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四章 遠州細川家の再興
前哨戦
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算長を対馬に送り出し、製鉄及び鉄砲生産の部門は親信に任せて俺は普段の政務へと戻る。仕事は主に新しく増えた領地の再開発計画であり、する事と言えばいつも通り区画整理と人員や資材の手配となるのだが……そんな忙しない最中、この楠目城に使者がやって来たと知らせが来る。
──まさかこんな大物が。
できれば関わりたくない相手であるが、ここで逃げる訳にはいかない。使者の名は長宗我部 国親の懐刀と言われる吉田 孝頼であった。
ついに俺は長宗我部家と相対する事となる。
「どういった理屈でこの『楠目城』を長宗我部家に明け渡さないといけないのですか? 筋が通っていないでしょう」
「先程も言ったであろう。我が長宗我部家は後見となるだけで、返す先は山田家だと。大義の無い戦に領土を切り取る権利など無い。安芸家の名分は『反乱を起こした中城城主の討伐』ではなかったのか? それを果たした今、楠目城に居座る理由はなかろう。即刻退去するのが筋だ」
しかも要求は「楠目城の返上」という理不尽な要求。間違っても和やかな雰囲気での同盟などあり得なかった。「もしかしたら」と一瞬期待した俺をどん底へと突き落としてくれた。
「山田家は養子として入った新当主が安芸家に領土を譲るのですから、何も問題はありません」
「ふん。新当主だと誰が認めたのだ? そもそも山田家当主の奥方は養子も当主の交代も認めていない。家の乗っ取りなど言語道断。恥を知れ、恥を!!」
ああ言えばこう言う。互いの屁理屈の応酬。使者と言うからには交渉となるのが本来であるが、どう考えても恫喝にしか聞こえない。何のためにここに来たのか、一体何が目的なのかと無意味な言葉を交わしながらつらつらと考える。
ああ、そうか。
もう俺は長宗我部の標的に入ってしまったのだろうな。それも倒すべき敵として。
遠州細川家の当主を保護している事。須留田城で挑発紛いの軍事演習を行なった事。そして、自分達が養分にしようと考えていた山田家前当主の身柄を押さえた事。俺の行なった全てが目障りなのだろう。
だから仕掛けてきた。それも搦め手で。
本来なら山田家は長宗我部 国親にとっては父の仇の家である。しかしその実、山田 元義殿の奥方は長宗我部 兼序 (元秀)の妹でもあった。それは長宗我部家現当主 長宗我部 国親にとっては叔母である事を意味し、今俺の目の前にいる使者の吉田 孝頼にとっても叔母 (長宗我部 国親の妹が妻)である。
安芸家が楠目城を占拠した事で身の危険を感じて逃げ出した奥方は、実家である長宗我部家に現在匿われているという。それを最大限に利用した形だ。結果、山田家の「後見」という言葉へと繋がる。
これだけで既に「山田家の乗っ取りをしますよ」と言っているようなものだが、それはあくまでも表向きの理由と言って良いだろう。こんな理不尽な要求が通るとは相手も考えてはいまい。口調を見れば分かる通り、決裂を前提としている。
そうすると仕掛けの本命は何かとなるが、真っ当に考えれば山田家の家臣に安芸家との戦端を開かそうとしているのが最も妥当だ。突然攻め込んできた安芸家を叩き潰せと。長宗我部家がその支援をすると。山田 元義殿は安芸家で身柄を押さえているが、一時的な神輿として元義殿の奥方を使おうという考えが最も自然である。
まだ直接殴り合うわけではないが、この理不尽な要求はこれ以上の安芸家の伸張は認められないという意思表示であると言えた。俺の立場としては同盟した長宗我部家と本山家の二家に対抗するには山田領の併呑は必須であるが、それが逆に長宗我部家を追い詰めてしまったようだ。
つまり長宗我部家は現在伸るか反るかの岐路だからこんな事をしたとも言える。
長宗我部家が勢力を大きくしようとするなら、こんな博打じみた事はせずに周辺の独立領主を叩き潰して着実に力を付ける方が確実だ。何故足場固めをせずこのタイミングで安芸家に仕掛けてきたか? それは至極単純な理由である。
