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湖畔の孤児、祓魔師の愛を悟る
11.大事なもの
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な、なんだろう今の。
体全部が、いや、私を取り巻く空気もが、全て私の鼓動になったかのように大きく跳ねた。
そうかと思えば顔が熱くなってきて、長く湯浴みをした後のような火照りが生まれてくる。
「どうしたパネース」
「い、いえ……お役に立てたなら、よかったです」
これは勉強のしすぎだろうか。勉強をしすぎたら火照りやすくなるのだろうか。そもそも勉強に、「しすぎ」という概念はあるのだろうか。勉強をしたことがなかったから、正解が分からない。知識というのは、あるのとないのでは体質に影響を及ぼすものなのだろうか。
不思議なことに、勉強したら勉強しただけ、分からないことも増えていく。
◆
それからも、毎日勉強に励んだ。
ニエルドさんは相変わらず毎日ここに来て丁寧に教えてくれた。時折彼の表情が苦しげに歪むことがあった。しかし、彼は私が心配すると「大丈夫だ」と笑ってみせる。
その笑顔が、逆に私の胸を締め付けた。
浮かない顔をしている自覚はあった。勉強したぶん知識は増えていくけど、それに比例して分からないことも増えていくし、ニエルドさんの体調も心配だし。
そういう私の様子を見てかどうかは分からないが、ある日ニエルドさんが「気晴らしに行こう」と私を街に誘った。
朝の課題が落ち着いて、一緒にお茶を飲んでいる時だった。
「街へ、ですか?私とニエルドさんが、一緒に……?」
「ああ。今日は休みなんだ。嫌か?」
「そんな!嫌ではありません!でも……私は、街へ行っても、何をしたらいいのか」
「何をしたら楽しいのか楽しくないのか、それを見極めるのも醍醐味だろ?もし街へ行ってなんも楽しくなきゃ、また別のことを実践したらいい。トライ&エラーってやつだ」
「……でも、私」
ニエルドさんは俯く私を覗き込み、「ん?」と言葉を促す。
「その……以前街へ行った時は、みなさん綺麗な格好をしていましたし、ニエルドさんと並んであるくのは……」
「ああ、それだがな……よし、ちょっと待ってろ」
そう言い残してニエルドさんは部屋を出て行き、ほどなくして大きな風呂敷包みを抱えて戻ってきた。結び目を解くと、中から色とりどりの服が現れた。
「こ、これは」
「お前に合うかと思って以前から用意してたんだが……訳あって渡しそびれちまった、というか、なんというか」
珍しく歯切れが悪くなるニエルドさん。彼がこんな風に言い淀むのは滅多にない。"服を用意してくださった"という感謝の気持ちより心配が先走ってしまい、問い詰める形になってしまった。
「訳あって……?あの、もしかしてニエルドさんとってもお疲れなんじゃ…それとも、私がなにか、また失礼な態度をとってしまいましたか?」
今度は私が彼の顔を覗き込むようにすると、彼は頭をガシガシとかいてバツの悪そうな顔をした。
「あーいやいや、違う。悪かった、変に誤魔化しても気を遣わせるよな」
両肩をポンポンと宥めるように叩かれて、促されるまま椅子にかける。今度は恥ずかしそうに、苦笑しながらこう言った。
「以前パネースに浄化魔法をかけた時、ちょっと誤解させちまった節があったろ?覚えてるか?」
「はい、覚えています」
以前、「湯浴みはあまりしないのか?」と言って体を気遣ってくれた。間違いなく私を心配してのひと言であったはずなのに、私は自分が不潔で彼を不快にさせたのだと早合点して、謝って逆に気を遣わせてしまったのだ。
「服を渡したらまた嫌な思いをさせたり、傷つけるんじゃないかと、柄にもなく考え込んでいるうちに結局今まで渡せなかった。お前には『思ったままを話せ』だの『好きなようにしろ』だの言っておいて、俺自身もこの始末だ。まあ笑ってくれて構わん。それで、良ければ受け取ってくれ。もちろん他意はない。パネースに似合うと思ったものを用意しただけだ」
要するにこういうことだろう。私に新しい衣服を渡せば、私はまた自分の身なりを恥じるかもしれない——彼はそう読んで、これまで何も触れずにいてくれたのだ。
確かに以前の私なら、ニエルドさんの予想していた通りだったろう。「穴の空いたよれた服を着る人間なんて魔祓い師の目には醜く映ったに違いない」と、善意を歪んだ形で受け取ったと思う。
