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第二章:村人
26.それぞれの幸せ
しおりを挟むお風呂上がりにタオルで髪をガシガシ乾かしていたら、いつもフェンリスにタオルを奪い取られる。
そして櫛でかなり丁寧に梳かされた後、神力で一瞬にして乾かされる。
いつもの流れで寝る準備を済ませたら、どこからかハサミを取り出したフェンリスに「傷んだ部分を切るぞ」と言われる。
そのまま縁側に連行されたかと思えばフェンリスの目の前に背中を向けて座らされた。
………なんか私、かなりされるがままだなあ。
ちなみに私の髪の毛はいまだに長いままで、いつもフェンリスが邪魔にならないように結んでくれる。
「適当に短く切っちゃっていいよ」と言っても、「勿体無い」の一点張りで甲斐甲斐しく私の髪の毛の世話をする。
よほど黒髪が珍しいのだろう。見たのは私で二人目だと言っていた。
いつもいつも、お風呂上がりにも丁寧にヘアオイルをつけてくれて刺激を与えぬよう乾かしてくれる。おかげで私は枝毛知らずだ。日本でこんな贅沢なメンテナンスをしようものなら月三万はくだらないと思う。
されるがままに毛先を切られながら、今日一日を振り返る。
「トトさん、今日も台風のように賑やかだったね」
「あいつが来ると疲れる」
フェンリスは顔に疲労感を滲ませながら呟く。疲れてるけど楽しそうだった。あの二人、やっぱ仲が良いんだな。
「フェンリスは幸せ?」
ハサミが髪を断つ音が、少しの間途切れた。
「この前私に言ってくれたでしょう? お前の幸せを探せって。フェンリスはどう? 幸せ?」
さらに数秒の沈黙の後、再びシャキ、とハサミの音が聞こえくる。
「……俺は百年以上、余裕がなかった。この土地の人間がこのままでは滅びるかもしれないという懸念は一秒たりとも拭えたことがない。己が幸せかどうかなど、しばらくの間考えたことがなかった」
「そっか」
「だが、お前と出会ってからは確かに幸せだと感じている」
「私と?」
フェンリスはハサミを横に置いてパサパサと切れ毛を払い、ゆっくりと櫛を入れていく。
「あの塔でお前と過ごす時間は幸せだった。こうしてお前の髪を手入れしているこの瞬間も、間違いなくこれが幸せというものだと分かる。お前は俺に幸福をくれた」
彼の幸せの根源が私であるとその低い声が紡いだ瞬間、全身の血を沸かせるように心臓が波打った。一瞬の間呼吸を忘れた。その反応の正体が分からず後ろを振り向いてみる。いつものフェンリスがそこにはいた。
これが、幸せというものなのだろう。
「私もフェンリスと過ごしている時間が幸せ。心がふんわりして、あったかくなる。フェンリスが私に幸せをくれたんだ。お揃いだね、私たち。同じものを同じ相手に与え合ってるっていうことだよね」
こういうのを、なんていうんだっけ。
まるで"幸せ"以外の感情をあの塔に置き忘れてしまったみたいに、私は名前のない不思議な暖かさに酔いしれた。
フェンリスはご機嫌そうに「光栄なことだ」と笑った。
彼はまだ、私を半神にしたことを心のどこかで申し訳なく思っているに違いない。誠実で実直な彼はいつも他者の気持ちばかり優先する。
そんな彼が自分の欲で、自分の意思で私を半神にしてくれた。その事実を絶対に後悔させたくない。
私は「よし」と気を引き締めた。するとフェンリスが笑った。
「ふっ、何を意気込んだかは知らんが、目が閉じそうだぞ。眠いなら眠いと言え」
「ふふっ。ん~、うん。ちょっと眠たいかも」
フェンリスといると安心感からすぐ眠くなっちゃうんだよな~。
笑いながらの正直な申告にフェンリスもまた目を細め、最後に私の髪をひと撫でしていつものように抱え上げた。
抱えられ慣れてしまった自分に複雑な感情を抱き、「もう元気になったから自分で歩ける」と抗議する。
「あの少年よりも華奢な奴が何を言っている」
「え? 私ビリエル君よりも華奢なの?」
「自覚がないのか」
「まだ八歳だよビリエル君。流石にわたしの方が…それに、毎日フェンリスの美味しいご飯食べてるからお肉付いてきた! ほら見て?」
「数日で目に見えるほど肥える訳がないだろう。せめて軽々と抱えられなくなってから言え」
「いじわるだなあフェンリスは」
不貞腐れたように唇を尖らせると、慌てたようにフェンリスがバッと私の顔を見た。
「意地悪……? 俺は今、意地の悪いことを言ってしまったのか。お前を傷つけたのか? すまない。華奢であろうとお前は変わらず美しい。軽く小さな体も愛らしい。決して貧相などという意味ではなく、ただ心配だと……」
「ちがうちがう傷ついてない! 全く傷ついてないから恥ずかしいことあんまり言わないで……」
たまに暴走したように猛省するとフェンリスはこうなる。美しいだの愛らしいだの言われるが私はアラサーの男。あまりにもストレートな感情がくすぐったすぎて直視できず、彼の首元に顔を埋めて羞恥から逃げる。
「傷つけたわけではないのならいいが……」
ぶっきらぼうな感じなのにいきなりあんなふうになるから、心臓がびっくりしてバクバク打ちつける。
「傷ついてないけど…恥ずかしかったから、今日は成体の狼姿で私にもふもふされる刑に処します」
「和やかな刑だな。受けよう」
翌日白い毛だらけの布団を洗濯する羽目になることは承知で、私は大きな大きな狼に抱きつきながら、ふわふわと雲の浮かぶ空を駆け回る夢を見た。
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