9 / 20
第一幕 第二場 小さな村にて
第8話
しおりを挟む
午後の光が庭先にゆっくりと差し込んでいた。日差しは柔らかく、空気は穏やかで、どこか眠たげだ。ミナの家の縁側に座り込んだレオは、木の枝を削りながら、ふと思う。
この世界の時間は、どこかゆったりと流れている。
焦る気持ちがないわけではない。音楽がないこの世界で、自分にできることは限られている。でも、だからこそ、焦らず伝えなければならないとも感じていた。
「ねえ、レオ」
背後から、ミナの声。振り返ると、彼女は布を抱えて立っていた。
「祖母さまが、今日はあまり畑に出なくていいって」
「そうなんだ」
レオは小さく笑い、膝の上の枝を置いた。
「じゃあ、今日は……少し、“うた”の話をしてみようか」
ミナは目を瞬き、そっと腰を下ろす。
「うたの、話?」
「うん。もっと、ちゃんとした“うた”。“音楽”って言ってもいい」
ミナの表情が、わずかにこわばる。知らない言葉に触れるときの、慎重な反応。けれど、その奥にはたしかな好奇心もあった。
「音楽……。それって、さっきの“うた”とは違うの?」
「似てるけど、少し違うかな。“うた”は、声だけでもできる。でも“音楽”は、もっと広くて、もっと深い」
レオは立ち上がり、家の柱を指さす。
「たとえば、あそこを指で叩いてみるとするよ。こんなふうに」
彼は軽く柱をノックした。コン、と乾いた音が響く。
「音だね」とミナがつぶやく。
「そう。でも、ただ音が鳴るだけじゃ、まだ“音楽”じゃない」
レオはもう一度、今度はリズムをつけて叩いた。コン、コン……コン。少し間をあけて、コン。
「今度は、違って聞こえる?」
「うん。……なんていうか、待つ感じがあった」
「そう、それが“並べ方”なんだ。音を並べることで、意味のようなものが生まれる」
「……でも、言葉じゃないのに?」
レオはうなずいた。
「だからこそ、言葉よりも自由なんだよ。楽しい気持ち、寂しい気持ち、うまく言えない想い。そういうのが、音の“並べ方”で伝わる」
ミナは、自分の膝を見つめながら、しばらく黙っていた。
「じゃあ、レオは……並べるのが上手だったの?」
「そうだといいけどね。たくさんの人に、音を並べて、届けようとしてた」
「その人たちは、喜んだ?」
レオは少し目を伏せる。
「たまには、ね。でも……そうじゃないときも多かった」
「どうして?」
「うーん……わからない。足りなかったのかもしれない、僕の“音楽”が」
その言葉に、ミナは小さくかぶりを振る。
「わたしは、すきだよ。レオの“うた”。……静かで、でもちゃんと聞こえる」
レオは驚いたようにミナを見た。彼女の目はまっすぐで、言葉に飾りはなかった。
「ありがとう」
その一言だけが、やっと口をついて出た。
夕方になるころ、ふたりは森の近くまで足を延ばしていた。
レオは小枝で土の上に、線と点を描いていく。それは五線譜のようにも見えたが、まだ音符のない地図のようだった。
「これが、ぼくが知ってる“音楽”のかたち」
「かたちがあるんだ……」
「うん。でも、形にとらわれすぎると、本当の音が見えなくなることもある」
風が吹いた。葉が揺れる音に、ミナは自然と顔を上げる。
「これを、並べるには……どうしたらいいの?」
「まずは、聞くこと。よく、よく聞いて、その中にある“動き”を感じる」
レオはそっと目を閉じ、ささやくように口ずさんだ。先ほどの風の音をまねるように、でもそこには、どこか旋律のような流れがあった。
ミナは目を細め、彼の隣で耳を澄ます。
少しして、彼女もまた小さく口を開く。
「……ふ、ふわ……は……」
ことばにはならない、けれど感触のある音。
レオは頷いた。「その調子。それが“音楽”の最初の一歩なんだよ」
日は森の向こうに沈みかけていた。
この世界に、まだ誰も知らない「音楽」が、少しずつ形をとろうとしている。
その始まりに立ち会えることを、レオは少しだけ誇らしく思った。
この世界の時間は、どこかゆったりと流れている。
焦る気持ちがないわけではない。音楽がないこの世界で、自分にできることは限られている。でも、だからこそ、焦らず伝えなければならないとも感じていた。
「ねえ、レオ」
背後から、ミナの声。振り返ると、彼女は布を抱えて立っていた。
「祖母さまが、今日はあまり畑に出なくていいって」
「そうなんだ」
レオは小さく笑い、膝の上の枝を置いた。
「じゃあ、今日は……少し、“うた”の話をしてみようか」
ミナは目を瞬き、そっと腰を下ろす。
「うたの、話?」
「うん。もっと、ちゃんとした“うた”。“音楽”って言ってもいい」
