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八章 王二人
更なる不正
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「皆お疲れ様。ようやく敵を全て倒し切ったな。それで悪いが、横になるのは待ってくれ。傷の手当と後片付けが残っている」
今回は降伏も逃亡もしない兵が如何に厄介か身に染みた戦いだったと言えよう。それだけ豊後大友兵の最後の突撃は、殲滅が大変だった。
通常の戦では無理に命まで奪わなくとも良い。勿論行動不能にまで追い込む必要も無い。重要なのは戦闘力を奪う一点に尽きる。
何故なら戦闘継続が困難となれば、兵は後ろに下がるか動きを止めるからだ。自ら進んで止めを刺されにくる馬鹿はいない。
だが決死隊ともなればその常識に当て嵌まらなくなる。満足に歩けなくなったとしても、這いつくばってでもにじり寄ってくる。それを放置して他の敵と戦っていれば、足元に取り付き纏わりついてくる。
相討ち上等とばかりに。
だからと言ってそんな敵に確実に止めを刺そうとすれば、続く新手から致命傷を受けてしまうのが戦場の厄介さである。
人は死ぬ時はあっさりと死ぬ。けれども意外としぶといものだ。腹を刺されて大量に血を流していても、死に至るまでには時を要する。
何が言いたいかというと、ようやく最後の一兵まで殺し終えたは良いが、こちらも被害甚大だった。直属部隊も大新宮も、気付けば半数近くが重症化もしくは死亡している。無傷なのは俺を含めた数人程度しかいない。必勝の布陣で臨んでもこの結果なのだから、この戦いがどれほど凄惨だったかが分かるというもの。
俺自身も、刀や槍を腹から生やしてゆっくりとした足取りで迫ってくる敵兵を何度見た事か。全身血まみれで得物を手放しているにも関わらず、執念だけで歩を進める。その姿は異常というより他ない。
俺も含めて皆もよくぞ逃げ出さずに耐え切ったものだ。
そのお陰か戦に勝利したというのに、皆一様にへたり込むか大の字に寝転ぶかしていた。勝利した喜びよりも疲労感が強い。それも怪我人であろうと関係無く。
皆思っているだろう。こんな戦もう二度としたくないと。
そんな疲れ切った将兵に掛けた言葉が手当と後片付けをしろなのだから、現実はどこまでも苛酷である。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
長府での戦いの戦果は二つの連鎖反応を引き起こす。その一つは豊前国での戦勝であった。
当家と豊後大友家との戦は三方面で展開中である。そうなれば豊後大友家が長府方面に兵を向かわせるなら、何処かの戦線から精鋭を引き抜く以外の方法がなかったのだろう。だからこそ、そのしわ寄せが豊前戦線での敗北に繋がる。
そして当家の豊前国戦線の勝利は、敵本拠地への直接攻撃が可能となった事を意味する。例え敵本拠地までの道中に数多くの城が立ちはだかっていようと、大した時間稼ぎにもならない。大筒を持つ馬路党がいれば、堅固な城もただの障害物に成り下がってしまうであろう。
もう一つは大友水軍の撃破であった。
なるほど。敵の決死隊が俺が想定した以上の数で長府に上陸できたのは、水軍を囮として使用したからだと理解する。ただその対価として、当家に制海権を渡してしまったのはやり過ぎであったと言わざるを得ない。これでは敵は逆に海からの強襲に怯えなければならなくなるのだから。
つまりは豊後大友家は二つの戦線の崩壊によって、防衛線を後退させる必要に迫られた。
膠着した戦線というのは、少しの切っ掛けがあれば綻ぶ。こうなれば後は絡まった糸を解くようなものだ。ましてや逆転の一手となる決死隊の襲撃は失敗に終わったとなれば、最早士気は地に落ちたと言っても過言ではない。
ここからは真綿で首を絞めるように着実に城を落としながら本拠地へと距離を詰めていく。王手を掛けるのは囲いを全て取り除いてからで良い。これで俺達の勝ちが決まった。
とは言え、敵側も黙ってやられっ放しになっている訳ではない。各城で必死に抵抗するだけではなく、何とか交渉を持とうと使者を送り込んでくる。それが上手く行かないとなれば、今度は朝廷に和睦仲介を依頼する。
