感染~殺人衝動促進ウイルス~

彩歌

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後編

13話 そばにいたい人

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倒れそうになる結羽を支えたのは小柄な身体だった。遥人と唇が名を紡ぐ。


「ほら、これ飲んで」


差し出されるのは血。
秋の血だ。
結羽は身体が欲するままにごくりと飲み干していく。


「我慢するなって言ったろ?必要ならこうやって持ってくるんだから」
「こんなこと頼めるわけないでしょ」
「友達なんだから頼れよな」


まだ顔色の悪い結羽を遥人は寝かしつける。


「別室にいた男の子が生き残りなのか?」
「もうひとりいるよ。外国人が連れて帰ったけど」
「レイラだな。あいつのところなら大丈夫だ」
「レイラってそんなに有名なの?」
「有名だな。満に力を貸すよりも、レイラに力を貸すことを俺はオススメするね」
「満は嫌われてるね」
「利己的だからな。ま、結羽なら満に染められることはないさ。雫を師にするんだろ?」


その言葉にうんと結羽は頷いた。


「ねぇ、あの子は元気?」
「元気だよ。よく雨音と遊んでる。時雨とも仲良くしてるな」
それはよかったと結羽はふわりと笑い、眠りにつく。


「……で、なんでお前は出てこないんだよ、雫」
「え、バレてた?」
「バレバレだよ。気づいてるんだろ?結羽と秋のこと」
「まぁね。だから定期的に眠らせて飲ませてたんだよ、これでも」
「拒否しだしたのはいつから?」
「最近だね」
「だから弱ってたんだな」
「今のうちに輸血しとくかな」
「頼む」


てきぱきと用意していく雫に遥人は目を細める。


「……お前は大丈夫なのか?」


「大丈夫って何が?」



まっすぐな視線が絡み合う。


「……人を恨んでいないかってことさ」
「恨んでいるよ。あたしの望みは満と同じだよ」
「人類を滅ぼす、か」
「因果応報、さ」
「俺は違うと思うけどな。優しい人間もたくさんいる」
「それは遥人が幸せなだけ」
「お前も今は“こっち側”だと思うけど」


眩しそうに目を細め、ふるふると雫は首を横に振る。


「あたし、遥人になら殺されてもいいよ」
「バカなこと言うなよ。誰がそんなことするか」
「したほうがいいと思うけどな」
「自覚があるなら満から離れるんだな」

もっともな遥人のことに結羽は苦笑する。

「そうしたほうがいいとわかってはいるんだよ。でも、あんなに優しくて孤独な人をひとりにはできないよ。世界を敵に回してもあたしだけは味方でいたいんだ」


「……だから結羽を育ててるんだな。いつか、暴走した自分たちを止めることができるように」
「遥人はなんでもお見通しだね。香月も秋も優しいから手放すつもりなんだ」


つうと雫の涙が伝う。


「少しは俺にも背負わせろよ、バカ」


遥人も涙ぐんで雫をそっと抱き締めた。


「何が悪いんだろうなぁ。俺は人は誰にでも優しくしたいって欲求があると思うんだよ」
「人の汚い部分を見てるのに、遥人は本当に染まらないね」
「そりゃ人殺しはダメだ。同情する理由があったとしても間違ってる。でも、俺は人は優しい生き物だと思ってるんだよ」
「あたしはそんなの知らないよ」
「嘘言うな、雫。秋と香月の優しさを知ってるじゃないか」

遥人の言葉に雫は押し黙る。

「俺も満さんを悪く言う気はないんだ。彼が人を憎む気持ちを理解できないわけじゃないから。だから満さんを大切に思うなら、雫が満さんを変えろよ。人の温かさを教えてやればいい。好きなんだろ?」
「遥人はなんでも知ってるね」
「雫はすぐにはぐらかすよね。本音を知られることを怖がる」

ゆらゆらと揺れる瞳から涙がつうと流れる。

「……好きだったらさ、嫌われたくないじゃん?言えないよ、人間はいいものだなんてさ。彼を支えているのは人間に対する“憎しみ”の感情だ」
「それじゃあさ、精一杯愛したらいい。幸せで溢れるくらいに」
「それじゃ、あたしのほうがいっぱいもらってるかもしれない」

微かに笑う雫に遥人はうんと頷く。

「作り笑いじゃない顔、久しぶりに見たな」
「幸せってこんな感じ?」
「きっとそうだよ」

じゃあ、またと遥人は去っていく。

「さ、あたしも帰るかな。おやすみ、結羽、秋」

久しぶりに笑いながら雫も結羽の研究所を後にした。


「………雫さん…」


ポツリと悲しげな声が名を呼んだ。



「おかえり、雫」

ぎゅうと強い力で満が雫を抱き締め、肩に顔を埋める。

「どうしたの?不安なの?」

肩が涙で濡れる。頬に触れて雫から優しくキスをする。甘えるように満はキスを返す。

「雫は変わらないで」
「あたしは変わらないよ。約束する」

遥人の言葉を思い出して胸がチクリと痛む。

「例のものは手に入った?」
「ここにあるよ」
「ありがとう。ね、雫。抱きたい。雫を全身で感じたい。いい?」

雫の返事も待たずに満は雫を押し倒す。
返事のかわりに雫は満の背に手を回した。


ごめん、遥人。
この人を変えることはたぶんできないーー。



「これから解剖をするよ。私たちの血も調べる。何が起こったのか知るために」


涙をぼろぼろと溢す秋の背を結羽はそっと優しく撫でてやる。

並べられた冷たくなった雨音と時雨の身体。

その指先がぴくりと動くーー。


ピクリと動く指先に結羽は自らの目を疑った。のろのろと閉ざされていた瞼が開いていく。



「……時雨……?」



震える声で名前を呼ぶ。

「……結羽?」
「そうだよ!生きてるのか!?」
「……はは。そう、みたいだな」
「ーーっ!」

パタパタと涙が時雨の顔に滴り落ちる。

「大丈夫。俺は生きてる。死んでないよ」
「……結羽。雨音も、起きるかな……?」
「確かめよう!」

自分にすがってくる秋に笑いかけて、結羽は雨音の側に寄った。腕に触れ、脈をとる。瞼を開き、ライトで光を当てる。
それらが示す結果はやはり“死”でしかなかった。

「結羽!雨音は!?雨音も起きるよね!?……だって、時雨が起きたんだ。だったら雨音だって……!」

結羽の反応でもう答えはわかっているのだろう。
それでも認めたくなくて、秋は声を張り上げる。

「……秋、やめろ。結羽が困ってるだろう。雨音は、起きないよ。静かに眠らせてやろう?」

雨音の遺体にすがり付き泣き崩れる姿に結羽も時雨も目をそらした。


「……俺はやっぱり“異質”なんだな」
「“特別”だよ。時雨が生き残ったのは絶対意味がある」
「……ずっと夢をみていたんだ。どんな夢か説明しようとしてもうまくは言えないんだけどさ、何かを探していたんだよ」
「何かを探す、か。その何かを見つけられたら状況が変わるのかもしれない」

その言葉に時雨は頷く。

「ひとつ話しておくことがあるんだ。ずっと秘密にしていたことだ。私と秋は姉弟でそろいだ。MIPVは秋の血から作られたと聞いてると思うけど、そうじゃない。本当は私の血から作られている。私の血はウイルスを活性化するんだよ」
「じゃあMIPVのウイルスはどこから来たんだ?結羽の血は活性化させるにしても、そもそもウイルスが存在しないと活性化のしようがない。ウイルスはどこから来た?」
「推測でしかないけど、私たちはMIPVに元々感染している。それを活性化させられたため、発症し、人を殺し死んでいくんだ」
「元々感染していた……?いつから……?」
「それはわからない。ただ間違いなく言えるのは時雨の身体はそれに対応できる何らかの力を持っている。それに、今回の出来事の原因はMIPVじゃない。雨音を殺した秋が生きているのが何よりの証拠だよ」
「これからどうする?」
「時雨の身体を調べる。それで秋の上司に協力を仰ぎ、雫と満を捕まえる」

