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一章 二人の転生者
河原者
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「おっー、壮観だなー」
五歳の夏、ようやく領内の見学が許される。ずっと外の世界に飢えていた。
これまで窓からしか見る事ができなかったリアル戦国時代の人の生きる姿。現代に比べれば何もかもが足りないというのに輝きが違う。例えここが田舎の漁村と言えるような場所であったとしても、皆が前を見ていた。
真新しい木製の建物が数多く軒を連ね、今も何処からかカンコンと音がしてくる。海風に乗ってやってくる潮の匂いに混じって木の匂いまで感じる。活気というか熱というか、それを間近で見られる嬉しさを噛み締めていた。
あそこに見える煙はもしかしたら塩の精製でもしているのだろうか? 立ち昇る煙一つでさえ領内の発展を感じさせる。見る物一つ一つが新鮮に映り、眺めているだけでも飽きが来ない。
今この場だけを見れば、俺が戦国時代にいる事を忘れそうである。
「若、あまりはしゃぐと転びますよ」
「ありがとう。おじさん」
「そのおじさんと言う呼び方、止めてくれませんか」
本当は一人で出歩きたかったが、そこまでは許してもらえなかった。本日は案内役兼護衛として親戚の畑山 元明が付いてくれている。まだまだ若そうに見えるが、俺と同じ年の子供がいる父親だ。畑山家は我が安芸家の強力な分家であり、直近でも曽祖父を畑山家から迎え入れたほどの繋がりがある(応仁の乱で当主死亡)。つまりお爺様から見れば彼は従兄弟の関係に当たり、一番信用のできる親族と言える。
俺も俺でこうした事情を聞かされているので、気軽に親戚のおじさんとして接しているつもりだが……真面目な性格なのだろう。引率の先生のような立場を崩そうとしない。
今回のお出かけで市場調査と称して買い食いをするつもりであったが、この調子では駄目そうだ。町中には思った以上にお店があるのに中に入れないのが残念である。
「そんな目をしても駄目ですよ。若の食事はきちんと準備していているので、それまで我慢してください」
「ちぇっー」
仕方ない。こういうのは次回以降の楽しみだな。
「なめた真似してんじゃねぇぞ!」
「そう言えばおじさん……あれ? 喧嘩か?」
道幅が少し狭くなり、デコボコも増えて歩き難くなったなと思い始めた頃、会話を途切れさせるには充分な荒げた声が飛び込んでくる。
網のお陰で荒っぽい海の男が増えたからか、通りに活気はあるがその分品は良くないなとは思っていた。実際、昼間から飲んでいる男を道中で何度か見かけたほどだ。気が大きくなればこういう事もあるだろう。所詮はゴロツキ同士の喧嘩だ。それなら部外者は余計な事はしない方が良い。ただ……こういった時、例えば人死にのような万が一の事件も起こる可能性もある。そういった懸念から、現場を確認すべく元明おじさんと共に急行した。
そこで見た光景はある意味衝撃的な場面となる。
「若、今胸ぐらを掴まれている少年は河原者ですぞ。関わる必要はありません」
遅れて到着した俺を庇うように位置しながら、息の荒い俺へと元明おじさんが冷静に囁く。
「おいっ、ガキ。さっき俺から盗んだ物を返しやがれ!」
現場は明らかに酔っ払いと思われる漁師風の男が十歳くらいの少年を掴み持ち上げていた。息が苦しいのか苦痛の表情を浮かべながらも、何とか逃れようと必死で体を動かしている。普通に見れば、大の大人が子供を虐めているようにしか見えない。
けれども、通り過ぎる人達はそれを一切咎めない。むしろ、睨みつけて一瞥する者までいた。俺の感覚とは違う反応がここでの常識のようだ。元明おじさんがさっき言った「河原者」がその理由なのだろう。
「何故?」
「我が安芸家の領民ではないからです」
「えっ……」
理由は明確であった。つまりは流民や犯罪者予備軍という意味である。武家は領民を守るという矜持はあるが、逆を言えばそうでない者はどうだって良い。河原者──ざっくりと言えばホームレスなのだが、税を払わないし言う事を聞かない (都合が悪くなれば逃げる)彼らは邪魔な存在なのかもしれない。
けれども……俺の知っている範囲なら、河原者は革細工を職にしている者も多くいる。職人は大事にしないといけないというのは価値観の違いだろうか?