……実はまだ安芸家は山田家の領土は本拠地の楠目城を占拠したのみで、雪ヶ峰城や烏ヶ森城等の支城には一切手を出しておらず、停戦状態を維持したままであった。大半の山田家の領土は宙に浮いた形となっている。支城を安芸家が攻略してしまえば扇動をできなくなってしまう。
なら何故安芸家は何もしなかったのか? 早急に支城を各個撃破して領内を安定させるのは基本だというのに何をしていたんだという事になる。物資や兵力は十分にあるのでいつでも攻める準備は整っている。
理由は「政治的配慮」の一言であった。山田 元義殿養子入りする畑山 元氏に家臣団を引継ぎさせたいのだと言う。そうなれば安芸家内での地位は高まり、誰もが下に見れない。簡単に言えば、取り巻きがいればちょっかいが出せないという話である。
俺自身も反抗的な譜代家臣を隅に追いやるには強力な一門衆の力は必須だと感じたのでその考えに乗っかったが……ここからがお決まりの話というか、元義殿が説得を頑張ったお陰で何とか停戦状態に持って行く事はできはしたが、いざ降伏となるとなかなか首を縦に振らない。山田家の家臣は平気で主君に諫言するような骨のある人物が多いのがその理由と言えるだろう。
この状態を黙って見過ごすほど長宗我部家はお人好しではない。
だからこそ長宗我部は乾坤一擲の策に打って出た。使者である吉田 孝頼に傲慢な態度をさせる事で、怒った俺が殺せばスケープゴートになる。安芸家に降ればお前達もいずれこうなると。生きる場所は無いと。
……何と意地の悪い策略か。ここで敵の意図に嵌るとこれまでの元義殿の頑張りが全て水泡に帰す上に、彼の今後の安芸家での居場所が無くなってしまう。
なら追い返せばそれで良いという話になるが、標的にされた以上はすぐに第二、第三の謀略が仕掛けられるのは目に見えている。
俺はどうすれば良いのか……。
ふと吉田 孝頼の顔を見ると俺を馬鹿にするような目で見ていた。「さあ殺せ」と言わんばかりの態度だ。何という悪辣さか。
「あー、これは仕方ないか。分かりました。『楠目城』はお返ししましょう」
「……ほう。本当にそれで良いのか? 安芸の当主がそう言うなら、こちらとしては否はない」
不本意ではあるが、切り返す策が何も思い浮かばない以上はずるずると結論を先延ばししても意味がない。ここは仕切り直しとばかりに一旦引くしかないというのが結論であった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「お待ちください国虎様! 折角手に入れた楠目城を長宗我部に差し出すと言うのですか!」
「向こうの言い分としては『山田家に』となっている。大方山田殿の奥方を神輿として、長宗我部兵が楠目城を占拠する事になるとは思うが」
長宗我部の使者が帰った後、前線組の家臣に報告を行なう。
予想通り木沢 相政が「納得できない」と声を荒げていた。
「確かに相手の言い分には一見筋が通っているように見えますが、それを言うなら長宗我部家は『まず田村荘を遠州細川家に返してから』でしょう! できないなら聞く必要はありません」
「相政、気持ちは分かるが落ち着いてくれ」
「私は冷静です!!」
抜け駆けであったとは言え、楠目城は相政がここ土佐で初めて挙げた武功だ。脅されたからと簡単に返す決定をした俺に文句の一つも言いたくなるのはとても理解できた。
けれども意外だったのが、声を荒げるのは相政一人である点だ。安岡 道清や畑山 元明等の他の家臣は「ああ、またか」という呆れ顔をしているだけで特に異論を挟もうともしない。何だか見透かされているような態度である。
「まあまあ木沢殿、水でも飲んで一度頭を冷やせ。……とそれで国虎様、するからには何か仕掛けをするんだろ? 俺達は分かっているが、新しい家臣にはその辺を早く教えてやらねぇとな」
……どうやらバレていたようだ。やはり付き合いが長いとこういう時、俺が良からぬ事を考えているというのは分かっているらしい。
「それを言うならお前等も少しは何か案を出せよ」とは思わないでもないが、まずは相政を落ち着かせるのが先である。
