神は生贄に愛を宿す

丑三とき

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第三章:天界

32.アマネ観察記録

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—————————side  Fenrisフェンリス ————————


 アマネは働き者だ。

 俺の起床は早いが(元来眠らずとも生きてはいけるが、アマネが来てからは彼とともに毎晩眠るようになった)、ほぼ同時刻にアマネも起きる。

 ただ、彼は起きても数十分は寝台から出ない。"瞬き"とは名ばかりの実に鈍間な瞬きを何度もし、寝惚け眼を擦りながら目を光に慣らす。

 何年も暗がりの中に幽閉されていた後遺症なのか、晴天で朝日が眩しいほどこの時間は長くなる。

 数分後ようやく起き上がりあくびを数度する。その目は虚で、まだ夢の中にいるようにどこか遠くを見つめている。

 そしていつも寝ぼけたまま立ちあがろうとする。決まって膝から崩れ落ちそうになる為、俺はほとんど毎日アマネを抱き止め寝台へ引き戻すのが日課になっている。

 「まだ眠いなら寝ていろ」と毎回言うが、彼は「ん」と力ない返事をしてまた遠くを見つめる。

 そして時間が経つごとに少しずつ焦点が合っていき、初めて舌をもつれさせながら「おはよう」と言葉を発する。


 私はアマネの目が完全に覚めるまでの時間に、彼の髪を梳かし邪魔にならないように結う。

 そして漸く覚醒したかと思えば、「お掃除してくる!」と言って元気良く庭に飛び出す。

 彼は朝飯前に必ず庭先を掃く。幼少期からの習慣だそうだ。

 最初の頃は広い庭全体をくまなく掃いていたが、起きてすぐに取り掛かるため体が覚醒しきっておらず一度転んだことがあった。「頼むからヒヤヒヤさせないでくれ」と懇願し、主殿の周りの平坦な場所だけを掃除するということで折り合いがついた。


 掃除が終わると食卓につく。俺が作った飯を頬袋を膨らませながら美味そうに食ってくれるので作り甲斐がある。

 彼の好物を中心に献立を考えるのは頭の運動にもなるのでわりと好きだ。アマネの顔を眺めながら彼のその日の体調を感じ取り、昼の献立にも頭を巡らす。

 今日は唇の血色は良いが、少し乾燥をしている。後で植物油で保湿をして、昼飯には栄養のある川魚を使った献立にするか。

 アマネのペースに合わせて食べ終え、一緒に食器を洗う。アマネは料理は不得手らしいが片付けや掃除といったことには慣れているそうだ。

 皿を拭きながらアマネが言った。

「フェンリス、今日お庭の草むしりするからさ、笠と長靴と前掛け借りるね」

「それは良いが、時間を決めて取り掛かれよ。以前延々と草をむしり続けていただろう」

「延々とって……二、三時間ちょっとじゃん」

「せめて一時間ごとに休憩をして水分を取れ。いいな?」

「はぁーい」

 返事はやる気無く間延びしているが、アマネは俺の言うことを律儀に聞く。そしてかなり手際がいいので助かっているところもある。

 人間と違って手作業で掃除などしなくとも不要物の除去くらい簡単にできるが、なるべく人間と同じように生活したいという俺の意向にアマネも賛同してくれた。

 ただ、一度始めたら中々やめられないという彼の性格には手を焼くことがある。涼しい時期だからいいものの、暑くなっても尚同じ調子なのであれば対策を考える必要があるかもしれない。

 

 アマネが庭の草むしりをしてくれている間に俺は西殿の側に生えた木を切る。神域は植物の成長が早い為定期的に手入れをしなければならない。

 外仕事をしていると時折村の人間が参りに来るので、アマネは神域の外に出て村人と五分、十分他愛もない立ち話をしたり、作物についての助言をする。最初のうちは俺もカバンに潜みついて行っていたが、危険はないと判断したので一人で行かせている。
 アマネは村人に対して供物は要らないと言っているが、彼らは「お供え物ではなくアマネ様へのお礼」とこじつけて野菜だの茶菓子だのをアマネに持たせる。
 
 界隈では「どの家が一番立派な作物を育てられるか」などという張り合いも行われ始めた。争いでも起きるのではないかと危惧していたが、人間たちは畑を肥やすため工夫をし始め、作物の成長が思わしくなくても、諦めずに村人皆で助言をしあうなど団結も見せ始めた。どうしても解決しないことはアマネに聞きに来る。聞きにきた者はその知恵を独占する訳でもなく、村に広める。

 アマネが村人たちに介入し始めてから、確実に何かが変わっている。彼の真心や誠実な性格が村人に伝染しているようだった。


 そうこうしていると、あっという間に昼食の時間になる。

 「お腹すいたー」と居間に上がり、アマネは俺の調理姿をじっくりと眺める。以前手伝おうとしてくれたことがあったが、調理器具の扱いが危なっかしく、いつ流血してもおかしくない手つきだったので、手伝いはやめて側で見ているように伝えた。
 それからは毎回律儀にこうしてじっと調理風景を見つめる。