笑ったのは無意味とも言える室町幕府からの停戦命令が出された事だ。何が悲しくて今更室町幕府を尊重しなければならないかが分からない。使者は俺の知らない細川一族という体たらくもあり、面会をせずにお帰り頂いた。
もしここで細川 氏綱殿が使者となる、もしくは細川 氏綱殿の書状を携えていれば、俺も邪険に扱えなかったろう。そう考えると、無理をしてでも細川 氏綱殿の身柄を確保した判断は間違っていなかったと言える。
こうした攻防が続く中、ついに山が動く。それは豊後大友家中では大物中の大物と言って良い角隈 石宗の派遣となる。名目は和睦であっても、実質は降伏の意思を伝える使者であった。
ただ俺の経験上、この状況に於いても無条件降伏などあり得ない。中身は降伏を受け入れるに当たっての条件闘争であり、可能な限り既得権益を残そうと口八丁を仕掛けてくるのが基本となる。
だからこそ、本来は会う気は無かった。
しかしながら、
「角隈殿、今回私が会うと決めたのは、豊後大友家がこちらの要望を全て聞き入れるという条件を提示したからです。それに間違いはありませんか?」
ここまで言われてしまえば、俺も会わない訳にはいかない。例えそれが嘘だと分かっていても。
外交交渉に於いては誠実さは二の次だ。自身に有利な条件を引き出すためには嘘や脅しも厭わない。これが鉄則と言えよう。
「相違ございません。何卒、豊後大友家との和睦をお願い申す!」
「では例えば私が、当主 大友 義鎮殿とその家族の首を望んだ場合はどうされますか?」
「細川様、それは豊後大友家の滅亡と同じとなります。ですので和睦にはならないかと……」
「なるほど。今回の交渉はあくまでも当主同士の和睦であると言いたいのですね」
「可能でしたら、そこにご家族の命も加えて頂ければ幸いです。首をお望みでしたら、拙僧が代わりとなりますので」
予想通りの展開だ。要は、和睦は当主が生きていなければ成立しないという言い分である。こうなると言葉遊びと変わらないのだが、逆によくぞ考えたものだと感心をしてしまう。
「でしたら、当主及びその家族の命さえ保証すれば、後はこちらが何を要望しても良いのですね?」
「豊後大友家は細川様に降り、以後忠誠を誓いまする」
「そういうのは必要ありません。豊後大友家の全てをこちらにお渡しください。こちらの用意する者を養子に迎えて当主を譲る。豊後大友家及び家臣の持つ領地及び資産は全て没収する。新当主及び当家が派遣する家臣に従えない者は全て去り、従う者のみ残る。あっ、残った者には給金で生活の保障をさせて頂きますので安心ください」
「細川様、さすがにそれはやり過ぎかと。こちらは忠誠を誓うと言っているのですぞ」
今度は条件を詰めるために内容に踏み込もうとすると途端にはぐらかす。そうはさせじとより具体的な言及をすれば、こちらを非難する。当然ながら感情的に言葉を返しているのは演技である。角隈 石宗本人は今も冷静であろう。
まさにお手本とも言える切り返しだ。さすがは只者ではない。
だが角隈 石宗は、一つ勘違いをしている。この前提を理解していなかったからこそ、こうした態度に出たのであろう。
「残念ですが、豊前国並びに豊後国を治める者は既に決まっております。嫌なら滅亡をお選びください」
「そ、それは……」
「もう一つ言いますと、私は豊後大友家を当家に迎え入れたくないのですよ。ですので和睦は本来望んでおりません。今回はこちらの要望を全て聞き入れるという話ですので、受け入れるための条件を提示させて頂きました」
そう、今の当家に豊後大友家は必要無い。迎え入れれば確実に大きな負担となるのが分かっていた。
「何ゆえ、当家をそこまで拒否されるのか。理由をお伝えくだされ」
「一番の理由は当主 大友 義鎮殿が九州探題に就任されたからとなります」
「九州探題は幕府から正式に頂いた役職ですぞ。そこにおかしな点は何も無い筈ですが」
「知っていてとぼけているのでしょうか? 九州探題は足利一門のみに許された役職です」
「それは当家の幕府への貢献の賜物です。むしろ栄誉と見るべき事柄かと。その証拠に当主 大友 義鎮様は、公方様より足利一門の証である桐紋の使用を認める御内書を頂きました。つまり豊後大友家は、今や足利一門と同じと言って良いでしょう」
