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第7章 渦中へ
敵との対面 -1
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回廊の突きあたりの床にぽっかりと開いたその穴の表面は、澄んだ湖水のように静かだった。けれども、そこに水はない。底の見えぬ、今は空気すら存在しない無の空間への出入口。
辺り一面からの鈍い光を映す蒼い穴の表面が、傍らに佇むシキの指令に呼応する。紅い瞳の光を受け、自らその色の光線を発する地上への道となる。
「ジーグ、二人を頼みます」
紅い光の穴から離れ、シキが言った。
「心配は要らん。30時間後には祈りの間に戻る。力の護りを手にな。二人とも、準備はよいか?」
振り返るジーグに、希音と涼醒がうなずいた。
そこにあるはずだった浩司の姿はない。彼の選ぶべき未来は、それと気づかぬうちに過去へと定まって行く時間の流れのどこかで、今は静かに目醒めの時を待っている。
「行くぞ」
ジーグの翻す蒼いマントの裾が、紅く輝く穴に消えた。
「希音。浩司とともに吉報を待っています。もし護りが手に入らなくても、決して無理はせず、明日の夜明けに戻ってください。いいですね?」
シキの真剣な眼差しが、幾多の感情を秘めたキノの瞳を照らす。
「浩司に…浩司が気がついたら、護りは必ず間に合うからって、そう伝えて」
キノはシキから逸らした視線を紅い光に向けると、一瞬の躊躇もせずに床から足を離した。
「ヴァイの奴らに、希音も護りも渡さない。安心して待っててくれ」
涼醒が光へと向かう。
「今回…ジーグが館を離れることは出来ません。浩司が降りないということは、護りのある場所から館まで、希音のそばにいられるのはあなたのみです」
「わかってる。俺もリシールの端くれだ。奴らの力にやられちまうことはない。希音から離れやしないさ」
シキがうなずいた。
「ヴァイのリシールたちは、今はまだ表立ってラシャに反してはいません。けれども、この後どうなっていくのか…。涼醒。あの予言は真実です。あなたが彼らに感化されぬよう願っています」
「…あんたたちには、俺だって反感を持ってる。だけど、あの話は信じてるさ。浩司のこともな」
「くれぐれも気をつけて」
「護りは持ち帰ると、俺からも浩司に言っといてくれ」
涼醒の姿を飲み込んだ紅い穴は、シキの前でたちまちにその光を弱めていく。
やがてそれが普段のようにひっそりと蒼い空間に溶け込むと、シキは一人回廊を後にした。
力の護りが131年ぶりとなるラシャの空気に触れるまでに、この無の空間への口はあと幾度紅く染まるのか。それを知る者はない。地上に暮らす人間たち、そして、ラシャにある紅い瞳を持つ者の中にさえも。
ヴァイに降りることだけ考えなくちゃ、ここから出られないのに…護りを見つけるって思う端から、浩司の姿が頭に浮かぶ。初めて行くこの先の世界に、一緒にいるはずの浩司がいないなんて…。
漂う意識を取り巻く無の空間は、イエルからラシャへ降りた時と同様の不思議な平穏をキノに感じさせる。
気がついたら、ベッドの上にいた。シキはもういなくて、頭を抱えてテーブルに伏せてた涼醒が顔を上げて…浩司は目を閉じたままだった。身体はまだすごく熱いのに、青白い顔は死んでるみたいで…ずっとそばにいて手を握っていたいと思った…。
この道に入り、昂っていたキノの心がようやく落ち着いて来る。
知らない声がして振り向くと、シキと同じ紅い瞳をした男がいて…。
『時間だぞ。いくらおまえが見てようと、こいつが目を開けるわけじゃない。然るべき時に醒める、そういうものだ』
睨みつける私に、彼は…ジーグは笑って言った。
『浩司を喜ばせたいのか、がっかりさせたいのか。おまえはどうしたいんだ?』
何も言えずにいたら、涼醒が黙って私の手を引いて…。
意識がラシャから離れない限り、キノが出口に辿り着くことはない。
浩司を残したまま、ジーグに連れられて無の空間に…。私は護りを手にしたい…浩司のために。浩司が言ってた、希由香のためにしてやれること…護りの力を使って何をするつもりなの? シェラの呪いを解くことじゃなく…? 護りにはそれが出来るはずなのに、それ以外に…希由香のためになることなんかあるの…?
