ブロイエの魔女

榊 香

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狼と魔女

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 奇妙な双務契約の後、丸三日間歩き続けてようやく森を抜けた。

土地勘がないためテオに頼りきりの道中だが、服装や言語の訛り、それから種族の比率などを見ていれば、大体南を目指しているらしいことはなんとなく察せられた。




 グランネーヴェの気候風土は実に簡明だ。

峻峭な北方山脈ノルデンベルクがまたがる北の地は極寒の永久凍土。

ザフ村の位置より少し南に下がった西域ヴェストはノルデンベルクの寒風にさらされながらも辛うじて農作業が可能な常秋の地域。

対して狼種のシェーンヴァルツが位置する東域エストには肥沃な土壌が広がり、農耕の盛んな豊かな地域だ。かつて人間の王が大陸統一を試みた時、真っ先に東の諸種族に協力を要請したというのも頷ける。




そして南域スュド

四つの地域の中で最も文化の混合が進み、かつ土着の種族の個性がうまいぐあいに味を出している魅力的な土地と呼ばれる南域は、唯一流氷のない海が見られることでも有名だ。船は木造でも難なく航行でき、雨季の嵐を除けば最も暮らしやすい土地といっていいだろう。




「ねえ、人魚がいるって本当なの?」




 南へ向かう乗合馬車の中で、拾い聞きした噂をテオにこっそり訪ねてみると、悩むような間の後にきちんと答えが返ってきた。




「……書で読んだことはある。…が、見たことはない」

「行きしなも南を通ったんでしょう?人魚種ローレライってぷかぷか海に浮いてるものだと思ってたけど、案外そうでもなかったのね」

「昔はそうだったらしいがな。……人間の人魚狩りが行われてからめっきり姿を見せなくなったと聞いた」

「へえ……」




 人魚狩り。

耳慣れない言葉だった。




(人魚って、歌うイメージしか覚えてないけれど…)




狩りにあう理由が思いつかない。

昔は船を転覆させる気性の荒いものもいたと聞くが、霞のかかった記憶の中に、人魚に関する悪印象は見つけられなかった。




不思議そうにはめ殺し窓を見上げるシュネーに気づいたのか、ちらりと辺りをうかがうそぶりを見せた後でテオがそっと耳打ちしてきた。




「…いつもの人間の迷信だ。人魚の肉を食べれば不死になるとかなんとか言って」

「肉を…っ!?」




思わず叫びかけるシュネーの口を問答無用でテオがふさぐ。




「阿呆、いくら人間の乗っていない馬車とはいえ人前で大声出すな。目立つだろ」

「ごめんなさい。で、肉って?」




ため息を吐いてシュネーのフードを深く引っ張りなおすテオ。

暴れたことでちょっと集まった視線がすべて離れたのを確認してから、ようやく小声で話し出した。




「その確証もない迷信が流行った結果、密猟者が大量発生したんだよ。言ったよな、昔はもっと人魚が目に見える範囲にいたって。たちまち餌食になった彼女らは、海の深くに身を隠した、らしい」

「抵抗しなかったの?」

「人魚種は魔女一族と違って戦うすべを持たない。100年前の魔女狩りの時みたいに大きな戦争にはならなかったそうだ」

「…戦争?」

「本当、なんにも覚えてないんだな。通称【花紋戦争】、魔女じゃなくても誰もが知ってる」




ひとつ鼓動がはねた。

不吉で、狂おしく胸が締め上げられるような、悲しい音の響き「花紋戦争」。懐にしまっている魔女の骨が微かに熱を持った気がした。




「ちょうど陸種八種統治直後の話だよ。人間の軍勢と魔女一族が戦った戦争。花紋狩りが行われたのに対抗するような戦争だったってうちの古株が言ってた」

「経験者がいるの?」

「100年前だからな。長生きするのはするんだよ。とはいえこないだ死んだけど」

「100年も生きていたんだものね…寿命で?」

「いや―――厄災だ。鎮圧の途中で戦死した。狼種は戦士の一族だから、どんなじいさんでも戦いに出たがるんだよ」

「そう……」




悪いことを聞いてしまったと気まずい空気に沈黙が流れる。しばらくごとごとと車輪の揺れに身を任せていると、ふと車内の様子に目がいった。

やや埃をかぶった木の箱からは色鮮やかな錦がはみだし、それに寄りかかるようにして眠る人がいる。その隣にはせこせこと金の袋を確認する者。その前に座っている騎士らしき身なりの男は、金を数える男を軽蔑した眼差しで眺めていた。