ミナの表情が、わずかにこわばる。知らない言葉に触れるときの、慎重な反応。けれど、その奥にはたしかな好奇心もあった。
「音楽……。それって、さっきの“うた”とは違うの?」
「似てるけど、少し違うかな。“うた”は、声だけでもできる。でも“音楽”は、もっと広くて、もっと深い」
レオは立ち上がり、家の柱を指さす。
「たとえば、あそこを指で叩いてみるとするよ。こんなふうに」
彼は軽く柱をノックした。コン、と乾いた音が響く。
「音だね」とミナがつぶやく。
「そう。でも、ただ音が鳴るだけじゃ、まだ“音楽”じゃない」
レオはもう一度、今度はリズムをつけて叩いた。コン、コン……コン。少し間をあけて、コン。
「今度は、違って聞こえる?」
「うん。……なんていうか、待つ感じがあった」
「そう、それが“並べ方”なんだ。音を並べることで、意味のようなものが生まれる」
「……でも、言葉じゃないのに?」
レオはうなずいた。
「だからこそ、言葉よりも自由なんだよ。楽しい気持ち、寂しい気持ち、うまく言えない想い。そういうのが、音の“並べ方”で伝わる」
ミナは、自分の膝を見つめながら、しばらく黙っていた。
「じゃあ、レオは……並べるのが上手だったの?」
「そうだといいけどね。たくさんの人に、音を並べて、届けようとしてた」
「その人たちは、喜んだ?」
レオは少し目を伏せる。
「たまには、ね。でも……そうじゃないときも多かった」
「どうして?」
「うーん……わからない。足りなかったのかもしれない、僕の“音楽”が」
その言葉に、ミナは小さくかぶりを振る。
「わたしは、すきだよ。レオの“うた”。……静かで、でもちゃんと聞こえる」
レオは驚いたようにミナを見た。彼女の目はまっすぐで、言葉に飾りはなかった。
「ありがとう」
その一言だけが、やっと口をついて出た。
夕方になるころ、ふたりは森の近くまで足を延ばしていた。
レオは小枝で土の上に、線と点を描いていく。それは五線譜のようにも見えたが、まだ音符のない地図のようだった。
「これが、ぼくが知ってる“音楽”のかたち」
「かたちがあるんだ……」
「うん。でも、形にとらわれすぎると、本当の音が見えなくなることもある」
風が吹いた。葉が揺れる音に、ミナは自然と顔を上げる。
「これを、並べるには……どうしたらいいの?」
「まずは、聞くこと。よく、よく聞いて、その中にある“動き”を感じる」
レオはそっと目を閉じ、ささやくように口ずさんだ。先ほどの風の音をまねるように、でもそこには、どこか旋律のような流れがあった。
ミナは目を細め、彼の隣で耳を澄ます。
少しして、彼女もまた小さく口を開く。
「……ふ、ふわ……は……」
ことばにはならない、けれど感触のある音。
レオは頷いた。「その調子。それが“音楽”の最初の一歩なんだよ」
日は森の向こうに沈みかけていた。
この世界に、まだ誰も知らない「音楽」が、少しずつ形をとろうとしている。
その始まりに立ち会えることを、レオは少しだけ誇らしく思った。
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
少し冷めた村人少年の冒険記 2
mizuno sei
ファンタジー
地球からの転生者である主人公トーマは、「はずれギフト」と言われた「ナビゲーションシステム」を持って新しい人生を歩み始めた。
不幸だった前世の記憶から、少し冷めた目で世の中を見つめ、誰にも邪魔されない力を身に着けて第二の人生を楽しもうと考えている。
旅の中でいろいろな人と出会い、成長していく少年の物語。
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
【完結】小さな元大賢者の幸せ騎士団大作戦〜ひとりは寂しいからみんなで幸せ目指します〜
るあか
ファンタジー
僕はフィル・ガーネット5歳。田舎のガーネット領の領主の息子だ。
でも、ただの5歳児ではない。前世は別の世界で“大賢者”という称号を持つ大魔道士。そのまた前世は日本という島国で“独身貴族”の称号を持つ者だった。
どちらも決して不自由な生活ではなかったのだが、特に大賢者はその力が強すぎたために側に寄る者は誰もおらず、寂しく孤独死をした。
そんな僕はメイドのレベッカと近所の森を散歩中に“根無し草の鬼族のおじさん”を拾う。彼との出会いをきっかけに、ガーネット領にはなかった“騎士団”の結成を目指す事に。
家族や領民のみんなで幸せになる事を夢見て、元大賢者の5歳の僕の幸せ騎士団大作戦が幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる