神は生贄に愛を宿す

丑三とき

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第一章:生贄

5.日暈と月暈

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 次に目が覚めた時、外は夕焼けだった。

 いつのまにか眠ってしまったことに焦り、慌てて体を起こす。先ほどとは違いすんなりと起き上がれた。枕元に背中を預けて、手をグーパーしたり腕を上げ下げしたりしてみる。

 体の痛みは完全には無くなっていないけど、我慢できる程度になっていた。

「神域、かぁ……」

 大事な話をしていたのに、眠ってしまった。
フェンリス、つらそうだったな。きっとすごく勇気を振り絞って話してくれたんだろう。

 その彼の姿は、ここには無かった。

「ん……いい、匂い」

 胃を刺激する芳醇な香りが鼻腔を満たした。枕元の台に琥珀色のスープの入ったお皿が置かれていた。

 これフェンリスが作ってくれたのかな。
スプーンも一緒に置いてくれているし、いただいても良いのかな。

 でもこの国は食糧不足だと言っていた。そんな簡単に与えられるものをもらってちゃ、ダメなんじゃなかろうか。

 思えば塔の中では粗末な食事ばかりだったけど、生贄を生かすためとはいえ限られた食糧を与えてもらっていたことに変わりはない。
 そう思うと、食べ物を残したりしてとても罰当たりなことをした。

 その生贄も神さま本人が望んでいないんじゃ、なったって仕方ない。

「果てしない命って、言ってたな……」

 半神。永い永い寿命。
 意識の覚醒につれてフェンリスの話が鮮明によみがえってくる。

「本当なのかな」


——ガチャ


 あれこれ難しく考えていると扉が開いた。

 大きな人間が立っていたので反射的にビクッと震えてしまうも、その人間がフェンリスだと分かって安堵した。

「! 悪い、すぐ獣体に……」

「だ、大丈夫!」

 私の一瞬怯えた表情を捉えたのか、すぐに扉を閉めようとした彼を制止する。

「大丈夫。フェンリス、でしょう?  驚いてしまってごめんなさい。怖くない、から…」

 人間体のフェンリスに語りかけると、彼はおそるおそるといった感じに部屋の中に入って来て、ゆっくりと私に近づいた。

「大丈夫か?」

「大丈夫」

 私の返答を聞くと、またゆっくりもう一歩進めた。

「まだ、大丈夫か?」

「うん、大丈夫」

 また一歩進み、また一歩。

「もう少し近づくぞ?」

「うん、近づいて?」

 近づくごとに私に了承を得る姿は、獣体の時よりも犬のようで可愛らしかった。白髪で彫りの深い目は綺麗な緑色をしていて、見た目は人間にしか見えないのに、不思議だな。

 フェンリスは椅子をベッドのそばに持って来て座り、スープを指して、

「毒は入っていない。安心して飲め」

と言った。

「ど、毒なんて、思ってないけど……いいのかな。食糧、限られてるんでしょ?」

「食糧は限られている。だがアマネが食べなくて良い理由にはならない。それにこの食材は神域で採れたものだ。神域では天候・土壌関係なく作物が育つ。人間の育てたものを無理に譲り受けた等ではないから安心しろ」

「そう、なんだ」

「回復しているとはいえいきなり固形物を入れると胃の消化が付いていかない。少しずつ飲んで、胃にものを入れるという行為に慣れろ。"ふわふわのパン"はそれからだ」

 お皿を私の手元まで持って来て、優しく促した。

 私はスプーンでひと掬いしたスープを口元に運び、湯気の出るそれをふうふうと冷ます。唇に当てて温度を確認し、そのままゆっくり吸い、胃に入れる。

 曇っていた体内に栄養が少しずつ染み渡っていくのが分かる。壊死しているも同然のような細胞が、喜び、回復していくのが分かる。

「おいし……」

 塔の中では食べ物の味が分からなかった。
あたたかい神域にいるからか、暖炉のある部屋のベッドの上にいるからか、それともフェンリスが作ってくれたものだからか分からないけど、今まで食べたどんなものよりも、この素朴なスープが美味しく感じた。