それよりも驚きなのが、この田舎の漁師町にも河原者がいる事だ。現代的な感覚ではホームレスは都会に集まる。田舎では見ないと勝手に思っていたが、それは間違っていた。
どうしてこんな事に気付かなかったのだと後悔しながらも、この現実を見てしまったならする事は一つ。
「おじさん、お金持ってる?」
「若、おじさん呼びは止めてくださいといつも言っている……まさか……?」
「うん。そのまさか」
偽善を気取るつもりは無い。ましてや今は弱肉強食の戦国時代。だからこそ生き残りには強い国力が必要となる。ただ河原者だという事で遊ばせてやるほど俺は優しくないだけの事だ。
パンッ
そうこうしている内に酔っ払いが少年の顔面を殴りつける。腰の入った良いパンチだ……って、そういう話じゃないな。
守ってくれるおじさんには悪いが、スルリと脇をすり抜けて酔っ払いと対峙した。
「おいっ、そこの酔っ払い!」
「何だよ。またガキか」
酔っ払いが次の一撃を入れようとした所で動きを止める。間一髪。少年はまだ大きな傷にはなっていない。衛生状態が悪いこの時代ではちょっとした怪我でも大変な事になる可能性がある。特に子供なら尚更。そうなる前に間に合った。
「盗られた分は後ろのおじさんが払うから、そいつを解放しろ」
「はぁ、何言って……分かったから、その物騒なもの仕舞え」
ただ、それもほんの一瞬。俺の言葉など意に介さぬとばかりにもう一度拳を振り被る……が、そこで動きが止まった。最初はその言葉の意味が理解できなかったが、後ろを振り返った際、全てを理解する。
気が付けば元明のおじさんが刀を抜いて威嚇をしていた。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「礼は言わないからな」
元明おじさんが金を立て替え、ぶつくさ言いながらも去って行く酔っ払い。その姿を見送りながらも俺達に向けて最初に出た言葉がこれであった。
無言で鯉口を切り、今すぐにも物理的になめた口をきけないようにしようとする元明おじさんを宥めながらも、俺はその少年をずっと観察していた。
頬を紅く腫らしながらも精一杯の強がりを見せているのは意地だろう。改めて見ると頬がこけており、栄養が足りていないのが簡単に分かった。金を盗んだのは食べ物欲しさ以外考えられない。当然、服はボロボロだし髪も伸び放題。おまけに臭い。身なりに気を使う余裕さえない。
けれども、目に力強さだけは残っていた。生きる事を諦めていない。必死で何かに食らい付こうとしている。俺が今望んでいるもの。コイツには俺に足りないものを持っているような気がした。
だからなのだろう。
「むしろ礼は俺が言いたい。お前の父上を紹介してくれ」
自然とこんな言葉が出ていた。これで他人となってサヨナラをしたくないと思ってしまう。次に会う口実が欲しかった。
しかし、
「はぁ? 馬鹿じゃないのか? 俺の親父は少し前におっ死んじまったよ!」
当然の反応が返ってくる。突然こんな事を言われても訳が分からないのが普通だ。多分俺は変人にしか見えていない。
それにしても、こんな衝撃の事実を付け加えられると一層引けなくなってしまった。コイツに同情をするつもりなど更々ないが、思えば片親やみなしごが当たり前にいる時代だ。また気付かされた。
「何だ。親がいないのか。片親か? それとも両方か? まあどっちでも良い。今日からお前は俺の部下になれ。他の河原者との仲介が仕事な。給金は弾むぞ。お爺様が」
「わ、若!」
そうと決まれば強引に話を押し通す。おじさんから抗議の声が上がるがそれは聞こえていない。何となくコイツを仲間に引き込む事が、俺がこの時代で生き残る分水嶺なのではないかと思った。
「何言ってんだ、お前は。頭おかしいんじゃねぇか」
「そっちこそ何言ってんだ。お前が部下になったら、肉と革が楽に手に入るんだぞ。それにウサギの毛皮の製品開発が必要だしな。こんな機会そうそう逃す筈ないだろ。生活の面倒は見てやるから心配するな。お爺様が」
「若!」
後ろから物凄いプレッシャーを感じたので振り向くとおじさんが鬼の表情になっていた。一応はスカウトには正当性がある事を聞こえるように言ったつもりだが、やはりこれでは納得できないか。突拍子のない事をしているように映っているのだろう。