 この土地には、アマネにも馴染みのある食材が割とあるらしい。味付けや食生活も似ているようで食べられないものは今のところ無いそうだ。

 朝と同じように頬を膨らませて終始目を細めもぐもぐと小動物のように食べ進めるアマネ。彼の姿を見ていると、昔世話になったあの方を思い出す。

 もうこの世には居ないが、彼も黒い髪をしていた。
初めはアマネの容姿があの方と似ているのが気になって、直に見てみたいと思ったのも塔に行った理由の一つだ。

 しかしアマネを一目見てからは、この小さな少年をどうすれば救えるかとそればかり考えるようになった。

 結局彼を"救えた"のかどうかはまだ分からない。

 今は良くても、この先人間との別れを幾つも経験するだろう。ビリエルという少年と懇意にしている様子は、微笑ましくも心配だった。
 
 だが、目の前の人間さえ救えなければ百年後の未来が明るいはずがないという考えは俺も同じだ。
 今は行く末を見守るしか無い。


 ……と、ここまでは何事もなく平和な時間が流れていたが、急にあいつの気配がして俺は無意識に眉に力を入れていた。

 美味そうに笑顔で飯を食っていたアマネが俺の表情に気づき、「トトさん?」と聞いた。

「そのようだ」

 いつものように俺の許可も得ず瞬間的に食卓に転移してきたトトは、「よっ」っと調子良く挨拶を寄越した。

「おっ、美味そうなもん食ってんじゃ~ん。フェンリスが作ったの?」

「黙れ。帰れ」

「またまたそうやって照れ隠しが苦手なんだから~」

 勝手に隣の椅子へ腰掛けられ気分の悪い俺とは対照的に、向かいに座ったアマネの目は先ほどトトが立っていた場所に向きキラキラと輝いた。

「ヒヒさん、こんにちは!」

「こんにちは、アマネ様」

「ヒヒさんも私のお隣へどうぞ」

「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて」

 アマネはトトの眷属であるヒヒに懐いている。ヒヒは文字通りヒヒである。柔らかい毛に包まれているヒヒはアマネにとって愛らしい存在なのだろう。

「ヒヒさん、ご飯食べ終わったらお膝に抱っこさせてもらってもいいですか?」

「勿論でございます」

「あっ……でも草むしりやり残した場所があったんだった。すぐに終わらせるので、ほんのちょっとだけ待っていてもらってもいいですか?」

「構いませんが、わたくしも草むしりをお手伝いしましょう。そうすれば早く終わります」

「えっ、ほんとうですか!?  ヒヒさんと一緒に草むしりできるなんて……昔話の世界にいるみたい…」

 どんな想像をしているのか知らんが、アマネはぽわっと顔を赤らめた。

 彼の話す「昔話」というのは、犬や猿や雉が人間と手を組んで悪者を成敗したり、握り飯を落とした穴の中で鼠に財宝をもらったり、助けた鶴に恩返しをされたりという、人間の子供が好みそうな内容の話だ。

 それでいえば確かに「ヒヒと草むしり」はアマネにとって心が躍るのかもしれない。

 

 彼は残りの飯も味わって食べ、ヒヒと一緒に庭へくり出た。

 これが何を意味するかと言うと、ヒヒが草むしりを終えるまでしばらくトトはここから立ち去らないということだ。

  ヒヒが嵌め慣れない軍手をうまく扱いながらしゃがみ込んで器用に草を抜き、アマネがそれを見て感嘆の声を上げる。アマネに褒められるたび「恐縮です」と律儀に礼をするヒヒ。

 用もなく冷やかしに来るトトに苦言を呈したくはなるが、アマネの楽しそうな様子を見てしまえば、ため息を吐く程度にとどめるしかなかった。
 
「ため息つくと幸せが逃げるぜ~」

「誰のせいだ」

「俺のせいなの?」

 こいつは常に楽観的で自分勝手で調子がいい。ひと睨みする俺の視線にもお構いなしで、アマネを見つめる。

「しかしアマネ君って、ほんとに可愛いよね~」

「ああ」

「おっ、いいねいいね~。素直じゃん」

「何が言いたい」

「"あいしてる"んだねえ~」

 先日アマネがあの少年に言われた言葉を引用し、揶揄い出した。
 このテンションになったこいつはどんな厄介ごとよりも面倒くさい。

「今日も冷やかしに来ただけか?」

「わお、否定しないんだ。そりゃ否定できないよね~、現にアマネ君半神にしちゃってるもんね~」

「……叡智の神というより疫病神だな。話が済んだなら帰れ」

「ちょっとちょっと、つれないなあ。知ってるかフェンリス、アマネ君、今や天界のアイドルだよ?  みんなもうアマネ君にメロメロなんだから」

「は?」

「早く本当の伴侶にしないと誰かに取られちゃうよ~~」

 アマネが天界で注目されるだろうことは想像できた。異界より渡ってきた人間というだけで貴重な存在で、加えて俺が勝手に半神にしたとあらば格好の話題にされるのは当然だ。

 しかし、取り上げられ方が思っていた方向とは違う……

 確かに、アマネ人間への接し方や一生懸命さは自然と周囲を巻き込み、その人柄に惹きつけられる者は多い。加えて珍しい容姿をしている。
 そう考えると、トト言う意味で話題になるのもおかしくはないのかもしれない。

 不愉快極まりない感情が自分の中で根を張ったのが分かった。


「……でもさ、いつ見ても雰囲気が似てるよね~アマネ様」

 こいつはいつになったら帰るんだ……。

「誰にだ」

「誰にって、お前が一番分かってんじゃん。ナギさんだよ。あの黒髪といい、顔立ちといい。お前もナギさんに似てるからアマネ君を助けたんだろ?」

「いい加減なことを言うな。確かに初めてアマネを見た時は似ていると思った。似ていることで興味を持ったのは事実だ。だが俺は誰と重ねるでも無くアマネというただひとりの存在を大切にしている。もうあの方の名は出すな」

「……んー、それがな~~……そうはいかねえっぽいんだよな~」

「?」

 トトは頭に芽生えた懸念を散らすように髪の毛を掻きむしった。真面目な声色で言葉を発するのは非常に珍しい。

「いやね、今日はガチで用事があって来たのよ」

「そもそも用事がなければ来ないで欲しいが。何の用だ」

「ディワズ様がさぁ……」

「主神がどうかしたのか」

「アマネ君を天界に連れて来いってさ……」

「…………」


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