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第二章:村人
19.お供え物
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◆
天界で油を乾かしている間に社の中を案内してもらった。
調理場や寝室があり主に生活を営む場である主殿を中心に、渡り廊下を介して左右に西殿と東殿。上側に北殿があって、南側には敷地の半分ほどの庭が広がっている。
東殿から南に伸びる渡り廊下は離れや納屋につながっているが、この時点でもうどこを通ってきたか忘れてしまった。
「私こんなに方向音痴だったかな。覚えるまでに何日かかかっちゃいそう」
「焦ることはない。社の中は好きに使って構わんから少しずつ覚えろ」
何はともあれ、一通りぐるっと歩いたからかなりいい運動になった。
私が育った神社よりももちろん何倍も敷地があって社も大きいのだけれど、静謐な空気はよく似ていて懐かしくなった。
フェンリスの「休憩がてら茶でも淹れよう」と言う提案に甘えて再び主殿へ戻ると、彼は何故か機嫌が悪そうにため息を吐いた。
「フェンリス…?」
顔を覗き込み様子を伺う。
体調でも悪くなってしまったのだろうか。心配になり、お茶くらいは私が淹れると申し出ようとした時、
「悔しいが、トトの言う通りになった」
と頭を抱えた。
「?」
「"お供え物”だ、アマネ」
「お供え物?」
「結界の入り口に子供が作物を置いて手を合わせている」
「今?」
「ああ」
彼は遠くを見つめて、やれやれと言いたげにお茶の準備を始める。
「結界って、もしかして昨日くぐったアーチ状の石碑?」
「そうだ。結界が神域と人間界との境界になっている。人間から見ればこの場所には社も庭も無く、ただの何もない更地だ」
フェンリスは丁寧に説明してくれるが、私の頭の中はそれどころではなかった。
「子供って……子供が一人でここに来てるの? 親御さんは?」
彼はもう一度どこか遠くを見るように視線をやり、答える。
「……おらんな。一人だ」
「人間界にも雨は降っているんでょう? もう日も傾いてるのに、早く帰らないと」
「心配するな。少し祈れば戻るだろう」
「でも、心配だよ……」
「気が済むまでは祈らせてやれ。無理に帰すこともない」
「確かにそうだけど」
子供が一人で来て、小雨とは言え雨に打たれながらお祈りしているというのは状況的には非常に心配だ。だけどフェンリスの言う通り、お祈りする自由は子供にもある。
ひとまず祈り終えるまで子供を見守ってほしいという私の願いを了承してくれたフェンリスは、結界に注意を向けながらカップにお茶を注いでくれた。
結構歩いて喉が渇いていたので、ありがたくいただくことにした。日本茶よりも紅茶の香りと渋さに似ていて、コクのある風味が鼻に抜けほんの少し気持ちが和らいだ。
ほっこりティータイムのはずなのに、私の意識はフェンリスの言う子供に集中していた。
この土地の人傘は持ってないって言ってたから、おそらく子供もびしょ濡れになっているはずだ。
どこから来たんだろう。遠くから来たのかな。
もう帰らないと日が暮れてしまうんじゃないかな。
何をお祈りしてるんだろう。やっぱトトさんが言った通り、恵みの雨だと思っているのかな。
「アマネ……、おい、アマネ?」
「! ごめん、考え事してた」
余程上の空だったのだろう。フェンリスは心配そうな顔で私の方に触れ名前を呼んでいた。
そして仕方がないとどこか諦めたようにしながら「目を瞑れ」と言ってきた。
「目を? こう?」
言われた通りにすると、大きくて冷たい手が私の額にピタリと触れた。その瞬間、真っ黒だった目の前に鮮やかな映像が流れ込んだ。その眩しさに、閉じている目を細めたほどだ。
社の外には昨日あったはずの祭壇はもう無くて、代わりに小さい男の子が目を瞑って手を合わせ、雨に打たれながら佇んでいた。
その子には見覚えがあった。
「フェンリス、昨日の子だ」
「……そうだな」
儀礼の時に私に石を投げた、確か父親に「ビリエル」と呼ばれていた十歳にも満たぬだろう男の子だった。
「お祈りしてくれてる。お供え物、たくさん持って来てくれてる」
その子の足元には、大根のような根菜や葉野菜が数種類置かれていた。
「これほど多くの供物を持ってくる者も中々無いな」
そう呟き、フェンリスは私への視覚の共有を終了した。
再び真っ黒になった視界から目を開くと、「嫌な予感」を顔に纏った彼が私を見つめていた。
「あの子、あのままじゃお祈りやめないよ」
「奇遇だな、俺もそう思う。……だがアマネ」
「お家まで送って来る!」
「…………」
嫌な予感が的中したように息を吐くフェンリス。私も彼を困らせたいわけじゃない。神様には神様のルールがあるのだろう。
どのくらい人間に介入していいかは私にはまだわからないけど、何も見なかったふりはどうしても出来なかった。
「……じゃあ、せめて傘を届けるだけ! あのままじゃ濡れちゃうから。それならいい?」
フェンリスの目が一瞬だけ泳いだのをめざとく察知し、「お願いします!」と念を押した。
彼は数秒じっくり考え、答えを出してくれた。
「俺も行く、いいな?」
「ほんと? ありがとフェンリス!」
私は許可してくれたありがたさと喜びのあまり、フェンリスに抱きつき礼を言った。
そして一度冷静になると、ある疑問が浮かんだ。
「待って……フェンリスって、姿を人間に見せても良いんだっけ?」
確か昨日の儀礼で人間たちは初めてフェンリスの姿を見たような反応と口ぶりだった。
神様の姿を見られるのは特別な日に限られているからだろう。