今日はこの辺が引き際かもしれない。
「そうだな。日を改めて話すか。元明おじさんをこれ以上怒らせたくないからな。それで、お前呼びだと不便だから名前を教えてくれ。今度は俺の方からそっち行くよ。食い物持って行くから期待しろよ」
「分かったよ。食い物をくれるなら話だけでも聞いてやる。あの辺りの川の近くにいつもいる。後、名前は……無い。いつも親父やおっ母からは"おい"とか"あんた"としか言われなかった。妹もいるが同じだ」
しかも名前も無しと来るか……。知識としては知っていたが、現実にこういうのを見るとは思わなかった。俺の感覚からすれば、コイツの置かれている環境は「あり得ない」の一言だが、きっとこの時代はコイツと同じようなのが大量にいる。それを知れただけで大きな収穫と言えた。
「うーん。名前は無いと不便だな。……仕方ない。今日からお前は"一羽"だ。これからお前の事はそう呼ぶ。気に入らなかったら違う名前を考えてくれ」
特に理由は無い。昔々に読んだ本でこの時代に「諸岡 一羽」という剣豪がいた事を思い出し、そこから頂く。有名な武芸者の名前だと言えばコイツも喜ぶんじゃないだろうか。まあ、こういうのはもう少し仲良くなってから種明かししよう。
「名前なんて何でも良い。好きに呼べば良いさ」
「それなら良かった。また今度な。一羽」
予想通りの反応であったのが残念だが、今はこんなものだろう。否定されなくて良かったと思う事にする。
そうして俺達は別れる。別れ際はあっさりしたものだった。きっとあいつは今日俺が言った事など本気にはしていないだろう。だからこそのあの態度。次は大量の食料を抱えて驚かせよう。俺が本気だという事を見せるつもりだ。うん? 妹がいるのか……勝ったな。
この後、酒蔵や流下式塩田の施設を見学したり、大量の干物を作っている現場で食事をしたりと、ちょっとした工場見学をさせてもらったが、その間ずっと元明おじさんからのお説教を食らい続ける羽目となる。
自業自得なので、神妙な態度で聞き続けるしかなかった。
五歳の夏、ようやく領内の見学が許される。ずっと外の世界に飢えていた。
これまで窓からしか見る事ができなかったリアル戦国時代の人の生きる姿。現代に比べれば何もかもが足りないというのに輝きが違う。例えここが田舎の漁村と言えるような場所であったとしても、皆が前を見ていた。
真新しい木製の建物が数多く軒を連ね、今も何処からかカンコンと音がしてくる。海風に乗ってやってくる潮の匂いに混じって木の匂いまで感じる。活気というか熱というか、それを間近で見られる嬉しさを噛み締めていた。
あそこに見える煙はもしかしたら塩の精製でもしているのだろうか? 立ち昇る煙一つでさえ領内の発展を感じさせる。見る物一つ一つが新鮮に映り、眺めているだけでも飽きが来ない。
今この場だけを見れば、俺が戦国時代にいる事を忘れそうである。
「若、あまりはしゃぐと転びますよ」
「ありがとう。おじさん」
「そのおじさんと言う呼び方、止めてくれませんか」
本当は一人で出歩きたかったが、そこまでは許してもらえなかった。本日は案内役兼護衛として親戚の畑山 元明が付いてくれている。まだまだ若そうに見えるが、俺と同じ年の子供がいる父親だ。畑山家は我が安芸家の強力な分家であり、直近でも曽祖父を畑山家から迎え入れたほどの繋がりがある(応仁の乱で当主死亡)。つまりお爺様から見れば彼は従兄弟の関係に当たり、一番信用のできる親族と言える。
俺も俺でこうした事情を聞かされているので、気軽に親戚のおじさんとして接しているつもりだが……真面目な性格なのだろう。引率の先生のような立場を崩そうとしない。
今回のお出かけで市場調査と称して買い食いをするつもりであったが、この調子では駄目そうだ。町中には思った以上にお店があるのに中に入れないのが残念である。
「そんな目をしても駄目ですよ。若の食事はきちんと準備していているので、それまで我慢してください」
「ちぇっー」
仕方ない。こういうのは次回以降の楽しみだな。
「なめた真似してんじゃねぇぞ!」
「そう言えばおじさん……あれ? 喧嘩か?」