「そういった勘違いをしているからこそ不要なのです。今の幕府そのもののあり方が間違っていると言えないのがとても残念ですね。幕府は今年書類を改竄する不正を働いているのを御存じですか? 今公家の界隈では大騒ぎしておりますよ」
九州探題就任の件は、致命的な要素だ。
確かに現在の豊後大友家は、足利一門と同じ扱いになったと言って良い。しかもその扱いを受けたのが先代の大友 義鑑から続いて二度目なのだから、勘違いをするのは分かる。
ただ残念ながら、探題職は「中央から派遣された」足利一門でなければ本来は就任できない。例えそれが世襲化していてもだ。そのため鎌倉時代より九州に根付く名家の豊後大友家は、足利一門と同じ扱いになったとしても、絶対に条件を満たせられない。
つまり大友 義鎮の九州探題就任は、幕府が意図的に条件を変更したという結論となる。
また今年二月、室町幕府は飛騨の三木 良頼が公家である姉小路の名を継承するのを認めた。
しかし書類上では、姉小路の名の継承を認めたのは二年前の永禄元年 (一五五八年)だと改竄し、渋る朝廷に無理矢理継承を認めさせたという事件が起きている。首謀者は近衛 前嗣と上野 信孝の二人だ。
前提が違えば事実は捻じ曲がる。
室町幕府が真面目な運営をしていたなら、特例として大友 義鎮の九州探題就任を認めざるを得ないだろう。けれども実態は違う。現在の室町幕府は腐っている。銭欲しさに武家による公家乗っ取りを認める、いや書類改竄までして後押しする組織だ。
そんな組織が認めた九州探題を認めてはならない。ましてや次の戦いは、大枠では室町幕府が敵となるのだ。ここで豊後大友家が降伏したからと言ってそのまま受け入れてしまえば、大きな矛盾を抱える形となってしまう。
「ま、誠ですか?」
「つまり現在の豊後大友家は、不正ばかり働く室町幕府を支持するだけでなく、本来あってはならない事態を名誉だと間違った理解をしているのです。受け入れたくなくて当然かと思いますが」
「……」
「ですので当家が豊後大友家を受け入れるには、体質を大幅に改めなければなりません。これは当然でしょう。そうしなければ、同じ過ちをいつ犯すか分からないのですから。せめて角隈殿がこの辺の事情を理解してくれていたなら、話は変わってきたと思います」
「それならば拙僧の首では……」
「何の役にも立ちませんね。家臣団全員の意識の問題ですので。当然ながら事情を理解していない当主 大友 義鎮殿には、退陣してもらう以外の道はありません」
「それゆえ和睦を望んでいなかったのか……」
もうひとつ。こうした室町幕府の暴走を放置すれば、より権威が失墜するという考えがある。現状の室町幕府には明確な兵力という力が無い。そうであるなら、権威を落とす不正行為や特権の切り売りは自身の首を絞める行為に当たるというものだ。
史実では室町幕府は第一五代の足利 義昭まで続いてはいるが、この現状を見れば、第一三代の足利 義輝によって相当落ち込んだと見て良い。
ただこれは後世を知る俺だからこそ持てる考えであり、戦国時代の今を生きる者達には持てない考え方であろう。だからこそ目の前の角隈 石宗に同じ考え方を持てとは言わない。不正をする幕府から与えられた栄誉を無批判にありがたがるなと言うのが精一杯である。
「当家が足利 義栄様を支持する理由は、そんな腐敗した幕府を打倒しようと立たれたからです。ですので当家の家臣となるなら、新たな当主による新方針を受け入れてもらう。これが絶対条件です。乗っ取りを認めるかどうかとなります」
「随分と正直ですな。義輝派と義栄派との争いにそのような背景があったとは露ほども考えませんでした。そうなると細川様が没落した足利一門の家を復活させているのは、足利の秩序を取り戻そうとした行動だと納得できます」
「中身は新興の家ですので微妙な所ではあります。ただそれでも、家名だけでも残そうとしたのは事実ですね」
「納得しました。ではこのまま豊後大友家が滅亡を迎えれば、家の名も汚してしまいそうですな」
「なるほど。そういう捉え方もありますか。なら、新体制となって当家でやり直してみますか?」