やはり雫と満との対立は避けられない。

時雨はわかったと返事をし、泣く秋を抱き締めた。



「香澄、それは本当に言ってんの?」
「俺がお前に嘘つく意味ある?」
「や、ないけど。信じられなくて」


時雨が目を覚ました頃、香澄たちは結羽と同じ結論に至っていた。


「まぁ、俺が感染してるかは調べてみないとわからないけどな。俺が無事ならお前たちが誰かに感染させられていたことになる」

そう言うと香澄は立ち上がる。

「どこ行くんだよ?」
「俺の知り合いのとこ。調べてもらいに行くぞ」

スタスタと歩く香澄を真澄が追いかけた。



「時雨が目を覚ましました」
「そう。じゃあそろそろ気がつく頃だね」
「レイラに接触するようです」
「それは面倒だな。殺してきてもらえる?」
「どちらを?」
「出来るならレイラを、だね。ただ彼女は強いから容易ではないけど」
「相討ちでも厳しいですか?」

まっすぐに見つめてくる命にふっと満は笑う。

「お前は僕が死ねと言えば死ぬのかい?」
「はい」
「従順だね。いいね、そういうの嫌いじゃないよ」

嬉しそうに笑う満に命は黙ったままだ。

「いいね、人間味がなくて」
「人間はお嫌いですか?」
「あぁ、大嫌いだよ。滅べば良いと思ってる」

そう言いながら満は愛しそうに雫の髪を撫でる。

「そういう顔もされるのですね」
「雫は僕の“特別”だからね。気分が良いからレイラの弱点を教えてあげる」

ぐいと命の腕を引き、告げる。
命はわかりましたと頷き、身を翻す。


「……み、ちる…?」
「あ、起こしちゃった?まだ早いから寝てていいよ」
「誰かと話してた……?」
「話してないよ。先に目が覚めたからかわいい雫の寝顔見てた」


満の言葉に雫の顔が赤くなる。


「ねぇ、満。あたしに隠し事はしないでね?あたしは満のどんな部分だって全部知っていたい」
「どうしたの?浮気の心配?」

クスクスと笑いながら満は雫を抱き締め、キスをする。

「大丈夫。僕は雫一筋だから」
「浮気の心配じゃないよ。なんか寂しそうに、いや違うかな。悲しそうに見えたから。ねぇ、満。ずっと憎み続けなくても良いんだよ?忘れるって選択肢もあるんだよ?穏やかにふたりで生きていくことだってできるんだ」
「……ありがとう、雫。けど、僕の心は変わらないよ」

その言葉とは裏腹に満の瞳は揺れている。

「こうやってずっと雫のことを閉じ込めていたい。どろどろに甘やかして、僕としか話さなくて、僕しか瞳に映さなくて、雫の世界には僕しかいないようにしたい」
「今も十分そんな感じだと思うよ?」

満はふるふると首を横に振る。所有の証をつけるように雫の首に歯形を残す。痛みに声をあげた雫の唇を吐息ごと奪う。

「雫も同じところまで堕ちてきて。僕しか見えないところまで」

満の愛情を受けながら雫の心は揺れる。

香月の顔が。
秋の顔が。
結羽の顔が。
三人の顔が浮かんで、つうと涙が流れていた。



「よかった!落ち着いたんだね!」
「雫さんが無事でよかった!」

精神が落ち着いたからと雫は二人を迎えに来ていた。お世話になった遥人、時雨、雨音に礼を告げる。遥人だけが暗い顔をしていて、全てを知らせてしまったことを少し後悔した。

「いつでも来て下さい。香月も秋ももう弟みたいなものですから」
「ありがとうございます。またお邪魔しますね」
「今度は雨音たちがうちに遊びに来てよ!ね、雫さん。良いでしょ?」
「それも良いね」

ふわりと笑う顔を見て香月もほっと笑っていた。

「あいつのこと頼むな。満の側にいるのがどういうことか香月ならわかるだろ?」

香月は頷き、遥人も笑う。

幸せな時間が戻ると、このときは秋も香月も信じていた。


「お久しぶりです。雫さんの弟子として一緒に暮らすようになった神代結羽です」
「僕は渡香月です。よろしくお願いします」

雫の指示のもと、研究を進めていく。秋の血にいろいろなウイルス等を与え抗体を作っていく。その抗体から蛋白質を抽出していく。これが薬として開発していく。
結羽はどんな研究をしているのか興味がわき、ふと覗き見た。他意はなくただの興味だった。その研究内容はいかに人を殺せるかという内容だった。使用しているのは秋ではない誰かの血だった。サッと血の気が引いて、身体が震え出す。