道幅が少し狭くなり、デコボコも増えて歩き難くなったなと思い始めた頃、会話を途切れさせるには充分な荒げた声が飛び込んでくる。
網のお陰で荒っぽい海の男が増えたからか、通りに活気はあるがその分品は良くないなとは思っていた。実際、昼間から飲んでいる男を道中で何度か見かけたほどだ。気が大きくなればこういう事もあるだろう。所詮はゴロツキ同士の喧嘩だ。それなら部外者は余計な事はしない方が良い。ただ……こういった時、例えば人死にのような万が一の事件も起こる可能性もある。そういった懸念から、現場を確認すべく元明おじさんと共に急行した。
そこで見た光景はある意味衝撃的な場面となる。
「若、今胸ぐらを掴まれている少年は河原者ですぞ。関わる必要はありません」
遅れて到着した俺を庇うように位置しながら、息の荒い俺へと元明おじさんが冷静に囁く。
「おいっ、ガキ。さっき俺から盗んだ物を返しやがれ!」
現場は明らかに酔っ払いと思われる漁師風の男が十歳くらいの少年を掴み持ち上げていた。息が苦しいのか苦痛の表情を浮かべながらも、何とか逃れようと必死で体を動かしている。普通に見れば、大の大人が子供を虐めているようにしか見えない。
けれども、通り過ぎる人達はそれを一切咎めない。むしろ、睨みつけて一瞥する者までいた。俺の感覚とは違う反応がここでの常識のようだ。元明おじさんがさっき言った「河原者」がその理由なのだろう。
「何故?」
「我が安芸家の領民ではないからです」
「えっ……」
理由は明確であった。つまりは流民や犯罪者予備軍という意味である。武家は領民を守るという矜持はあるが、逆を言えばそうでない者はどうだって良い。河原者──ざっくりと言えばホームレスなのだが、税を払わないし言う事を聞かない (都合が悪くなれば逃げる)彼らは邪魔な存在なのかもしれない。
けれども……俺の知っている範囲なら、河原者は革細工を職にしている者も多くいる。職人は大事にしないといけないというのは価値観の違いだろうか?
それよりも驚きなのが、この田舎の漁師町にも河原者がいる事だ。現代的な感覚ではホームレスは都会に集まる。田舎では見ないと勝手に思っていたが、それは間違っていた。
どうしてこんな事に気付かなかったのだと後悔しながらも、この現実を見てしまったならする事は一つ。
「おじさん、お金持ってる?」
「若、おじさん呼びは止めてくださいといつも言っている……まさか……?」
「うん。そのまさか」
偽善を気取るつもりは無い。ましてや今は弱肉強食の戦国時代。だからこそ生き残りには強い国力が必要となる。ただ河原者だという事で遊ばせてやるほど俺は優しくないだけの事だ。
パンッ
そうこうしている内に酔っ払いが少年の顔面を殴りつける。腰の入った良いパンチだ……って、そういう話じゃないな。
守ってくれるおじさんには悪いが、スルリと脇をすり抜けて酔っ払いと対峙した。
「おいっ、そこの酔っ払い!」
「何だよ。またガキか」
酔っ払いが次の一撃を入れようとした所で動きを止める。間一髪。少年はまだ大きな傷にはなっていない。衛生状態が悪いこの時代ではちょっとした怪我でも大変な事になる可能性がある。特に子供なら尚更。そうなる前に間に合った。
「盗られた分は後ろのおじさんが払うから、そいつを解放しろ」
「はぁ、何言って……分かったから、その物騒なもの仕舞え」
ただ、それもほんの一瞬。俺の言葉など意に介さぬとばかりにもう一度拳を振り被る……が、そこで動きが止まった。最初はその言葉の意味が理解できなかったが、後ろを振り返った際、全てを理解する。
気が付けば元明のおじさんが刀を抜いて威嚇をしていた。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「礼は言わないからな」
元明おじさんが金を立て替え、ぶつくさ言いながらも去って行く酔っ払い。その姿を見送りながらも俺達に向けて最初に出た言葉がこれであった。
無言で鯉口を切り、今すぐにも物理的になめた口をきけないようにしようとする元明おじさんを宥めながらも、俺はその少年をずっと観察していた。