「何卒お願い致します。拙僧を始めとした重臣は全員腹を切りましょう。ご当主とその家族も命さえ保証頂けるなら、養子受け入れと出家の説得を拙僧が行います。細川様、これで納得されるでしょうか?」
「必要なのは養子の受け入れと出家、領地を含めた資産没収となります。資産没収は家臣全員も含めてです。その代わりに俸禄を出します。ですので切腹は必要ありません。この条件が受け入れられないなら抵抗すれば良いですし、新当主の方針に従えないなら出奔すれば良いだけです。なお、こうした厳しい措置を行うのですから、働きには報いると約束しましょう」
「今から幕府と争うのに、幕府から与えられた九州探題の役職は不要と。当主の出家はそのためのものですな。考えてみれば、当然の話かと」
「それでは角隈殿、大友 義鎮殿並びに家中の説得をお願い致します。念のために言っておきますが、侵攻は続けます。これも説得材料の一つに使用ください」
「……恐ろしいお方だ」
これも地方の弊害だろうか? 角隈 石宗と話して気付いたのは、室町幕府の行動に対して無批判に受け入れていた点であった。
そうなると俺の話は、価値観を大きく揺るがす内容だったに違いない。今まで考えもしなかっただろう。室町幕府が銭欲しさに不正を働く組織だったというのは。
人というのは面白いもので、信頼している存在に裏切られたと感じた瞬間、簡単に掌を返してしまう。今回こうもあっさりと話が進んでしまったのは、それだけ室町幕府を信頼していた証と言えなくもない。
角隈 石宗が言っていた「家の名を汚す」という言葉。俺にはこれがとても印象的であった。戦は自身が正義と信じていなければできないものだ。誰しもが悪に加担する戦はしたくはない。つまりは今日のこの日を境に、角隈 石宗の中では室町幕府は失望を超えて、悪の組織にまで成長したと言えるだろう。
……新生豊後大友家が反室町幕府の急先鋒となる日も近い。毟り取られた銭の恨みを晴らすために。
今回は降伏も逃亡もしない兵が如何に厄介か身に染みた戦いだったと言えよう。それだけ豊後大友兵の最後の突撃は、殲滅が大変だった。
通常の戦では無理に命まで奪わなくとも良い。勿論行動不能にまで追い込む必要も無い。重要なのは戦闘力を奪う一点に尽きる。
何故なら戦闘継続が困難となれば、兵は後ろに下がるか動きを止めるからだ。自ら進んで止めを刺されにくる馬鹿はいない。
だが決死隊ともなればその常識に当て嵌まらなくなる。満足に歩けなくなったとしても、這いつくばってでもにじり寄ってくる。それを放置して他の敵と戦っていれば、足元に取り付き纏わりついてくる。
相討ち上等とばかりに。
だからと言ってそんな敵に確実に止めを刺そうとすれば、続く新手から致命傷を受けてしまうのが戦場の厄介さである。
人は死ぬ時はあっさりと死ぬ。けれども意外としぶといものだ。腹を刺されて大量に血を流していても、死に至るまでには時を要する。
何が言いたいかというと、ようやく最後の一兵まで殺し終えたは良いが、こちらも被害甚大だった。直属部隊も大新宮も、気付けば半数近くが重症化もしくは死亡している。無傷なのは俺を含めた数人程度しかいない。必勝の布陣で臨んでもこの結果なのだから、この戦いがどれほど凄惨だったかが分かるというもの。
俺自身も、刀や槍を腹から生やしてゆっくりとした足取りで迫ってくる敵兵を何度見た事か。全身血まみれで得物を手放しているにも関わらず、執念だけで歩を進める。その姿は異常というより他ない。
俺も含めて皆もよくぞ逃げ出さずに耐え切ったものだ。
そのお陰か戦に勝利したというのに、皆一様にへたり込むか大の字に寝転ぶかしていた。勝利した喜びよりも疲労感が強い。それも怪我人であろうと関係無く。
皆思っているだろう。こんな戦もう二度としたくないと。
そんな疲れ切った将兵に掛けた言葉が手当と後片付けをしろなのだから、現実はどこまでも苛酷である。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
長府での戦いの戦果は二つの連鎖反応を引き起こす。その一つは豊前国での戦勝であった。
当家と豊後大友家との戦は三方面で展開中である。そうなれば豊後大友家が長府方面に兵を向かわせるなら、何処かの戦線から精鋭を引き抜く以外の方法がなかったのだろう。だからこそ、そのしわ寄せが豊前戦線での敗北に繋がる。