これは雫の指示なのか?
結羽の意志なのか?
いや、どちらでも関係ない。
こんなものを外に出してはならない。


「……見たね?」


声が聞こえ、香月は身体を強ばらせる。



「冗談だよー。俺だよ。秋だよ」


あからさまにほっと胸を撫で下ろす香月に秋は首を傾げた。


「そこまでびっくりしなくても。香月、何してたの?手、震えてる。ねぇ、大丈夫?」
「香月いる?って座り込んでどうしたの?顔真っ青だよ」

ひょいと顔を出した雫も慌てて香月に近寄った。


「……ねぇ、雫。結羽は何の研究をしているの?」
「え?急にどうしたの?香月と一緒だよ?」
「嘘だ!」


伸ばされた手を払い、ぽかんとする雫を香月は睨み付ける。


「じゃあこれは何だ!?この内容を見ても雫は同じことを言えるのか!?」
「……なんだ。見ちゃったのか」
「なんだ、じゃないよ!なんでそんな平気な顔をしていられるの!?」
「あたしが本気だからだよ。それに、香月が知ればこんな反応をすると思ってたから」
「否定してもくれないのか?違うって言ってくれないのか!?一緒に夢見たのと真逆じゃないか!?」

悲しげに雫は笑い、首を横に振る。

「香月が見たのは真実だ。あたしは人を恨み、滅ぼそうとしているよ」
「気持ちは変わらないのか?」
「変わらない」
「いつから?」
「姉さんが死んだときからだよ」
「そんなに前からだったのか。じゃあ僕はひとりで夢を語り、ひとりで盛り上がってたんだな」

ぱたぱたと涙が落ちる。

「お前の考えなんか認めない。絶対に邪魔をしてやる。行こう、秋」

戸惑う秋の手を掴む。

「秋の意志を聞きなよ、香月。秋にも選ぶ権利がある」
「秋はどうしたい?」

秋は困ったように雫と香月を見比べる。

「わかりやすく質問をかえようか。秋は人を助けたい?それとも殺したい?」

その質問に秋の表情は曇る。

「難しい質問だったね。ごめんね。答えられないなら香月に着いていきなさい。正しいのは香月のほうだから」

ぎゅうと雫は秋を抱き締める。短い間だったけど一緒にいれて楽しかったよとふわりと笑う。


「香月もありがとう。信じてもらえないかもしれないけどあたしも楽しかった」
「だったら……!」


ふるふると首が横に振られる。


「これ以上お互いを傷つける前に離れよう、香月……大好きだったよ。ずっと一緒にいたかったよ」


キッと睨みながら香月が秋を連れていく。


さよならと雫は小さく涙声で呟いた。


「雫さん?」
「結羽、か。香月と秋は出ていったよ」
「和解はやはりできなかったんですね」
「覚悟はできていたんだ、最初から」
「なら泣くのはやめましょう」
「……どこか行ける場所があればいいけど」
「あなたは敵にも優しいんですね」
「香月も秋も大好きだからね……」


雫は居住区へと戻っていく。


「きっと縁があれば出逢えます……逆に縁がなければ別れが訪れます……」


結羽はそう小さく呟いた。



「香月、これからどうするの?」
「家を借りて、ふたりで暮らそう。お金はあるから大丈夫だよ」
「雫さんは?」
「作戦を考えるよ。あ、でも僕は一般人になるから簡単に会えなくなるのか」


話すふたりの前に一人の男が現れる。


「俺は土居鏡夜という。初めまして、渡香月、立花秋」


香月と秋はお互いをみるが、どちらの知り合いでもない。


「大樹が夢を見た。で、レイラが俺を迎えに寄越した。ってこんな大雑把な説明じゃわかんねーよな。俺たちは味方だ。行き場をなくしたんだろ?悪い目にはあわせないからついてきてもらえるか?」


鏡夜から悪意は感じられない。
だが何者かわからない。
得体の知れないところに秋を連れて行くわけにはいかない。


「悪いけれど僕だけならまだしも、この子を連れていくわけにはいかないよ」

秋を守るように香月は鏡夜の前に立つ。鏡夜はニッと笑う。

「そこですんなり着いてくるようならこちらから願い下げだったよ」
「?どういうこと?」
「試したんだよ、あんたのことを」
「試した……?」
「先に謝っておく。こちらも誰でも迎えられる状態じゃないんだ。まず俺が信用出来ると認めないと連れていくわけにはいけないんだ」
「なるほど。つまり僕らは合格したというわけだね。けれど、僕はあなたを信用してはいないよ?」