「うまいか?」

 心配気に私を覗き込むフェンリスに、「美味しい」と伝えると、ホッとしたような顔で「もっと飲め」と言った。


 私は時間をかけて、ゆっくりとお皿を空にした。フェンリスは側でずっと見守っていてくれた。


 お腹も心も満たされた。
 私たちの間には和やかな空気が流れる。その和やかさの中には、まだ宙吊りになった問題をどちらが先に触れようかという緊張も入り混じっていた。

 先に切り出したのは、やはりフェンリスのほうだった。

「人間の命には限りがある。生きるも死ぬも、本人の望みは尊重されるべきだ」

 彼は人間のことを一番に考えている。神として、人間の尊さに尊さを感じながら神のできる精一杯を注いでいる。彼の言葉からはそういう誠実さが滲み出ていた。

「だが俺はアマネの望みも聞かず、私欲のみで果てしない命を与えた。お前の人間としての尊厳を無視した。謝って許されることでは無い」

「フェンリス……」

 もしも今彼が獣体なら、きっと耳や尻尾を垂らしてシュンと俯いていることだろう。

 そしてフェンリスは、さらに苦しそうな声で聞いてきた。

「アマネ。お前は、異界人だな?」

「!……どうして、それを」

 言うべきか隠しておくべきか、言うならどのタイミングで打ち明ければ良いのか。私が悩んでいたことを、彼は呆気なく言い当てた。

「お前が塔に幽閉されるしばらく前、この世界では日暈にちうんが起きた。陽の周りを光の輪が囲う現象で、月暈と同じように百年ごとにみられる。その日暈の日に、こちらの世界と異界をつなぐ扉が開いた」

「扉?  そういうのが、あるの?」

「我々神が勝手に扉と呼んでいるだけだが、こちらの世界と異世界が繋がる様子は、何も無い壁に突然扉が現れるような異様な現象だ。日暈には異界から生命体が召喚されることもある。が、人間が召喚されることは非常に稀だ。俺が知っているのは虫や鳥のようなごく小さい生命体のみ。太古に人間が招かれたことがあるという話は聞いたことはあるが、この目で見た異界人はお前が初めてだ」

「どうして、私がそうだと……」

「この土地の人間とは匂いが違った」

「におい……じゃあ、塔の中にいる時から、わかっていたの?  異界から、来たと」

「そうだ。それにお前の話す"昔話"も、聞いたことがないものばかりだったしな」

「あ……そういえば、いろんなお話、したね」

 桃太郎もさるかに合戦もこの世界には無いだろうし、私の実家の言い伝えなんてもっと無いだろうし。異界人だと知りながら、あんなふうに優しくしてくれたんだ。

「嫌じゃ、なかったの?  この世界にとっては他の世界の生命体は、異物……なんじゃないの?」

「っ、そのような言葉を使うな!」

 これまでずっと落ち着いていたフェンリスが、いきなり声を荒げた。突然のことにびっくりして、ハッと息を飲んでしまった。

 それを見た彼は慌てて謝った。

「……悪かった、怒鳴ったのではない」

 飼い主に怒られてシュンとしたような目が愛らしく感じた。元はと言えば私が余計な質問を投げてしまったせいなので、彼の肩を落とさせているのを申し訳なく思い謝った。

「ううん、変なことを言ってごめんなさい」

「いや。お前は悪くない。だが神にとって人間は等しく尊い存在だ。異界の者であろうと差別の意など持たぬことは、知っておいて欲しい」

 先ほどまで垂れさせていた目で私を射抜く。その場に縫い留められるような威厳がありながら、一方で無償の愛を感じ、彼が神であることをまざまざと見せつけられたような気持ちになった。

「……ありがとう」

「これからは俺の力の尽くせる限りアマネの望みを叶えよう。お前が元の世界に戻りたいと言うなら、一生をかけてもその術を見つける。それが、俺にできる最大の懺悔だ」

 いくら懺悔をしたって、いくら私の望みを叶えたって、おそらくフェンリスは一生罪悪感から解放されない。神様の一生って、一体どのくらいだろう。途方もなく永いに違いない。だから彼は謝ったんだ。

 寿命が伸びたり生き長らえたりするのは人間にとっては普通喜ばしいことだと思う。でも彼は謝った。

 長い命が続くということは同じだけ苦痛も長く続くということだ。
 百年前に自分が逃したことで亡くなった人間のことを、フェンリスはずっと覚えていた。辛かったろう。苦しかったろう。

 重たい重圧の乗っかった背中に私がさらに重圧を加えてしまった。何年も支えになってもらっていたのに、命も心も助けてもらっていたのに。

 私は、いったい自分がこの先どう生きるべきか分からなかった。牢に閉じ込められて、塔に幽閉されて、生贄になるはずが、なれなくて。元の世界に帰れるのか帰れないのかも分からない。


「……不安、だな」

 思ったことがそのまま口から出てしまっていて、フェンリスの眉がさらに悲痛に歪んだ。

「これから先どうすればいいか分からなくて不安だけど……不思議だ。なぜか怖くないんだ。私は何年も何年も、ずっとフェンリスが支えだった。心の拠り所だった。そんなフェンリスのそばにいれるのは嬉しい。だからもう謝らないでほしい。それが私の一つ目の望みだよ。助けてくれて、ありがとう」

「アマネ…」

 ほんの少しだけ、フェンリスの周りの空気がふっと軽くなった。彼の中で罪悪感が少し薄らいだのかもしれないと思うとすごく嬉しかった。

 そして私は、今一番自分がやるべきことを、彼に望むことにした。

「もうひとつ、私の望みを、言ってもいい?」

「なんでも言ってくれ」


「フェンリスの生贄に、なりたいな」


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