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湖畔の孤児、祓魔師の愛を悟る
13.お出かけ②
しおりを挟む「ああ……好きにして構わん」
「では、失礼します」
人の頭を撫でるのは初めてだけれど、魔獣はたくさん撫でてきたから、きっと大丈夫だろう。色素の薄い茶色の髪を指先で掬い、梳かすように指を通す。
わ、さらさら——。
魔獣とは全然違う。
あまりの心地よさに、何度も何度も指を通してしまう。絹のように滑らかで、どんな上質な絹よりもきっと柔らかい。
ああ、これは……癖になるかも。
ニエルドさんが私の頭をよく撫でる理由がわかった気がした。
大切な気持ちが、もっと大切なものに変わっていく。心臓を羽毛でなぞられているような、ふわりとした感覚。
「すごい、これは……なんというか、ニエルドさん……!」
「ん?」
「アニマルセラピーのような——いえ、でもニエルドさんは動物ではないので……なんと言えばいいのでしょう、とにかく……“良い”です……!」
思ったことを言葉にするというニエルドさんとの約束を守ろうとしたが、私の語彙では表しきれず、とりあえず浮かんだ言葉を口にした。
こういう時、彼は私の気持ちを汲み取ってくれるはず——そう思っていたのだが。
「そうか……“良い”なら、良い……」
ニエルドさんは珍しく、俯いてしまった。
「ニエルドさん?」
「いや……お前に愛でられる日が来るとは、実に感慨深くてな。言葉を失っていた」
愛でる——。
それが今、私がしていることなのだろうか。実感はまだないけれど、ニエルドさんの言う「言葉を失う」というのは、彼にとって良いことなのだろうか。それが何より気になった。
「ニエルドさんも……“良い”感じですか?」
「ああ、とても」
「では、あの……その!私も、たまにこうして撫でても良いですか?」
意を決して尋ねた質問に、彼はあっさりと答えた。
「良いに決まってるだろ」
「よかった……」
世の中は、私が考えていたよりも力を抜いていればよい場面もあるのだと気づいた途端、胸の重しがそっと外れた。
◆
数分ニエルドさんの髪を堪能してから、街へ向かうことになった。
私は転移魔法が使えないので、ニエルドさんが一緒にかけてくれるという。実のところ、私はまだ誰の転移魔法も受けたことがない。転移という体験自体が、初めてだった。
新しい服に身を包み、新しい体験をする——なんと素敵なことだろう。頭ではそう思うのだが、体は正直なもので、緊張している。
「あ、あと五回呼吸しますので、もう少し待ってください」
「それは構わんが、さっきから同じことを何回も言ってるぞ」
湖を前に、ニエルドさんに腰に手を回され、いつでも転移できる体勢。この期に及んで、私は転移に怯えている。
「だって、初めてなものですから……そうだ、もうこの際ニエルドさんのタイミングでやってしまってください。私の気持ちが整うのを待っていたら、日が暮れてしまいます」
「そんなことしたら気絶するんじゃねえか? 安心しろ、転移魔法には自信がある。酔うこともない。怖いなら目を瞑って俺にしがみついてろ。一瞬で終わる」
「し、しがみ……はい、そうします。こう、ですか?」
彼の腰に両腕を回してぎゅっとしがみつくと、鍛え上げられた筋肉が服の上からでもわかる。
「そうだ。そのまま目を瞑ってろ」
「はい……!」
いくぞ、と低い声がした途端、体がふわりと浮いた。
たちまち上下の感覚がわからなくなって慌てると、ぎゅっと圧力がかかった。すぐにニエルドさんだとわかる。分厚い胸板に顔を押し付けて浮遊感に耐えると、ものの数秒で元の感覚に戻った。
「着いたぞ。目を開けてみろ」
目を開ける時も、少しだけ違和感があった。自分の体なのに、自分のものではないような。
そしていざ目を開けると——。
目の前が、人、人、人……。
「ここは街の外れだが、中心へ行くともっと店がある。気に入る場所もあるかもしれん」
そうだった。
かなり前のこと、もう忘れかけていたが、街一番の大きな学校へ行った時、もっと人がいた。何十人、何百人とすれ違ったかも覚えていないくらいだった。
あの時はお金を握りしめ、なんとか学校に入ろうと一人必死だった。けれど今は、ニエルドさんと一緒にいる。心強い反面——以前は見えなかったものも、見えてくる。
賑やかで楽しそうな家族。
仲の良さそうな恋人たち。
何かを言い合いながら歩く学生。
人生だ、人生がある。
彼らが見ている景色を、私は一つも知らない。想像もつかない。
無理もない。
こんなに人がいて、その人から見える景色の一つひとつなど、わかるはずがないのだ。
一瞬心が折れかけた。
世界のことを一つでも多く知りたいと願いながら、今、視界にいる人たちのことが何ひとつわからないという現実に途方に暮れそうになる。
「じゃ、まずこっちだな。行くぞ」
「あ、は、はい!」
ニエルドさんの後をついていく。後ろといっても、彼はおそらく私に歩幅を合わせてくれているのだろう。あっという間に距離が縮まり、ほぼ隣に並んで歩いていた。
魔祓い師様の隣を歩くというのはもしかすると不敬に当たるかもしれない。
散々頭を撫でたりしておいて今更、という声もあると思うが、公衆の面前で不敬を働くのは流石にまずいだろう。
ふたたび一歩距離を取ってみると彼はおもむろに振り返り、手をこちらへ差し出した。
「……え?」
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