9 / 28
第1章:ダメ男とばかりつき合ってしまう
8. みんな、何かしらと闘ってるんだね
しおりを挟む
「マオさん、あさっての3時に予約を入れていきました」
「彼女は大丈夫そうだ。よかったな」
「そうですね。過去の男に囚われてダメ男としかつき合えないままでいたら、人生ムダにしちゃいますもん」
絵具のチューブをしまいながら視線を感じて顔を上げると、葦仁先生が私を見ていた。
「何ですか?」
「実感がこもってるように聞こえたから。西園寺さんの彼氏はダメ男なのかと思ってね」
私はわざとらしく顔をしかめて見せる。
「私を勝手にセラピーするの、やめてください」
「必要になったらいつでもしてあげるよ」
「けっこうです。私、メンタル弱いですから」
葦仁先生が声を上げて笑う。
信じてないな。まぁ、嘘だけど。
この男相手に心理戦やるほどバカじゃないし、弱みを晒すほど無防備でもない。
自分のプライベートはほとんど話したことないけど、先生の情報はセラピーの中でチラホラ出てくるから少しは知っている。
「先生。奥さんが僕のすべてだって……本当ですか?」
「うん。きみは冗談だと思ったの?」
「いえ。確認しただけです」
冗談だと思った。
マオさんが冷めた目で見ちゃうって言ったことを、あえて口にしてみただけだって。
「愛される覚悟ってやつがあるんですか?」
「そう。僕じゃなく彼女のほうにね」
葦仁先生をまじまじと見つめた。
「おかしいかな? 僕がひとりの女のために生きてるのは」
ハッキリ言っておかしい。
ここで働き始めて約4ヶ月。
セラピーでの持論とクライアントが全く来ない時のちょっとした世間話から、この人は倫理的にも心理的にも利己主義者だと思っていたからだ。
誰のためでもなく自分のために生きろ。
クライアントにそう諭していたこともあるのに。
「正直意外です。先生に奥さんがいるのは聞いてましたけど……そこまでとは」
「意外、ね。きみとは私生活の話をあまりしないからかな」
「してほしいですか?」
「いや。助手としてのきみの能力を把握出来ていれば十分だ」
「私もです。セラピストとしての先生を信頼出来れば、それでいいと思います。あ、そうだ」
片づけの手を止めて、葦仁先生に視線を留める。
「笑っちゃってすみません。マオさんに、若い女性の涙には弱いって言った時に」
「嘘だと思ったの?」
「違います?」
葦仁先生が苦笑する。
「確かに弱くはないな。女が泣くのは8割が演出だと思ってるからね」
「残りの2割は?」
「1割はただの生理現象。1割は感情の結露。これには女も男もないし、黙って見守るしかない。たまに見惚れることもあるよ」
「マオさんの感情は悲しみと悔しさ?」
「それと、憐み。憐憫の情ってやつだ。彼女の場合は自分に対するね」
「自分をかわいそうって思ったら負けです」
つい口にした言葉に、葦仁先生が片方の眉を上げる。
「何に?」
「さあ……臆病な自分とか運命とか。特に相手を想定して言ったわけじゃないですけど」
「みんな、何かしらと闘ってるんだね」
葦仁先生は何と闘っているのか。
みんな何と、何のために闘っているんだろう。
そして、私は。
闘う相手が何なのか、何を求めて闘うのか……今はもうわからない。
すでに闘いを放棄して、ただ流されているだけのような気もする。
「敵じゃない、見えないものが相手だと分が悪いな」
「そう思います」
それきり、葦仁先生はデスクで書類を書き始め、私は絵具の小皿と筆を洗いにキッチンへと向かった。
洗い物を済ませ、入り口のドアの施錠を解除し、プレートを裏返す。
カウンセリング中から受付中へ。
1日に訪れるクライアントの数は、7時間の営業のため多くて4人。平均2人。ひとりも来ない日も月1くらいである。もっとも、週によって2~4日の不規則営業だけど。
今日はもう5時を回ってるから、クライアントは来てもあとひとりか。
両手を上に伸ばして首を回す。
来客のない時間は、すぐに対応できる状態でこの場にいる限り、何をするのも自由だ。
なので、受付カウンターのイスに座ってパソコン画面を見ていることが多い。もちろん、仕事じゃなく暇つぶしのネット閲覧。
この時間、勉強に充てれば資格のひとつでも取れそうだといつも思う。
ドロックが廃業した時は占い師になろうかな。
そう考えるのは、この占いビルにあるほぼすべての店舗で常に占い師および鑑定士を募集してるから。
そして、どの店もわりと繁盛している。
多くの人が、誰かに何かに救いを求めてるんだろう。
たとえ嘘偽りの言葉でも。幸運の欠片を大げさに解釈した明るい未来の予言でも。本人が効くと信じれば絶大な効果を発揮する助言になる。
少なくとも、自分を変えるきっかけにはなりそうだ。
ここドロックも同様。
セラピーを見て楽しみつつ、救われるクライアントを見続けていれば……私も自分を変えたくなるかもしれない。
カウンターに腰を押しつける前に、まずは二人分のコーヒーを淹れようと思ったところで。
入り口の向こうに人影が現れ、ドアが開く。
「いらっしゃいませ」
キッチンへと向かいかけた踵を返し、受付カウンターの中に戻る。
「こんにちは。カラーセラピー研究室『ドロック』にようこそ。助手の西園寺と申します」
私は柔らかな笑みを浮かべ、本日二人目のクライアントを温かく迎えた。
「彼女は大丈夫そうだ。よかったな」
「そうですね。過去の男に囚われてダメ男としかつき合えないままでいたら、人生ムダにしちゃいますもん」
絵具のチューブをしまいながら視線を感じて顔を上げると、葦仁先生が私を見ていた。
「何ですか?」
「実感がこもってるように聞こえたから。西園寺さんの彼氏はダメ男なのかと思ってね」
私はわざとらしく顔をしかめて見せる。
「私を勝手にセラピーするの、やめてください」
「必要になったらいつでもしてあげるよ」