そして当家の豊前国戦線の勝利は、敵本拠地への直接攻撃が可能となった事を意味する。例え敵本拠地までの道中に数多くの城が立ちはだかっていようと、大した時間稼ぎにもならない。大筒を持つ馬路党がいれば、堅固な城もただの障害物に成り下がってしまうであろう。
もう一つは大友水軍の撃破であった。
なるほど。敵の決死隊が俺が想定した以上の数で長府に上陸できたのは、水軍を囮として使用したからだと理解する。ただその対価として、当家に制海権を渡してしまったのはやり過ぎであったと言わざるを得ない。これでは敵は逆に海からの強襲に怯えなければならなくなるのだから。
つまりは豊後大友家は二つの戦線の崩壊によって、防衛線を後退させる必要に迫られた。
膠着した戦線というのは、少しの切っ掛けがあれば綻ぶ。こうなれば後は絡まった糸を解くようなものだ。ましてや逆転の一手となる決死隊の襲撃は失敗に終わったとなれば、最早士気は地に落ちたと言っても過言ではない。
ここからは真綿で首を絞めるように着実に城を落としながら本拠地へと距離を詰めていく。王手を掛けるのは囲いを全て取り除いてからで良い。これで俺達の勝ちが決まった。
とは言え、敵側も黙ってやられっ放しになっている訳ではない。各城で必死に抵抗するだけではなく、何とか交渉を持とうと使者を送り込んでくる。それが上手く行かないとなれば、今度は朝廷に和睦仲介を依頼する。
笑ったのは無意味とも言える室町幕府からの停戦命令が出された事だ。何が悲しくて今更室町幕府を尊重しなければならないかが分からない。使者は俺の知らない細川一族という体たらくもあり、面会をせずにお帰り頂いた。
もしここで細川 氏綱殿が使者となる、もしくは細川 氏綱殿の書状を携えていれば、俺も邪険に扱えなかったろう。そう考えると、無理をしてでも細川 氏綱殿の身柄を確保した判断は間違っていなかったと言える。
こうした攻防が続く中、ついに山が動く。それは豊後大友家中では大物中の大物と言って良い角隈 石宗の派遣となる。名目は和睦であっても、実質は降伏の意思を伝える使者であった。
ただ俺の経験上、この状況に於いても無条件降伏などあり得ない。中身は降伏を受け入れるに当たっての条件闘争であり、可能な限り既得権益を残そうと口八丁を仕掛けてくるのが基本となる。
だからこそ、本来は会う気は無かった。
しかしながら、
「角隈殿、今回私が会うと決めたのは、豊後大友家がこちらの要望を全て聞き入れるという条件を提示したからです。それに間違いはありませんか?」
ここまで言われてしまえば、俺も会わない訳にはいかない。例えそれが嘘だと分かっていても。
外交交渉に於いては誠実さは二の次だ。自身に有利な条件を引き出すためには嘘や脅しも厭わない。これが鉄則と言えよう。
「相違ございません。何卒、豊後大友家との和睦をお願い申す!」
「では例えば私が、当主 大友 義鎮殿とその家族の首を望んだ場合はどうされますか?」
「細川様、それは豊後大友家の滅亡と同じとなります。ですので和睦にはならないかと……」
「なるほど。今回の交渉はあくまでも当主同士の和睦であると言いたいのですね」
「可能でしたら、そこにご家族の命も加えて頂ければ幸いです。首をお望みでしたら、拙僧が代わりとなりますので」
予想通りの展開だ。要は、和睦は当主が生きていなければ成立しないという言い分である。こうなると言葉遊びと変わらないのだが、逆によくぞ考えたものだと感心をしてしまう。
「でしたら、当主及びその家族の命さえ保証すれば、後はこちらが何を要望しても良いのですね?」
「豊後大友家は細川様に降り、以後忠誠を誓いまする」
「そういうのは必要ありません。豊後大友家の全てをこちらにお渡しください。こちらの用意する者を養子に迎えて当主を譲る。豊後大友家及び家臣の持つ領地及び資産は全て没収する。新当主及び当家が派遣する家臣に従えない者は全て去り、従う者のみ残る。あっ、残った者には給金で生活の保障をさせて頂きますので安心ください」
「細川様、さすがにそれはやり過ぎかと。こちらは忠誠を誓うと言っているのですぞ」