「道清、助言感謝する。まだ途中の案になるが皆聞いてくれ。楠目城を引き渡すに当たって、全ての堀を埋め、全ての城壁と門を壊そうと考えている。取り決めはあくまで城の明け渡しのみだ。現状保存をする必要は一切無い」
「えっ……」
「なっ、木沢殿。心配しなくて良いだろ?」
城というのは様々な防御設備が機能してこそ拠点としての役割が成り立つ。ならハリボテにしてしまえば防御力はほぼ無くなる。迎撃に適した箇所が一切無くなるというのは何のための篭城か分からなくなるだろう。むしろ守る方が不利となる篭城戦となるかもしれない。
「こうすれば楠目城は簡単に落とせる。今回の明け渡しは策だ。安芸家の面目を失ったと感じる必要はない。むしろ罠に嵌る長宗我部を笑ってやれ」
本来であれば城を明け渡すのはその場で簡単に決められる内容ではない。家臣との相談の上で決定するのが筋である。それを分かった上で敢えて即日に結論を出したのは、策を悟らせないための演出であった。「長宗我部に屈した」と思わせる。安芸家、いや俺は弱いと侮ってくれればしめたものだ。その後の反撃が楽になる。俺としてはこの機に侵攻して、対長宗我部の橋頭堡を築きたいとさえ考えていた。
ただ……その代わりと言っては何だが、この策を実行すると長宗我部との全面戦争が待っている。
今回一度引いたのは戦端を開く前にこれを問わなければならないという事情もあった。
俺は既に目を付けられた身であるので諦めているが、相手が蛮族である以上これまでのような楽な戦ができないのは確実である。死が訪れても文句は言えない。もし家臣達の総意が「戦いを避けたい」というのであれば、俺はその意思に沿うつもりであった。
「だがその前に一つ皆に問いたい。策を実行するのは簡単だ。だがその先は長宗我部、本山連合軍との戦いになる。これまでの相手より一回りも二回りも上だ。死を覚悟しないといけない過酷さが待っていると考えて欲しい。それでも付いてきてくれるか? 今ならまだ間に合うぞ」
そう言った瞬間場が静まり返り、各々がどうするかをじっくりと考える……という展開が待っているのかと思っていたのだが……何故だか分からないが、皆が一斉に呆れた顔になっていた。何を今更……と。
「……長宗我部と戦わない場合、田村荘はどうするんで?」
そこで皆を代表するように安岡 道清が素朴な疑問をぶつけてくる。
「道清は痛い所を突くな。益氏様には申し訳ないが、その時は代わりの土地を渡して我慢してもらうつもりだ」
「ちなみに国虎様の考えは?」
「分かりきってるだろう。戦うから策を考えた。するからには勝つつもりだが、一人の力だけで勝てると思うほど傲慢ではない。皆の支えが必要になる。だから問いたい」
「最初からそう言ってくれよ。余計な事は考えずに、ただ『付いてこい』と言うだけで良い話を何遠回りしてるんだか……」
「畑山家は安芸家と一心同体です。何なりとご命令ください」
「長宗我部との戦いでは是非木沢家に先陣をお与えください」
改めて家臣達の顔を見渡す。その言葉に嘘はなく、誰もが気力に溢れていた。
どうやら俺が考え違いをしていたようだ。なまじ歴史を知っているからか、長宗我部を必要以上に恐れていたと気付かされる。だが、長宗我部は魑魅魍魎ではなく単なる人だ。なら、何を恐がる必要があるか。普段通りにやれば良いだけだと、皆から教えられたような気がする。
「……ははっ。お陰で吹っ切れた。ありがとうな。皆の忠義に感謝する。よし、長宗我部に勝ちにいくぞ。ついでに本山も倒してしまうか」
「そうこなくっちゃな」
一転、今度は大盛り上がり。皆が「長宗我部何するものぞ」「安芸家に喧嘩を売った事を後悔させてやる」と威勢の良い言葉を口にし始める。
下手をするとこのまま酒盛りでも始めるのではないかという雰囲気だが、そんな中で「少し確認したい点があるのだがな」という落ち着いた声が俺の耳へ届く。
「水を差すようで悪いが国虎殿、それで楠目城はどうするんだ? ただ落とすだけでは今と変わらないと思うぞ?」