「けっこうです。私、メンタル弱いですから」
葦仁先生が声を上げて笑う。
信じてないな。まぁ、嘘だけど。
この男相手に心理戦やるほどバカじゃないし、弱みを晒すほど無防備でもない。
自分のプライベートはほとんど話したことないけど、先生の情報はセラピーの中でチラホラ出てくるから少しは知っている。
「先生。奥さんが僕のすべてだって……本当ですか?」
「うん。きみは冗談だと思ったの?」
「いえ。確認しただけです」
冗談だと思った。
マオさんが冷めた目で見ちゃうって言ったことを、あえて口にしてみただけだって。
「愛される覚悟ってやつがあるんですか?」
「そう。僕じゃなく彼女のほうにね」
葦仁先生をまじまじと見つめた。
「おかしいかな? 僕がひとりの女のために生きてるのは」
ハッキリ言っておかしい。
ここで働き始めて約4ヶ月。
セラピーでの持論とクライアントが全く来ない時のちょっとした世間話から、この人は倫理的にも心理的にも利己主義者だと思っていたからだ。
誰のためでもなく自分のために生きろ。
クライアントにそう諭していたこともあるのに。
「正直意外です。先生に奥さんがいるのは聞いてましたけど……そこまでとは」
「意外、ね。きみとは私生活の話をあまりしないからかな」
「してほしいですか?」
「いや。助手としてのきみの能力を把握出来ていれば十分だ」
「私もです。セラピストとしての先生を信頼出来れば、それでいいと思います。あ、そうだ」
片づけの手を止めて、葦仁先生に視線を留める。
「笑っちゃってすみません。マオさんに、若い女性の涙には弱いって言った時に」
「嘘だと思ったの?」
「違います?」
葦仁先生が苦笑する。
「確かに弱くはないな。女が泣くのは8割が演出だと思ってるからね」
「残りの2割は?」
「1割はただの生理現象。1割は感情の結露。これには女も男もないし、黙って見守るしかない。たまに見惚れることもあるよ」
「マオさんの感情は悲しみと悔しさ?」
「それと、憐み。憐憫の情ってやつだ。彼女の場合は自分に対するね」
「自分をかわいそうって思ったら負けです」
つい口にした言葉に、葦仁先生が片方の眉を上げる。
「何に?」
「さあ……臆病な自分とか運命とか。特に相手を想定して言ったわけじゃないですけど」
「みんな、何かしらと闘ってるんだね」
葦仁先生は何と闘っているのか。
みんな何と、何のために闘っているんだろう。
そして、私は。
闘う相手が何なのか、何を求めて闘うのか……今はもうわからない。
すでに闘いを放棄して、ただ流されているだけのような気もする。
「敵じゃない、見えないものが相手だと分が悪いな」
「そう思います」
それきり、葦仁先生はデスクで書類を書き始め、私は絵具の小皿と筆を洗いにキッチンへと向かった。
洗い物を済ませ、入り口のドアの施錠を解除し、プレートを裏返す。
カウンセリング中から受付中へ。
1日に訪れるクライアントの数は、7時間の営業のため多くて4人。平均2人。ひとりも来ない日も月1くらいである。もっとも、週によって2~4日の不規則営業だけど。
今日はもう5時を回ってるから、クライアントは来てもあとひとりか。
両手を上に伸ばして首を回す。
来客のない時間は、すぐに対応できる状態でこの場にいる限り、何をするのも自由だ。
なので、受付カウンターのイスに座ってパソコン画面を見ていることが多い。もちろん、仕事じゃなく暇つぶしのネット閲覧。
この時間、勉強に充てれば資格のひとつでも取れそうだといつも思う。
ドロックが廃業した時は占い師になろうかな。
そう考えるのは、この占いビルにあるほぼすべての店舗で常に占い師および鑑定士を募集してるから。
そして、どの店もわりと繁盛している。
多くの人が、誰かに何かに救いを求めてるんだろう。
たとえ嘘偽りの言葉でも。幸運の欠片を大げさに解釈した明るい未来の予言でも。本人が効くと信じれば絶大な効果を発揮する助言になる。
少なくとも、自分を変えるきっかけにはなりそうだ。
ここドロックも同様。
セラピーを見て楽しみつつ、救われるクライアントを見続けていれば……私も自分を変えたくなるかもしれない。
カウンターに腰を押しつける前に、まずは二人分のコーヒーを淹れようと思ったところで。
入り口の向こうに人影が現れ、ドアが開く。
「いらっしゃいませ」
キッチンへと向かいかけた踵を返し、受付カウンターの中に戻る。
「こんにちは。カラーセラピー研究室『ドロック』にようこそ。助手の西園寺と申します」
私は柔らかな笑みを浮かべ、本日二人目のクライアントを温かく迎えた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました
由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。
尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。
けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。
そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。
再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。
一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。
“尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。
静かに離婚しただけなのに、
なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる