ある時計台の運命

丑三とき

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旅路

アキオ観◉sideJILL

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***旅初日、夜***

違う世界から来たーーー。

そう話す彼はやはり儚く、今にも消え去ってしまいそうだ。この小さな体にどれほどの覚悟を抱え込んでいるのだろう。
心細くて仕方がないはずなのに、私の恩に報いたいと話してくれる。気遣いなどではなく本心からそう言ってくれている彼の姿に、私の心は浮き足立つ。

アキオが成人していると聞いてからこちら、私は今までの行動を振り返っては焦燥感に苛まれていた。

ずっと彼を子供だと思っていたから、小屋では何の配慮もなく服を脱がせたり風呂に入れたり、色々と取り返しのつかない所業をしてしまったような気がしてならない。


そんな生活を幸せだと言ってくれる。



「でも最近、分からなくなる時があるんです。
美味しいとか楽しいとか嬉しいとか、そういう気持ちを共有したりするのが初めてだから。
幸せすぎて、本当に自分が生きているのか分からなくなる時があるんです。
誰か別の人の人生を歩んでいるんじゃ無いかと思ったり、やっぱり夢なのかなって思ったり。本当にここに存在するのか分からなくなる事があるんです。

ジルさん、僕は、ちゃんとここに居ますか?」

アキオはそう続けた。

人攫いの元でどれだけ酷い仕打ちを受けていようと、傷がどれだけ痛もうと、これまで私の前で涙を見せることはなかった。
彼が消え入りそうだと感じていたのは私だけではなかったらしい。おぼつかない現実に自分自身の存在を疑わざるを得なかった彼もまた、何かに押し潰されてしまいそうな日々を送っていたに違いない。


思わず腕に抱き込んだ。

涙を見せてくれたことを、嬉しいと思ってしまうのは不謹慎だろうか。

これまで溜め込んで来たものを私の腕の中で曝けだす彼に、言いようのない感情が生まれる。

温もりは、確かに腕の中にある。
どうしようもなく愛くるしい温もりがここにある。


「アキオ、君はここにいる。ちゃんと存在している。今日、自分の体を躊躇なく傷つける私の事を叱ってくれたのが君だ。先程優しい手つきで背を流してくれたのが君だ。今、私の腕の中で涙を流しているのが君だ」

私は何が何でも彼のことを守らねばならない。
先のことは分からない。
純粋な人間であるアキオの存在が世に知れ渡れば、非道なことを考える輩も出て来ないとは言い切れないだろう。
この世界でいくつも存在が確認されてる実態を持つ精霊ウーシットでさえ、肉体実験の被害を受けた過去がある。
異世界の扉が閉ざされて以降、6000年以上その存在が確認されていない『純粋な人間』となれば、人々の関心は間違いなくアキオに向けられる。

二度とアキオに悲しい思いはさせない。

この世界に居たいと思ってくれているならば、私はこの身を捧げてアキオを守る。
元の世界に帰りたいと望んでいるとしたら、その願いを叶えてやりたい。

出来ることならずっと私の側にいて欲しいが、彼だって元の世界に愛しい人間や思い出の場所があるだろう。
それを取り上げることは出来ない。
せめてアキオが世界を渡ってこちらに来た原因が分かるまでは、私が彼を支えなければ。


穏やかに眠る彼の呼吸が荒くなる事無く、悪夢にうなされていないことを確認して、今後に想いを馳せながら眠りについた。




人々の視線がアキオに向けられている。

イガがアキオを「珍しい容姿」と評したように、薄い眉と唇、彫りが浅く丸みのある目元はこの世界の人間にとって珍しく、思わず目を引く魅力がある。

さらに、子供らしい容姿に反して落ち着いた品のある振る舞いと、時折見せる柔らかい雰囲気が見る者をさらに釘付けにするのだ。

頬を膨らませて食事をするアキオを、周囲の人間がちらちらとうかがっている。
子供を見るように目を細める者が多いが、中には意味ありげな視線を送る者もいる。
食材を切り分けながらその身を隠すように引き寄せると、アキオは突然イガを気遣い出した。
ずっと馬車を引き続けるイガを気の毒に思ったのか、はたまた罪悪感を覚えたのか。「昼は皆で一緒に」という提案に、一同微笑ましく頷いた。

彼には場を和ませる力がある。

私が隊員に作る料理にも興味を示し、城についても色々と質問を投げかけてきた。淡々とした雰囲気の中にも胸を弾ませている様子が見てとれる。

軍に興味があるのだろうか。
ユニコーン姿のイガにも目を輝かせていたし、始祖人の隊員に会わせたらきっと喜ぶだろう。

城の食堂も気に入るかもしれない。
私が作るものとは違い、料理人の作るものは徹底的に栄養が管理され、味も工夫されている。
毎日食べても飽させる事の無い食事で隊員の体を支える、まさに職人技のなす料理だ。

基本的に一般人が城門広場以外に立ち入ることは不可能だが、アキオには今後”時計台問題”に協力して貰うこともあるだろう。
食堂に連れて行くくらいは許して欲しい。


可能であれば私の目の届く範囲で過ごして欲しいが、こればかりは独断で決めることが出来ない。
もしアキオが城下で暮らすことになったら、精霊に見守らせて、何かあれば報告させるか・・・いや、何かあってからでは遅い。

アキオに一切の危害が及ぶ事が無いように、私は彼を守る策を模索し続けた。



アキオは、イガとメテにも真実を話した。

昼食を食べ終えて皆が自然を満喫する中、体を強張らせてこれから自分が話し出すことに神経を張り詰めているアキオが目に入る。
これではせっかくの優美な見晴らしを心から堪能できないだろう。
湖から吹かせた風で頬を優しく撫でると、肩の力が抜けたような表情でこちらを見上げた。意を決したようにひとつ頷き、しっかりと自分の言葉を紡ぎ出す。

彼の声は、力強さと無常が一緒くたにこもる不思議な声だ。暗い闇のような深さもあり、春の陽射しのような柔らかさもある。
聞き手をじんわりと物語に浸らせる力を持っている。


イガとメテの心強い返事に安堵すると同時に、私なぞに儚いアキオを守れるのかという、らしくも無い焦りを感じていた。
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