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東の祓魔師と側仕えの少年
29.選択肢
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一旦腰掛け、一口茶を飲み落ち着いた。
これから話すことは、ハルオミにとって人生の分岐点になるだろう。
「君が元の世界でどんな風に過ごしていたか、聞いてもいいかい?」
もちろん話したくないことは話さなくていい、そう補足するとハルオミはゆっくりと席を立って私の膝に自ら乗り、言葉を紡ぎ始めた。彼はどこか不安を抱いているような複雑な表情をしていた。
「元の世界ではね、んー…、なんというか……難しかった」
「難しい?」
「うん。自分でも自分がよくわからない。別に、生きるのが辛かったわけじゃないんだけど、なんか難しかった。まず、物心ついた時から僕あまり眠れなくてね、そのせいかずっと頭の中がぼーっとしてて、学校に行くのも、生活するのも、難しかった。こういうの何ていうのかな、生きてることに、"しっくりこない" というか、そんな感じかな……?」
ハルオミは少しずつ記憶を呼び起こし、思い出しながらゆっくり続けた。
「それでもお母さんが生きてた時はそれなりに楽しかった、気がする。アップルパイを作ってあげたり、綺麗な花束を作ってあげたり、体がかたまらないようにマッサージをしてあげたり。お母さんにありがとうって言われるのが嬉しかった。そのために生きてたって思う。でも、そのお母さんがいなくなってしまってからは特に嬉しいことは無かった。やっぱり難しかった、全部。眠るのも、考えるのも、生きるのも全部」
「そうか……」
こちらの世界に転送されてきたからには何かそれ相応の困難があることは想像していたが、彼の抱えていた問題が考えていたよりも重いことに胸を痛めた。
「僕、何でこの世界に来たのかな」
単純な疑問に答えないわけにはいかなかった。
「転送されてくる仕組みは簡単だ」
「そうなの? 僕がなんでここにきたか、フレイヤさん知ってるの?」
「ああ……魂にはそれぞれ形質があり、本来はその形質に見合った世界で生まれ、生活を営み、そして死ぬ。しかしここに転送されてくる異世界人はみな、元の世界の形質とその者の魂の形質が合っていなかった。つまり、魂がその世界を拒否して逃げ出して来た結果、肉体ごと転送されてくるんだよ」
私の説明を噛み砕いているのか、ハルオミは少し考えてからこう結論を出した。
「……じゃあ僕も、生まれる世界を間違えちゃったのかな」
そう言った後のハルオミの表情はとても切なく、言葉にしたことを後悔しているようだった。
「私も最初はそう思っていたんだけれどね、そうじゃないのかもしれない。だってきっと君のお母様にとって、君はなくてはならない存在だったろうから」
私には、なんてことない言葉しか掛けることができない。ハルオミが涙を流していることに気づいたのは、彼自身がそれを隠すように下を向いた時だった。
「ありがとう」
「ハルオミ……」
声を震わせながらハルオミは気丈に続ける。
「でも、僕はきっと、間違いなく、生まれる世界を間違えたんだと思う。だってね、…んー、こういう言い方は良く無いかもしれないけど、僕が生まれなきゃお母さんは生きてたんだ。お父さんも壊れなかったんだ」
「ハルオミ、それは違…」
「ううん、違わない。不思議だけど絶対そうだって分かるんだもの。それに、何よりこの世界は楽しいの。歩くのも、考え事も楽しいよ。ただただ楽しくて嬉しい。びっくりしたり不安になることもあるけど、それも嫌だとか思わない。
僕の魂はここに逃げ出して来て良かったと思う」
ハルオミの涙を指で拭う。私は告げたく無い真実を告げた。
「ハルオミ、逃げ出して来た君の魂と肉体はこの世界に転送された。しかし、それが君の全てでは無いんだ」
「……? つまり、どういうこと?」
「君には選ぶ権利がある。今ならまだ元の世界に戻れるということだ」
「………え」
ハルオミの瞳が揺らいでいる。動揺させてしまった。けれどハルオミの人生における選択肢を私が握り潰すことは絶対にあってはならない。
「異世界の人間にこの世界の人間が魔力を与えた時、異界人は完全にこの世界の人間になる。逆にいうと、それまでは選択できるんだよ。ここで生きるか、元の世界に戻るか。ここで生きると決めた者もいるし、元の世界に戻った異世界人も多いと聞く。君もそういうふうに、自分の人生を選べる」
彼がどの道を選んでも私が何かを口出しする権利は無い。ハルオミの望む通りにするのが、彼を見つけた私の義務だからだ。