―――騎士らしい男の持つ長剣に目が留まる。

装飾らしい装飾はないが、適度に精緻な模様が刻まれた年代物だ。手入れはこまめにしているのか、ぱっと見たところ錆は見当たらない。




(あの人も、たしか―――)




鈍く光を照り返す長剣を眺めやりながら心の片隅で考える。

あの血と汗を吸いこんだ光の輝きに見覚えがある気がしてならなかった。




(長剣が得意だった。変身したほうが強かろうに、これで皆を守るんだって―――)

(……でも、【あの人】って誰だったかしら。思い出せないけれど、懐かしくて…)

(懐かしくて――楽しくて、面白くて、それで―――……)




なんだっけ?




(まあいいや)




シュネーは無意識にそこで思考を打ち切った。なんとなく、それ以上考えたくなかったのかもしれない。隣で座りこむテオは、気まずい空気をとっくの昔に払拭したようでうとうとと舟をこぎ始めていた。




(私も眠ろうか)




一旦そう思って目をつむったシュネーだったが、ややあって元のようにはめ殺し窓から景色を眺めはじめた。

座ったまま眠れないわけでも、揺れが気持ち悪いわけでもない。

ただ、今眠ってしまうと、あまりよくない夢を見る気がした。―――それだけだ。

途中さしはさまれる御者の案内によれば、目的地のガザまではあと小一時間ほどあるらしい。あのザフ村で目覚めてから約四日の間、怒涛の展開のあまり落ち着いて空を見ることもなかったのだ。今ここでじっくり眺めておくことにしよう。




背中の力を抜いて見上げた空は、高く透き通った快晴だった。

***




ごとごとと心地よい馬車の揺れで、テオはふと目を覚ました。

「―――……」

隣をちらりと伺い見ると、疲れたのかシュネーがこちらに頭を持たせかけて眠りこけている。フードの下から白髪が一房こぼれ落ちているのを目ざとく見つけたテオは、起こさないようにそっとフードの中に入れなおしてやった。

(白い髪に、青い瞳)

ザフ村の教会で初めて会った時、真っ先に飛び込んできた色彩だった。

雪原の中にぽっかりと湖が浮かんでいるような、幻想的な色彩を持つ少女。言い伝えの魔女の生き残り。

(あんたの言ってた魔女の長ってのも、こんなかんじだったのか?じいさん)

今は亡き狼の姿を脳裏に思い浮かべる。暗い影を宿した理知的な瞳は、絶えず誰かを探し求めているようにも見えた。そんな彼が死ぬまでずっと語り続けていた「気高い魔女の族長」の話。

美しく、誇りたかく、優しい魔女だったと言っていた。

100年前の花紋戦争で最後の最後に死んでしまったその魔女も、目の覚めるような蒼穹の色を持っていたという。




蒼穹ブロイエの魔女、か)




止まない厄災。人間の侵攻、重税。これ以上仲間が傷つけられるのは見たくない、まっぴらごめんだ。この隣にいる、偶然手に入れた魔女は、自分たちの救いになるだろうか。―――救いになって、くれるだろうか。

(頼む)

心の中でシュネーに呟いた。

(俺の家族を助けてくれ)




老いた狼の愛した色彩と同じものを持つこの少女なら、なにかしらの救いをもたらしてくれるような気がする。あくまでとんだ希望的観測だが、そう信じたい。

テオだって、狼種を救うためならなんだってする。





―――だが、あの老狼の憂いを含んだ双眸と言の葉が脳裏から離れない、




『―――…を選んだら、よかった』

『お前は私のようにはなるな』

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