彼は私を傷つけまいとして、渡すことさえ迷ってくれていたのだ。
これまで、こんなふうに私のことを思ってくれた人がいただろうか。
数あるうちの一着を手にしてみる。滑らかな布が掌に吸いつく。初めての感触だった。衣服のことはよく分からないが、これが高価なものであることは間違いない。光沢がゆらいで見えたのは、生地のせいではなかった。私の涙が視界全体を滲ませていた。
「ど、どうした!? やっぱり、あんまり嬉しくないか? いや、その……俺はお前の着慣れたそれも十分いいと思ってる。だが世の中には『イメージチェンジ』って概念もあってだな。決してパネースの服を否定したいんじゃなくて……ほら、これなんか、すごく似合うと思うが」
ニエルドさんは不器用な手つきで何着も取り出し、順に私の胸もとへ当ててみせる。
「違うんです、嬉しいんです……こんなにたくさん、わたしのことを考えてくださって、『嬉しい』という言葉よりも、もっともっと嬉しいんです」
「嬉しいのか…?嬉しいんだな?おお、そうか、良かった良かった。ああ目を擦るな、傷がつくだろう」
私の手をそっと退けて服の袖で丁寧に涙を拭いてくれる。
なんでこんなに、丁寧に大事そうに扱ってくれるのだろう。「愛している」という、彼が私に向ける感情は、「大事にする」ということなのだろうか。それで言えば、私だってニエルドさんのことが大事で大事でたまらない。
けれど「愛」という言葉はまだよくわからない。よく分からないままに口にするのは怖い。なにより、自分でも把握していないものを相手にぶつけるのは失礼だ。不誠実だ。
でも、ニエルドさんを大事にしたいという気持ちは何よりも大きい。もしかしたら、「勉強をして世界を知りたい」という私の唯一の目標を乗り越えてしまうほどに大きい感情かもしれない。
だから大事にしよう。ニエルドさんのことも、ニエルドさんにもらったものも全部大事にすれば、いつか愛がわかるかもしれない。
頬にかかる彼の袖のやわらかな摩擦を感じながら、私は言葉を選んだ。
「ニエルドさん、私、一生大事にします。いただいた服も、教えていただいたことも、全部一生大事にします」
彼が浮かべた微笑みは、選んだ言葉が間違いではないことを教えてくれた。
体全部が、いや、私を取り巻く空気もが、全て私の鼓動になったかのように大きく跳ねた。
そうかと思えば顔が熱くなってきて、長く湯浴みをした後のような火照りが生まれてくる。
「どうしたパネース」
「い、いえ……お役に立てたなら、よかったです」
これは勉強のしすぎだろうか。勉強をしすぎたら火照りやすくなるのだろうか。そもそも勉強に、「しすぎ」という概念はあるのだろうか。勉強をしたことがなかったから、正解が分からない。知識というのは、あるのとないのでは体質に影響を及ぼすものなのだろうか。
不思議なことに、勉強したら勉強しただけ、分からないことも増えていく。
◆
それからも、毎日勉強に励んだ。
ニエルドさんは相変わらず毎日ここに来て丁寧に教えてくれた。時折彼の表情が苦しげに歪むことがあった。しかし、彼は私が心配すると「大丈夫だ」と笑ってみせる。
その笑顔が、逆に私の胸を締め付けた。
浮かない顔をしている自覚はあった。勉強したぶん知識は増えていくけど、それに比例して分からないことも増えていくし、ニエルドさんの体調も心配だし。
そういう私の様子を見てかどうかは分からないが、ある日ニエルドさんが「気晴らしに行こう」と私を街に誘った。
朝の課題が落ち着いて、一緒にお茶を飲んでいる時だった。
「街へ、ですか?私とニエルドさんが、一緒に……?」
「ああ。今日は休みなんだ。嫌か?」
「そんな!嫌ではありません!でも……私は、街へ行っても、何をしたらいいのか」
「何をしたら楽しいのか楽しくないのか、それを見極めるのも醍醐味だろ?もし街へ行ってなんも楽しくなきゃ、また別のことを実践したらいい。トライ&エラーってやつだ」
「……でも、私」
ニエルドさんは俯く私を覗き込み、「ん?」と言葉を促す。
「その……以前街へ行った時は、みなさん綺麗な格好をしていましたし、ニエルドさんと並んであるくのは……」
「ああ、それだがな……よし、ちょっと待ってろ」
そう言い残してニエルドさんは部屋を出て行き、ほどなくして大きな風呂敷包みを抱えて戻ってきた。結び目を解くと、中から色とりどりの服が現れた。