ハルオミは、少しだけ、ほんの少しだけ時間を使って考えた。
「戻らないよ」
「……っ、」
ついに幻聴が聞こえ出したのかと思った。自分の都合のいいように改竄された言葉だけが頭に流れ込み、今度こそ魔物に支配でもされてしまったのかと錯覚した。
「ずっとここにいる。パネースさんやイザベラやウラーさんとも仲良くなれたのにお別れは嫌だ。それに何より、フレイヤさんがいない世界は考えられない」
どこまでが現実でどこからが幻聴なのか、誰か教えてくれないか。そう願ってしまうくらい、ハルオミが話すたび全ての言葉のぬくもりに眩暈がした。
「僕やっぱり諦め切れない。フレイヤさんの魔力欲しい。今はだめでも、いつか、何とかしたい。フレイヤさんを呪いから開放したい。どうやったらいいかなんて全然分からないけど、とにかくフレイヤさんと居られなくなるのはだけは絶対だめ、むり、考えられない」
ふるふる頭を振るハルオミ。
私の欲望が生み出した幻想ならどうか醒めないでほしい。
彼はまた少し考えて、私にこう聞いた。
「ねえフレイヤさん、もしフレイヤさんの魔力をもらうことができて僕が完全にこの世界の人間になったら、元の世界の僕はどうなるの? 死んじゃったことになる?」
「いいや。もしハルオミに魔力を与えこちらの世界の人間となった場合、元の世界で、君は……最初から存在しなかったことになる」
私には、こんな非情な真実を伝える事しかできない。どれだけハルオミを悲しませれば気が済むのだ、と自身に呆れ返る。しかし彼は、想定外の返答をよこしたのだった。
「そっか。なら、絶対フレイヤさんの魔力もらわなきゃ」
「……っ! なぜそう思うんだい?」
「だって、お母さんが」
ハルオミが最初から存在しない世界になれば、彼の母は生き続ける。そう考えているのだろうか。
「分かっているのかい? 君の母親の中から、君の記憶がなくなってしまうということだ」
「それでもいい。僕が全部覚えてるもの。僕の中から無くならなければ、完全に無かったことにはならないでしょう? だから僕はフレイヤさんとずっと一緒にいたい」
「ハルオミ……」
なんて強い子だろう。
私は言葉が出なかった。私の中の、知らず知らずのうちに凍っていた部分がほどけて体が楽になる。暗かった心の中に明かりが灯った。
私は彼に何を与えられるだろう。考えてもわからない。全てを彼に捧げたい。小さな体を抱きしめながら、心に誓った。
これから話すことは、ハルオミにとって人生の分岐点になるだろう。
「君が元の世界でどんな風に過ごしていたか、聞いてもいいかい?」
もちろん話したくないことは話さなくていい、そう補足するとハルオミはゆっくりと席を立って私の膝に自ら乗り、言葉を紡ぎ始めた。彼はどこか不安を抱いているような複雑な表情をしていた。
「元の世界ではね、んー…、なんというか……難しかった」
「難しい?」
「うん。自分でも自分がよくわからない。別に、生きるのが辛かったわけじゃないんだけど、なんか難しかった。まず、物心ついた時から僕あまり眠れなくてね、そのせいかずっと頭の中がぼーっとしてて、学校に行くのも、生活するのも、難しかった。こういうの何ていうのかな、生きてることに、"しっくりこない" というか、そんな感じかな……?」
ハルオミは少しずつ記憶を呼び起こし、思い出しながらゆっくり続けた。
「それでもお母さんが生きてた時はそれなりに楽しかった、気がする。アップルパイを作ってあげたり、綺麗な花束を作ってあげたり、体がかたまらないようにマッサージをしてあげたり。お母さんにありがとうって言われるのが嬉しかった。そのために生きてたって思う。でも、そのお母さんがいなくなってしまってからは特に嬉しいことは無かった。やっぱり難しかった、全部。眠るのも、考えるのも、生きるのも全部」
「そうか……」
こちらの世界に転送されてきたからには何かそれ相応の困難があることは想像していたが、彼の抱えていた問題が考えていたよりも重いことに胸を痛めた。
「僕、何でこの世界に来たのかな」
単純な疑問に答えないわけにはいかなかった。
「転送されてくる仕組みは簡単だ」
「そうなの? 僕がなんでここにきたか、フレイヤさん知ってるの?」
「ああ……魂にはそれぞれ形質があり、本来はその形質に見合った世界で生まれ、生活を営み、そして死ぬ。しかしここに転送されてくる異世界人はみな、元の世界の形質とその者の魂の形質が合っていなかった。つまり、魂がその世界を拒否して逃げ出して来た結果、肉体ごと転送されてくるんだよ」