その人物は元楠目城主の山田 元義殿である。立場的にはまだ山田家家臣の問題が片付いていないという事で微妙であるのだが、水が合ったのだろう。今では客将的な振る舞いをしている。周りの家臣達もその態度に文句一つ言わずに受け入れ、こうした評定の場にいるのにも違和感を感じなくなっていた。
「山田殿、その楠目城攻めは……畑山 元氏、いや山田 元氏の初陣にしようと考えています。それも大将格で。長宗我部を倒して楠目城を落とした後は、西に進んで植村城を落とし、最後は川を越えて改田城を攻め落とすつもりです。山田殿には申し訳ないのですが、植村城と改田城は見せしめとします」
「……なるほどのう。山田家新当主の強さを頑固な家臣に見せつけるのか。あやつらは武しか見ないから効果覿面と言えるな。これなら降るのも時間の問題か。よし、それなら儂は元氏殿の活躍に注目するよう家臣に書状を出しておく」
極端な言い方となるが山田家の家臣問題は結局の所、自分達が戦で活躍したいというだけである。元義殿が領地開発や商売を重視していたために蔑ろにされているのではないかという不安があったのだと思う。俺としては「当主の足りない部分を補ってやれよ」と言いたいが、そこまでの考えに至らないのだろう。所詮はその程度だ。
だからこそ、落とし所というか降る口実を与える事にした。今の状態が長く続けば攻め滅ぼされるというのは理解している筈。なら、新当主は戦ができるとアピールすれば、降った先でも自分達の働き場所があると考えるだろう。本当、武士は面倒臭い。
それにしても、戦に関わらなくて良いとなると元義殿が随分と生き生きしている。こういうのを適材適所だと言うのだろうな。
「元明、息子の初陣を盛り立ててやれよ。元氏、今回に限り木沢家を寄子 (与力)として組み込む。相政と協力して役目を果たしてくれ。初陣でいきなりの大役だがお前ならできる。頼むぞ」
『はっ! かしこまりました』
「相政、寄子は今回だけにするから我慢してくれ。元氏を助けてやれるのは相政しかいない」
「かしこまりました」
今回の措置は畑山家の家臣の頭数不足による緊急避難である。何だかんだ言って木沢家は一族郎党がしっかりしているので、それを頼る事にした。この戦が終われば、皆の俸禄を上げて家臣を増やすように伝えないといけないか。
まあ、それはともかくとして、
「ようし、まずは長宗我部に一泡吹かすか。城の細工をこれから皆でするぞ」
『応!!』
──まさかこんな大物が。
できれば関わりたくない相手であるが、ここで逃げる訳にはいかない。使者の名は長宗我部 国親の懐刀と言われる吉田 孝頼であった。
ついに俺は長宗我部家と相対する事となる。
「どういった理屈でこの『楠目城』を長宗我部家に明け渡さないといけないのですか? 筋が通っていないでしょう」
「先程も言ったであろう。我が長宗我部家は後見となるだけで、返す先は山田家だと。大義の無い戦に領土を切り取る権利など無い。安芸家の名分は『反乱を起こした中城城主の討伐』ではなかったのか? それを果たした今、楠目城に居座る理由はなかろう。即刻退去するのが筋だ」
しかも要求は「楠目城の返上」という理不尽な要求。間違っても和やかな雰囲気での同盟などあり得なかった。「もしかしたら」と一瞬期待した俺をどん底へと突き落としてくれた。
「山田家は養子として入った新当主が安芸家に領土を譲るのですから、何も問題はありません」
「ふん。新当主だと誰が認めたのだ? そもそも山田家当主の奥方は養子も当主の交代も認めていない。家の乗っ取りなど言語道断。恥を知れ、恥を!!」
ああ言えばこう言う。互いの屁理屈の応酬。使者と言うからには交渉となるのが本来であるが、どう考えても恫喝にしか聞こえない。何のためにここに来たのか、一体何が目的なのかと無意味な言葉を交わしながらつらつらと考える。
ああ、そうか。
もう俺は長宗我部の標的に入ってしまったのだろうな。それも倒すべき敵として。
遠州細川家の当主を保護している事。須留田城で挑発紛いの軍事演習を行なった事。そして、自分達が養分にしようと考えていた山田家前当主の身柄を押さえた事。俺の行なった全てが目障りなのだろう。
だから仕掛けてきた。それも搦め手で。