「こ、これは」
「お前に合うかと思って以前から用意してたんだが……訳あって渡しそびれちまった、というか、なんというか」
珍しく歯切れが悪くなるニエルドさん。彼がこんな風に言い淀むのは滅多にない。"服を用意してくださった"という感謝の気持ちより心配が先走ってしまい、問い詰める形になってしまった。
「訳あって……?あの、もしかしてニエルドさんとってもお疲れなんじゃ…それとも、私がなにか、また失礼な態度をとってしまいましたか?」
今度は私が彼の顔を覗き込むようにすると、彼は頭をガシガシとかいてバツの悪そうな顔をした。
「あーいやいや、違う。悪かった、変に誤魔化しても気を遣わせるよな」
両肩をポンポンと宥めるように叩かれて、促されるまま椅子にかける。今度は恥ずかしそうに、苦笑しながらこう言った。
「以前パネースに浄化魔法をかけた時、ちょっと誤解させちまった節があったろ?覚えてるか?」
「はい、覚えています」
以前、「湯浴みはあまりしないのか?」と言って体を気遣ってくれた。間違いなく私を心配してのひと言であったはずなのに、私は自分が不潔で彼を不快にさせたのだと早合点して、謝って逆に気を遣わせてしまったのだ。
「服を渡したらまた嫌な思いをさせたり、傷つけるんじゃないかと、柄にもなく考え込んでいるうちに結局今まで渡せなかった。お前には『思ったままを話せ』だの『好きなようにしろ』だの言っておいて、俺自身もこの始末だ。まあ笑ってくれて構わん。それで、良ければ受け取ってくれ。もちろん他意はない。パネースに似合うと思ったものを用意しただけだ」
要するにこういうことだろう。私に新しい衣服を渡せば、私はまた自分の身なりを恥じるかもしれない——彼はそう読んで、これまで何も触れずにいてくれたのだ。
確かに以前の私なら、ニエルドさんの予想していた通りだったろう。「穴の空いたよれた服を着る人間なんて魔祓い師の目には醜く映ったに違いない」と、善意を歪んだ形で受け取ったと思う。
彼は私を傷つけまいとして、渡すことさえ迷ってくれていたのだ。
これまで、こんなふうに私のことを思ってくれた人がいただろうか。
数あるうちの一着を手にしてみる。滑らかな布が掌に吸いつく。初めての感触だった。衣服のことはよく分からないが、これが高価なものであることは間違いない。光沢がゆらいで見えたのは、生地のせいではなかった。私の涙が視界全体を滲ませていた。
「ど、どうした!? やっぱり、あんまり嬉しくないか? いや、その……俺はお前の着慣れたそれも十分いいと思ってる。だが世の中には『イメージチェンジ』って概念もあってだな。決してパネースの服を否定したいんじゃなくて……ほら、これなんか、すごく似合うと思うが」
ニエルドさんは不器用な手つきで何着も取り出し、順に私の胸もとへ当ててみせる。
「違うんです、嬉しいんです……こんなにたくさん、わたしのことを考えてくださって、『嬉しい』という言葉よりも、もっともっと嬉しいんです」
「嬉しいのか…?嬉しいんだな?おお、そうか、良かった良かった。ああ目を擦るな、傷がつくだろう」
私の手をそっと退けて服の袖で丁寧に涙を拭いてくれる。
なんでこんなに、丁寧に大事そうに扱ってくれるのだろう。「愛している」という、彼が私に向ける感情は、「大事にする」ということなのだろうか。それで言えば、私だってニエルドさんのことが大事で大事でたまらない。
けれど「愛」という言葉はまだよくわからない。よく分からないままに口にするのは怖い。なにより、自分でも把握していないものを相手にぶつけるのは失礼だ。不誠実だ。
でも、ニエルドさんを大事にしたいという気持ちは何よりも大きい。もしかしたら、「勉強をして世界を知りたい」という私の唯一の目標を乗り越えてしまうほどに大きい感情かもしれない。
だから大事にしよう。ニエルドさんのことも、ニエルドさんにもらったものも全部大事にすれば、いつか愛がわかるかもしれない。
頬にかかる彼の袖のやわらかな摩擦を感じながら、私は言葉を選んだ。
「ニエルドさん、私、一生大事にします。いただいた服も、教えていただいたことも、全部一生大事にします」
彼が浮かべた微笑みは、選んだ言葉が間違いではないことを教えてくれた。
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