平静さを取り戻したキノの思考は、忘れていた事実を思い出す。
希由香…そうだ、ヴァイのリシールのところには、希由香がいる…! 意識をなくして、それでも浩司を思ってる…私にはわかる。彼女の幸せは、浩司の幸せなしにはありえない。それを知ってる浩司を、私は信じてる。必ず間に合わせなきゃ…護りはヴァイにある。私が見つけるのを、待ってる…。
辺り一面からの鈍い光を映す蒼い穴の表面が、傍らに佇むシキの指令に呼応する。紅い瞳の光を受け、自らその色の光線を発する地上への道となる。
「ジーグ、二人を頼みます」
紅い光の穴から離れ、シキが言った。
「心配は要らん。30時間後には祈りの間に戻る。力の護りを手にな。二人とも、準備はよいか?」
振り返るジーグに、希音と涼醒がうなずいた。
そこにあるはずだった浩司の姿はない。彼の選ぶべき未来は、それと気づかぬうちに過去へと定まって行く時間の流れのどこかで、今は静かに目醒めの時を待っている。
「行くぞ」
ジーグの翻す蒼いマントの裾が、紅く輝く穴に消えた。
「希音。浩司とともに吉報を待っています。もし護りが手に入らなくても、決して無理はせず、明日の夜明けに戻ってください。いいですね?」
シキの真剣な眼差しが、幾多の感情を秘めたキノの瞳を照らす。
「浩司に…浩司が気がついたら、護りは必ず間に合うからって、そう伝えて」
キノはシキから逸らした視線を紅い光に向けると、一瞬の躊躇もせずに床から足を離した。
「ヴァイの奴らに、希音も護りも渡さない。安心して待っててくれ」
涼醒が光へと向かう。
「今回…ジーグが館を離れることは出来ません。浩司が降りないということは、護りのある場所から館まで、希音のそばにいられるのはあなたのみです」
「わかってる。俺もリシールの端くれだ。奴らの力にやられちまうことはない。希音から離れやしないさ」
シキがうなずいた。
「ヴァイのリシールたちは、今はまだ表立ってラシャに反してはいません。けれども、この後どうなっていくのか…。涼醒。あの予言は真実です。あなたが彼らに感化されぬよう願っています」
「…あんたたちには、俺だって反感を持ってる。だけど、あの話は信じてるさ。浩司のこともな」
「くれぐれも気をつけて」
「護りは持ち帰ると、俺からも浩司に言っといてくれ」
涼醒の姿を飲み込んだ紅い穴は、シキの前でたちまちにその光を弱めていく。
やがてそれが普段のようにひっそりと蒼い空間に溶け込むと、シキは一人回廊を後にした。
力の護りが131年ぶりとなるラシャの空気に触れるまでに、この無の空間への口はあと幾度紅く染まるのか。それを知る者はない。地上に暮らす人間たち、そして、ラシャにある紅い瞳を持つ者の中にさえも。
ヴァイに降りることだけ考えなくちゃ、ここから出られないのに…護りを見つけるって思う端から、浩司の姿が頭に浮かぶ。初めて行くこの先の世界に、一緒にいるはずの浩司がいないなんて…。
漂う意識を取り巻く無の空間は、イエルからラシャへ降りた時と同様の不思議な平穏をキノに感じさせる。
気がついたら、ベッドの上にいた。シキはもういなくて、頭を抱えてテーブルに伏せてた涼醒が顔を上げて…浩司は目を閉じたままだった。身体はまだすごく熱いのに、青白い顔は死んでるみたいで…ずっとそばにいて手を握っていたいと思った…。
この道に入り、昂っていたキノの心がようやく落ち着いて来る。
知らない声がして振り向くと、シキと同じ紅い瞳をした男がいて…。
『時間だぞ。いくらおまえが見てようと、こいつが目を開けるわけじゃない。然るべき時に醒める、そういうものだ』
睨みつける私に、彼は…ジーグは笑って言った。
『浩司を喜ばせたいのか、がっかりさせたいのか。おまえはどうしたいんだ?』
何も言えずにいたら、涼醒が黙って私の手を引いて…。
意識がラシャから離れない限り、キノが出口に辿り着くことはない。
浩司を残したまま、ジーグに連れられて無の空間に…。私は護りを手にしたい…浩司のために。浩司が言ってた、希由香のためにしてやれること…護りの力を使って何をするつもりなの? シェラの呪いを解くことじゃなく…? 護りにはそれが出来るはずなのに、それ以外に…希由香のためになることなんかあるの…?
平静さを取り戻したキノの思考は、忘れていた事実を思い出す。
希由香…そうだ、ヴァイのリシールのところには、希由香がいる…! 意識をなくして、それでも浩司を思ってる…私にはわかる。彼女の幸せは、浩司の幸せなしにはありえない。それを知ってる浩司を、私は信じてる。必ず間に合わせなきゃ…護りはヴァイにある。私が見つけるのを、待ってる…。
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