本来なら山田家は長宗我部 国親にとっては父の仇の家である。しかしその実、山田 元義殿の奥方は長宗我部 兼序 (元秀)の妹でもあった。それは長宗我部家現当主 長宗我部 国親にとっては叔母である事を意味し、今俺の目の前にいる使者の吉田 孝頼にとっても叔母 (長宗我部 国親の妹が妻)である。
安芸家が楠目城を占拠した事で身の危険を感じて逃げ出した奥方は、実家である長宗我部家に現在匿われているという。それを最大限に利用した形だ。結果、山田家の「後見」という言葉へと繋がる。
これだけで既に「山田家の乗っ取りをしますよ」と言っているようなものだが、それはあくまでも表向きの理由と言って良いだろう。こんな理不尽な要求が通るとは相手も考えてはいまい。口調を見れば分かる通り、決裂を前提としている。
そうすると仕掛けの本命は何かとなるが、真っ当に考えれば山田家の家臣に安芸家との戦端を開かそうとしているのが最も妥当だ。突然攻め込んできた安芸家を叩き潰せと。長宗我部家がその支援をすると。山田 元義殿は安芸家で身柄を押さえているが、一時的な神輿として元義殿の奥方を使おうという考えが最も自然である。
まだ直接殴り合うわけではないが、この理不尽な要求はこれ以上の安芸家の伸張は認められないという意思表示であると言えた。俺の立場としては同盟した長宗我部家と本山家の二家に対抗するには山田領の併呑は必須であるが、それが逆に長宗我部家を追い詰めてしまったようだ。
つまり長宗我部家は現在伸るか反るかの岐路だからこんな事をしたとも言える。
長宗我部家が勢力を大きくしようとするなら、こんな博打じみた事はせずに周辺の独立領主を叩き潰して着実に力を付ける方が確実だ。何故足場固めをせずこのタイミングで安芸家に仕掛けてきたか? それは至極単純な理由である。
……実はまだ安芸家は山田家の領土は本拠地の楠目城を占拠したのみで、雪ヶ峰城や烏ヶ森城等の支城には一切手を出しておらず、停戦状態を維持したままであった。大半の山田家の領土は宙に浮いた形となっている。支城を安芸家が攻略してしまえば扇動をできなくなってしまう。
なら何故安芸家は何もしなかったのか? 早急に支城を各個撃破して領内を安定させるのは基本だというのに何をしていたんだという事になる。物資や兵力は十分にあるのでいつでも攻める準備は整っている。
理由は「政治的配慮」の一言であった。山田 元義殿養子入りする畑山 元氏に家臣団を引継ぎさせたいのだと言う。そうなれば安芸家内での地位は高まり、誰もが下に見れない。簡単に言えば、取り巻きがいればちょっかいが出せないという話である。
俺自身も反抗的な譜代家臣を隅に追いやるには強力な一門衆の力は必須だと感じたのでその考えに乗っかったが……ここからがお決まりの話というか、元義殿が説得を頑張ったお陰で何とか停戦状態に持って行く事はできはしたが、いざ降伏となるとなかなか首を縦に振らない。山田家の家臣は平気で主君に諫言するような骨のある人物が多いのがその理由と言えるだろう。
この状態を黙って見過ごすほど長宗我部家はお人好しではない。
だからこそ長宗我部は乾坤一擲の策に打って出た。使者である吉田 孝頼に傲慢な態度をさせる事で、怒った俺が殺せばスケープゴートになる。安芸家に降ればお前達もいずれこうなると。生きる場所は無いと。
……何と意地の悪い策略か。ここで敵の意図に嵌るとこれまでの元義殿の頑張りが全て水泡に帰す上に、彼の今後の安芸家での居場所が無くなってしまう。
なら追い返せばそれで良いという話になるが、標的にされた以上はすぐに第二、第三の謀略が仕掛けられるのは目に見えている。
俺はどうすれば良いのか……。
ふと吉田 孝頼の顔を見ると俺を馬鹿にするような目で見ていた。「さあ殺せ」と言わんばかりの態度だ。何という悪辣さか。
「あー、これは仕方ないか。分かりました。『楠目城』はお返ししましょう」
「……ほう。本当にそれで良いのか? 安芸の当主がそう言うなら、こちらとしては否はない」