私の説明を噛み砕いているのか、ハルオミは少し考えてからこう結論を出した。
「……じゃあ僕も、生まれる世界を間違えちゃったのかな」
そう言った後のハルオミの表情はとても切なく、言葉にしたことを後悔しているようだった。
「私も最初はそう思っていたんだけれどね、そうじゃないのかもしれない。だってきっと君のお母様にとって、君はなくてはならない存在だったろうから」
私には、なんてことない言葉しか掛けることができない。ハルオミが涙を流していることに気づいたのは、彼自身がそれを隠すように下を向いた時だった。
「ありがとう」
「ハルオミ……」
声を震わせながらハルオミは気丈に続ける。
「でも、僕はきっと、間違いなく、生まれる世界を間違えたんだと思う。だってね、…んー、こういう言い方は良く無いかもしれないけど、僕が生まれなきゃお母さんは生きてたんだ。お父さんも壊れなかったんだ」
「ハルオミ、それは違…」
「ううん、違わない。不思議だけど絶対そうだって分かるんだもの。それに、何よりこの世界は楽しいの。歩くのも、考え事も楽しいよ。ただただ楽しくて嬉しい。びっくりしたり不安になることもあるけど、それも嫌だとか思わない。
僕の魂はここに逃げ出して来て良かったと思う」
ハルオミの涙を指で拭う。私は告げたく無い真実を告げた。
「ハルオミ、逃げ出して来た君の魂と肉体はこの世界に転送された。しかし、それが君の全てでは無いんだ」
「……? つまり、どういうこと?」
「君には選ぶ権利がある。今ならまだ元の世界に戻れるということだ」
「………え」
ハルオミの瞳が揺らいでいる。動揺させてしまった。けれどハルオミの人生における選択肢を私が握り潰すことは絶対にあってはならない。
「異世界の人間にこの世界の人間が魔力を与えた時、異界人は完全にこの世界の人間になる。逆にいうと、それまでは選択できるんだよ。ここで生きるか、元の世界に戻るか。ここで生きると決めた者もいるし、元の世界に戻った異世界人も多いと聞く。君もそういうふうに、自分の人生を選べる」
彼がどの道を選んでも私が何かを口出しする権利は無い。ハルオミの望む通りにするのが、彼を見つけた私の義務だからだ。
ハルオミは、少しだけ、ほんの少しだけ時間を使って考えた。
「戻らないよ」
「……っ、」
ついに幻聴が聞こえ出したのかと思った。自分の都合のいいように改竄された言葉だけが頭に流れ込み、今度こそ魔物に支配でもされてしまったのかと錯覚した。
「ずっとここにいる。パネースさんやイザベラやウラーさんとも仲良くなれたのにお別れは嫌だ。それに何より、フレイヤさんがいない世界は考えられない」
どこまでが現実でどこからが幻聴なのか、誰か教えてくれないか。そう願ってしまうくらい、ハルオミが話すたび全ての言葉のぬくもりに眩暈がした。
「僕やっぱり諦め切れない。フレイヤさんの魔力欲しい。今はだめでも、いつか、何とかしたい。フレイヤさんを呪いから開放したい。どうやったらいいかなんて全然分からないけど、とにかくフレイヤさんと居られなくなるのはだけは絶対だめ、むり、考えられない」
ふるふる頭を振るハルオミ。
私の欲望が生み出した幻想ならどうか醒めないでほしい。
彼はまた少し考えて、私にこう聞いた。
「ねえフレイヤさん、もしフレイヤさんの魔力をもらうことができて僕が完全にこの世界の人間になったら、元の世界の僕はどうなるの? 死んじゃったことになる?」
「いいや。もしハルオミに魔力を与えこちらの世界の人間となった場合、元の世界で、君は……最初から存在しなかったことになる」
私には、こんな非情な真実を伝える事しかできない。どれだけハルオミを悲しませれば気が済むのだ、と自身に呆れ返る。しかし彼は、想定外の返答をよこしたのだった。
「そっか。なら、絶対フレイヤさんの魔力もらわなきゃ」
「……っ! なぜそう思うんだい?」
「だって、お母さんが」
ハルオミが最初から存在しない世界になれば、彼の母は生き続ける。そう考えているのだろうか。
「分かっているのかい? 君の母親の中から、君の記憶がなくなってしまうということだ」
「それでもいい。僕が全部覚えてるもの。僕の中から無くならなければ、完全に無かったことにはならないでしょう? だから僕はフレイヤさんとずっと一緒にいたい」
「ハルオミ……」
なんて強い子だろう。
私は言葉が出なかった。私の中の、知らず知らずのうちに凍っていた部分がほどけて体が楽になる。暗かった心の中に明かりが灯った。
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