオさんをイスに腰を下ろすように促し、デスクに用意してあるハンドタオルを渡した。
「ありがと……」
嗚咽を漏らしながらも、マオさんが泣き喚くことはなかった。
自分勝手な男に言われた理不尽な言葉を鼻で笑えるほど強くはない。でも、惨めに感じた過去の自分と向き合えるほどには強い。
このセラピーで、マオさんの悩みは消えるはずだ。
「『私なんて』じゃない。『あんたなんて』だよ」
抑えた泣き声が聞こえなくなったところで、葦仁先生が口を開いた。
「劣ってるのは彼のほうだ」
「そ……れは……」
「認めたからって、彼を好きだったきみの価値は下がらない。苦い経験は誰にでもある」
葦仁先生の瞳に感情の色が戻る。
「最後に一言、過去に戻って彼に言うとしたら?」
マオさんの瞳にも生気が戻る。
「自分にふさわしくない男に、胸のすく捨て台詞を。遠慮なくどうぞ」
期待感に満ちた沈黙は数秒。
「あんたなんか……もう要らない。あんたみたいな男に、私はもったいないから」
言い放ち、マオさんは大きく息を吐いた。
「お帰り。よく出来ました」
葦仁先生が笑みを浮かべて立ち上がる。
時計を見ると、4時5分を指している。開始から1時間16分経過。ちょうどいい時間だ。
「今日のセラピーはこれでおしまい。2回目も受けるなら、次はきみが望む自分になるための手助けをしよう」
「先生……」
向かい合って差し出された葦仁先生の右手を、マオさんが握った。
「ありがとうございます。先生のおかげで……スッキリしました」
「僕は手伝っただけ。きみ自身の力だよ、マオさん」
照れくさそうに微笑むマオさんは、泣いたせいで目が赤い。それでも、いい顔をしていた。
「私、失礼なことも言いましたよね。すみませんでした」
「いや。気に障ることはなかったよ」
葦仁先生がニヤリと笑う。
「僕の言葉はきみの気に障ったようだけど、そのくらいじゃないと届かない。これでも少しは抑えたんだ。若い女性の涙には弱いからね」
それを聞いて、私はつい声を漏らした。もちろん、吹き出しそうになった笑いだ。
「ごめんなさい」
真顔を取り繕って、こっちを向いたマオさんに謝った。
「西園寺さんもありがとう。セラピー、受けてよかった」
「こちらこそ、ありがとうございました」
マオさんの笑顔に、微笑みを返す。
「都合のいい日時があれば、次の予約を入れられますよ」
「じゃあ、入れておこうかな」
「では、カウンターで」
「はい。あ、そうだ」
マオさんが葦仁先生に向き直る。
「先生、もうひとつ聞いていいですか?」
「いくつでも」
「先生はもう、自分にふさわしい恋人って見つけました?」
「見つけたよ。僕の妻だ」
驚きに口を開くマオさん。
気持ちはわかる。
この男と生涯変わらぬ愛を誓うのは、かなり強靭な精神が要りそうだものね。
葦仁先生が既婚者だってことをあえて言わなかったのは、クライアントによってはそのほうが心を開きやすいから。
マオさんみたいに恋に悩む独身者は、話す相手が結婚していると潜在的に引け目を感じる人が多いらしい。
反対に、既婚者のほうが安心する種類の悩みを持つクライアントには、始めからそう言っておくことが多い。
「結婚してたんですね。ちょっと……びっくりです」
「そうかな? もう10年以上経つんだけどね。娘も二人いる」
マオさんが葦仁先生をじっと見つめる。
「奥さんのこと、愛してますか?」
「愛してるよ。彼女は僕のすべてだ」
繋がったまま一瞬固まった視線を緩め、マオさんと葦仁先生は同時に口元をほころばせた。
「羨ましいです」
「ありがとう」
「また来ます」
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