不本意ではあるが、切り返す策が何も思い浮かばない以上はずるずると結論を先延ばししても意味がない。ここは仕切り直しとばかりに一旦引くしかないというのが結論であった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「お待ちください国虎様! 折角手に入れた楠目城を長宗我部に差し出すと言うのですか!」
「向こうの言い分としては『山田家に』となっている。大方山田殿の奥方を神輿として、長宗我部兵が楠目城を占拠する事になるとは思うが」
長宗我部の使者が帰った後、前線組の家臣に報告を行なう。
予想通り木沢 相政が「納得できない」と声を荒げていた。
「確かに相手の言い分には一見筋が通っているように見えますが、それを言うなら長宗我部家は『まず田村荘を遠州細川家に返してから』でしょう! できないなら聞く必要はありません」
「相政、気持ちは分かるが落ち着いてくれ」
「私は冷静です!!」
抜け駆けであったとは言え、楠目城は相政がここ土佐で初めて挙げた武功だ。脅されたからと簡単に返す決定をした俺に文句の一つも言いたくなるのはとても理解できた。
けれども意外だったのが、声を荒げるのは相政一人である点だ。安岡 道清や畑山 元明等の他の家臣は「ああ、またか」という呆れ顔をしているだけで特に異論を挟もうともしない。何だか見透かされているような態度である。
「まあまあ木沢殿、水でも飲んで一度頭を冷やせ。……とそれで国虎様、するからには何か仕掛けをするんだろ? 俺達は分かっているが、新しい家臣にはその辺を早く教えてやらねぇとな」
……どうやらバレていたようだ。やはり付き合いが長いとこういう時、俺が良からぬ事を考えているというのは分かっているらしい。
「それを言うならお前等も少しは何か案を出せよ」とは思わないでもないが、まずは相政を落ち着かせるのが先である。
「道清、助言感謝する。まだ途中の案になるが皆聞いてくれ。楠目城を引き渡すに当たって、全ての堀を埋め、全ての城壁と門を壊そうと考えている。取り決めはあくまで城の明け渡しのみだ。現状保存をする必要は一切無い」
「えっ……」
「なっ、木沢殿。心配しなくて良いだろ?」
城というのは様々な防御設備が機能してこそ拠点としての役割が成り立つ。ならハリボテにしてしまえば防御力はほぼ無くなる。迎撃に適した箇所が一切無くなるというのは何のための篭城か分からなくなるだろう。むしろ守る方が不利となる篭城戦となるかもしれない。
「こうすれば楠目城は簡単に落とせる。今回の明け渡しは策だ。安芸家の面目を失ったと感じる必要はない。むしろ罠に嵌る長宗我部を笑ってやれ」
本来であれば城を明け渡すのはその場で簡単に決められる内容ではない。家臣との相談の上で決定するのが筋である。それを分かった上で敢えて即日に結論を出したのは、策を悟らせないための演出であった。「長宗我部に屈した」と思わせる。安芸家、いや俺は弱いと侮ってくれればしめたものだ。その後の反撃が楽になる。俺としてはこの機に侵攻して、対長宗我部の橋頭堡を築きたいとさえ考えていた。
ただ……その代わりと言っては何だが、この策を実行すると長宗我部との全面戦争が待っている。
今回一度引いたのは戦端を開く前にこれを問わなければならないという事情もあった。
俺は既に目を付けられた身であるので諦めているが、相手が蛮族である以上これまでのような楽な戦ができないのは確実である。死が訪れても文句は言えない。もし家臣達の総意が「戦いを避けたい」というのであれば、俺はその意思に沿うつもりであった。
「だがその前に一つ皆に問いたい。策を実行するのは簡単だ。だがその先は長宗我部、本山連合軍との戦いになる。これまでの相手より一回りも二回りも上だ。死を覚悟しないといけない過酷さが待っていると考えて欲しい。それでも付いてきてくれるか? 今ならまだ間に合うぞ」
そう言った瞬間場が静まり返り、各々がどうするかをじっくりと考える……という展開が待っているのかと思っていたのだが……何故だか分からないが、皆が一斉に呆れた顔になっていた。何を今更……と。
「……長宗我部と戦わない場合、田村荘はどうするんで?」
そこで皆を代表するように安岡 道清が素朴な疑問をぶつけてくる。
「道清は痛い所を突くな。益氏様には申し訳ないが、その時は代わりの土地を渡して我慢してもらうつもりだ」