頬を紅く腫らしながらも精一杯の強がりを見せているのは意地だろう。改めて見ると頬がこけており、栄養が足りていないのが簡単に分かった。金を盗んだのは食べ物欲しさ以外考えられない。当然、服はボロボロだし髪も伸び放題。おまけに臭い。身なりに気を使う余裕さえない。
けれども、目に力強さだけは残っていた。生きる事を諦めていない。必死で何かに食らい付こうとしている。俺が今望んでいるもの。コイツには俺に足りないものを持っているような気がした。
だからなのだろう。
「むしろ礼は俺が言いたい。お前の父上を紹介してくれ」
自然とこんな言葉が出ていた。これで他人となってサヨナラをしたくないと思ってしまう。次に会う口実が欲しかった。
しかし、
「はぁ? 馬鹿じゃないのか? 俺の親父は少し前におっ死んじまったよ!」
当然の反応が返ってくる。突然こんな事を言われても訳が分からないのが普通だ。多分俺は変人にしか見えていない。
それにしても、こんな衝撃の事実を付け加えられると一層引けなくなってしまった。コイツに同情をするつもりなど更々ないが、思えば片親やみなしごが当たり前にいる時代だ。また気付かされた。
「何だ。親がいないのか。片親か? それとも両方か? まあどっちでも良い。今日からお前は俺の部下になれ。他の河原者との仲介が仕事な。給金は弾むぞ。お爺様が」
「わ、若!」
そうと決まれば強引に話を押し通す。おじさんから抗議の声が上がるがそれは聞こえていない。何となくコイツを仲間に引き込む事が、俺がこの時代で生き残る分水嶺なのではないかと思った。
「何言ってんだ、お前は。頭おかしいんじゃねぇか」
「そっちこそ何言ってんだ。お前が部下になったら、肉と革が楽に手に入るんだぞ。それにウサギの毛皮の製品開発が必要だしな。こんな機会そうそう逃す筈ないだろ。生活の面倒は見てやるから心配するな。お爺様が」
「若!」
後ろから物凄いプレッシャーを感じたので振り向くとおじさんが鬼の表情になっていた。一応はスカウトには正当性がある事を聞こえるように言ったつもりだが、やはりこれでは納得できないか。突拍子のない事をしているように映っているのだろう。
今日はこの辺が引き際かもしれない。
「そうだな。日を改めて話すか。元明おじさんをこれ以上怒らせたくないからな。それで、お前呼びだと不便だから名前を教えてくれ。今度は俺の方からそっち行くよ。食い物持って行くから期待しろよ」
「分かったよ。食い物をくれるなら話だけでも聞いてやる。あの辺りの川の近くにいつもいる。後、名前は……無い。いつも親父やおっ母からは"おい"とか"あんた"としか言われなかった。妹もいるが同じだ」
しかも名前も無しと来るか……。知識としては知っていたが、現実にこういうのを見るとは思わなかった。俺の感覚からすれば、コイツの置かれている環境は「あり得ない」の一言だが、きっとこの時代はコイツと同じようなのが大量にいる。それを知れただけで大きな収穫と言えた。
「うーん。名前は無いと不便だな。……仕方ない。今日からお前は"一羽"だ。これからお前の事はそう呼ぶ。気に入らなかったら違う名前を考えてくれ」
特に理由は無い。昔々に読んだ本でこの時代に「諸岡 一羽」という剣豪がいた事を思い出し、そこから頂く。有名な武芸者の名前だと言えばコイツも喜ぶんじゃないだろうか。まあ、こういうのはもう少し仲良くなってから種明かししよう。
「名前なんて何でも良い。好きに呼べば良いさ」
「それなら良かった。また今度な。一羽」
予想通りの反応であったのが残念だが、今はこんなものだろう。否定されなくて良かったと思う事にする。
そうして俺達は別れる。別れ際はあっさりしたものだった。きっとあいつは今日俺が言った事など本気にはしていないだろう。だからこそのあの態度。次は大量の食料を抱えて驚かせよう。俺が本気だという事を見せるつもりだ。うん? 妹がいるのか……勝ったな。
この後、酒蔵や流下式塩田の施設を見学したり、大量の干物を作っている現場で食事をしたりと、ちょっとした工場見学をさせてもらったが、その間ずっと元明おじさんからのお説教を食らい続ける羽目となる。
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