今度は条件を詰めるために内容に踏み込もうとすると途端にはぐらかす。そうはさせじとより具体的な言及をすれば、こちらを非難する。当然ながら感情的に言葉を返しているのは演技である。角隈 石宗本人は今も冷静であろう。
まさにお手本とも言える切り返しだ。さすがは只者ではない。
だが角隈 石宗は、一つ勘違いをしている。この前提を理解していなかったからこそ、こうした態度に出たのであろう。
「残念ですが、豊前国並びに豊後国を治める者は既に決まっております。嫌なら滅亡をお選びください」
「そ、それは……」
「もう一つ言いますと、私は豊後大友家を当家に迎え入れたくないのですよ。ですので和睦は本来望んでおりません。今回はこちらの要望を全て聞き入れるという話ですので、受け入れるための条件を提示させて頂きました」
そう、今の当家に豊後大友家は必要無い。迎え入れれば確実に大きな負担となるのが分かっていた。
「何ゆえ、当家をそこまで拒否されるのか。理由をお伝えくだされ」
「一番の理由は当主 大友 義鎮殿が九州探題に就任されたからとなります」
「九州探題は幕府から正式に頂いた役職ですぞ。そこにおかしな点は何も無い筈ですが」
「知っていてとぼけているのでしょうか? 九州探題は足利一門のみに許された役職です」
「それは当家の幕府への貢献の賜物です。むしろ栄誉と見るべき事柄かと。その証拠に当主 大友 義鎮様は、公方様より足利一門の証である桐紋の使用を認める御内書を頂きました。つまり豊後大友家は、今や足利一門と同じと言って良いでしょう」
「そういった勘違いをしているからこそ不要なのです。今の幕府そのもののあり方が間違っていると言えないのがとても残念ですね。幕府は今年書類を改竄する不正を働いているのを御存じですか? 今公家の界隈では大騒ぎしておりますよ」
九州探題就任の件は、致命的な要素だ。
確かに現在の豊後大友家は、足利一門と同じ扱いになったと言って良い。しかもその扱いを受けたのが先代の大友 義鑑から続いて二度目なのだから、勘違いをするのは分かる。
ただ残念ながら、探題職は「中央から派遣された」足利一門でなければ本来は就任できない。例えそれが世襲化していてもだ。そのため鎌倉時代より九州に根付く名家の豊後大友家は、足利一門と同じ扱いになったとしても、絶対に条件を満たせられない。
つまり大友 義鎮の九州探題就任は、幕府が意図的に条件を変更したという結論となる。
また今年二月、室町幕府は飛騨の三木 良頼が公家である姉小路の名を継承するのを認めた。
しかし書類上では、姉小路の名の継承を認めたのは二年前の永禄元年 (一五五八年)だと改竄し、渋る朝廷に無理矢理継承を認めさせたという事件が起きている。首謀者は近衛 前嗣と上野 信孝の二人だ。
前提が違えば事実は捻じ曲がる。
室町幕府が真面目な運営をしていたなら、特例として大友 義鎮の九州探題就任を認めざるを得ないだろう。けれども実態は違う。現在の室町幕府は腐っている。銭欲しさに武家による公家乗っ取りを認める、いや書類改竄までして後押しする組織だ。
そんな組織が認めた九州探題を認めてはならない。ましてや次の戦いは、大枠では室町幕府が敵となるのだ。ここで豊後大友家が降伏したからと言ってそのまま受け入れてしまえば、大きな矛盾を抱える形となってしまう。
「ま、誠ですか?」
「つまり現在の豊後大友家は、不正ばかり働く室町幕府を支持するだけでなく、本来あってはならない事態を名誉だと間違った理解をしているのです。受け入れたくなくて当然かと思いますが」
「……」
「ですので当家が豊後大友家を受け入れるには、体質を大幅に改めなければなりません。これは当然でしょう。そうしなければ、同じ過ちをいつ犯すか分からないのですから。せめて角隈殿がこの辺の事情を理解してくれていたなら、話は変わってきたと思います」
「それならば拙僧の首では……」
「何の役にも立ちませんね。家臣団全員の意識の問題ですので。当然ながら事情を理解していない当主 大友 義鎮殿には、退陣してもらう以外の道はありません」
「それゆえ和睦を望んでいなかったのか……」
もうひとつ。こうした室町幕府の暴走を放置すれば、より権威が失墜するという考えがある。現状の室町幕府には明確な兵力という力が無い。そうであるなら、権威を落とす不正行為や特権の切り売りは自身の首を絞める行為に当たるというものだ。