「ちなみに国虎様の考えは?」
「分かりきってるだろう。戦うから策を考えた。するからには勝つつもりだが、一人の力だけで勝てると思うほど傲慢ではない。皆の支えが必要になる。だから問いたい」
「最初からそう言ってくれよ。余計な事は考えずに、ただ『付いてこい』と言うだけで良い話を何遠回りしてるんだか……」
「畑山家は安芸家と一心同体です。何なりとご命令ください」
「長宗我部との戦いでは是非木沢家に先陣をお与えください」
改めて家臣達の顔を見渡す。その言葉に嘘はなく、誰もが気力に溢れていた。
どうやら俺が考え違いをしていたようだ。なまじ歴史を知っているからか、長宗我部を必要以上に恐れていたと気付かされる。だが、長宗我部は魑魅魍魎ではなく単なる人だ。なら、何を恐がる必要があるか。普段通りにやれば良いだけだと、皆から教えられたような気がする。
「……ははっ。お陰で吹っ切れた。ありがとうな。皆の忠義に感謝する。よし、長宗我部に勝ちにいくぞ。ついでに本山も倒してしまうか」
「そうこなくっちゃな」
一転、今度は大盛り上がり。皆が「長宗我部何するものぞ」「安芸家に喧嘩を売った事を後悔させてやる」と威勢の良い言葉を口にし始める。
下手をするとこのまま酒盛りでも始めるのではないかという雰囲気だが、そんな中で「少し確認したい点があるのだがな」という落ち着いた声が俺の耳へ届く。
「水を差すようで悪いが国虎殿、それで楠目城はどうするんだ? ただ落とすだけでは今と変わらないと思うぞ?」
その人物は元楠目城主の山田 元義殿である。立場的にはまだ山田家家臣の問題が片付いていないという事で微妙であるのだが、水が合ったのだろう。今では客将的な振る舞いをしている。周りの家臣達もその態度に文句一つ言わずに受け入れ、こうした評定の場にいるのにも違和感を感じなくなっていた。
「山田殿、その楠目城攻めは……畑山 元氏、いや山田 元氏の初陣にしようと考えています。それも大将格で。長宗我部を倒して楠目城を落とした後は、西に進んで植村城を落とし、最後は川を越えて改田城を攻め落とすつもりです。山田殿には申し訳ないのですが、植村城と改田城は見せしめとします」
「……なるほどのう。山田家新当主の強さを頑固な家臣に見せつけるのか。あやつらは武しか見ないから効果覿面と言えるな。これなら降るのも時間の問題か。よし、それなら儂は元氏殿の活躍に注目するよう家臣に書状を出しておく」
極端な言い方となるが山田家の家臣問題は結局の所、自分達が戦で活躍したいというだけである。元義殿が領地開発や商売を重視していたために蔑ろにされているのではないかという不安があったのだと思う。俺としては「当主の足りない部分を補ってやれよ」と言いたいが、そこまでの考えに至らないのだろう。所詮はその程度だ。
だからこそ、落とし所というか降る口実を与える事にした。今の状態が長く続けば攻め滅ぼされるというのは理解している筈。なら、新当主は戦ができるとアピールすれば、降った先でも自分達の働き場所があると考えるだろう。本当、武士は面倒臭い。
それにしても、戦に関わらなくて良いとなると元義殿が随分と生き生きしている。こういうのを適材適所だと言うのだろうな。
「元明、息子の初陣を盛り立ててやれよ。元氏、今回に限り木沢家を寄子 (与力)として組み込む。相政と協力して役目を果たしてくれ。初陣でいきなりの大役だがお前ならできる。頼むぞ」
『はっ! かしこまりました』
「相政、寄子は今回だけにするから我慢してくれ。元氏を助けてやれるのは相政しかいない」
「かしこまりました」
今回の措置は畑山家の家臣の頭数不足による緊急避難である。何だかんだ言って木沢家は一族郎党がしっかりしているので、それを頼る事にした。この戦が終われば、皆の俸禄を上げて家臣を増やすように伝えないといけないか。
まあ、それはともかくとして、
「ようし、まずは長宗我部に一泡吹かすか。城の細工をこれから皆でするぞ」
『応!!』
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