何がおかしいのかその言葉に鏡夜は笑う。

「雨宮雫の親友で共に研究をしていたが、彼女の真意を知り別れてきた。研究の要である秋を連れて、ね。秋の血は特別で、何のウイルスに対しても抗体を作れる。立花研究所出身だな。うちにも立花研究所出身のヤツがいるよ。これでどう?」
「なぜ知っている?」
「こちらにも研究材料にされてた人間がいるからね。その能力だよ」

コツコツと足音が近づいてくる。
そこには柔らかな笑みを浮かべた美しい女性がいた。

「レイラ?」
「鏡夜、それではいつまでも信用されませんよ。こんばんは。お初お目にかかります。レイラ・ホワイトと申します。渡さんはひょっとしたら名前で私のことがわかるかもしれませんね」
「わかるもなにも、この国で重要なお仕事をされている人ではありませんか!」
「知っていてもらえて光栄です。あなたがたふたりを見込んでお願いです。雫、ひいては満の企みを妨害するために仲間になってはもらえませんか?」

丁寧に頭を下げるレーヴェンに香月が慌ててる。


「私たちは厚生労働省直轄MIPV対策班です」

レイラに倣うように鏡夜も頭を下げる。

よろしくお願いしますと香月は頭を下げた。


「彼を相棒としてください。少し気難しいですがとても良い子です」
「青空真澄。相棒なんか要らねーけど、レイラが言うから仕方ねー」
「渡香月です。よろしくお願いします」


笑顔で返すと真澄は気まずそうにしている。


「綺麗な目だね。夜空の色だ」
「えー、秋だっけ。秋の髪も紅葉みたいにキレイだよ」
「雫と同じこと言ってる。俺の髪は紅葉の色だから、秋って名前にしたんだって」
「良いプレゼントもらったんだな。雫ってやつのこと好きなんだろ?また一緒にいられるように頑張ろうな!」


すぐに打ち解ける秋と真澄に香月とレイラは頬を弛ませた。



キスをされても、いつも感じるところを触られても雫はぼろぼろと涙を溢すだけだった。

「今日はもうやめとこうか。僕が雫を虐めて泣かせているみたいだ。そういう趣味はないからね」

ぎゅうと強く抱き締める満にごめんと雫は謝る。満は優しく笑いながら指で涙を拭い、ちゅとキスをした。

「雫をここまで泣かせる存在なら消してしまおうか。これからもきっと関わってくるだろう?その度に泣く雫を僕は見たくないよ」

満の言葉に雫は目を丸くする。

「もう会うことはないから大丈夫だよ。今はまだ心の整理ができてないから辛いだけ」
「諦めが良いようには見えないけどね。雫に関わるようなら僕が排除してあげる」

満はゾッとするほど冷たい瞳をしていた。
心がチクリと痛む。

「ねぇ、雫は僕を裏切らないよね?人殺しをやめようとか言わないよね?」

凍てついた瞳で満が問う。

「言わないよ。あたしたちの痛みを忘れたわけじゃない」
「ならその証拠に香月と秋を殺してよ」
「それは……っ!」

ぎゅっと拳を握りしめる雫を満は冷たく見下ろす。

「できないでしょう?」
「……親友だから、できないよ」
「なら、どうやって僕を信じさせてくれるの?ねぇ、友達ってどんな感じなの?僕には雫しかいない。雫も僕だけで良いんじゃないの?」

雫の首に手がかかる。
悲しげに顔は歪んでいる。


「このまま雫を殺したら、雫は僕だけのものになるかな?」
「……満がしたいようにして良いよ」


手に力が入り、首が絞められていく。
このまま死ぬのも悪くないなと自嘲する。
だって。
自分の願いは矛盾だらけなのだから。
人のことを憎みながら、香月や秋を殺したくないと願ってしまう。
人を殺すという目的から考えたらおかしな話だ。
お互いだけを必要とする満のほうが筋が通っている。