フェンリスは、この日何度目かのため息を漏らした。
「……………はぁ」
天界で油を乾かしている間に社の中を案内してもらった。
調理場や寝室があり主に生活を営む場である主殿を中心に、渡り廊下を介して左右に西殿と東殿。上側に北殿があって、南側には敷地の半分ほどの庭が広がっている。
東殿から南に伸びる渡り廊下は離れや納屋につながっているが、この時点でもうどこを通ってきたか忘れてしまった。
「私こんなに方向音痴だったかな。覚えるまでに何日かかかっちゃいそう」
「焦ることはない。社の中は好きに使って構わんから少しずつ覚えろ」
何はともあれ、一通りぐるっと歩いたからかなりいい運動になった。
私が育った神社よりももちろん何倍も敷地があって社も大きいのだけれど、静謐な空気はよく似ていて懐かしくなった。
フェンリスの「休憩がてら茶でも淹れよう」と言う提案に甘えて再び主殿へ戻ると、彼は何故か機嫌が悪そうにため息を吐いた。
「フェンリス…?」
顔を覗き込み様子を伺う。
体調でも悪くなってしまったのだろうか。心配になり、お茶くらいは私が淹れると申し出ようとした時、
「悔しいが、トトの言う通りになった」
と頭を抱えた。
「?」
「"お供え物”だ、アマネ」
「お供え物?」
「結界の入り口に子供が作物を置いて手を合わせている」
「今?」
「ああ」
彼は遠くを見つめて、やれやれと言いたげにお茶の準備を始める。
「結界って、もしかして昨日くぐったアーチ状の石碑?」
「そうだ。結界が神域と人間界との境界になっている。人間から見ればこの場所には社も庭も無く、ただの何もない更地だ」
フェンリスは丁寧に説明してくれるが、私の頭の中はそれどころではなかった。
「子供って……子供が一人でここに来てるの? 親御さんは?」
彼はもう一度どこか遠くを見るように視線をやり、答える。
「……おらんな。一人だ」
「人間界にも雨は降っているんでょう? もう日も傾いてるのに、早く帰らないと」
「心配するな。少し祈れば戻るだろう」
「でも、心配だよ……」
「気が済むまでは祈らせてやれ。無理に帰すこともない」
「確かにそうだけど」
子供が一人で来て、小雨とは言え雨に打たれながらお祈りしているというのは状況的には非常に心配だ。だけどフェンリスの言う通り、お祈りする自由は子供にもある。
ひとまず祈り終えるまで子供を見守ってほしいという私の願いを了承してくれたフェンリスは、結界に注意を向けながらカップにお茶を注いでくれた。
結構歩いて喉が渇いていたので、ありがたくいただくことにした。日本茶よりも紅茶の香りと渋さに似ていて、コクのある風味が鼻に抜けほんの少し気持ちが和らいだ。
ほっこりティータイムのはずなのに、私の意識はフェンリスの言う子供に集中していた。
この土地の人傘は持ってないって言ってたから、おそらく子供もびしょ濡れになっているはずだ。
どこから来たんだろう。遠くから来たのかな。
もう帰らないと日が暮れてしまうんじゃないかな。
何をお祈りしてるんだろう。やっぱトトさんが言った通り、恵みの雨だと思っているのかな。
「アマネ……、おい、アマネ?」
「! ごめん、考え事してた」
余程上の空だったのだろう。フェンリスは心配そうな顔で私の方に触れ名前を呼んでいた。
そして仕方がないとどこか諦めたようにしながら「目を瞑れ」と言ってきた。
「目を? こう?」
言われた通りにすると、大きくて冷たい手が私の額にピタリと触れた。その瞬間、真っ黒だった目の前に鮮やかな映像が流れ込んだ。その眩しさに、閉じている目を細めたほどだ。
社の外には昨日あったはずの祭壇はもう無くて、代わりに小さい男の子が目を瞑って手を合わせ、雨に打たれながら佇んでいた。
その子には見覚えがあった。
「フェンリス、昨日の子だ」
「……そうだな」
儀礼の時に私に石を投げた、確か父親に「ビリエル」と呼ばれていた十歳にも満たぬだろう男の子だった。
「お祈りしてくれてる。お供え物、たくさん持って来てくれてる」
その子の足元には、大根のような根菜や葉野菜が数種類置かれていた。
「これほど多くの供物を持ってくる者も中々無いな」
そう呟き、フェンリスは私への視覚の共有を終了した。
再び真っ黒になった視界から目を開くと、「嫌な予感」を顔に纏った彼が私を見つめていた。
「あの子、あのままじゃお祈りやめないよ」
「奇遇だな、俺もそう思う。……だがアマネ」
「お家まで送って来る!」
「…………」
嫌な予感が的中したように息を吐くフェンリス。私も彼を困らせたいわけじゃない。神様には神様のルールがあるのだろう。
どのくらい人間に介入していいかは私にはまだわからないけど、何も見なかったふりはどうしても出来なかった。
「……じゃあ、せめて傘を届けるだけ! あのままじゃ濡れちゃうから。それならいい?」
フェンリスの目が一瞬だけ泳いだのをめざとく察知し、「お願いします!」と念を押した。
彼は数秒じっくり考え、答えを出してくれた。
「俺も行く、いいな?」
「ほんと? ありがとフェンリス!」
私は許可してくれたありがたさと喜びのあまり、フェンリスに抱きつき礼を言った。
そして一度冷静になると、ある疑問が浮かんだ。
「待って……フェンリスって、姿を人間に見せても良いんだっけ?」
確か昨日の儀礼で人間たちは初めてフェンリスの姿を見たような反応と口ぶりだった。
神様の姿を見られるのは特別な日に限られているからだろう。
フェンリスは、この日何度目かのため息を漏らした。
「……………はぁ」
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