史実では室町幕府は第一五代の足利 義昭まで続いてはいるが、この現状を見れば、第一三代の足利 義輝によって相当落ち込んだと見て良い。
ただこれは後世を知る俺だからこそ持てる考えであり、戦国時代の今を生きる者達には持てない考え方であろう。だからこそ目の前の角隈 石宗に同じ考え方を持てとは言わない。不正をする幕府から与えられた栄誉を無批判にありがたがるなと言うのが精一杯である。
「当家が足利 義栄様を支持する理由は、そんな腐敗した幕府を打倒しようと立たれたからです。ですので当家の家臣となるなら、新たな当主による新方針を受け入れてもらう。これが絶対条件です。乗っ取りを認めるかどうかとなります」
「随分と正直ですな。義輝派と義栄派との争いにそのような背景があったとは露ほども考えませんでした。そうなると細川様が没落した足利一門の家を復活させているのは、足利の秩序を取り戻そうとした行動だと納得できます」
「中身は新興の家ですので微妙な所ではあります。ただそれでも、家名だけでも残そうとしたのは事実ですね」
「納得しました。ではこのまま豊後大友家が滅亡を迎えれば、家の名も汚してしまいそうですな」
「なるほど。そういう捉え方もありますか。なら、新体制となって当家でやり直してみますか?」
「何卒お願い致します。拙僧を始めとした重臣は全員腹を切りましょう。ご当主とその家族も命さえ保証頂けるなら、養子受け入れと出家の説得を拙僧が行います。細川様、これで納得されるでしょうか?」
「必要なのは養子の受け入れと出家、領地を含めた資産没収となります。資産没収は家臣全員も含めてです。その代わりに俸禄を出します。ですので切腹は必要ありません。この条件が受け入れられないなら抵抗すれば良いですし、新当主の方針に従えないなら出奔すれば良いだけです。なお、こうした厳しい措置を行うのですから、働きには報いると約束しましょう」
「今から幕府と争うのに、幕府から与えられた九州探題の役職は不要と。当主の出家はそのためのものですな。考えてみれば、当然の話かと」
「それでは角隈殿、大友 義鎮殿並びに家中の説得をお願い致します。念のために言っておきますが、侵攻は続けます。これも説得材料の一つに使用ください」
「……恐ろしいお方だ」
これも地方の弊害だろうか? 角隈 石宗と話して気付いたのは、室町幕府の行動に対して無批判に受け入れていた点であった。
そうなると俺の話は、価値観を大きく揺るがす内容だったに違いない。今まで考えもしなかっただろう。室町幕府が銭欲しさに不正を働く組織だったというのは。
人というのは面白いもので、信頼している存在に裏切られたと感じた瞬間、簡単に掌を返してしまう。今回こうもあっさりと話が進んでしまったのは、それだけ室町幕府を信頼していた証と言えなくもない。
角隈 石宗が言っていた「家の名を汚す」という言葉。俺にはこれがとても印象的であった。戦は自身が正義と信じていなければできないものだ。誰しもが悪に加担する戦はしたくはない。つまりは今日のこの日を境に、角隈 石宗の中では室町幕府は失望を超えて、悪の組織にまで成長したと言えるだろう。
……新生豊後大友家が反室町幕府の急先鋒となる日も近い。毟り取られた銭の恨みを晴らすために。
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私はこの乙女ゲームが大好きでした。
心優しいヒロイン。そのヒロインが出会う王子様たち攻略対象。
だから、彼らが今流行りのザマァされるラノベ展開にならないように、キッチリと指導してあげるつもりです。
彼らには幸せになってもらいたいですから。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
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何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
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