「……なんで死にたくないと言わない?僕と一緒に生きたいって言ってくれないんだ?」


手の力が抜けて、満の瞳から涙がこぼれ落ちる。


「僕には雫しかいないんだよ……っ!」


そっと雫は満に触れる。


「雫さえいたら他に何も要らないんだ」
「……うん」
「だから、どこにも行かないで」
「どこにも行かないよ」


幼い子どものように満が雫にすがりつく。
雫は少しでも満の不安が軽くなるように抱き締める。


「好きだよ、満」
「愛してる、雫」


熱に浮かされたように、互いの存在を確かめるように何度も何度もキスを繰り返した。




「やっとできたね。これで計画が進められる」



「ーーターゲットは“椿遥人”だ」


「久しぶりに来たと思ったら、ものすごい厄介ごとじゃねーか」
「文句ならこいつに言って」

香澄はそう言って真澄を指差した。
厄介ごとと言われればその通りかもしれない。否定できないと気弱になる自分がいた。


「名前は?」
「えと、青空真澄」
「真澄がここに来た理由は?」
「相棒の願いを叶えるためだよ」
「相棒の願い?」

真澄はかいつまんで今までの話を男にする。
いつの間にかその男も、なぜか香澄も涙ぐんでいた。

「雨宮雫は有名だったから知ってるよ。同業者なら知らない人はいないんじゃないか。それにしても生きていたんだな。てっきり死んだものとばかり思ってたよ。真澄は直接関係ないのにその人を助けようと思うんだ?」
「香月が助けてって言ったから。その願いを叶えてあげられるのは俺しかいない」
「大切な相棒だったんだな」
「……うん。最初は相棒なんか要らねーって思ってたけど、性格もあわないし、ケンカもしたけど、気が付いたらいつも一緒にいるのが当たり前になってた」

いなくなってから大切さに気づくなんてバカだよなと真澄は泣きそうな顔で笑う。

「そんな相棒を俺は殺してしまったから。せめて願いだけでも叶えたい」
「香澄。雨宮雫の居場所は掴んでるな?」
「日狩満と一緒にいる」
「日狩、か。厄介だな、ホントに」

頷く香澄にそんなに大変なの?と真澄が尋ねるがふたりが渋い顔をしている。

「たぶんお前が考えているよりもっとヤバイ奴だ」
「関係ねーよ。相手がどんな奴だろうと雫を助け出す。あんたらに被害がいかないように守り抜く」

まっすぐな瞳に二人とも息を飲む。

「お前、カッコいいな。気に入った。俺の名前は相楽心さがらしん。気に入った相手にしか名乗らない主義なんだ」 
「じゃあ協力してくれるのか?」
「全力をかけるさ」

力強い言葉に真澄が笑う。

「つい力を貸したくなるだろ、心?」

香澄の言葉に心は大きく頷いた。



武器は大きければ良いというわけではない。
昔は大きければよかったかもしれないが、今はむしろ小型のほうが気づかれにくくて重宝する。

命が愛用するのは長さのある針だった。長めの髪に編み込んでいる、柔軟性に優れた暗殺用の武器だった。

命は人間離れした視覚と聴覚を持ち、それもまた暗殺に向いていた。

ターゲットがひとりになるまで尾行する。 
武器を持ち、じりじりとタイミングを待つ。

ターゲットがひとりになる。
心音も落ち着いて、絶好のチャンスが訪れる。
命は音もなくターゲットに近づいた。


「ーー月が綺麗ですね」
「手が届かないからこそ綺麗なんです」
「振られちゃったね。君の主は案外ロマンチストだ」


ターゲットは、レイラはふふと笑う。


「どうして気づいた?」
「大樹が夢を見たのですよ。君が聴覚、視覚に優れているように大樹は予知夢を見れるのです。立花研究所ではなにか人と違う子が集められていましたから。さて、奇襲は失敗しました。もうお帰りなさい。いえ、満はやめて私のところに来ませんか?」
「……あなたは僕を殺してくれる?」
「いえ。幸せになれるように生きてもらいますよ」
「そんなものは必要ない」


すっと命は小瓶を取り出し割る。中身が広がり、レーヴェンも命も中身を吸い込む。


「これは毒。一人分の解毒薬がある」
「……やってくれましたね」
「満があなたの弱点を教えてくれた。あなたは人を見殺しにできない。自分よりも他人を優先する人間だと」
「僕を助けたらあなたは死に、自分を助けたら僕が死ぬ」


さぁと夜風がふたりの間を吹き抜けていく。


「さぁ、どちらが死ぬ道を選ぶ?」


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