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第一幕 第二場 小さな村にて
第7話
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それから数日、レオはミナの家に世話になっていた。
朝は祖母と一緒に畑へ出かけ、昼は村のあちこちを歩いた。夕暮れには、静かな時間が流れた。何をするというわけでもなく、ただ過ぎていく時の中に、レオは少しずつこの世界の空気に馴染んでいった。
ミナはというと、以前よりもよくレオのそばにいた。言葉は少ないが、視線が時おりレオの口元に向かうのを、彼は気づいていた。
「また、うた?」
ある日、村はずれの小さな川べりで、ミナが尋ねた。
「うたというほどでもないけどね」とレオは苦笑する。「ただ、音をつなげてるだけ」
「音って、そんなふうにできるんだ……」
ミナは水面をじっと見つめていた。流れる音が岩にぶつかり、小さな飛沫をあげている。かすかに、葉擦れの音と鳥のさえずりが混じる。
「ねえ、これも、“うた”になる?」
彼女がそう言って指差したのは、水の流れる音だった。
「なるよ」とレオは答える。「音があって、それをどう感じて、どう並べるか。それだけで“うた”になる」
ミナはしばらく黙って、耳を澄ませていた。やがて、小さく鼻から息を吸い、そっと口を開く。
「……さ……さぁ……しゃ……」
水の音に合わせて、声を重ねているつもりなのだろう。音程はないし、まだ旋律と呼べるものではない。けれど、たしかにそこには、「何かを音にしようとする意志」があった。
レオは思わず笑みを浮かべた。
「うん、それでいいよ」
ミナは照れたように笑ってから、小さく首をかしげる。
「なんだか、声にすると、違うふうに聞こえる」
「それが音楽の入口なんだ」
レオは、少しだけ姿勢を変えて、両手で膝を抱えた。
「声にしたとき、自分の中にある何かが、外に出る。それが“うた”のはじまりだよ」
ミナは言葉の意味をすべて理解できているわけではなかったが、それでも深くうなずいた。
「……レオは、もともと、そういうことをしてたの?」
「うん。もともとは、それが仕事だった」
「仕事?」
「そう。人に、“うた”を作って届ける仕事。……でも、もうそれは、遠い場所の話だね」
遠くを見るようなレオの目に、ミナは少しだけ不思議そうな表情を浮かべた。だが、それ以上は尋ねなかった。
代わりに、小さな石を拾って、川に投げる。石は跳ねずに、そのままぽちゃんと沈んだ。
「うたって、不思議だね。声だけじゃなくて、気持ちも一緒に出てくる感じ」
「そう。音だけじゃなくて、気持ちがある。だから、誰かに届く」
レオの言葉に、ミナは目を丸くする。
「誰かに、届くの?」
「うん。うたは、聞く人がいて、はじめて“音楽”になる」
「おんがく……」
またひとつ、ミナの中に新しい言葉が刻まれた。
「“うた”がいくつもつながって、心に触れるようになると、“音楽”になるんだよ」
レオは、小さく旋律を鼻歌で紡いでみせた。今度は、短くてもはっきりとした流れのあるものだった。ミナは目を閉じて、それを聞く。
風の音、葉のささやき、川のせせらぎ。それらの中に、レオの紡ぐ音がふわりと溶け込んでいく。
「……なんだか、静かじゃないのに、静かに感じた」
「それが“うた”の力だよ」
その日、ふたりは日が傾くまで川辺にいた。
帰り道、ミナは小さく口ずさんでみる。形にはなっていない。だけど、音の断片が、彼女の中に芽吹き始めていた。
レオは、そっとその背中を見守る。
それはまだ誰にも気づかれていない、音楽のはじまりだった。
朝は祖母と一緒に畑へ出かけ、昼は村のあちこちを歩いた。夕暮れには、静かな時間が流れた。何をするというわけでもなく、ただ過ぎていく時の中に、レオは少しずつこの世界の空気に馴染んでいった。
ミナはというと、以前よりもよくレオのそばにいた。言葉は少ないが、視線が時おりレオの口元に向かうのを、彼は気づいていた。
「また、うた?」
ある日、村はずれの小さな川べりで、ミナが尋ねた。
「うたというほどでもないけどね」とレオは苦笑する。「ただ、音をつなげてるだけ」
「音って、そんなふうにできるんだ……」
ミナは水面をじっと見つめていた。流れる音が岩にぶつかり、小さな飛沫をあげている。かすかに、葉擦れの音と鳥のさえずりが混じる。
「ねえ、これも、“うた”になる?」
彼女がそう言って指差したのは、水の流れる音だった。
「なるよ」とレオは答える。「音があって、それをどう感じて、どう並べるか。それだけで“うた”になる」
ミナはしばらく黙って、耳を澄ませていた。やがて、小さく鼻から息を吸い、そっと口を開く。
「……さ……さぁ……しゃ……」
水の音に合わせて、声を重ねているつもりなのだろう。音程はないし、まだ旋律と呼べるものではない。けれど、たしかにそこには、「何かを音にしようとする意志」があった。
レオは思わず笑みを浮かべた。
「うん、それでいいよ」
ミナは照れたように笑ってから、小さく首をかしげる。
「なんだか、声にすると、違うふうに聞こえる」
「それが音楽の入口なんだ」
レオは、少しだけ姿勢を変えて、両手で膝を抱えた。
「声にしたとき、自分の中にある何かが、外に出る。それが“うた”のはじまりだよ」
ミナは言葉の意味をすべて理解できているわけではなかったが、それでも深くうなずいた。
「……レオは、もともと、そういうことをしてたの?」
「うん。もともとは、それが仕事だった」
「仕事?」
「そう。人に、“うた”を作って届ける仕事。……でも、もうそれは、遠い場所の話だね」
遠くを見るようなレオの目に、ミナは少しだけ不思議そうな表情を浮かべた。だが、それ以上は尋ねなかった。
代わりに、小さな石を拾って、川に投げる。石は跳ねずに、そのままぽちゃんと沈んだ。
「うたって、不思議だね。声だけじゃなくて、気持ちも一緒に出てくる感じ」
「そう。音だけじゃなくて、気持ちがある。だから、誰かに届く」
レオの言葉に、ミナは目を丸くする。
「誰かに、届くの?」
「うん。うたは、聞く人がいて、はじめて“音楽”になる」
「おんがく……」
またひとつ、ミナの中に新しい言葉が刻まれた。
「“うた”がいくつもつながって、心に触れるようになると、“音楽”になるんだよ」
レオは、小さく旋律を鼻歌で紡いでみせた。今度は、短くてもはっきりとした流れのあるものだった。ミナは目を閉じて、それを聞く。
風の音、葉のささやき、川のせせらぎ。それらの中に、レオの紡ぐ音がふわりと溶け込んでいく。
「……なんだか、静かじゃないのに、静かに感じた」
「それが“うた”の力だよ」
その日、ふたりは日が傾くまで川辺にいた。
帰り道、ミナは小さく口ずさんでみる。形にはなっていない。だけど、音の断片が、彼女の中に芽吹き始めていた。
レオは、そっとその背中を見守る。
それはまだ誰にも気づかれていない、音楽のはじまりだった。
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